【感想・ネタバレ】ティファニーで朝食を(新潮文庫)のレビュー

あらすじ

第二次大戦下のニューヨークで、居並ぶセレブの求愛をさらりとかわし、社交界を自在に泳ぐ新人女優ホリー・ゴライトリー。気まぐれで可憐、そして天真爛漫な階下の住人に近づきたい、駆け出し小説家の僕の部屋の呼び鈴を、夜更けに鳴らしたのは他ならぬホリーだった……。表題作ほか、端正な文体と魅力あふれる人物造形で著者の名声を不動のものにした作品集を、清新な新訳でおくる。

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Posted by ブクログ

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何回読むねん、というくらい何回も読んでる本。
下記文章を読みたいがために何度も何度も読み返す。

「要するに『あなたが善きことをしているときにだけ、あなたに善きことが起こる』ってことなのよ。

いや善きことというより、むしろ正直なことって言うべきかな。規律をしっかり守りましょう、みたいな正直さのことじゃないのよ。

もしそれでとりあえず楽しい気持ちになれると思えば、私は墓だって暴くし、死者の目から二十五セント玉をむしったりもするわよ。

そうじゃなくて、私の言ってるのは、自らの則に従うみたいな正直さなわけ。卑怯者や、猫っかぶりや、精神的なペテン師や、商売女じゃなきゃ、それこそなんだってかまわないの。不正直な心を持つくらいなら、癌を抱え込んだ方がまだましよ。だから信心深いかとか、そういうことじゃないんだ。もっと実際的なもの。

癌はあなたを殺すかもしれないけど、もう一方のやつは間違いなくあなたを殺すのよ。」

自分が自分であるために、自分を生きるために、定期的に読み返すのかもしれない。

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2025年08月30日

Posted by ブクログ

ネタバレ

普通とはかけ離れた自由奔放さはホリーの魅力。でも全くの考えなしなわけではなくて、その普通とかけ離れた経験が今のホリーの確固たる意志の源となっている。とはいっても完全なる強い女性というわけでもなくて危うさもある。激しく生きてプツンと壊れてしまいそうな。そんなホリーと過ごしたときが主人公にはあったのに、もうどんなふうに生きているのか今は全く分からない。しみじみと感じさせられる儚さと美しさが魅力的な作品。

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2025年03月27日

Posted by ブクログ

ネタバレ

有名すぎてずっと敬遠していた本。僕は見栄っ張りな性格なので、手垢のついた名作をいまさら読むのが気恥ずかしい。そもそもティファニーは宝石屋だ。食事をする場所ではない。それならなぜ『ティファニーで朝食を』なのか。しかしその意味を教えてもらってから、どうしようもなく読みたくなってしまった。

ホリーはとびきりチャーミングな女の子だ。みんな彼女に魅せられてしまう。だから自然と男たちが集まってくる。しかし誰も彼女を理解できない。ある男は彼女をこう評した。「あんたは脳みそをぎゅうぎゅうにしぼり、彼女のためを思ってさんざん尽くしてやる。ところがその見返りに受け取るのは、皿に山盛りの馬糞だ」。その男は彼女をハリウッド女優として成功させるお膳立てをしてやった。なのにホリーはオーディションをすっぽかしてしまう。悪気など微塵も見せずに。
普通の人間ならそんなチャンスをふいにしたくはないだろう。でも彼女は自分が女優になれるとは思ってないのだ。彼女が罪悪感を感じるとしたら、その男にそうさせてしまったことに対してである。彼はこうも言う。彼女はまやかし(phony)だ。ただし、本物のまやかし(real phony)だ。つまりホリーは、自分が本物のダイヤよりも偽物のほうが美しいと思えば、迷うことなく偽物を選ぶ人間なのだ。
彼女は世間が自分に求めるものと、自分が本当になりたいものとの溝を埋められない。ホリーは主人公と同じアパートメントの住人だが、そこは彼女の居場所ではない。バート・バカラックの“A House is not a Home”という曲があるが、ホリーにHouseはあってもHomeはない。
そんな彼女にとって唯一の心の拠り所がティファニーなのだ。もちろん高級ジュエリーを買えるほど裕福ではない。ただティファニーは、自分がそこにいてもいいと感じられる場所なのである。彼女の表現を借りれば、「自分といろんなものごとがひとつになれる場所」だ。Homeは朝食を食べる場所である。彼女はティファニーのような場所で朝を迎える暮らしを夢見て、流浪の旅を続けている。

最初に書いた通りカポーティを読むのはこれが初めてだが、とても気の利いた文章を書くと思った。言葉選びが卓越していて、これ以上の言い回しは考えられない。それは村上春樹の翻訳だからそう感じるのではなく、村上春樹がカポーティから強く影響を受けていると見るべきだろう。
気が利いているのは文体だけではない。たとえば主人公がはじめてホリーの部屋に入ったとき、まるでいま引っ越してきたばかりといった有様だった。また別の日に寝室へ通されたときは、キャンプ生活でもしているみたいに、いつでもすぐに出ていけるような状態だった。そういう描写がある。これをホリーが見かけに反してズボラでだらしない性格だと解釈することもできようが、旅の途中のような彼女の人生の二重写しでもあるに違いない。名刺の住所が「旅行中」になっているのは、もっとわかりやすい表現である。要するに、文章がそう書かれているのにはちゃんと理由があって、作者は読者がそれに気づいてくれることを確信して書いている。そういう書き方なのだ。
したがって、作中にくり返し登場する印象的な言葉「いやったらしいアカ」(the mean reds)も、自然と多義的に解釈したくなる。最初にホリーがこの言葉を口にしたとき、主人公は「それはブルー(憂鬱)みたいなものなのかな?」と問いかけるが、ホリーはそれを否定する。結局主人公は「そういうのをアングスト(不安感)と呼ぶ人もいる」と説明した。けれどもホリーは、この言葉を自分が捨ててきた過去や、同時に自分の中にどうしようもなく残り続ける本質に対しても使っている。だから、この「いやったらしいアカ」は彼女が嫌悪する不正直、卑怯者、猫っかぶりといったものをも含んでいると思う。というか、meanは「卑劣な」という意味なので、the mean redsはmeanの方が主意で、赤という色を冠しているのは別な理由があるのだろう。作品が書かれた時代から、そこに共産主義を連想する人もいるようだ(マッカーシー旋風、赤狩り)。たしかにティファニーは共産主義の対極にあるとも言えるが、どうだろう。さすがに深読みのような気もする。だが、カポーティの文章が深読みを誘うことも確かである。
何を隠そう、僕が原文に何と書いてあるか知っているのは、実際に原典にあたって確かめたからにほかならないし、僕にそうさせてしまう何かがこの作品にはあったのだ。そしてこの本にはまだまだ気づいていない楽しみがたくさんあることは疑いなく、『ティファニー』をめぐる僕の旅はきっとこれからも終わることがないだろう。

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2024年12月31日

Posted by ブクログ

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チョコレート色の石でできたアパートメント、コンクリートを打ち付ける雨の匂い、喧騒に溢れ誰もが自由なニューヨーク。それらがありありと文章から伝わってくる素晴らしい翻訳だ。
やはり村上春樹の文体は凄い。何が凄いのか言語化できないのがもどかしいのだが、生命力に溢れている文章というか、いい意味でとにかく表現が生々しい。
私は読書の感想によく「心地いい」という言葉を使うことがある。ふと気づいたのだが、「心地いい読み心地」と「読んでいて心地いい」はまったく違うことだと思う。無論、本作は後者であり、文章を目で追うことはこんなにも快楽なのだとしみじみ実感させてくれる読書体験だった。

表題作『ティファニーで朝食を』に登場するヒロインのホリー・ゴライトリーは、美しいだけでなく猫のように奔放で軽やか、それでいて穢らわしさを感じさせない不思議な女性だ。
彼女の魅力は余すことなく語られているのだが、とりわけ私が好きなのはギターを弾いている場面。飼っている雄猫と共にアパートメントの非常階段に腰掛け、髪を乾かしながらギターを弾く。髪が乾いても薄暮の中で歌い続けているホリーの姿はため息が漏れてしまうほどに美しい。
ホリーだけでなく、本作に登場する人物たちは誰も彼もがアメリカという国を体現しているようだ。たしかに不倫も万引きも少女妻も道徳的にはいけないことなのだろう。しかし、この物語の中でそれらはどうしようもなく輝いていて、だからこそホリーを含む人物たちはどこまでも自由に見えた。

おそらく本作を通して読者に訴えかけたいものは、自由と同じくらいの不自由や虚しさだろう。
自由の権化たる美女・ホリーだが、終盤で麻薬密売の容疑をかけられると同時に結婚予定だった男性・ホセに捨てられ、さらには彼との子供も流産してしまう。ニューヨークでこの先も同じような生活ができなくなることを察したホリーは、すべてを投げ捨てることを決意し空港から飛び立つ。
語り部である「僕」や雄猫との別れが切ないのもさることながら、ホリーがこれまでの人生で捨ててきたものの中に自分になくてはならないものがあったことを語る場面が印象的で、ここに本作の魅力がグッと詰まっていると私は思う。自由に縛り続けられた不自由な美女の闇を描く作品でありながら、ラストはとても清々しく、読後感はとても良かった。
ホリーには、いつか彼女にとってのティファニーのような心の安住地を見つけてほしいと心の底から願うばかりだ。

表題作のほかにも三編の短編が収録されているのだが、この中では『クリスマスの思い出』が好みだった。こちらは老婆と少年の物語なのだが、不自由の中で幸せを見出す姿はどこか御伽話のようで、心地よい切なさを残していく。
村上春樹氏のあとがきも、カポーティという文壇界の寵児の生涯を力説されていて、いつか違う翻訳版や他の作品も手に取ってみたくなるような素晴らしいものだった。

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2024年12月26日

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目の前を干渉できない嵐が通り過ぎたようだった。
ホリーは、その名前はホリーでなくても、どこかで彼女の求めるままに暮らしていたのではないかと思う。

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2025年07月08日

Posted by ブクログ

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表題作『ティファニーで朝食を』について

ホリー・ゴライトリーは「ティファニーのような場所」を見つけることができたのだろうか。推測するに、彼女は、飼っていた猫が我が家を見つけて名前を与えられたのとは違う人生を送ってるのではないかと思う。だけど、それが破天荒な彼女の儚さであり美しさであるとも思う。

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2024年11月01日

Posted by ブクログ

ネタバレ

映画を先に見てしまったけど小説版の結末のが好みだと思った
こういう人間は思い出のままでいてくれるのが1番なのかも

『クリスマスの思い出』が1番好き ケーキ作りの描写がいい

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2024年06月01日

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