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Posted by ブクログ
表題作『ティファニーで朝食を』でオードリー・ヘプバーンの映画を思い浮かべる人も多いと思うが、そちらは未視聴で読んだ。作中のホリー・ゴライトリーは溌剌としたヘルシーな印象で、自由な猫のようにプリズムが弾け飛んだようなギラギラした瞳をした女性だったので、上品なイメージのヘプバーンが演じたことが意外だった。実際、著者も映画化の時にオードリー・ヘプバーンがホリーを演じると聞いて、多少不快感を露わにしたとのことだった。
この作品の中にはティファニー以外にも短編が3作収録されている。どれも純真の象徴としての存在が登場し、それが暗いテーマの中で対象物として良い働きをする。以前カポーティの『誕生日の子どもたち』を読んだが、彼はそういう純真さがもたらす悲哀のようなものを描くのが上手いと思う。何より、村上春樹の訳が読みやすくて良かった。
Posted by ブクログ
原文と照らし合わせながら、村上春樹訳の文章を時間をかけてじっくり読んだ。表題作だけ読んだ。
読み終えた後、泣き出したい気持ちになった。ホリーはbelongできる場所(ホリーはそれを「ティファニーのような場所」と語る)を見つけられたのだろうか。それは天の上にしかないのではないか、そんな考えに駆られた。実際この物語の中には「天」や「神」を彷彿とさせる言葉がたくさん出てくる(冒頭でジョーベルが作ったカクテルの名前は「White Angel」だし、サリー・トマトの弁護士と連絡を取っていた場所、そしてドク・ゴライトリーと話したのも「ハンバーグ・ヘブン」というお店だった。他にも天や神を思わせる単語はたくさん出てくる。「僕」はホリーが「アフリカに足を踏み入れていない」と確信している。
ホリーは自由奔放(性的にも開放的)な、この物語の時代の女性のジェンダー規範とは異なる女性像として描かれる。ホリーは「ティファニーのような場所」(資本主義の象徴)を求め、さすらいながら(Traveling)生きている。そこは「いやったらしい赤」(共産主義の象徴)(ホリーはこれを怖がっている)の気持ちを落ち着けてくれる場所である。この「赤」は過去の自分の象徴でもある。物語の最後でホリーは自分が共に生活していた猫を手放した後で、自分と赤毛の猫がお互いに「belonged」な存在であったことを悟る。捨てたはずの過去の自分も自分の一部だったのだ。
ホリーは自分の居場所(belongできるhome)を探しながらさすらう(Traveling)。ホリーは何にも縛られず、自由気ままに生きているように見えるが、そこには不安が常にあること、ホリーが今いる場所(traveling)は「ものごとが消え失せていく場所」であることが語られる。
私にはホリーにとってのティファニーみたいな場所はあるだろうか。今家族と同居している実家は、表面上は温かいけれど、その「表面」を私が少しでも壊してしまうと、途端に安心できない場所になる。東京に行きたい。でも東京にも「ティファニーみたいな場所」は見つからなかった。一生見つからないかもしれないと思う。東京に住んでいた時も、家にいるのに家に帰りたい(それは実家ではない場所)と思っていたから。
「belonged」な関係ってなんだろう。大切な人と私は一つになれる、あるいは一つのようになれるんだろうか。アロマンティックでクワロマンティックな私が、大切な人とそんな関係になれるだろうか。
O.Jがホリーのことを「本物のまやかし(real phony)と表現していた。phonyという言葉は『The Catcher in the Rye』で何度も出てきた言葉であり、主人公のホールデンが嫌っていたものだった(村上春樹訳では「インチキ」と訳されていた)。ホリーの愛情は「自然」なものではなく、「訓練」された(trained)ものであったし、それはホリーのキャラクターにも言える。確かにphonyだった。でもそんなホリーを昔の自分と重ねているところがあった。実際、今の自分だって、「本当の自分」ではないのかもしれない。「本当の自分」って何?
『BUTTER』で、梶井は自分の生活を「『ティファニーで朝食を』のホリー・ゴライトリーのような生活を送っていた、私は旅行中(traveling)だった」と語った。里佳はそれを、映画のホリーのことだと考えるが(小説のホリーはフェミニズム的な部分があって、映画はそれと内容が違う)と考えるが、梶井は原作(小説)の方を読んでいたんじゃないかと思う。実際、梶井の実家の部屋の本棚には様々な本が保管されており、読書が好きだったと語られている。梶井がどこまでフェミニズム的でクィア的な文脈を理解したかは分からないけど。
大学の授業で精読して以来(その授業が私は大好きだった)、ずっと読み返せてなかったから、読めて良かった。
Posted by ブクログ
映画から入り小説→映画と何度もループしてしまう大好きな作品。
ホリー・ゴライトリーの奔放な美しさと、その裏側にある苦悩、自由を求めるあまりその自由に苦しむ、ホリーの言う"いやったらしいアカ"は、現代人、とくに都市で生きる僕らに通ずるものがある。
オードリー・ヘプバーンのキュートさがこの作品を有名にした一助であることは間違いないが、物語としては小説の方が好みである。映画版の結末はややご都合主義というか、映画を見終わった人たちが肩透かしを喰らわないように配慮したのでは、と感じる。小説の結末の方が、ホリーというどうしようもなくは魅力的な人間の内面を表していると思う。
Posted by ブクログ
オードリー・ヘップバーンがホリー役を演じる映画の方は観たことがなかったが、確かに彼女は小説版のホリーのような汚さやふしだらさ、危うさが感じられる人ではない。もしいつか映画をリメイクする際はホリー役をマーゴット・ロビーに演じて欲しいと思うのは私だけでしょうか(マーゴット・ロビー好きの一意見)。
この話は映画版『ティファニーで朝食を』でイメージされるような綺麗なストーリーではない。が、確かに名作であったと思う。イギリス文学とはなんとなく異なり、主人公やホリー、ジョー・ベルなど、様々な登場人物のその時々の感情が読み取りやすいものだったように感じる。
ホリー・ゴライトリーというこんなにも危うく愛らしい女性が身の回りにいたとしたら、誰しも叶わぬ恋をしてしまうだろうと思う。女の私でさえレズに目覚めてしまいそうなので。
Posted by ブクログ
本と映画は違うときいていて、ちょっと気になってたので読んでみようと思った
村上春樹らしい訳 洒落た、時代を感じさせない軽快さ
意外に中編(長編だと思ってた)
1940年代ニューヨーク アパートの階下に住む女の子ホリーと主人公作家志望の青年の話
自由気ままなホリー・ゴライトリー
ある意味野性的で、場当たり的
何にでも慣れたりしたくないし、何も所有したくない
自分は誰のものでもなく破天荒で刹那的 道理みたいなものは通じない
自分のままでいたい
だけど不安感を抱えている
ホリーは居場所を探してるのだと思った
ティファニーみたいな場所
静かでつんとすました、そこでは何も悪いことが起こり得ないような⋯
猫は落着き場所を見つけることができたけど、ホリーは居場所を見つけることができたのだろうか
落ち着ける場所があればいいと主人公が語るように、幸せになってほしいなと思った
ティファニーの店内にいるみたいな気持ちにさせてくれる場所が、この現実の世界のどこかに見つかればいい
物寂しい雰囲気を醸し出す終わりかたは、物語初めの主人公がホリーの行方に思い巡らす場面に続いていて、ひっそりとした寂しさを醸し出している
映画とは違っていいなと思った
他短編3編
読みやすい短編だった
『クリスマスの思い出』
ティファニー⋯よりもこちらの世界観が好み
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