あらすじ
村上春樹が語るアメリカ体験や1960年代学生紛争、オウム事件と阪神大震災の衝撃を、河合隼雄は深く受けとめ、箱庭療法の奥深さや、一人一人が独自の「物語」を生きることの重要さを訴える。「個人は日本歴史といかに結びつくか」から「結婚生活の勘どころ」まで、現場の最先端からの思索はやがて、疲弊した日本社会こそ、いまポジティブな転換点にあることを浮き彫りにする。
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Posted by ブクログ
【自己治癒的な作業】
1995年11月に、村上春樹さんが京都にいる河合隼雄さんのところへ行き、対談されたときのお話。
書きおこしに加えて、それぞれのコメントの追記があり、より話の内容への理解を深められる形になっていました。
阪神淡路大震災とオウム真理教の地下鉄サリン事件があった年。
そして村上春樹さんは、
1994年に『ねじまき鳥クロニクル』の第1部、第2部を出し、
1995年にはアメリカから帰国後に、8月第3部を出されたところでした。
この作品を取り巻く思考が、河合先生とのお話の中で続けられていて、
とても興味深く、
私は昔に一度読んだのですが、
まったくの無知でしたので、
この対談を踏まえ、
再読したいと思います。
・コミットメントとデタッチメント
村上春樹さんが、小説を書く際に考えられている概念。
小説的、外部的、という言葉で説明されていたけれど、
内側にある自分ー個人として どう社会と外部と関わるか
河合隼雄先生が言われていた、「自分の全所在をコミットさせること」を学ぶ。
プロとして仕事をする、ということなのか、
人生として何をするか、という話なのかな、なんて勝手に考えながら。
自分は一人しかいない、
人生は一度、
その事実に向き合うことでもあるように感じました。
対談では、社会的な出来事にも触れられ、この言葉は引き続きこの対談のキーワードとなっていました。
・非言語
河合先生が推進されていた箱庭療法に関心を寄せる村上春樹さん。
イメージを使った心理療法ですが、先生は、言語かだけが治療ではないことが強調されていました。
視覚思考や、言語化されるプロセスを経ない、ある種潜在意識下の心理に焦点を当てているという点、
先日読んだ、『#第1感』の本や『#ビジュアルシンカー』の本とも通ずる部分があり、
私自身も興味深く読みました。
村上春樹さんは、小説を書くことにこの心理療法に似たような部分があり、自己治療的な行為だと話されています。
自分でもうまく言えないこと、説明できないことを物語に置き換えていく、と。
Spontaneous な物語でなくてはいけない、なぜなら、「予期せぬものに対して、さっと素早く対処する際のスタイルの中に、小説的な意味が含まれている」、と。
意識的な言語化のプロセスは、ある種思考を完結化するプロセスでもあるので、
その中で失われてしまう情報がある、
小説は、言語で成り立つけれども、現実世界にとらわれないイメージ、を生み出すための想像性があるので、
そこには非言語の思考を伝える可能性があるのだなーと感じました。
そして、「部分的には読者も癒すもにでなくてはならない」とも。
読者からのプラス・マイナスのフィードバックも、自己治癒の一部であり、それを「手応え」として話されていました。
・社会の矛盾を抱える自己
河合先生曰く、
60年代の反体制への抵抗、
本質的に体制に組み込まれている反体制に、コミットすることがいかに空しいか。
そして今(1995年当時)、反抗するものがない時代。
オウム真理教の存在、阪神淡路大震災とボランティア、
アメリカに在住されていた村上春樹さんにとって、湾岸戦争は個人的にも衝撃的出来事だったようです。
「日本の戦後的な価値観が、世界でほとんど汎用性を持たない」、という印象的な言葉もありました。
社会の中の矛盾とどう付き合っていくか、自分がどう社会とかかわるか、
矛盾の存在に対して、統合性は必要ない、バランスをどうするか、とでお二人が一致していて、
既存のものへの対抗ではなく、異なる次元を生む、というある種の解決策。昇華、というのか。
自分なりのスタイル、「生き方そのものという作品」を新しく作るというコミットメント、として話されていました。
・井戸掘り
『ねじまき鳥クロニクル』は井戸が一つの舞台となっていますが、
その井戸掘りについて、とても興味深い対談がなされています。
井戸掘りも、治癒であると。
村上春樹さんがマラソンなどで身体を鍛えていることと、
それが文章にも表れる、とうことに触れられていましたが、
身体を伴う作業という点では、修行にも似ているように感じる。
作品のテーマにもなっている、夫婦、結婚について、
一側面を強調すると、
苦しむため、井戸堀りするために結婚する、と解釈される河合先生。
現代、結婚とは、協力するだけじゃなくて、理解したい、そのために必要なプロセス。
相手に自分の欠落を埋めてもらうのではないこと。
自分の欠落を苦しいながらも認識すること、明らめる、直視する内的な経験があるということ。
男女関係が、井戸堀の治癒に移行していく必要性。
その前提の考え方は、
誰もが持っている欠落、皆ある程度病んでいる、と村上春樹さんが話しています。
人間は自分が死ぬことを知って生きる特殊な動物であり、これもある意味病んでいると言える。
一人の人間のことに必死になっていたら、世界のことをかんがえざるをえなくなってくる、ということは河合先生が話されていましたが、
一人の人間は世界の縮図でもあるような、
生きた人間と深くかかわることが自分と向き合うことになるような、
そしてそれが社会、世界と向き合うことになるような…。
・壁抜け
小説を書くにとどまらず、芸術行為一般について、治癒的な作用を話されていました。
「壁抜け」も、村上春樹さんの小説の中で用いられている言葉ですが、
みんなに通じる表現で、掘り下げる、超えることについての表現として、思考されていました。
村上春樹さんは小説で言葉にしているものでも、どういう意味なのか、
「作者にも分からないことがいっぱい入っている」、「小説が自分自身より先を行っている感じがする」、と言っていて、
この対談そのものも、その言語化されていない思考を模索し明らめていくような作業が続いているといった一面を感じました。
より速いスピード、より多い情報量、より楽な方向を目指す現代社会に対して、
小説を書くことが、その一般的風潮と逆な個人的作業であること。
フィクションとノンフィクションについても、
河合先生が、
実際おもしろい偶然がたくさんある、偶然待ちの商売をしている、とユーモア交えて話されていましたが、
理性では理解できない部分が現実にあること、時々忘れているかもなーと思ったり。意識的に消している部分もあるのかも。
平和の時代に書く暴力性、本能的なもの、
そして
テクノロジーの時代に書く死、
そうして創造された作品だと思うと、とても深いですね。
「苦痛のない正しさは意味のない正しさ」
人生の意義の深め方、ともいえるのでしょうか。
村上春樹さんが、日本に戻る必要性を感じ、
何か暴力的なことを予見していた当時。
その後30年をどう過ごされ、どのように今解釈をされているのかも気になりますね。
とても興味深い対談でした。
Posted by ブクログ
久しぶりの再読。3回か4回目かというところで、今回が最も理解できたと思う。
私自身の年齢が半世紀近くなったからか、夫婦についての話題に釘付けだった。これからどうしていこうかな。その決断のためにまだまだ読むべき書籍が沢山ある。
Posted by ブクログ
誰しもが少なからず、精神的な病、瑕疵やしっくりこないことを持っていると思うのですが、この本にはそういったものを解消したり、緩和したりするためのヒントが書かれているように感じました。
Posted by ブクログ
日本におけるユング心理学の権威である河合隼雄さんと村上春樹さんの対談集。村上春樹さんの「約束された場所で (underground2)」の最後にも少し対談集があったのですが、それが面白かったのでセットで読みました。
村上春樹さん自体はかなり僕と違った価値観を持つ人だと思うのですが、その自分とは大きく異なる価値観を部分的にでも共感させる文章力はさすが☆そして、相手のことを最大限に尊重しながら受け止める側に撤する河合隼雄さんはホントすごい!!
「苦痛のない正しさは意味の無い正しさ」「早い対応、多い情報の獲得、大量生産を目指す時代だからこそ、対応性の遅さや情報量の少なさ、手工業的しんどさが人間を癒してくれる」とかもすごく良かったけど、矛盾の話が一番良かったかな~♪以下、特に心に残った箇所を抜粋します☆
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矛盾をずっと抱え込みながら、答えを焦らずに実際的解決策を見出してはいくが、その矛盾にはずっとこだわっていく。矛盾の存在やその在り方、解消の方法などについて考え、言語化していく。しかし、決して解決を焦らない。そうしているうちに、最初は矛盾として捉えていた現象が、異なるパースペクティヴや、異なる次元の中で矛盾を持たない姿に変貌する。それを持とうとするのです。
Posted by ブクログ
言語で分析する方法は、下手をすると、傷を深くするときがある、と河合隼雄が話していて、逆に言語化することで、意識してなかったらことに気付くことで傷が深くなるのか、と思った。
伝えるのが苦手なのに辛いことがあると頑張って何を悩んでるのか言語化しようとしてたけど、無理に言いたくないことは言わなくていいって言ってくれてる気がして気持ちが少し楽になった。
Posted by ブクログ
いくつか興味深い点について振り返っていく
<コミットメントとデタッチメントについて>
コミットメント(献身、かかわり)とそのマイナス方向の性質としてのデタッチメントは、日常における全ての出来事(人間関係、仕事、趣味)についてかなり重要な意味がある。その関わりの深さで人生のシェイプが決まるよな、とも思う。
元来人はアウトプットしなくては生きていけないと思うし、コミットメントとはアウトプットという概念の1つ下の階層にあたるという意味でも、かなり重要度が高いよなと思う。
<箱庭療法について>
河合隼雄さんといえば箱庭療法なんだなと、何冊か著書を読んで印象づいてきた。
患者に箱庭を作らせ、できた箱庭からその人の精神状態やおかれている状況を読み取るという、変わったアプローチの療法なのだけど、その抽象度が鍵なのだという。
アメリカでは臨床心理のケアを行う際、言葉を用いた論理的なアプローチで患者の精神状況などをとことん分析しようとする傾向があるらしいが、言葉を用いて自分の症状を認知させるようなやりかたを取ると、患者としては逆に傷ついてしまうことがあるらしい。
そこで箱庭を用いた分析アプローチを利用することで、ことを用いずに具体的に患者の精神状況を把握することができるという。
詳細を記載されているだろうからないが、これはやはり経験則に頼るところも大きい治療法なのではないかと察する。
<人間の暴力性について>
村上春樹は戦争以降、日本は平和憲法などを用いて徹底的に暴力性を排除し、その結果として現代人は自分の内に潜む暴力性に気づかず成熟し、その暴力性が顔を出した時に悲惨な結果になってしまうような事件などが怒っている状況について言及していた。
自分はお笑いがとても好きで、中でもサイコパスが現れるよな内容のものを好んだりする傾向があるのだけど、これはここでいう暴力性に対する認知のことなのだなぁと勝手に納得した(笑)
この本は、現代人が生きるにあたって突きつけられる巨大なトピックをかなり本質に近いところで扱っている。
河合さんも村上さんも、職業的にも人柄的にもそこに対して
バシッと答えるようなことはしないけれど、やはりかなり鋭い目線を持っていて、そういうことを認識しておくと、どういうことに自分が悩んでいるのか、突き当たるかという状況に対してメタ認知できる状態になるので、かなり良いと思った。
Posted by ブクログ
村上春樹作品は今まで1作しか読んだことなく、これまでストーリーテリング=小説と思っていた私には、何が何なのかよくわからず終わってた。大きく今見方が変わった気がする。
心のタガが少し外れた。
生きるとは自分の物語をつくること、につながった。
2016.6.12
もっとずっと読んでいたい対談だった。お二人の対話で話題は全然関係ないのだが、自分の深い部分が癒やされていくという感覚がある。
最初に読んだ時から今までの間に村上春樹の本は随分読んだ。
夫婦とは井戸堀りというのと暴力性についての項が響いた。
2023.10.7
再読。この対談が書かれたのが30年前。村上氏のこれから暴力の時代がくるのではないか、という予見に驚く。サステイナビリティなんて言葉がそこら中で聞かれるようになって、温暖化とか明確に直面している問題にも小手先やらパフォーマンスの対応ばっかで全然歯止めが効いてないし。ほんと、これからどうなるんでしょうねぇ。私個人がそう思うことも時代の憂いなのかな。
2024.6.22
Posted by ブクログ
個人を突き詰める欧州・米国に精神を追いつめられた人が多いというアイロニーの指摘、なかなかに興味深いです。
さらに進めば相対的存在としての神を据える構造の検討にも行きそうで極めて奥深いポイントかと。
Posted by ブクログ
河合隼雄と村上春樹がアメリカで行った対談の記録。河合隼雄はユング派だけあってホーリズム的な傾向が強いのだけれど、村上春樹は作家だけあって言語的に理解していこうとする。とはいえ村上春樹もすべて言語に依存して把握しようとする人でもなく言語や精神を支える身体感覚を大切にする人なので、河合隼雄とは波長があって会話が弾んでいる感じが伝わる。
対談のタイミングが『ねじまき鳥クロニクル』の発表直後だけあって、ねじまき鳥の話が多い。また湾岸戦争やオウム事件との時代的な近さも感じる。ねじまき鳥で暴力や歴史というものが前面に出てきており、その理由を村上春樹は河合隼雄との対話の中で見い出そうとしているようにもみえる。
短いけれど読み応えのある対談集だと思う。
Posted by ブクログ
心理学者の方は、確固とした強い心を持っているのではないかと思っていたけれども、映画の登場人物に感情移入して批評なんてできない、と言っていたのが印象的だった。
二人とも全ての事象の本質を決めつけずに、様々な角度からものを考えていくスタイルが似ており、村上春樹の鋭い提案?を、河合隼雄が優しく包み込み、すーっと滑らかに結論づけていくようなイメージだった。
Posted by ブクログ
2人の対話は、単純に面白かった。この中に、「ねじまき鳥クロニクル」と「世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド」への言及があった。いずれも読んでない。長編最新作を読み始めていたのだが、まあまて。このどちらかを先に読もうと思わせてくれた。
Posted by ブクログ
心理療法士の河合さんと、村上春樹さん、両氏の結婚に対しての発言も面白い。
河合さん
「愛し合っている2人が結婚したら幸せになれるなんて言う馬鹿な話はない。そんなことを思って結婚するから、鬱になるんですね。何のために結婚して夫婦になるかと言ったら、苦しむために、井戸掘りするためなんだというのが僕の結論なのです。井戸掘りは大変なことです。だから別にしなくてもいいんじゃないかと思ったりするんですよ」
村上さん
「結婚とは、むしろお互いの欠落を暴き立てる過程の連続に過ぎなかったのではないかと。結局のところ自分の欠落を埋めることができるのは自分自身でしかないわけです。そしてその欠落を埋めるにはその欠落の場所と大きさを、自分できっちりと認識するしかない。結婚生活と言うのは煎じ詰めていけば、このような冷厳な相互マッピングの作業に過ぎなかったのではあるまいかと、この頃になってふと思うようになったのです。」
「癒しのために小説を書く」と言う村上春樹氏の発言がとても興味深かった。
村上春樹作品の遷移
1. アルゴリズム、デタッチメント
2. 物語を語る
3. コミットメント(人と人との関わり合い)
Posted by ブクログ
村上春樹によって私が癒されることはないけれど、あいだに河合隼雄を挟むことにより、村上春樹の思考と言葉によって癒されることがあると分かった。メンタルとフィジカルが物語にどう関わってくるのか、意外と小説について語られている部分もあったのでよかった。
Posted by ブクログ
"「何かのメッセージがあってそれを小説に書く」という方もおられるかもしれないけれど、少なくとも僕の場合はそうではない。僕はむしろ、自分の中にどのようなメッセージがあるのかを探し出すために小説を書いているような気がします。”(pp.79-80)
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なるほど。あらゆる活動はそうかもしれないと思い始めた。何かルーツ(根っこ)のようなものでつながっている。それは言い換えれば、自分の中にあるメッセージのようなものかもしれない。
Posted by ブクログ
村上春樹氏と心理学者である河合隼雄氏との対談。村上氏自身のコミットメントが強く生じたオウム事件や阪神大震災まもない時期、名作『ねじまき鳥クロニクル』を書き上げた時期ということもあり、談話内容はなかなかに興味深い。おふたりの話は高度で非常に観念的であり哲学的でもあるので、読者側で反芻して咀嚼する必要があるがおふたりの思考は深いところで繋がりあっているのがよくわかる。箱庭療法に対する日米の違いのエピソード(言語的左脳的な米と、非言語的右脳的な日)は、文学や心理など目に見えない「魂」といった類を扱う者らの文化論として示唆に富む。
特に関心を惹かれたのは村上氏のアメリカでの大学講義の話であった。『ねじまき鳥クロニクル』の見解を「一読者としての見解」として紹介すると、アメリカでは「お前が作者なんだから作者の意図だろう」と突っ込まれるのに対して、日本だとすんなり受け入れられる。村上氏らしいスタンスだが、解釈が難しい作品だけに、私もやっぱり後者の気分(そもそも解釈する必要があるのかという意見も日本ならあるかもしれない)。
後書きが河合隼雄氏なのも面白い。
Posted by ブクログ
メディアと小説についてお二人が述べている、第二夜が好きです。
小説のメリットは、その対応性の遅さと情報量の少なさと、手工業的しんどさ。にある。(メディアはその反対で、そのスピードにのみこまれる。。)
「フィクションは力を失っておらず、何かを叫びたいという人にとっては、むしろ道は大きく広がっているのでは…」
と、春樹さん。
そして河合隼雄先生は
「小説や映画を見るときに、主人公と同定しちゃって一喜一憂している場合が多い」
と仰っていて、すごく嬉しく感じた。
「深く病んでいる人は世界の病を病んでいる」
それで社会に発言するようになったという河合隼雄先生。
なんだか本当に似ていたんですね、お二人の考えは。。
Posted by ブクログ
98年の本だから26年前だけれど。この頃も社会的な悩みは変わらないのだと感じた。その時の大人が今の若者に対してまた「近頃の若者は弱い」と言っているのは、嫌味というか繰り返すものだなぁと。
勿論中身は変わっているのだろうけど。
もっと昔の哲学・思想面との考察も面白かった。村上春樹さんの作品にも興味を持った。河合隼雄さんの分析は流石だなぁ。
Posted by ブクログ
タイトル通り、知識人がこぞって話したい思う河合隼雄さんに村上春樹さんが会いに行き、対談した様子をおさめた一冊。
さすが、日々思いを巡らすお二人の会話は、、やはり難しい…。しかしわかる部分も一部あり、また再読するときに更に分かることが増えればいいな。時期的には『ねじまき鳥クロニクル』を書き終えたあたりで、作品についても触れ、さらに地下鉄サリン事件にも話は及ぶ。夫婦の関係性等、様々話は交わされ、いつしかその場にいるような気持ちになった。
本書1995年時点の二人の未来予想も遠からず近からずだからスゴい…。
Posted by ブクログ
暴力性が必要っていうのはなんかわかる気がする。物理的に相手を殴るとか刺すとかいう意味じゃなくて。暴力的なものから癒やしが得られることってよくあるしなー。感覚的な話が多くて、お二人だから通じ合える内容であるように思うので、正直理解するのは難しかった。
Posted by ブクログ
この本の感想は、言語化が難しい...。すごく面白かったのにこの思いを文字に起こせずすごくモヤモヤしている。もう一度じっくり読みたい。
拙い言葉で一部書き綴ると...。
色んなパターンで西洋と日本の違いを見比べた時に、あるものをあると認識するのは簡単だけど、ないものをある(逆も然り)と認識するのはすごく難しいなぁと思った。
「治るばかりが能じゃないんですよ。そうでしょう、生きることが大事なんだから。」というフレーズにグッときた。
Posted by ブクログ
村上春樹も河合隼雄も何冊か本を読んで知っているつもりだったが、この対談ではテーマが次々と繋がりながら広がっている。分かったような分からないような。
Posted by ブクログ
村上春樹さんの、小説のベースとなる考えが垣間見れて興味深かった。どちらかと言うと河合隼雄さんの治療のしかたの方に興味を持った。国内の第一線でやっている人でも色々なことを模索しながら治療していることがわかる。
Posted by ブクログ
両者ともにアメリカに在住経験があるからか、考え方がかなり似ていると思った。村上春樹の独特な文学観と、河合隼雄の臨床心理学がうまく調和していて、日本社会の根底にある諸問題を深く考察している。ちょくちょく日本と欧米の比較も入っていたところも興味深かった。
対談とは関係ないが、対談文の下にそれぞれのコメントも記載されているが、場所的に読みづらい。
Posted by ブクログ
村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』までの気持ちの移りよう(随分大雑把な括りだけど)がわかる。
でも、もっと重要で詳しいことが書いてあったと思うんだけど読み取れていないかも。
Posted by ブクログ
デタッチメントの確立の先に深い意味でのアタッチメントがある。完全なデタッチメントを目指そうとしても人間はそこまで強くない。かといってアタッチメントの割合を高くしていって人に依存するようになると長続きしない。羊4部作やノルウェイの森で語られ続けてきたテーマだけに共感するものがあった。
Posted by ブクログ
村上春樹が小説を書く理由が自分の中に内在する葛藤を整理する為というのには納得出来た。
河合隼雄のカウンセラーとしての患者の向き合い方が優しく中立的だと感じた。
貴重な2人の対談は理解できない部分もあったが面白かった。ページの前後にお互いの考察が書かれていたが読みにくかった。