村上春樹のレビュー一覧
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「村上ラヂオ」のシリーズは3冊出ている。
2「おおきなかぶ、むずかしいアボカド」
3「サラダ好きのライオン」
なんと、2と3は9年ほど前に読んでいる。しかもこれが初・村上エッセイで、その発想力にいたく感動していた。
「村上春樹って、超ベストセラー作家だけど、私には理解できないかもしれないな」と、ずっと思い続けて何年だろう、「サラダ好きのライオン」を読んで、あら?面白い発想の人なんだ?!
と、村上エッセイのファンになったのである。
その後買っておいた本書を今読む。
2000年頃にアンアンに連載されていたものらしい。
アンアンの読者が、このエッセイを毎回どんなふうに読んでいたのかに興味はある。
しかし、25年後の今、私が読んでも面白い。 -
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「人はときとして、抱え込んだ悲しみやつらさを音楽に付着させ、自分自身がその重みでばらばらになってしまうのを防ごうとする。音楽にはそういう実用の機能がそなわっている。」
I really resonate with this part. I believe music, memory, and emotions are deeply connected. To keep my mental health in check, I sometimes listen to songs I used to play during better times. -
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この作品は、1990年1月の発行。これの前の短編集が「パン屋再襲撃」で1986年の発行なので、少し間が空いている。ただ、村上春樹は、初期の頃には短編集を頻繁に発表していたが、「パン屋再襲撃」以降は、その頻度ははっきりと落ちている。この「TVピープル」の次は、1996年の「レキシントンの幽霊」。そこからの短編集は、2000年の「神の子どもたちはみな踊る」、2005年の「東京奇譚集」、2014年の「女のいない男たち」、2020年の「一人称単数」となる。また、長編発表とのタイミングで言えば、本作の前は、1988年の「ダンス・ダンス・ダンス」、後が1992年の「国境の東、太陽の西」、また、1994年には「ねじまき鳥クロニクル」を発表している。村上春樹としては、小説作品を比較的多作していた時代と言えるかもしれない。
文庫本の小説(小説に限らずだけれども)には、普通、「解説」がついている。作家以外の人が、その作品についての背景を語ったり、あるいは、作品そのものについて説明を加えたりするものである。ところが、私の記憶の限りにおいて、村上春樹の文庫の小説作品には、「解説」が付されていない(単行本には、村上春樹の作品に限らず、普通、「解説」が付されていないので、村上春樹の小説には、という言い方をしても良いと思うが)。「解説」を付けるかどうかを誰が決めるのかは知らないが、普通に考えると、村上春樹が「自分の小説には解説を付けて欲しくない」と言い、出版社がそれに従ったと考えるのが自然であろう。だから、村上春樹の小説の感想を書こうとすると、「解説」の助けなしに、小説そのものに向き合って考えて書くしかない。それが、村上春樹が読者に対して望んでいることだと思う。
この短編集には、6編の短編が収められている。その中で、自分が一番好きだったのは、3番目に収められている「我らの時代のフォークロア -高度資本主義前史」だった。
「フォークロア」というのは、小説中に「民間伝承」と説明が加えられている。小説は、「これは実話であり、それと同時に寓話である。そしてまた、我らが1960年代のフォークロア(民間伝承)でもある。」と始まっている。ネットで調べると、「民間伝承」とは、「昔から人々の間で語り継がれてきた習慣、信仰、儀礼、説話、民謡、諺などを意味します」とある。
主人公は1949年に生まれた男性である。1960年代に青春・思春期を過ごした。その時代は、主人公によれば、色々なものが洗練される前の時代、すなわち、「高度資本主義前史」の時代であった。主人公は、中部イタリアで偶然に高校の同級生に会い、彼の話を聞く。同級生は、いわゆる「優等生」であり、その後も東大に入り、商社に入社し、その後、自らビジネスを始めて成功する。彼は、高校時代、これも非の打ちどころの無い「優等生」だった女性とつき合っており、彼の話は、高校時代から、32歳(だったよな)までの、彼から見た、彼と彼女のつき合いについてのものだった。主人公は、この「優等生」が苦手だったのだが、異国での偶然の再会でもあり、また、彼の話の興味深さにひかれていく。
彼の話の内容は省略するが、主人公は、短編の最後に、「でもこれは彼の身に起こった話であり、我々みんなの身に起こった話である。」と書いている。要するに、彼と彼女に起こったことは、同じ時代を生きた「我々」の誰にでも起こる話であり、だから、その話が「フォークロア(民間伝承)」であると言っているのである。
私自身は、まずは、それに違和感を覚えた。主人公の昔の同級生の話は、ありふれた、誰にでも起こる話ではない。「高度資本主義前史」である、1960年代の彼らの青春時代にありふれた話とはとても思えない。あるいは、村上春樹は、「こういった話がありふれたものであった時代が1960年代だった」と言っているのだろうか。と考えて、もう少し別の解釈もあり得るな、と考えるようになった。すなわち、彼と彼女の物語の細部は、よくある話ではないが、高校生の男の子と女の子が出会い恋をして、お互いのことを思いながらも不器用にしか相手に接することができない。そのうち、別れてしまい、記憶も薄れていくが、でも、心の奥のどこかで相手のことを思いやっている。そういった歴史はかけがえのないものであり、それを壊さないように、自分たちは生きており、それは、同時代の皆も同じだよね、と語りかけている、と解釈すれば、この題名は理解できるし、物語としても、より美しいものとして読める。 -
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村上春樹がプリンストン大学に身を置いていた時に書いたエッセイ。時期的には、1991年から1993年にかけてのこと。村上春樹は、けっこう真剣に書いているように思えたし、今からだと30年以上前の話ではあるけれども、それでも、相当に面白く読んだ。
1991年と言えば、日本のバブル経済が崩壊した年であるが、1991年が「崩壊した年」であったとは、後から定義されたことであって、その当時は、バブルの頃ほど、日本経済も調子は良くないけれども、まだまだ世界トップクラスだし、またそのうちに調子を取り戻すと日本人は楽観的に考えていた時期だと思う。それにまつわる話として、輸出攻勢をかける日本人というか、市場を席捲していた日本車に対しての反発がある(特に村上春樹のアメリカ生活初期の頃、1991年には)ということが書かれていて、やはり隔世の感を感じる。
実際、私も2003年から2004年にかけてイギリスに留学したのであるが、バブル崩壊から10年以上経過したその当時であっても、日本経済はそれでもまだトップクラスであろうと思われていたし、また、不調もそろそろ出口が見えてきたと思われていたように記憶している。私が通っていた大学があった田舎町にも、日本人留学生はたくさんいたし。
そういうことを思い出しながら、人間というのは、世の中が変わっていることに気がつくのに時間がかかるものなのだな、と改めて感じた。 -
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ジャズ黄金時代に活躍した伝説的なレコードジャケットデザイナー、デヴィッド・ストーン・マーティン(DSM)の手がけたレコードを、写真付きで解説している書籍です。その表紙に掲載されたジャケットが非常に洗練されていて、とてもお洒落で目を引いたため思わず購入しました。私がジャズに興味を持つ大きなキッカケとなった本でもあります。
本書をパラパラとめくりながら、お洒落なレコードジャケットを眺めるだけでも幸せな気持ちになれますし、自然とジャズを聴きたくなります。村上春樹が所有しているDSMデザインのレコードをすべて見ることができる点も、ファンにとっては嬉しいのではないでしょうか。
名盤セレクションではないので、初心者にとってはややマニアックなレコードが多い点は少し気になりました。ただ、ジャズに関心がない人でも、新しい世界を知ってみたくなるキッカケになり得る本だと思います。検索をすればDSMデザインのレコードジャケットをネットで見ることができるので、デザインが好みでピンときた方にはぜひオススメしたい本です。 -
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ネタバレ地下鉄サリン事件において、大小さまざまなサリン被害を受けた62人もの人々へのインタビュー記録。
村上春樹はどうもノルウェイの森のイメージで(ほかに何冊か読んだ気もするんだけど)「元祖やれやれ系」というか、なぜか女にモテるし、なぜか女を抱いてるし、なんかすぐ勃起してるし、みたいなイメージがあったんだけど、このルポ本ではとても真摯にインタビューしている様子が垣間見えて、純粋にすごいなと思った。被害者を傷つけないように……と意識しながらも、結局は自分は「安全地帯」から来た人間で、そのことによって不用意に傷つけてしまったかもしれない、と思った。的なことをあとがきに書いており、そうだよね~~……と思った。しかしその後続けて書いていた通り、「だから触れない」では、後世に何も残らないし、そこで話が終わってしまう。地下鉄サリン事件のリアルな側面を知る上でとても重要な本になっているのではないかと思った。当時の報道を知らないので、実際の報道がどれだけ脚色されていたのか、偏向的な報道がなされていたのか、というのは自分はわからないけれども。
以下、思ったこと。
・1995年は自分にとっては割と「結構な昔」という印象なんだけど、女性活躍的な意味では結構進んでいるのか……?と思った。一般職/総合職てきな分けはあったと思うし、子どもができれば専業主婦になった人は多かったんだろうけど、思ったよりバリバリ働いている女性が多い印象。「今の女性は強いので痴漢されても『やめてください』と言います」みたいなところで、景気が良かった時代を経た後特有の力強さみたいなものをなんとなく感じた。まあ今もそういう人はいると思うんだけど。自分のあの時代の女性のイメージ像はもう少し大人しい感じだったのかもしれない。
・1時間半とか2時間とか掛けて通勤している人の多いことよ!東京大変すぎる。「僕の稼ぎでは遠い家しか買えなかったのです」的なコメントが多かった。それでもなんとかマイホームを持たねばならんのか。大変だ。昔は分譲マンションより一軒家、って感じだったのかも。そもそもマンションないのかな?
・なんていうかなー。登場人物全体から、「大人としての社会的責任」みたいなものを感じた。子どもがいて家庭のある人が多いからなのかなあ。独身でも、年齢を重ねれば自然に備わっていくものなのかなあ。わからないけど、自分の損得や立場や安全を差し引いても他者を救わねば!という気持ち、これを持てる人は大人だな……と思った。駅員さんは職業上そういう行動をせねばならないことはよくわかるけど、自分が駅員さんだったら同じだけ勇敢な行動ができるだろうか。そして、割を食うのはいつも下っ端で、上の人はちっとも身を傷めない、というの、本当にそうだよね。どうしたら変わるんだろうね、こういう体制って。結局、守るべき者を持たない人(=責任を持てない人)は真に大人にはなれないのではないかという、絶望的な気持ちが心の中で首をもたげている。
・逆に、立派な人ばかりで、「おれはまあどうでもいいっすね」的なプータローが一人もいない印象だったのが……ちょっと作為的なものを感じたようなきもするけど、ある意味こういうところでインタビューを引き受けるというのも「社会的責任」的な視点によるものと言えるのかもしれない。
・妊娠中に旦那さんを亡くした女の人、本当にかわいそうだったなあ。怖いニョ。それはさておき、自分は「私この人と結婚するかも」的なことを感じたことがない。
・「まあ周りが暗いけどとりあえず会社行くか……」「牛乳買うか……」って、正常性バイアス的なこと?と思って読んでたけど、「それはさておき頑張りすぎじゃない!?」みたいな事例もあり、すごかった。とはいえやはり24時間戦えますか的なことではなく、「会社に行く」という普段通りの行動を通して落ち着きたい、平常に戻りたい的な気持ちが働いたんじゃないのかなと思った。まあでもフラフラで歩いていて2次被害(倒れて頭を打った、車に轢かれたとか)がなくてよかった。単にそういう人はここに来れていないだけかもしれないけど……
とにかく、物凄く内容の濃い本だった。あとサリンにめちゃくちゃ詳しくなった感じがする。700p超の本を読むのは初めてだったけど、割とするする読めた。ルポ好きな人にぜひおすすめしたい。 -
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予言がヒントをくれる 同姓同名の別人(ネコ)妻の服を着たほかの女 幻想の中で「今はまちがった時間です。あなたは今ここにいてはいけないのです」と言われる 幻想では、色々な部屋の入り口がある廊下をうろちょろした。そこにはトレーを持ったボーイがいる 鏡を見ると違うもの(アザ)が映っていた 前の住民その前の住民 クミコとクレタのドッペルゲンガー 憑き物がつきそれが剥がれる コーヒーとドーナツ 強烈な暴力を奮う 「ぼくはここで何をしているんだ? この女は誰なんだ?」馬が象徴するもの
クミコは居なくなった。また不思議な夢を見る。メイとビールを飲む。マルタから電話でマルタとノボルと三人で会うことを言われる。
三人で会いノボルはクミコに男が出来たから離婚しろと言った。
家には間宮から手紙が来ていた。手紙には、外モンゴルの井戸の光の体験で恩寵を感じたが受けられなかったこと。その後脱け殻の時間を過ごしていることが書かれていた。部屋にクレタが来た。夢の中の交わりを説明されて驚いた。
メイから朝電話。その後空き家の井戸に行き縄ばしごで底まで降りた。
井戸の中でクミコとの馴れ初めを回想する。そして結婚、堕胎のこと。堕胎の時岡田は北海道出張中だった。そこで堕胎を電話で聞き、酒を飲みに行った。バーで歌手の男が歌っていた。歌い終わるとサービスとして別のことを始めた。店を暗くして蝋燭を点けそこにしばらく手をかざした。「痛みの共有」をやった。
そして井戸の底で幻想に行き謎の女に出会った。
目が覚めると縄ばしごが消えていた。その後それを引き上げたのはメイだと判る。メイは上から話しかけた後、井戸の蓋をした。
何日かして夜にクレタが蓋を開けてはしごを下ろしてくれた。が射なくなった。井戸を出て家に帰り食事をして、郵便受けに手紙を発見。クミコからだった。
手紙には、仕事相手と浮気したこと、性の喜びを感じたこと、今はもうその相手といないこと、そして岡田と別れる旨が書かれていた。そこにマルタから電話がかかってきた。
マルタは「悪いことがあなたに起こっている、体に変化がおきてる」と言った。そしてクレタが行方不明だと。しかし岡田はクレタのことは言わなかった。そしてはしごをかけたままなとこに気付き、外しに行くと井戸の底にクレタがいた。クレタはもう少し考え事がしたいと言ったのでそのまま岡田は家に帰った。翌朝井戸に行くとクレタはいなかった。その後この家の持ち主の叔父に電話した。この家に不思議はないか聞いたが、ないとのこと。駅前の不動産屋が家や空き家を知ってるとも聞けた。髭を剃ると頬にアザが出来ていた。そして寝ると夜中に起きた。となりにはクレタが寝ていた。
クレタはクミコの服を着て朝食を作った。それはクミコに似ていた。そしてノボルに犯された話の続きを話した。ノボルに体を触られ絶頂の快感と痛みを感じて自分が生まれ変わったと感じた。
夜、現実として岡田はクレタと交わった。そして彼女と自分のためにクレタ島に行くという誘いを受けた。
翌日メイに会う。交通事故で彼氏は死んだ(殺した)、自分の中のぐしゃぐしゃを潰したいのだと。クレタ島に行ったら手紙を書くと約束。
叔父が訪ねてきた。人生のコツを語る。それはじっくりと時間をかけて人を観察する単純なこと、「洗練された復讐」だと。
翌日叔父のアドバイスを試してみるため新宿で観察をして。コーヒーとダンキンドーナツを手に。11日それをやっているとギターケースを背負った男を見た。それは北海道の歌手だった。男をつけ古いアパートを見つけた。しばらく見張った後アパートに入ると男にバットで襲われた。反撃して蹴り、殴ったら男がニヤニヤした。現実に戻され殴るのを止めた。男のギターケースを開けるとそこには何も入っていなかった。怖くなりアパートを飛び出てバスに乗った。客は怪訝そうに岡田を見ていた。服は返り血で、手にはバットを持っていた。家につきバットをしまった。
家に帰って酒を飲んだ。その後寝ると悪夢を見た。歌手の男を追ってアパートに入り殴った。男は笑いながらナイフを取り出し自らの皮をむいていった。むき終わると皮が迫ってきて岡田の全身を覆い張り付いた。目が覚めて「逃げられないし、逃げるべきではない」と悟った。結局クレタ島に行かないことに決め、クレタに別れを言った。
クレタからクレタ島からなにも書いていない手紙が届く。クリーニング屋から連絡があり、行くとクレタにあげたクミコの服だった。支払いはマルタの模様。
間宮中尉に手紙を書くと、返事が来た。私も「井戸に何かある」と今でも希望のようなものを持っていると。
メイは学校に行くことになった。そして空き家は壊され、井戸も埋められた。
プールで泳いでいると幻影を見る。そこで確信したのは「あの電話の謎の女はクミコだ」ということ。「私の名前をあなたは知っている」と闇の中から訴えながら助けを求めていたのだと。
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Posted by ブクログ
村上春樹もあとがきで書いていますが、誰が誰を殺したのかよくわからん。ですが、マーロウと周りの連中との減らず口のたたき合いや、独特なたとえなんかは相変わらずで、とても楽しめました。むしろそちらに集中していた感じで、チャンドラー節をみっちり味わえたまであります。
チャンドラー自身はあまり気に入っていない作品だったようですが、前に読んだ「高い窓」よりも良かったようにも思いました。最後のどんでん返しなんかは、かなりサービス精神を感じられました。
オーファメイが事務所を出ていったところで、きれいに終わっている感じがしたので、その後の展開はいらなかったかなぁ、と思う一方、最後のやり取りもなかなかに格好良かったので、それはそれでありなのかなぁとも思ったりもします。
他作品と比べてあまり評判が良くないという話でしたが、信じられないくらい個人的には良かったです。この作品を愛している村上春樹の訳だったからこそ、楽しめたのかもしれません。