【感想・ネタバレ】ティファニーで朝食を(新潮文庫)のレビュー

あらすじ

第二次大戦下のニューヨークで、居並ぶセレブの求愛をさらりとかわし、社交界を自在に泳ぐ新人女優ホリー・ゴライトリー。気まぐれで可憐、そして天真爛漫な階下の住人に近づきたい、駆け出し小説家の僕の部屋の呼び鈴を、夜更けに鳴らしたのは他ならぬホリーだった……。表題作ほか、端正な文体と魅力あふれる人物造形で著者の名声を不動のものにした作品集を、清新な新訳でおくる。

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Posted by ブクログ

原文と照らし合わせながら、村上春樹訳の文章を時間をかけてじっくり読んだ。表題作だけ読んだ。
読み終えた後、泣き出したい気持ちになった。ホリーはbelongできる場所(ホリーはそれを「ティファニーのような場所」と語る)を見つけられたのだろうか。それは天の上にしかないのではないか、そんな考えに駆られた。実際この物語の中には「天」や「神」を彷彿とさせる言葉がたくさん出てくる(冒頭でジョーベルが作ったカクテルの名前は「White Angel」だし、サリー・トマトの弁護士と連絡を取っていた場所、そしてドク・ゴライトリーと話したのも「ハンバーグ・ヘブン」というお店だった。他にも天や神を思わせる単語はたくさん出てくる。「僕」はホリーが「アフリカに足を踏み入れていない」と確信している。
ホリーは自由奔放(性的にも開放的)な、この物語の時代の女性のジェンダー規範とは異なる女性像として描かれる。ホリーは「ティファニーのような場所」(資本主義の象徴)を求め、さすらいながら(Traveling)生きている。そこは「いやったらしい赤」(共産主義の象徴)(ホリーはこれを怖がっている)の気持ちを落ち着けてくれる場所である。この「赤」は過去の自分の象徴でもある。物語の最後でホリーは自分が共に生活していた猫を手放した後で、自分と赤毛の猫がお互いに「belonged」な存在であったことを悟る。捨てたはずの過去の自分も自分の一部だったのだ。
ホリーは自分の居場所(belongできるhome)を探しながらさすらう(Traveling)。ホリーは何にも縛られず、自由気ままに生きているように見えるが、そこには不安が常にあること、ホリーが今いる場所(traveling)は「ものごとが消え失せていく場所」であることが語られる。
私にはホリーにとってのティファニーみたいな場所はあるだろうか。今家族と同居している実家は、表面上は温かいけれど、その「表面」を私が少しでも壊してしまうと、途端に安心できない場所になる。東京に行きたい。でも東京にも「ティファニーみたいな場所」は見つからなかった。一生見つからないかもしれないと思う。東京に住んでいた時も、家にいるのに家に帰りたい(それは実家ではない場所)と思っていたから。
「belonged」な関係ってなんだろう。大切な人と私は一つになれる、あるいは一つのようになれるんだろうか。アロマンティックでクワロマンティックな私が、大切な人とそんな関係になれるだろうか。
O.Jがホリーのことを「本物のまやかし(real phony)と表現していた。phonyという言葉は『The Catcher in the Rye』で何度も出てきた言葉であり、主人公のホールデンが嫌っていたものだった(村上春樹訳では「インチキ」と訳されていた)。ホリーの愛情は「自然」なものではなく、「訓練」された(trained)ものであったし、それはホリーのキャラクターにも言える。確かにphonyだった。でもそんなホリーを昔の自分と重ねているところがあった。実際、今の自分だって、「本当の自分」ではないのかもしれない。「本当の自分」って何?
『BUTTER』で、梶井は自分の生活を「『ティファニーで朝食を』のホリー・ゴライトリーのような生活を送っていた、私は旅行中(traveling)だった」と語った。里佳はそれを、映画のホリーのことだと考えるが(小説のホリーはフェミニズム的な部分があって、映画はそれと内容が違う)と考えるが、梶井は原作(小説)の方を読んでいたんじゃないかと思う。実際、梶井の実家の部屋の本棚には様々な本が保管されており、読書が好きだったと語られている。梶井がどこまでフェミニズム的でクィア的な文脈を理解したかは分からないけど。
大学の授業で精読して以来(その授業が私は大好きだった)、ずっと読み返せてなかったから、読めて良かった。

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2026年01月13日

Posted by ブクログ

映画から入り小説→映画と何度もループしてしまう大好きな作品。
ホリー・ゴライトリーの奔放な美しさと、その裏側にある苦悩、自由を求めるあまりその自由に苦しむ、ホリーの言う"いやったらしいアカ"は、現代人、とくに都市で生きる僕らに通ずるものがある。
オードリー・ヘプバーンのキュートさがこの作品を有名にした一助であることは間違いないが、物語としては小説の方が好みである。映画版の結末はややご都合主義というか、映画を見終わった人たちが肩透かしを喰らわないように配慮したのでは、と感じる。小説の結末の方が、ホリーというどうしようもなくは魅力的な人間の内面を表していると思う。

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2025年11月26日

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ホリーが物語の中の彼女と寸分変わらず、生きて幸福を掴んで欲しいと願わずにいられない。
同時に変わらずにいられないだろうとも思ってしまう。

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2025年09月14日

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ネタバレ

何回読むねん、というくらい何回も読んでる本。
下記文章を読みたいがために何度も何度も読み返す。

「要するに『あなたが善きことをしているときにだけ、あなたに善きことが起こる』ってことなのよ。

いや善きことというより、むしろ正直なことって言うべきかな。規律をしっかり守りましょう、みたいな正直さのことじゃないのよ。

もしそれでとりあえず楽しい気持ちになれると思えば、私は墓だって暴くし、死者の目から二十五セント玉をむしったりもするわよ。

そうじゃなくて、私の言ってるのは、自らの則に従うみたいな正直さなわけ。卑怯者や、猫っかぶりや、精神的なペテン師や、商売女じゃなきゃ、それこそなんだってかまわないの。不正直な心を持つくらいなら、癌を抱え込んだ方がまだましよ。だから信心深いかとか、そういうことじゃないんだ。もっと実際的なもの。

癌はあなたを殺すかもしれないけど、もう一方のやつは間違いなくあなたを殺すのよ。」

自分が自分であるために、自分を生きるために、定期的に読み返すのかもしれない。

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2025年08月30日

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映画は未視聴。とにかく魅力的なヒロインが描かれている。長い台詞を気持ちよく読ませてくれるのは技術?魅力的なクラスのマドンナが冴えない主人公のことをなぜか気に入ってお互い特別視してるみたいな作風の先駆けのような感じ。村上春樹が映画に苦言を呈していたので、映画も観てみよう。

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2025年05月10日

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ネタバレ

普通とはかけ離れた自由奔放さはホリーの魅力。でも全くの考えなしなわけではなくて、その普通とかけ離れた経験が今のホリーの確固たる意志の源となっている。とはいっても完全なる強い女性というわけでもなくて危うさもある。激しく生きてプツンと壊れてしまいそうな。そんなホリーと過ごしたときが主人公にはあったのに、もうどんなふうに生きているのか今は全く分からない。しみじみと感じさせられる儚さと美しさが魅力的な作品。

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2025年03月27日

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ネタバレ

有名すぎてずっと敬遠していた本。僕は見栄っ張りな性格なので、手垢のついた名作をいまさら読むのが気恥ずかしい。そもそもティファニーは宝石屋だ。食事をする場所ではない。それならなぜ『ティファニーで朝食を』なのか。しかしその意味を教えてもらってから、どうしようもなく読みたくなってしまった。

ホリーはとびきりチャーミングな女の子だ。みんな彼女に魅せられてしまう。だから自然と男たちが集まってくる。しかし誰も彼女を理解できない。ある男は彼女をこう評した。「あんたは脳みそをぎゅうぎゅうにしぼり、彼女のためを思ってさんざん尽くしてやる。ところがその見返りに受け取るのは、皿に山盛りの馬糞だ」。その男は彼女をハリウッド女優として成功させるお膳立てをしてやった。なのにホリーはオーディションをすっぽかしてしまう。悪気など微塵も見せずに。
普通の人間ならそんなチャンスをふいにしたくはないだろう。でも彼女は自分が女優になれるとは思ってないのだ。彼女が罪悪感を感じるとしたら、その男にそうさせてしまったことに対してである。彼はこうも言う。彼女はまやかし(phony)だ。ただし、本物のまやかし(real phony)だ。つまりホリーは、自分が本物のダイヤよりも偽物のほうが美しいと思えば、迷うことなく偽物を選ぶ人間なのだ。
彼女は世間が自分に求めるものと、自分が本当になりたいものとの溝を埋められない。ホリーは主人公と同じアパートメントの住人だが、そこは彼女の居場所ではない。バート・バカラックの曲に“A House is not a Home”というナンバーがあるが、ホリーにHouseはあってもHomeはない。
そんな彼女にとって唯一の心の拠り所がティファニーなのだ。もちろん高級ジュエリーを買えるほど裕福ではない。ただティファニーは、自分がそこにいてもいいと感じられる場所なのである。彼女の表現を借りれば、「自分といろんなものごとがひとつになれる場所」だ。Homeは朝食を食べる場所である。彼女はティファニーのような場所で朝を迎える暮らしを夢見て、流浪の旅を続けている。

最初に書いた通りカポーティを読むのはこれが初めてだが、とても気の利いた文章を書くと思った。言葉選びが卓越していて、これ以上の言い回しは考えられない。それは村上春樹の翻訳だからそう感じるのではなく、村上春樹がカポーティから強く影響を受けていると見るべきだろう。
気が利いているのは文体だけではない。たとえば主人公がはじめてホリーの部屋に入ったとき、まるでいま引っ越してきたばかりといった有様だった。また別の日に寝室へ通されたときは、キャンプ生活でもしているみたいに、いつでもすぐに出ていけるような状態だった。そういう描写がある。これをホリーが見かけに反してズボラでだらしない性格だと解釈することもできようが、旅の途中のような彼女の人生の二重写しでもあるに違いない。名刺の住所が「旅行中」になっているのは、もっとわかりやすい表現である。要するに、文章がそう書かれているのにはちゃんと理由があって、作者は読者がそれに気づいてくれることを確信して書いている。そういう書き方なのだ。
したがって、作中にくり返し登場する印象的な言葉「いやったらしいアカ」(the mean reds)も、自然と多義的に解釈したくなる。最初にホリーがこの言葉を口にしたとき、主人公は「それはブルー(憂鬱)みたいなものなのかな?」と問いかけるが、ホリーはそれを否定する。結局主人公は「そういうのをアングスト(不安感)と呼ぶ人もいる」と説明した。けれどもホリーは、この言葉を自分が捨ててきた過去や、同時に自分の中にどうしようもなく残り続ける本質に対しても使っている。だから、この「いやったらしいアカ」は彼女が嫌悪する不正直、卑怯者、猫っかぶりといったものをも含んでいると思う。というか、meanは「卑劣な」という意味なので、the mean redsはmeanの方が主意で、赤という色を冠しているのは別な理由があるのだろう。作品が書かれた時代から、そこに共産主義を連想する人もいるようだ(マッカーシー旋風、赤狩り)。たしかにティファニーは共産主義の対極にあるとも言えるが、どうだろう。さすがに深読みのような気もする。だが、カポーティの文章が深読みを誘うことも確かである。
何を隠そう、僕が原文に何と書いてあるか知っているのは、実際に原典にあたって確かめたからにほかならないし、僕にそうさせてしまう何かがこの作品にはあったのだ。そしてこの本にはまだまだ気づいていない楽しみがたくさんあることは疑いなく、『ティファニー』をめぐる僕の旅はきっとこれからも終わることがないだろう。

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2024年12月31日

Posted by ブクログ

ネタバレ

チョコレート色の石でできたアパートメント、コンクリートを打ち付ける雨の匂い、喧騒に溢れ誰もが自由なニューヨーク。それらがありありと文章から伝わってくる素晴らしい翻訳だ。
やはり村上春樹の文体は凄い。何が凄いのか言語化できないのがもどかしいのだが、生命力に溢れている文章というか、いい意味でとにかく表現が生々しい。
私は読書の感想によく「心地いい」という言葉を使うことがある。ふと気づいたのだが、「心地いい読み心地」と「読んでいて心地いい」はまったく違うことだと思う。無論、本作は後者であり、文章を目で追うことはこんなにも快楽なのだとしみじみ実感させてくれる読書体験だった。

表題作『ティファニーで朝食を』に登場するヒロインのホリー・ゴライトリーは、美しいだけでなく猫のように奔放で軽やか、それでいて穢らわしさを感じさせない不思議な女性だ。
彼女の魅力は余すことなく語られているのだが、とりわけ私が好きなのはギターを弾いている場面。飼っている雄猫と共にアパートメントの非常階段に腰掛け、髪を乾かしながらギターを弾く。髪が乾いても薄暮の中で歌い続けているホリーの姿はため息が漏れてしまうほどに美しい。
ホリーだけでなく、本作に登場する人物たちは誰も彼もがアメリカという国を体現しているようだ。たしかに不倫も万引きも少女妻も道徳的にはいけないことなのだろう。しかし、この物語の中でそれらはどうしようもなく輝いていて、だからこそホリーを含む人物たちはどこまでも自由に見えた。

おそらく本作を通して読者に訴えかけたいものは、自由と同じくらいの不自由や虚しさだろう。
自由の権化たる美女・ホリーだが、終盤で麻薬密売の容疑をかけられると同時に結婚予定だった男性・ホセに捨てられ、さらには彼との子供も流産してしまう。ニューヨークでこの先も同じような生活ができなくなることを察したホリーは、すべてを投げ捨てることを決意し空港から飛び立つ。
語り部である「僕」や雄猫との別れが切ないのもさることながら、ホリーがこれまでの人生で捨ててきたものの中に自分になくてはならないものがあったことを語る場面が印象的で、ここに本作の魅力がグッと詰まっていると私は思う。自由に縛り続けられた不自由な美女の闇を描く作品でありながら、ラストはとても清々しく、読後感はとても良かった。
ホリーには、いつか彼女にとってのティファニーのような心の安住地を見つけてほしいと心の底から願うばかりだ。

表題作のほかにも三編の短編が収録されているのだが、この中では『クリスマスの思い出』が好みだった。こちらは老婆と少年の物語なのだが、不自由の中で幸せを見出す姿はどこか御伽話のようで、心地よい切なさを残していく。
村上春樹氏のあとがきも、カポーティという文壇界の寵児の生涯を力説されていて、いつか違う翻訳版や他の作品も手に取ってみたくなるような素晴らしいものだった。

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2024年12月26日

Posted by ブクログ

やっぱり小説は良いなあと思った。
作品自体の内容や心地いいリズム感もあるが、
読み終わったあとに煙草を吸いながらホリー・ゴライトリーのその後、人間性、雰囲気、容姿、仕草等々を考える。
その時間があるだけでこの本を読む価値があると思える。

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2024年07月25日

Posted by ブクログ

オードリー・ヘップバーンがホリー役を演じる映画の方は観たことがなかったが、確かに彼女は小説版のホリーのような汚さやふしだらさ、危うさが感じられる人ではない。もしいつか映画をリメイクする際はホリー役をマーゴット・ロビーに演じて欲しいと思うのは私だけでしょうか(マーゴット・ロビー好きの一意見)。
この話は映画版『ティファニーで朝食を』でイメージされるような綺麗なストーリーではない。が、確かに名作であったと思う。イギリス文学とはなんとなく異なり、主人公やホリー、ジョー・ベルなど、様々な登場人物のその時々の感情が読み取りやすいものだったように感じる。
ホリー・ゴライトリーというこんなにも危うく愛らしい女性が身の回りにいたとしたら、誰しも叶わぬ恋をしてしまうだろうと思う。女の私でさえレズに目覚めてしまいそうなので。

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2025年08月29日

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有名だけどあらすじ含めて何も知らない古典は読んでおきたい、と思って手に取った。翻訳が村上春樹というのも読んでみたくなった理由のひとつ。映画も一切観たことはないのだけれど、オードリー・ヘップバーンの写真だけは流石に観たことがあるので、そのイメージが離れずに困った。(原作者のイメージとも翻訳者のイメージとも全然ちがう、との評価を、先にあとがきで読んでいたので。)

主人公ホリー・ゴライトリーの奔放さにはあっけに取られた。あれだけ好き勝手やっても、助けてくれる男たちに事欠かないのがすごい。

一番かっこいいシーンは、ホリーが捕まった後、自分を結果的に連絡係として使っていた麻薬王兼囚人のサリー・トマトを、いいやつと弁護するところ。

一番悲しいシーンは、出国前に逃した猫を思い直してもう一度探し出そうとするところ。

ホリーがその後どうなったのか、は直接は書かれておらず、冒頭の木彫の件で間接的に示唆されるのみ。最後まで謎の前終わる方が美しい、ということだろう。

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2026年01月29日

Posted by ブクログ

4つの話の評価を全部足して割ったら3.6/5くらい。
思ってたティファニーで朝食をよりも全然話違くてびっくりだけど僕とホリーのあの距離感が話としては美しい。そして片想いしていて嫉妬心を抱いてる僕が愛おしい。

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2026年01月21日

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他人に迷惑をかけてはいけない精神のある日本人からすると、ホリーの自由奔放な生き方は心底羨ましいのではないかと思った

万引きは当たり前のように、警察に捕まったのに割と簡単に海外に逃げているし、なんだかゆるいところがあるけれど、それが日本との価値観の違いなのかと疑問には感じた

村上春樹の文体が大好きな身からすると、この作品が好きなのか、村上春樹が好きなのかは判断しかねたが、この後の行方は読者におまかせ系の終わり方は個人的に好みでないため、星4に

もう一度読んでみたいし、映画も見てみたくなった

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2025年10月07日

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初カポーティ。映画でも有名な表題作はまだ観ていません。どうやら原作と映画はまた違う雰囲気のようです。ヘップバーンが演じたホリー・ゴライトリーがどのような人物に仕上がっているかはわかりませんが、本書のホリーはとにかく天真爛漫。誰もが振り向く美貌さと誰にも縛られない奔放さに小説の枠を超えて人々は魅了されるのでしょう。そんな彼女はどこかへ旅立ち、残された人々は彼女の記憶や痕跡を寂しく思いつつもただ楽しむ。そんな余韻すら魅力的な小説でした。
他に収録されている「花盛りの家」「ダイヤモンドのギター」「クリスマスの思い出」も余韻が素敵な小説ばかり。心にすっと入ってくる良作でした。

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2025年07月22日

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ネタバレ

目の前を干渉できない嵐が通り過ぎたようだった。
ホリーは、その名前はホリーでなくても、どこかで彼女の求めるままに暮らしていたのではないかと思う。

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2025年07月08日

Posted by ブクログ

表題作『ティファニーで朝食を』と『クリスマスの思い出』の2つがとても好き。『ティファニー~』では何と言ってもホリーという女性のキャラクターが魅力的すぎる(見返りに皿に山盛りの馬糞をするような女性という表現がとても面白い)。刑事に連れて行かれるとき「猫にご飯をあげてね」っていうところも彼女の特徴を表してて好き。映画のほうが有名で、村上春樹はヘプバーンの印象が強すぎるからまずは原作である小説でホリーを感じてほしいと言っていた。なのでとりあえずは理想の読者にはなれたということで良しとしよう。

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2025年06月30日

Posted by ブクログ

その人に抱いているイメージ通りに生きるのか、そうじゃないのかはわからない。
多分こんな感じなんだろうなと本質は多少理解できても現実にどうなるかは思いもよらない気がする。
幸せになれてるといいけどね。

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2025年04月24日

Posted by ブクログ

どの話も語りすぎず余韻のある終わり方。
また映画化されているが、原作は映像化されたほんの一部でモチーフにすぎない。
映像化されると、原作が先か、映像が先かという話になるがどちらも両立するし前後もなく共存し合っているなと思った。

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2024年11月04日

Posted by ブクログ

映画では有名だけど、まだ見たことはない。
ただ主役のオードリーだけは頭にある。
だからはじめは、顔がチラついて集中できなかった。でも読んでいくうちにそれもなくなり、自分なりのホリーが動きまわった。若く、可愛らしく、いきいきと、今を精一杯思うがままに!
「何年かあとに、何年も何年もあとに、あの船のどれかが私をここに連れ戻してくれるはずよ。私と、九人のブラジル人の子供たちをね。
どうしてかといえば、そう、子供達はこれを目にしなくてはならないからよ。この光と、この川を。私はニューヨークが大好きなの」
今でもたぶんホリーは、どこかの街で、動きまわっている。それは、ブラジルかもしれないし、ニューヨークかもしれない!
読んだあとなぜかわからないが爽やかな風が吹いているような気分になりました。

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2024年09月18日

Posted by ブクログ

「ライ麦畑でつかまえて」や「グレート・ギャツビー」に似てるなって思った。

‘彼女な本物のまやかしだからね。彼女は自分の信じている紛い物を、心底信じているんだよ。あの子をそこから引きはがすことは、誰にもできやしない。’

あったかい毛布のような、純真無垢なイノセンスの世界があったら良いけれど、きっと世界のどこにもないんだろうな。表題含め、どの話も切なかった。

大人とは、裏切られた青年の姿である、まさしく。

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2024年08月26日

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映画がやたら有名だが、未視聴で読んだ。
(よくパッケージに採用されている、オードリー・ヘップバーンが肘をついている写真くらいは知っている)

登場から退場までホリーらしい自由奔放さで、周囲を振り回しつつも結構な人が好いてくれるという、まさに物語のメインヒロイン。
解説にて訳者は、ホリー=オードリー・ヘップバーンという認知度が高すぎて、原作のホリーはまた違うので、あの映画の写真を表紙にしないで欲しいと頼んだらしい。
実際読んでみて、オードリー・ヘップバーンは容姿として完成されすぎており、大人っぽい。
原作では19歳の少女として、行動は大人の模倣というか、なんらかのキャラクターを演じているように発言の最後にダーリンとよく付けて話している。

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2026年01月09日

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村上春樹さん訳
訳者あとがきで、『ティファニーで朝食を』時代のトルーマン・カポーティについて書いてあります。
あまりにも映画が有名すぎて、そのイメージで読んでしまうと小説の方が違うのでは…と思ってしまう。
やっぱり先に小説を楽しんだあと、映像化がいいな

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2025年10月28日

Posted by ブクログ

ちなみに訳者は龍口直太郎であり、村上春樹ではなかった。
魅力的な女性を主人公としたタイプの作品。ファムファタールとでも言おうか。思っていたのとは違うお話。
面白いかと言われれば普通。

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2025年09月01日

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海外文学は「そして誰もいなくなった」からの2冊目の読破。
普段読んでいるものに比べて読むのが難しかった気がする。
四つの短編からなるが、個人的に一番好きな作品は「クリスマスの思い出」だった。

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2025年06月16日

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彼女の「野生のものを好きになっては駄目」というセリフに妙に納得してしまった。映画もちょっと気になる。

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2025年06月08日

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ネタバレ

表題作『ティファニーで朝食を』について

ホリー・ゴライトリーは「ティファニーのような場所」を見つけることができたのだろうか。推測するに、彼女は、飼っていた猫が我が家を見つけて名前を与えられたのとは違う人生を送ってるのではないかと思う。だけど、それが破天荒な彼女の儚さであり美しさであるとも思う。

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2024年11月01日

Posted by ブクログ

ティファニーの社長が、昔テーブルマナー本の宣伝のために書店の人たち向けに会議室を臨時食堂に変えてご馳走した、って後書きの話が1番わくわくしたな。オードリーヘップバーンはいなかったらしいけど。

「ある晴れた朝、目を覚まし、ティファニーで朝食を食べるようになってもあたし自身というものは失いたくないのね
「ら女は口紅をさしてからでないと、こういう手紙は読まないことにしてんのよ」

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2024年09月21日

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村上春樹氏訳の名作。カポーティの冷血は読んだことがあるがまた違った感じだった。
映画のイメージが強く自分は見たことはないが、村上春樹氏の解説では主人公のキャラクターは違うとのこと。確かに髪の色はブロンドと形容されており、オードリー・ヘップバーンの見た目とは違うことが分かる。
古典的な作品ということもあり、ストーリーはどこかで見たことある展開だった。それでも引き込まれるのは作品として残り続けている魅力なのだろう。

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2024年08月22日

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3.7 カポーティは、無垢な魂と自由な生き方を表現した作家。映画とは、全く違った内容。イノセンスを喪失しないで生きていくこては、できない。だから、イノセンスな頃を忘れずに生きて行こうとしてしまうなかな。

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2024年07月27日

Posted by ブクログ

PREMIUM COVER2023できれいなティファニーカラーの装丁に惹かれて買った本。

「ティファニーで朝食を」は有名だし、オードリー・ヘップバーンが主演ってことはもちろん知っているけれど、映画は一度も観たことがない。なので全くどういう話なのかも知らないまま読んだ。訳者あとがきを読んで、確かに映画を観たことがない私でもホリー・ゴライトリーのことを考えるときにオードリー・ヘップバーンの顔を思い浮かべたので、映画の影響はすごいと思った。でも、私が思うホリー・ゴライトリーを作って想像しながら読んだので、映画を観る前に読めて幸運だったかもしれない。訳者あとがきにも「できることなら映画からなるべく離れたところで、この物語を読んで楽しんでいただきたい」と書いてあった。トルーマン・カポーティはオードリー・ヘップバーンが演じるホリー・ゴライトリーは気に入らなかったかもしれないけれど、映画はどういう感じになってるのか気になったので観てみようと思う。

「ティファニーで朝食を」以外に3つ短編が入っていた。私は1番「クリスマスの思い出」が面白く感じた。貧しいけれど2人(クイーニーも入れてプラス1匹)は幸せに仲良く暮らしていた。最後はあっけなくみんなバラバラになってしまい、楽しい夢から醒めたように切なく、悲しかった。

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2024年07月19日

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