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Posted by ブクログ
本棚にあったのを再読。書斎の硝子戸の中で世間と隔たって佇む漱石のイメージを思いながら読んだ。
文章がリズムが良くすらすらと頭に入ってくる。漱石の文章が私は好きだ。明治の人も今の人も頭は1つ、手足は1組ずつ、内臓の機能だって違いはないのだからテクノロジーが進んでも人生について思うことはさほど変わりはないだろうと思いながら読む。「死ぬ時まで生きる」は腑に落ちた。
胃潰瘍が生涯の宿痾なのだから神経の細かい人だったのだろうと思う。犬のヘクトーの死、2代目の猫の死などが印象に残った。
読むのは2回目か3回目か。たまに読みたくなるから本棚に置いておく。
Posted by ブクログ
漱石のエッセイです。兄弟のこと、母のこと、自分のこと、友達のこと、飼い犬のこと・・・・・
身辺に起きたことを語るその描写は、真面目に言っているのに妙におかしく思えたり。何だろう、このおもしろさみたいなものもあり。それだけでなく、さりげない優しさも文章全体にしみわたっています。
人との会話の中で、自分の主張もするけれど、(それが結構おもしろい)相手への気遣い、思いやりが感じられるのです。メンタルを病んだことのある漱石だからこその温かみのある言葉。「漱石さんて、いい人なんですね」と声をかけたくなります。
他人の死を通して、自分の死を考える描写に、心に訴えかけるものがありました。49歳で亡くなった漱石の晩年の執筆であることから、目に見えない何ものかに、つき動かされているようにも感じてしまいます。
人生の夕暮れの物悲しさが漂う、アンニュイな雰囲気がありながら、木漏れ日が差し込むような明るさも合わせもつ、そんなエッセイでした。
硝子戸ごしに、外をぼんやり眺めている漱石、絵になるなあと思います。
Posted by ブクログ
漱石晩年に執筆された回顧談、追想、随想集とよべるもの。漱石の人生への鋭い洞察が随所にちりばめられる。以下、印象に残った箇所。
不愉快に充ちた人生をとぼとぼ辿りつつある私は、自分の何時か一度到達しなければならない死という境地に就いて常に考えている。そうしてその死というものを生よりは楽なものだとばかり信じている。ある時はそれを人間として達しうる最上至高の状態だと思うこともある。
「死は生よりも尊い」
こういう言葉が近頃では絶えず私の胸を往来するようになった。
p20
私は凡ての人間を、毎日々々恥を掻く為に生れてきたものだとさえ考える事もあるのだから、変な字を他(ひと)に送ってやる位の所作は、敢えてしようと思えば、遣れないとも限らないのである。
p30
私は宅へ帰って机の前に坐って、人間の寿命は実に不思議なものだと考える。多病な私は何故生き残っているのだろうかと疑って見る。あの人はどういう訳で私より先に死んだのだろうかと思う。p.55
この最後の一言(いちごん)で、私は今まで安く買い得たという満足の裏に、ぼんやり潜んでいた不快、-不善の行為からくる不快-を判然(はっきり)自覚し始めた。そうして一方では狡猾い私を怒ると共に、一方では二十五銭で売った先方を怒った。どうしてこの二つの怒りを同時に和らげたものだろう。私は苦い顔をしてしばらく黙っていた。p80
極めてあやふやな自分の直覚というものを主位に置いて、他を判断したくなる。そうして私の直覚が果して当ったか当らないか、要するに客観的事実によって、それを確める機会を有たない事が多い。其所にまた私の疑いが始終靄のようにかかって、私の心を苦しめている。もし世の中に全知全能の神があるならば、私はその神の前に跪ずいて、私に毫髪の疑を挟(さしはさ)む余地もない程明かな直覚を与えて、私をこの苦悶から解脱せしめん事を祈る。でなければ、この不明な私の前に出てくる凡ての人を、玲瓏透徹な正直なものに変化して、私とその人との魂がぴたりと合うような幸福を授け給わん事を祈る。今の私は馬鹿で人に騙されるか、或は疑い深くて人を容れる事が出来ないか、この両方だけしかできない様な気がする。不安で、不透明で、不愉快に充ちている。もしそれが生涯つづくとするならば、人間とはどんなに不幸なものだろう。p84
Posted by ブクログ
漱石を、こんなに身近に感じたのは初めて。読んでよかった。もっと早く読めばよかったのかもしれないが、若い頃に読んでも、この随筆を面白くは感じなかったように思う。
漱石が晩年、病気がちになってからの随筆。過去や懐かしい人を振りかえる内容が、とても多い。年齢を重ねた今だからこそ、漱石の寂しさもなんだか共感できて、しみじみ味わえる本のように思う。
漱石を訪ねてきた読者や知人、学生にたいして、とても丁寧に誠実に接していたことがよくわかった。こういうまじめな誠実な人だったんだなあ。
死にまつわる話題も多く、なんだか今にも世を去りそうな、儚げな随筆。しかしこのあと「道草」「明暗」を書いた、というのはちょっと驚いた。
Posted by ブクログ
漱石は『明暗』を執筆中の49歳という若さで亡くなっている。
本書は死の一年前に、朝日新聞に連載されたエッセイ。
胃病に苦しみ、その中で、『こころ』を書き上げ、これから『道草』を書こうかという漱石が、漱石山房で、束の間の時間、過去を回想して、自在な筆で随筆を書く。
その洒脱の筆に乗せられて、易々と読み進めてしまうが、ふと死に関する記述の多いことに気がついて慄然とさせられる。
時代は、第一次世界大戦の真っ最中。
欧州では、多くの若者が塹壕の中で死んでいっている。
死の蔓延する時代。
その中で、漱石は、胃病に苦しんではいるが、世間とは隔たった硝子戸の中で、平和の裡に随想を書いている。
しかし、そこには死の予兆がさりげなく入り込んでくる。
漱石の「猫」はあまりに有名で、漱石山房記念館には、「猫塚」がある。
しかし、猫だけでなく、漱石は犬も飼っていた。
その名はヘクトー。
『イリアス』に描かれるトロイの王子の名前だ。
奮闘空しく、アキレスに惨殺されてしまう。
何故、ヘクトーなのか?
「ジョンとかジョージといった平凡な耶蘇教信者の名をつけたくなかったからだ」という説明に笑いを禁じ得ないが、何故、ヘクトーであって、アキレスではないのか、オディセイアではないのか、それは語らない。
そのヘクトーは行方不明になったかと思うと、隣家の池で浮いているのが発見された。
(三島由紀夫『春の雪』で、花見の中、滝に掛かる黒い犬の死骸にヘクトーの面影を見るのはお門違いか)
近所の医師の家の犬は、噛み癖が治らず撲殺されてしまう。
現代では考えられないが、いや、現代でも一緒か。
自分で殺さないだけで、見えないところで殺させているだけか。
ヘクトーは猫の隣に葬られる。
漱石山房(漱石記念館)には、猫塚はあったが、ヘクトーの墓がその隣にあったとは知らなかった。
有名になった猫と違って、ヘクトーのことは誰も思い出さない。
漱石は猫を三代飼っている。
初代が、有名な猫。
二代目は子猫の時に踏み潰されて死んでいる。
このエッセイを書いている時に飼っているクロネコが三代目ということになる。
古い過去を思い出すと、当然、登場人物は死んでいる場合が多い。
そうした思い出の中で、女の死が際立っている。
浦塩で若くして亡くなった元芸者。
知人が語る馴染みだった女が19で首をくくった話。
そして、美しい女の死。
美しい女とは大塚楠緒のことだ。
この女との出会いと別れを書いた稿が妙に艶っぽい。
大塚楠緒を漱石の意中の人だったと言うのは、この稿の印象から来ていることは間違いない。
その描写から、彼女の艶やかな美しさが立ち上がり、それに惹かれる漱石の心がありありと分かるのだ。
彼女の死の報に接して、送った弔問の句が泣かせる。
「ある程の菊投げ入れよ棺の中」。
その句の「菊」にどきりとする。
なぜか?
その前々稿で書いているのが、夏目家の定紋の話なのだ。
夏目家の紋、それは、井桁に「菊」。
井戸を上から見て、そこに菊の御紋がある形。
その井桁が、棺に見えなくもない。
こころ惹かれた美しい人が若くして亡くなった。
その手向けとして、棺にありったけの菊を投げ入れたいという時、その菊は漱石自身でもあるのではないか。
本随筆で、漱石は死が慰謝であるという考えを披瀝している。
美しい人と共に、死の世界に旅立つというのは、漱石の見た夢であったのかもしれない。
手向けの句にある「菊」は、葬式の花だ。
だから、手向けの句に菊と描かれてもだれも不思議に思わない。
だが、そこにはもう一つ、夏目漱石自身という意味も込められていたとしたら。。。
39回の連載を以てこのエッセイは終了する。
その締めくくりは、「一眠り眠るつもりである」だ。
私をめぐる随想、特に、大塚楠緒への手向け句を想起すると、「眠り」という最後の句が、覚めない眠りのように思えてならない。
漱石は、洒脱でユーモアを込めて文章を書くが、その底には深い闇が見えて怖い。
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