村上春樹のレビュー一覧
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詩情溢れるメルヘン。そして残酷なラブ・ストーリー。
タイトルに“ballad”とあるとおり、人々が口伝えに繰り返し語り継いできたドラマに耳を傾けているかのよう。
冒頭でいきなり悲劇の結末は明かされる。
うらぶれた田舎町に住む、吝嗇で癖が強いが一目置かれてもいる人物であるミス・アミーリアに起きた、これまた風変わりな愛の行方と破局の物語だ。
なにもないいつもの夕方、訪ねてきたよそ者との出会いによってミス・アミーリアが変わり、その熱が生む磁場に引き寄せられるように町の住民も変わっていき、物語には幸福と高揚感が満ちてくる。
しかしそれと同時に、きっとなにかが起きるに違いないというカタストロフィの予感と緊張感がじわじわと張り詰めてゆく。
そして不幸の種が蒔かれる。ここからは、どのように悲劇が起きるのかというクライマックスに向けてギュッと引き込まれてゆく。
そして結末の驚きと、あっけなくもたらされた崩壊に、しばし茫然となる。
ここに寓意や教訓はあるだろうか?
カーソン・マッカラーズは作中で、“愛とは二人の共同体験であるが、二人にとって同等の体験ではない”と、愛の非対称性を語る。
“愛するものは孤独であり愛することは苦痛であっても、ほとんどの人は「愛するもの」になりたがる”
“あけすけに言わせてもらえるなら、「愛されるもの」の立場に置かれることは多くの人にとって、深く秘密めいた意味合いにおいて、耐えがたいことなのだ。愛されるものは、愛するものを恐れ憎むが、それには最もな理由がある。なぜなら、愛するものは愛する相手を剥き出しの裸にしようと、永遠に試み続けるからだ。愛するものは愛する相手とのあらゆる関係性を切望する。たとえその経験が本人に苦痛しかもたらさないとしてもだ。”
そう、「愛されるもの」が与えられた愛を裏切り、自らを望みのない「愛するもの」へと駆り立ててゆく心理は、決して奇妙なものではないだろう。
幸せと愛が、必ずしも同じ意味ではないということは、誰しもが知ることなのだから。
Cafeを、酒場ではなくカフェと村上春樹さんは訳した。ミス・アミーリアの店は、飲んで人生を一時忘れる場所ではなく、集まって人生に意味があると人々が誇りを取り戻せる場所だった。
オシャレというよりも、老若男女が集う温かく明かりが灯る場所という雰囲気には、“カフェ”が似合うように感じた。
奇妙な愛の行方以上に、カフェの終焉によって町と人びとが再び退屈で無意味な日常へ沈んでいく様に感傷的な余韻が滲んでくる。
アメリカ南部のさびれゆく町そのものが主人公のようにも、感じてくる物語だ。
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Posted by ブクログ
▼フィリップ・マーロウ第4作。まさに太平洋戦争真っ最中に書かれたようです。とはいえアメリカは体力があったので、そんなに日本の戦時下ものみたいなことはなくて、余裕を感じます。
▼「警察の仕事は山ほど問題がある。
政治と似ている。
それは最良の人間を要請しているのだが、
そこには最良の人間を惹きつけるものは
皆無だ。
だから我々としては
手に入る人材でやっていくしかない。
そしてこのような結果が
もたらされることになる」。
・・・名文句。
<警察の仕事>を、ほかのなんの仕事に置き換えても、使えます。
▼大富豪の奔放な妻が行方不明に。マーロウが雇われて調査開始。夫人が滞在した湖の畔の別荘。その別荘の管理人的な夫婦の、妻の遺体が湖底から発見される。さらに夫人の浮気相手のひとりだった男も殺される。さらに過去の、
<セレブの間で麻薬を処方してた悪徳医師の妻の自殺に見せかけた殺人事件>
も絡んでくる。マーロウも襲われる。
正直に言うと錯綜してわかりづらい。
わかりづらいけど一向に構わないで読めます(笑)。そういうことのための小説ではないのです。
▼ネタバレすると
悪い女がいて、
ショービジネスとかでのし上がった。
悪徳医師の看護師もやっていた。
その医師の妻を殺した。
そのあたりのことを、大富豪夫人の浮気相手に知られた。
それからその悪い女は生き延びるために刑事の妻になった。
なんだけどやがて捨てて逃げた。
湖畔の別荘管理人の妻になった。
そこで再開した大富豪夫人を殺して、自分にみせかけて湖に沈めた。
さらに自分のことを知っている、浮気相手の男も殺した。
自分が殺した金持ち夫人になりすまして大金を握って逃げようとした。
だが結局元夫の刑事がその女を殺した。
みたいな流れなんですが、結構細部が「???」だったりします(笑)。 -
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素晴らしくよかった。
私のお気に入りは、圧倒的に「残り火」。
植物人間状態になった夫を献身的に世話し続けるロクサンヌ。「一日の殆んどの時間を夫の傍で過ごした。薬を与え、枕をなおし、あるいは話しかけたりした。人が見れば、頭の良い犬に話しかけているのかと錯覚したかもしれない。返答を求めるでも、理解を期待しているわけでもない。そこにあるものは、燃え尽きた残り火の中に微かな暖を求める、祈りにも似た想いだった」
この最後の一文が素晴らしすぎる。
なんで美しく、かつ的確な表現なんだろう。
このほかにも、「氷の宮殿」は、南部と北部ってこんなふうに違うんだなあと感じられてすごく面白かった。
「冬の夢」は、こんな風にほとばしる魅力で好きな人を虜にできる女の子いいな、私も最愛の人だけでいいからそうなればいいのに、と思いながら読んだ。
この外見と内面がリンクしたすさまじい美しさってどんなんなのだろうね。
「リッチ・ボーイ」はいかにもフィッツジェラルドっぽい(グレート・ギャッツビーみたいなこういう主人公は、私は全く好きではない。せめてもう少しうらぶれていないと共感できない)。
フィッツジェラルドの作品はどれもぱっと見は明るく楽しいなのに、根底には切なさや哀しみがある。孤独がある。
読んでいた時期、私はちょうど切なくて哀しい思いをしていたから余計に沁みた。
アメリカは好きじゃないし行ったこともないけど、アメリカの小説はたくさんよんでいるから、特に戦間期のアメリカの雰囲気にはとても馴染みを感じるようになっている気がする。
いつかはいかないとな。
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Posted by ブクログ
こんな旅行がしたいと思った。
ガイドブックで提示されたモデルコースじゃなくて、自分が興味のあるものを、自分の足で探すような。ネットで調べるんじゃなくて、現地の人の声を情報源とするような。
でも、一筋縄ではいかなさそうだ。
たぶん、わたしにとってはなんてことない景色でも、春樹さんが見れば、意味を持つ素敵なものに変わるんだろう。そういう目と心を、わたしは鍛える必要がありそう。
この国はこれが有名で最近このお店が人気で云々、、そういう膨大な情報たちに晒している頭をいったん真っさらにして、旅行して、果たして、わたしはなにを感じるだろう?
“だって、その何かを探すために、これからラオスまで行こうとしているわけなのだから。それがそもそも、旅行というものではないか。(p.161)”
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Posted by ブクログ
日本の生活に日本の文壇に?疲れ切ってしまった村上春樹さんがヨーロッパに移住する。根無し草の生活は、旅人のようでもあり、逃亡者のようでもある。
ローマ、アテネ、スペッツェス島、ミコノス、シシリー、ヘルシンキ、ロンドン、トスカーナ、ザルツブルク。
彼に安住の地はない。でも、相変わらずユーモアにあふれている。シシリーのオペラやヘルシンキのモーツァルト等クラシックコンサートの話やジョギング事情が面白い。クリスマス前、物を乞う人たちや、ローマの縦列駐車をしげしげと観察する村上春樹さんが可笑しい。縦列駐車が上手い人には、オペラのアリアのように拍手喝采するのもおもしろい。トスカーナはやはりいいところなのかあ。『トスカーナの休日』の景色も綺麗だったもんなあ。
でも、エッセイを通してどこか冬のヨーロッパの曇天のような哀愁が漂う。
『ダンス・ダンス・ダンス』は、村上春樹さんがホントに楽しんで書いていたことが伝わってきた!
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Posted by ブクログ
すらすらと楽しく読めた。
村上さんの熱心な読者であり自身も作家である川上さんの問いは、情熱的・具体的・切実でありながら楽しそうだ。質問と回答というより、二人がかりで一つの答えを求めて分け入っていくような。
村上さんのファンとしてはこういうものを読むことには少々躊躇いもあったが(個人対個人の体験でなくなってしまうような気がして)、普段は一人で好きなように見ている美術館を、学芸員さんと一緒に巡るような……自分を遥かに上回るオタク(失敬)の話を聞く楽しさもあった。
心に残ったフレーズは「信用取引」、「悪しき物語/開かれた・善き物語」。
「騎士団長殺し」を読み返したくなった。免色さんってやっぱりちょっと、そういうとこあったよな~ -
Posted by ブクログ
誰にとっても、親との永遠の別れが与える衝撃は計り知れない。元気でいることが、当たり前だと思っていても、ある日突然、命のカウントダウンが始まる。失われた時間を取り戻すかのように、親に会う時間を捻出し、なんでもない会話を重ねていくにつれ、親のことを何にも知らなかった、関心を持とうとしていなかったことに気付く。
親との関係性が、夫婦、親子、仲間との人間関係と密接に関係している、と思う。
本音で、親と話せるようになった時、あらゆる悩みがするすると解決していく経験をした。
亡くなった父との思い出を言語化してみたい。
そう思った本だった。
#命のバトン #出逢いは奇跡