あらすじ
心から一歩も外に出ないものごとなんて、この世界には存在しない──君たち二人の運命が、ただの成り行きによってここで邂逅したわけではない。君たちは入るべくしてこの世界に足を踏み入れたのだ。この1Q84年に。……雷鳴とどろく夜、青豆はさきがけのリーダーから「秘密」を明かされる。天吾と父親の宿命的な再会、そして猫の町。二人が迷いこんだ世界の謎はまだ消えない。
...続きを読む感情タグBEST3
Posted by ブクログ
(青豆)
「さきがけ」のリーダーと会う
リーダーはリトルピープルに何かを奪われた
(天吾)
父親(父親ではない)と会う
母は何かと交わって天吾を産んだ
牛河と会う
2人の力が合わさり何か解き放ってはいけないものを解き放ってしまった
猫の街に行き、リトルピープルの扉を開けてしまった
天吾と青豆が記憶の中で結びつく
Posted by ブクログ
少しずつ物語の全容が明らかになってきている。青豆は感情を排して仕事に徹する思っていた。青豆の心情の変化が気になる。全体の感想は最後に。
Posted by ブクログ
「しかし正確に言えば、それはただの偶然でない。君たち二人の運命が、ただ成り行きによってここで邂逅したわけではない。君たちは入るべくしてこの世界に足を踏み入れたのだ。そして入ってきたからには、好むと好まざるとにかかわらず、君たちはここでそれぞれの役割を与えられることになる」「この世界に足を踏み入れた?」「そう、この1Q84年に」
はあ、面白い。面白い。1Q84年に、月が2つの世界に踏み込んだ。
Posted by ブクログ
第3巻を読み終わりました。これでようやく半分を読んだことになります。まだまだ先はありますが、物語が動いてきた感じはします。このままどのように着地していくかどんどん楽しみになっていきます。
Posted by ブクログ
青豆は、さきがけのリーダーを殺しにストレッチに向かう。そこで、リトルピープルのことなどを聞いて、リーダーが悪いんじゃないということがわかり、殺すのをためらう。
天吾は、NHKを退社して施設にいる父から、本当の父親じゃないことを遠回しに聞く。天吾は、お母さんに捨てられたことがわかる。長年抱いていたもやもやがなくなる。
Posted by ブクログ
あゆみが死んでからその存在の大きさに気づき、ショックを受ける青豆が痛々しく、読んでいてしんどかった。
天吾の父親と「猫の街」の話が1番印象に残った。
Posted by ブクログ
前半最後のヤマ場を迎えた。
青豆のためらい
緊張感の中、リーダーと青豆の対話が
重ねられていく。
全てがわかったうえで横になったリーダー。
予想していた通りだったが
二人の命懸けの?対話が深く興味深い。
天吾と青豆が教団と
どう関わっているのか
関わらざるを得ないのか
次が楽しみ。
まさに長編の紙芝居。
個人的にはふかえりに
ひかれる。
Posted by ブクログ
3はとっても面白くて、あっっという間に2日で全部読んでしまった、、、!
教団のリーダーの正体が明らかになって、ふかえりとも再開して、リトルピープルの像も少しずつ明らかになって、物語が面白くなってきたところ。
猫の街の話も興味深い。
3章の終わり方もとても好きでした。
リーダーと青豆がどうやって2人きりになれるんだろうと思っていたけど、「教団の中に内通者がいて、噂を流させておいた」で片付けられてるのは、おいいいってなった。
ありがとうございます
ハードブック→重いし文庫本まで待つか…
文庫本→すごい巻数で本棚が大変なことに…日焼けもしてくしなあ…
電子書籍化→え、村上作品を電子書籍で読めるの? タブレットで!? まじ!? しかもクーポン使えるじゃん
最高の一言。スマホとタブレットで同期してくれるのも、めっちゃ助かる
Posted by ブクログ
夜空に浮かぶ怪しく光る二つ目の月、猫の町、謎の空気さなぎとリトルピープル。物語のそこここで一見メルヘンチックな表現を綴りながら、薄暗い場所から何かとてつもない気味の悪い怪物が這い出して来そうな薄気味悪さ。
巧みな展開に一抹の不安と緊張感を余儀無くさせられます。
三巻目に入り、ようやく登場人物の青豆と天吾の接点や因縁めいた関係が明らかになるが、果たして二人は再会を遂げるのか?
哀しき暗殺者の行く末は?
続く…となるのです。
早く第四巻が読みたい…すっかり1Q84中毒に冒されてしまった私( ̄◇ ̄;)
この小説はヤバイです。中毒性ありすぎです(笑)
Posted by ブクログ
映画『ドライブ・マイ・カー』が素晴らしくて村上春樹の原作読んだときは断然映画が好きだった
この前観たアニメ映画『めくらやなぎと眠る女』も良かったので(ねじまき鳥の鳴き声が聞ける!)、その映画の原作ではないけど『1Q84』をなんとなく読み始めた
半分くらいまで読んでみて、村上春樹の長編を映画化するのは難しいのではないかと思い始めている
とにかく現実世界と架空世界の情景描写や心理描写が映像が浮かぶくらいに精緻だから、これを映画化した場合、とんでもなく長時間の映画になると思うし、頑張って3時間くらいにまとめたら原作のスーパーダイジェスト版になってしまう(原作者は別だけど映画『国宝』でそれを強く感じた)
ちなみに最初に挙げた映画は、原作短編に大幅な創作を加えるとか、原作短編6編を再構成するとか、映画監督のオリジナリティがかなり入っている(そしてそれがうまく融合している)
I absolutely loved the movie "Drive My Car," and when I read Haruki Murakami's original story, I definitely preferred the film. I also recently watched the animated movie "Blind Willow, Sleeping Woman" (you even get to hear the "Wind-Up Bird Chronicle"!), and although it’s not based on the original story of that film, I somewhat randomly started reading "1Q84."
After getting about halfway through, I'm starting to think that adapting Haruki’s long novels into movies might be really difficult.
Both the real world and the imaginary world he creates are depicted so intricately—his descriptions of scenes and psychological nuances are vivid enough to conjure images like a film. If this were adapted into a movie, it would be an incredibly long film, and trying to squeeze it into around three hours would turn it into a super-condensed digest version of the original (I felt this strongly with the movie "National Treasure," though that’s based on a different author).
By the way, the movies I mentioned earlier add significant original elements to the original short storiy or rearrange six original short stories, incorporating a lot of the director’s originality—which, importantly, blends together very well.
Posted by ブクログ
青豆、天吾、二人の接点がいよいよ明らかになる。
けれども、まだ大人になってからの二人は出会わない。
物語として局面が一つ大きく進んだ感がある。
教祖が少女に対し性的暴力をふるっている。
その被害者であるつばさは、マダムに保護されたはずなのに、ホームから忽然と姿を消す。
それどころか、女性警官のあゆみまで殺害される。
青豆はマダムの依頼を受け、「最後の仕事」として、この教祖を殺すべく、整体師として教祖のもとに向かう。
―えっ?ラスボスがこんなに早く現れる?
と思ったら、どうやら彼自身も超自然的な力に操られ、放っておいてもやがて朽ちて死んでいく運命にあることが判る。
むしろ、彼の後継者を欲しがっている「リトル・ピープル」の動きを封じないことには、つばさたちを守れないのだ。
一人のカリスマより、組織の方が怖いということか。
一方、天吾の物語でも、女性が姿を消す。
彼の「ガールフレンド」であった人妻、安田恭子が「失われ」る。
これは、リトル・ピープルが関わっているのか、まだよくわからない。
ふかえりの文章を書き替え、世の中に放ってしまったことで、彼自身が危険視され、監視されていく。
不穏な気配が濃くなっていた。
天吾が認知症を発症して今は介護施設にいる「父」を訪ねる場面がとても印象的だった。
天吾は、これまで苦しんできた父や母との関係に、少しずつ気持ちの整理がついてきているようだが、おそらく血がつながっていない天吾を、どんな思いで育てていたのか。
それは今後も明かされることはないのかもしれない。
猫の町の話は、次の展開に何か大きな意味があるのだろうか。
Posted by ブクログ
ふかえりというキャラが魅力的すぎる
知的で端的な話し方,そして断定的な比喩
全てが暗示的でミステリアスで、それでいてどこか温かみを感じずにはいられない
いや,1Q84の構成がわかってきた本作
でも,てんごと青豆を合わせないでここまで幅広く物語を描くのがすごいなあ本当に
まるで,本当に恋愛しているような気分だ。
青豆に早く会いたいと,僕が思っているようにすら感じた.
これは,ノルウェイの森でも感じたことだが,ここまで読者に恋愛を体系的に思わせるのはすごいな
そして,構成としてはきっと
本を作っている世界(こちら側の世界)と本の世界(1Q84)が交わってしまっていることなのかなあ
そこに常に存在しづつけていた世界を再構成するように文章を直して描き直した世界
それこそが1984ではなく1Q84なのだろうか
そう感じた.神秘的なまでの力はまるでCGを思わせた
そして,何かを描くということが当事者になってしまうということ。
それが添削であっても
それは,神の子は皆踊るや、アフターザクエイクを描いた村上春樹の持っていた回答なのだろう
どうしてここまで宗教を体系的にリアルに書けるのだろうか?
Posted by ブクログ
・予想。リーダーはリトル・ピープルに促され豹変した深田保で、最初に犯された10歳の少女はふかえり?
・あゆみは「いかにも開けっぴろげな見かけの部分は演技的なもので、根本は柔らかく傷付きやすい感受性を持っている」タイプらしいが、青豆の「私はもっとあの子を受け入れてあげるべきだった。あの子の気持ちを受け止め、しっかりと抱きしめてやるべきだった。それこそがあの子の求めているものだった。」「無条件に受け入れられ、抱きしめてもらうこと。とにかく安心させてもらうこと。」という後悔は本当に的を射ていて、私もあゆみと似たような性格だからこそ本当にそれが必要なのだと共感できた。
私もそれが喉から手が出るほど欲しい。欲しくてたまらない。
・天吾にとっての安田恭子(年上のガールフレンド)=青豆にとってのあゆみかな。
青豆と天吾、お願いだから早く出会って。あなた達はお互いに想いあっている。そのことに早く気づいて、という気持ちでいっぱいになった。
そしてさきがけのリーダーと青豆、療養所の天吾の父と天吾が2人きりで対話するシーンはどの場面よりも強烈で強い存在感を残していた。
とくにさきがけの秘密を語るシーンはあまりにカルトとしての解像度が高すぎて鳥肌が立つほどだった。
とにかく続きが気になる。
Posted by ブクログ
先の展開が気になり、読むスピードが、上がってきます。天悟も青豆もふかえりもふわっとイメージできるだけで、どんなイメージかわからないけど、そこを想像するのがいいんだろうな。
Posted by ブクログ
(全巻同じレビューを入れています)
・・・
なんだか本作、キャラの作り・彩りが他の作品より豊富かつ精緻であったと感じました。
・・・
一番感じたのは天吾。
天吾は、これまでの村上作品でいうところの「僕」に当たると思います。
たいてい「僕」は文筆・広告関連、或いは飲食関連を生業にしつつ、音楽好き・思想や文学をそらんじ、気怠く生きつつも(あるいは彼なりに模索をしつつ)女性と交わりつつ、そして世の中のフシギと対峙し、最終的に大団円を迎える、みたいな感じでした。そんな彼ですが、不思議とどういう背格好かとか、そういうのは記述がなかったんですよね。まあそれはそれで味がありました。自分を重ねて読むこともできました。
でも今回の天吾は家族構成、身体的特徴(柔道耳!)、大柄でスポーツも数学的センスも(実際は音楽センスも)あり、とにかく器用であることなど、非常に細かい設定であったと思います。よくも悪くも、自分を投影するキャラではなく、外から眺めるべき主人公でありました。
・・・
もう1人の主人公青豆はややラフな作りこみで、彼女の家族の話は余り描かれず、むしろ柳屋敷の女主人やタマルなど、遊び友達の中野あゆみなど、周囲の際立ったキャラとともに物語を彩り深いものにしていたと思います。
もう1人、やはり出色のキャラは牛河でしょう。本作で一番印象深いトリックスター(という程ではない!?)だったかと。実は司法試験合格者とか医者の家の子だとか。こういうのは初めて読んだときに記憶に残りませんでした。
でも彼のこと、他の作品でどっかで読んだ気がしたけどどこで見たんだろうと、気になって仕方なく、googleで検索したら『ねじまき鳥クロニクル』 (1994)で出ていました。そうそう、「僕」の元を離れた奥様の兄の綿谷ノボルの秘書としてでした。
・・・
その他、ふかえりの育ての親の戎野先生、編集者の小松など、かなりエッジのたったキャラが自然な形でそのポジションを占めていたと思います。
あと、17歳で文学賞を受賞したふかえり、あれは綿矢りささんが高校生で芥川賞を受賞したことの影響じゃないかとか、さきがけ・あけぼのってのもオウムの影響じゃないかとか、諸々想像させるところがありましたね。
・・・
もう一つ。終わり近くまで殆ど考えませんでしたが、タイトルについて。
本タイトル、もちろんかのディストピア小説の『1984』を承けたものでありますが、本作は「9」「Q」になっており、一種のパラレルワールドへ迷い込んだという設定です。実際にはパラレルではないとの説明がありましたが。
で、天吾と青豆は会えそうで会えないすれ違いを、結構延々と、最後の最後まで繰り返すのですが、最終巻の第三巻に至ってまだ会えないところで、私気づきました。
そう、この物語は年末までに終わらねばならない。なぜならば、タイトルがそうだから。85年を跨がないように、タイトルが84年となっている。
実は第一巻は4-6月、第二巻`は7-9月、第三巻は10-12月とサブタイトルが振られています。そしてキチンをけりをつけるべく、収束していったことに感心した次第です。
上手く表現できませんが、何というか、タイトルの制約を内容に反映させた?ような作りが面白いと思いました。
・・・
ということで村上作品でした。いやー長かった。10日間弱、読むのにかかりました。
ところで、私の初めて読んだ村上作品は『ノルウェイの森』(1987)でした。そして帯には『究極の純愛』とか何とか書いてあったと記憶します。
そこから20年を経て上梓された本作、これもまた『究極の純愛』と呼んでも良い作品であったと思います。
堪能致しました。
Posted by ブクログ
天吾と青豆の物語が一気に動き始める。
1Q84の1・2では各章ごとに別々のモノとして描かれていた天吾と青豆が、宗教団体「さきがけ」を軸に、徐々に重なり合っていく。
老婦人から「さきがけ」のリーダーの暗殺依頼を受け、青豆を取り巻く環境・人々が被害に合いながらも、暗殺手前まで漕ぎつけた青豆。しかし、暗殺手前で「さきがけ」のリーダーからの驚きの提案が。
一方、「空気さなぎ」の執筆に関わった天吾も、周囲の環境・人々が被害に合い、彼自身もリトル・ピープルに命を狙われる形に。失踪していたふかえりと久々に再開し、2人で協力して立ち向かう事になる。(4話へ続く)
Posted by ブクログ
牛河をみてなんか、ねじまき鳥クロニクルにも気持ち悪い印象の男が出てきたような。
今回でとうとう物語の中心人物にたどり着いたところで、また新たなぶっ飛んだ設定がでてきたなと、、笑。
村上春樹作品の中でも特にファンタジー色が強いのでは?
LPを流しながらパスタを茹でてやれやれという村上春樹が恋しいところもあるけれど、これはこれで面白い。このまま最後まで一気読みしてみます。
Posted by ブクログ
何かが大きく動き出す前。嵐の前の静けさ、という感じ。
青豆は身辺整理をして殺しに向かい、天吾は父親との再会で自分の出生を知る。
それにしてもふかえりは、相当美しい少女なんだろうな
Posted by ブクログ
急に青豆と天吾が繋がってびっくり
少しずつ不穏な空気が流れ始め疑心暗鬼になり全てのことはウシの仕業だと思い込む天吾、起きたことの原因は自分にしかないのにウシの仕業だと思うあたり一種の逃避に思えた
青豆はあんなにリーダーに対して殺意があったのにリーダーといざ対面してあまりにもあっさり戦意喪失していて違和感を感じた
Posted by ブクログ
物語は複雑で怪奇だが、少しずつ前に進んでいる。
青豆はリーダーに直接会い、天ゴはふかえりを一つになろうとしている。
牛河は何もかも知っていて、それでいて天ゴを勧誘している。
前に読んでいるはずだが、何も覚えておないことが不思議なくらい面白い。なんで全く覚えていないんだろう?
人間の記憶は本当に当てにならないよな。同じように毎年何冊も本を読んでけど、ほとんど失われているんだろう。別に覚えているために読んでるわけではないからいいんだけど。
青豆はリーダーを殺さないのか?殺せないか…。
Posted by ブクログ
2009年に『BOOK1』と『2』が出た時、読者に『BOOK3』が出ることは知らされていたんだっけ?
当時、1年後に続きが出るみたいなことを聞いたような気もするんだけど、定かではない。
ということで、『BOOK2』の前半であるこの『前編』は、『BOOK1』と『2』という物語のクライマックスとも言える展開になっている。
言ってみれば、「スターウォーズ/エピソード6」での皇帝と対決するために敵地に乗り込むルーク・スカイウォーカーという展開(?)だw
……のはずなのだけど、「さきがけ」のリーダーときたら、青豆に「殺して」、「殺して」、「楽にして」と言うばかりだし。
青豆は青豆で、こんなに苦しんでいるのなら殺す必要はないと考えるようになるという、ミョーに間の抜けた展開になる(爆)
そのくせ、読んでいて変に緊迫感があるのは、青豆とリーダーの間で交わされる会話が「1Q84」世界の根幹に関わることだからだろう。
と言っても、「さきがけ」のリーダーはどこぞのミステリー小説の変人探偵のように、「空気さなぎ」とはなんぞや?、「リトル・ピープル」とはどういう者たちか?、と掌を指すように正解を教えてくれるわけではない。
青豆と二人して、わかったような、わかんないようなことを言うばかりだw
というのも、これを書いているのは村上春樹なのだ。
『みみずくは黄昏に飛びたつ』で、“物語というのは、解釈できないから物語になるんであって、これはこういう意味があると思うって、作者がいちいちパッケージをほどいていたら、そんなもの面白くもなんともない。”とのたまわっちゃう人なわけだ(^^ゞ
つまり、読んでいて変な緊迫感を感じるというのは、自分がこの小説を読みながら、なんとなく考えていた「空気さなぎ」や「リトル・ピープル」を、リーダーと青豆の会話から、そして同時並行でなされる天吾とふかえりの会話から、さらにイメージを膨らまし、自分なりのそれに形づけていくのがエキサイティングだからだろう。
P299~300でリーダーが言う、
「世間のたいがいの人々は、実証可能な真実など求めていない。真実というのは大方の場合(中略)強い痛みを伴うものだ。(中略)人々が必要としているのは、(中略)美しく心地良いお話なんだ。だからこそ宗教が成立する」
「Aという説が、彼らなり彼女なりの存在を意味深く見せてくれるなら、それは彼らにとって真実だし。Bという説が、彼らなり彼女なりの存在を矮小化して見せるものであれば、それは偽物ということになる。(中略)もしBという説が真実だと主張するものがいたら、人々はおそらくその人物を憎み、黙殺し、ある場合には攻撃することだろう。」
「論理が通っているとか実証可能だとか、そんなことは彼らにとって何の意味も持たない。多くの人々は、自分たちが非力で矮小な存在であるというイメージを否定し、排除することでかろうじて正気を保っている」
……なんかは、宗教をめぐるあれこれについて正鵠を射ているのみならず、新型コロナについての言説や行政の方針に対する人々の反応、さらには、ネットの誹謗中傷等々、まさに現在に当てはまる。
とはいえ、ま、大衆がBの説は嫌だからAの説を信じて、それに応じた行動をしていくっていうのは、ある場合においては、それが適応というものであるかもしれないし。
適応というのは、進化でもあるわけだから、それはもうどうしようもないことなのかもしれない。
また、2000年代半ばくらいに書かれた(?)それが新型コロナにみまわれた時の状況、あるいは現在の世の中に当てはまるというのは、たんに世の中がどんなに変わろうと人の本質は変わらないということなのかもしれない。
つまり、人というのは誰しも、人の成すそれが愚かだとわかっていながら、気づいたらその愚かなことをしているだけの、“矮小な存在”ということなんだろう(^^ゞ
実は、誰もがそのことに気づいているからこそ、いつの世も、人は「自分が信じられるナニカ」を激しく求めるのを止められない。
それは、著者の小説を「自分が信じられるナニカ」として激しく求めることと、おそらくは同じで。
これって、もしかしたら、著者は無了見に自分の小説を信奉する人たちに向けて書いたんじゃない?
なぁ〜んて、書いたら怒られるのか?(^^ゞ
「空気さなぎ」とは?、あるいは、「リトル・ピープル」とは?といった1Q84世界の謎に関することは、おそらく村上春樹の頭の中にも確固たるものはないんじゃないのかな?
というのは、著者自身、それらの解釈をその場その場で(都合のいいように?)ビミョーにズラしているような気がするのだ。
それは、やはり『みみずくは黄昏に飛び立つ』で言っていたように、“作者にもよくわかってないからこそ、読者一人ひとりの中で意味が自由に膨らんでいくんだと僕はいつも思っている。”ということなんだろう。
つまり、この小説を読んでそれらが何を意味しているのかわからないからといって、そのことを解説しているサイトを見てしまうことで、それを自分の正解にして。
そんな風に正解を確定させてしまったことで、考えるのを止めてしまうことは一番つまらないことだと、村上春樹は言っているんだと思う。
それは、「猫の町」で天吾の父親が言う、“説明しなくてはそれがわからんというのは、つまり、どれだけ説明してもわからんということだ”に通じているように思う。
ただ。
実は、『BOOK6』の牛河のパートのラストがどうしても納得のいく答えが見つからなくて、それについては自分もネットで検索してみた(^^ゞ
結局、そのことに触れているサイトは見つからなかったんだけど。
何人かの解釈を読んでいたら、ふと、「あ、もしかして、そういうこと?」と思いついたこともあって。
ネタバレサイトを見てしまうのも、(そこから自分なりにいろいろ考えたり、想像したりするのであれば)あながちワルいことだとは言えないのかもしれないなーと思った(爆)
とはいうものの。
ネタバレサイトって、多分にコピペがあるのか、どれも内容が已己巳己でw
あれをいくつも読むのは、むしろ面倒くさかった(ーー;)
個人的には、天吾が千倉に行くくだりがすごくよかった。
千倉は、この小説の設定では「猫の町(=1Q84世界)」となっているわけだけど、それは、どこか懐かしさのある天吾に優しい町として描かれている。
1Q84世界で浮かんでくる風景が、いかにも現代という感じのカッチリして輪郭をしているのに対して、千倉での風景は夢の中のそれのように輪郭が朧気なのだ。
そこが個人的にいいんだとは思うんだけど、その反面、それは自分の中に漠然とある死への憧れだったりもするのかな?という気もして。
その、ちょっとゾッとするところが、またよかったり(^_^;)
それと、ストーリーとは直接関係ないのだけれど。
著者はこの小説で折に触れて、本の出版をめぐる今の状況についての皮肉をストーリーに織り込んでいるような気がするのは自分だけ?(^^ゞ
Posted by ブクログ
青豆のマッサージはとてもわくわくする。
ふかえりの意味ないのかあるのかよくわからない意味深な喋り方はおもしろい。
リトルピープルという単語の元に青豆、天悟の運命が交わっていくのがどきどきする。
村上春樹と向き合う
若い頃から、今まで村上春樹が苦手でした。
私には、さっぱり意味がわからなかったからです。これから、縁のない作家だと思っていました。
最近、オウディブルで、音声で聴く機会がありました。音声なら、言葉が自分に入ってくる、
不思議な感覚でした。
それからは、次が気になって、電子書籍を買い、読み進めています。まだ、途中ですが、かなり前に書かれた話なのに、新しいというか、現代の私達が読むべき物語だと思ってます。
60歳を過ぎて、村上春樹と出会えました。生涯をかけで、読んでいこうと思っています。
Posted by ブクログ
「1Q84」シリーズの中間部として、謎めいた世界観やキャラクターたちの物語がさらに進展します。また、物語の要素がより一層複雑化しています。登場人物たちの過去やつながりが解明される一方で、新たな謎や出来事が続々と浮かび上がります。天吾と青豆は、お互いの秘密を共有し、共に成長していきます。
Book3では、これらの謎がどう収束していくのか楽しみです。
Posted by ブクログ
天吾と青豆の話がリンクしてきた
さきがけのリーダーも出て来て
リトルピープルも何なのかははっきりわからないが、超常現象的なところもあるし、時計が浮かんだりはトリックかもだが、心の中を読んだりは説明つかないので存在はしてそう
ふかえりとリーダーは親子?っぽいところあって後継者はふかえりなんじゃないかと予想
たまに話が中だるみなところあるけど終盤は毎回続き気になる終わり方。
結局最後まで読みそう…
Posted by ブクログ
前回から物語が動き出して、さらに加速していく感じが面白い。
わけの分からない世界観が妙に中毒になる。
またこれいるのか?って思うほど、うんちく的なセリフが多い。でもそれが村上春樹ワールドなんだろう。