ブックライブでは、JavaScriptがOFFになっているとご利用いただけない機能があります。JavaScriptを有効にしてご利用ください。
無料マンガ・ラノベなど、豊富なラインナップで100万冊以上配信中!
来店pt
閲覧履歴
My本棚
カート
フォロー
クーポン
Myページ
1pt
硝子戸の中から外を見渡しても、霜除けをした芭蕉だの、直立した電信柱だののほか、これといって数えたてるほどのものはほとんど視野に入ってこない――。宿痾の胃潰瘍に悩みつつ次々と名作を世に送りだしていた漱石が、終日書斎の硝子戸の中に坐し、頭の動くまま気分の変るまま、静かに人生と社会を語った随想集。著者の哲学と人格が深く織りこまれている。(解説・石原千秋)
アプリ試し読みはこちら
※アプリの閲覧環境は最新バージョンのものです。
Posted by ブクログ
漱石のエッセイです。兄弟のこと、母のこと、自分のこと、友達のこと、飼い犬のこと・・・・・ 身辺に起きたことを語るその描写は、真面目に言っているのに妙におかしく思えたり。何だろう、このおもしろさみたいなものもあり。それだけでなく、さりげない優しさも文章全体にしみわたっています。 人との会話の中で、自...続きを読む分の主張もするけれど、(それが結構おもしろい)相手への気遣い、思いやりが感じられるのです。メンタルを病んだことのある漱石だからこその温かみのある言葉。「漱石さんて、いい人なんですね」と声をかけたくなります。 他人の死を通して、自分の死を考える描写に、心に訴えかけるものがありました。49歳で亡くなった漱石の晩年の執筆であることから、目に見えない何ものかに、つき動かされているようにも感じてしまいます。 人生の夕暮れの物悲しさが漂う、アンニュイな雰囲気がありながら、木漏れ日が差し込むような明るさも合わせもつ、そんなエッセイでした。 硝子戸ごしに、外をぼんやり眺めている漱石、絵になるなあと思います。
変わりゆく心が鮮明に映し出されている。表現が手に取るように分かるでもなく、私に溶け込むように沈んでくるはような言葉が多々ありました。
小学生の頃に『吾輩は猫である』で挫折して以来の夏目漱石。薄い本なので読めるはずと思い手に取った。 病で床に伏し、閉じこもっている漱石の随筆。何処か志賀直哉の『城の崎にて』を連想させる。解説を読んで気付いたが、テーマが時間や死だったからかもしれない。 この時代の文化に根ざしているので、現代しか知ら...続きを読むない我々でははっきりとは理解しかねる描写もあるが、話の大筋である漱石の苦悩には共感しながら読み進めることができる。分かるな〜と思いながら、稀代の作家でもこのように思い悩むのかと思いながら読むと楽しい。
病に臥す。 硝子戸を隔てた内と外。 そこは生と死の暗喩ではないか。 「死は生より尊い」は建前であり、本音の死生観は他にある。母との記憶、人々との回想は、生への後悔・執着とも云える。 「雲の上から見下して笑いたくなった..」 作者の自我が開け放たれた瞬間だった。
漱石晩年に執筆された回顧談、追想、随想集とよべるもの。漱石の人生への鋭い洞察が随所にちりばめられる。以下、印象に残った箇所。 不愉快に充ちた人生をとぼとぼ辿りつつある私は、自分の何時か一度到達しなければならない死という境地に就いて常に考えている。そうしてその死というものを生よりは楽なものだとばかり...続きを読む信じている。ある時はそれを人間として達しうる最上至高の状態だと思うこともある。 「死は生よりも尊い」 こういう言葉が近頃では絶えず私の胸を往来するようになった。 p20 私は凡ての人間を、毎日々々恥を掻く為に生れてきたものだとさえ考える事もあるのだから、変な字を他(ひと)に送ってやる位の所作は、敢えてしようと思えば、遣れないとも限らないのである。 p30 私は宅へ帰って机の前に坐って、人間の寿命は実に不思議なものだと考える。多病な私は何故生き残っているのだろうかと疑って見る。あの人はどういう訳で私より先に死んだのだろうかと思う。p.55 この最後の一言(いちごん)で、私は今まで安く買い得たという満足の裏に、ぼんやり潜んでいた不快、-不善の行為からくる不快-を判然(はっきり)自覚し始めた。そうして一方では狡猾い私を怒ると共に、一方では二十五銭で売った先方を怒った。どうしてこの二つの怒りを同時に和らげたものだろう。私は苦い顔をしてしばらく黙っていた。p80 極めてあやふやな自分の直覚というものを主位に置いて、他を判断したくなる。そうして私の直覚が果して当ったか当らないか、要するに客観的事実によって、それを確める機会を有たない事が多い。其所にまた私の疑いが始終靄のようにかかって、私の心を苦しめている。もし世の中に全知全能の神があるならば、私はその神の前に跪ずいて、私に毫髪の疑を挟(さしはさ)む余地もない程明かな直覚を与えて、私をこの苦悶から解脱せしめん事を祈る。でなければ、この不明な私の前に出てくる凡ての人を、玲瓏透徹な正直なものに変化して、私とその人との魂がぴたりと合うような幸福を授け給わん事を祈る。今の私は馬鹿で人に騙されるか、或は疑い深くて人を容れる事が出来ないか、この両方だけしかできない様な気がする。不安で、不透明で、不愉快に充ちている。もしそれが生涯つづくとするならば、人間とはどんなに不幸なものだろう。p84
漱石を、こんなに身近に感じたのは初めて。読んでよかった。もっと早く読めばよかったのかもしれないが、若い頃に読んでも、この随筆を面白くは感じなかったように思う。 漱石が晩年、病気がちになってからの随筆。過去や懐かしい人を振りかえる内容が、とても多い。年齢を重ねた今だからこそ、漱石の寂しさもなんだか共...続きを読む感できて、しみじみ味わえる本のように思う。 漱石を訪ねてきた読者や知人、学生にたいして、とても丁寧に誠実に接していたことがよくわかった。こういうまじめな誠実な人だったんだなあ。 死にまつわる話題も多く、なんだか今にも世を去りそうな、儚げな随筆。しかしこのあと「道草」「明暗」を書いた、というのはちょっと驚いた。
今はまだ感想をちゃんと言葉で表現できませんが、この後に道草を書いたのはなんだかなるほどな〜繋がってるなーと思いました。 9,10のOとの話が、作者が一緒にいて心地の良い関係を彼と持っているのだなということが伝わってきて好きです。2/12
つい先日のことですが、知人を駅まで送った折に、駅ビルの本屋さんに立ち寄り……決して懐の寂しさを隠すためではなく……「ワンコイン一本勝負」として500円玉を握りしめて本棚の海を回遊しました……狙い目としては小説の文庫本ですね……流行りの作家や作品に関しては例え小品でも税込500円を切るものを探すのは難...続きを読むしいと思ったので、新潮文庫の棚で古めの作品を探したのですが、これがなかなか難しい。詩歌や戯曲を読む気分ではないなぁなどと勝手なことを独りごちながら、本の厚みを目安に探して最終的に手に取ったのが本体価格340円(税別)の『硝子戸の中』(夏目漱石著/石原千秋解説/カバー装画:安野光雅/新潮文庫)でした。今、寝落ち本の中の一冊として枕元に置いてあるのですが、「寝る間際にちょっとだけ読む」のにちょうどよい内容ですね。一編一編が短い文章の随筆で、騒がず慌てず、ちょっとだけおかしく、ちょっとだけ妙で、ちょっとだけ侘しく。普段の暮らしの中のリアルというものは、こういった「際立った"オチ"のある筈のないもの」でしょう。とてもいい。
お彼岸も近くなり、なんか漱石が読みたくなり手にした随筆。一つが約3ページの39篇から成る作品。大正時代前期に書かれた文豪のブログを読んでいるよう。さすがに今は見慣れない単語が多いです。 12、13の失礼な男の話が秀逸。些細な事を気にしては悩み、胃潰瘍になり、それらを紛らわすかのように小説を書いた...続きを読む漱石。まだ読んでいない小説を読みたくなりました。 「ある程の 菊投げ入れよ 棺の中」 この句が大塚楠緒に詠んだことも初めて知りました。安野光雅のカバーも素敵です。
「死は生よりも尊(たっ)とい」p23 晩年、漱石先生が辿り着いた死生観だそうです。 しかし、人に対しては 「もし生きているのが苦痛なら死んだら好いでしょう」と助言ができない自分をもどかしくも思っている。そうして 「もし世の中に全知全能の神があるならば、(中略)私をこの苦悶から解脱せしめん事を祈る」...続きを読むほど苦しんでいる。p97 これは本当にただの随想集なのでしょうか?? **** 読んでいる間ずっと『こころ』の続編?!という思いを禁じ得ませんでした。(本作は『こころ』の後に書かれたそうです) 「不安で、不透明で、不愉快に充ちている。もしそれが生涯つづくとするならば、人間とはどんなに不幸なものだろう」p98 漱石=〈先生〉が硝子戸の中から見つめていたのは、電信柱でも社会でも他者でもなく、紛れもない自分の「こころ」だったのかもしれません。 本書は『こころ』のアナザーストーリーとしても読めるでしょう。
レビューをもっと見る
新刊やセール情報をお知らせします。
硝子戸の中(新潮文庫)
新刊情報をお知らせします。
夏目漱石
フォロー機能について
「新潮文庫」の最新刊一覧へ
「エッセイ・紀行」無料一覧へ
「エッセイ・紀行」ランキングの一覧へ
こころ オブ・ザ・デッド ~スーパー漱石大戦~ 1
二百十日・野分(新潮文庫)
夏目漱石 電子全集1
こころ
試し読み
吾輩は猫である
三四郎
自転車日記
倫敦消息
「夏目漱石」のこれもおすすめ一覧へ
一覧 >>
▲硝子戸の中(新潮文庫) ページトップヘ