あらすじ
「それらを通過する前とあととでは、日本人の意識のあり方が大きく違ってしまった」1995年に起きた阪神淡路大震災、そして地下鉄サリン事件。日本の戦後史の転換期を狙い澄ましたかのようなこの二つの悲劇は、地下--「アンダーグラウンド」から突如噴き出した、圧倒的な暴力の裏と表だった。魂の最奥部を見つめ続けてきた作家が、62人の関係者への丹念なインタビューを通じて浮かび上がらせる現代日本の、そして人間の底深い闇。強い祈りをこめた、渾身の書き下ろしノンフィクション。
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Posted by ブクログ
地下鉄サリン事件の被害者へインタビューをしてまとめられた作品。
村上春樹さんの文体で読みやすい内容ですが、
今までの報道では被害者を数字でしか知り得ませんでしたが、1人1人の人生苦悩があることを改めて実感し、改めて事件の悲惨さを感じることができました。
また、多くの人の人生を覗き見ることができたようで、たくさんの気付きや発見もありました。
Posted by ブクログ
今からちょうど30年前の1995年は、1月に阪神淡路大震災、3月に地下鉄サリン事件と、連続して日本を震撼させる出来事があった年として銘記される。戦後50年の節目の年でもあり、バブル崩壊後の平成不況が続くさなか、全日本国民にとって「終わりの始まり」の年となったと言ってよい。1995年以後の30年は、それ以前の30年とは明らかに違う。「以前」が上り坂だとしたら、「以後」はずっと下り坂だ。
当時25歳だった自分はどう感じていたか。もちろん事件には驚愕し、テレビの報道映像に釘付けになったが、その時点では、今が「現代史の分岐点」とまでなるとは思っていなかった。自分にとっては4月から新たな就職先での仕事がはじまることと、3月に彼女にフラれたことの方が大きな事件であった。個人史的にも、1995年は特筆すべき年である。
『アンダーグラウンド』は数ある村上春樹作品の中でも異色のものである。インタビューによるノンフィクションという形式も、アメリカではよくあるようだが、日本では珍しいのではないか。
作者は「はじめに」で、700ページを超える大部のこの著書をものした動機について、次のように語っている。
「取材において筆者がまず最初に質問したのは、各インタビュイーの個人的な背景だった。どこで生まれ、どのように育ち、何が趣味で、どのような仕事につき、どのような家族とともに暮らしているのか――そういったことだ。(中略)そのような姿勢で取材したのは、「加害者=オウム関係者」の一人ひとりのプロフィールがマスコミの取材などによって細部まで明確にされ、一種魅惑的な情報や物語として世間にあまねく伝播されたのに対して、もう一方の「被害者=一般市民」のプロフィールの扱いが、まるでとってつけたみたいだったからである。」(pp.27~28)
『アンダーグラウンド』の主役は「巻き込まれた一般の人たち」であり、それは私やあなたである。「オウム」という特別な人たちではない。ここがポイントだ。今から30年前、月曜日の朝の通勤時間にいつも通り地下鉄に乗っていた、父親や母親、息子や娘であった普通の人々だ。
インタビューを受けた人たちの口から、「ああ、確かにあの頃はそんな風に考えてた」「そんな風に感じていた」と思わせる言葉がたくさん出てくる。まさに時代のドキュメンタリーである。
Posted by ブクログ
地下鉄サリン事件に関するドキュメンタリードラマを観て、自分が30年前にニュースで見聞きした印象とずいぶん違っているような気がして、この本を手に取った。
実際にサリンを吸ってしまい被害に遭われた方たちのインタビューである。いろんな方がいて、いろんな人生があり、この日もいつもの日常の延長が始まるはずだったのに、たまたまあの時間に、日比谷線・丸の内線・千代田線のいずれかに乗ってしまったために、サリンの被害に遭ってしまった。亡くなられた方や重い後遺症を負ってしまった人たちもいる。
私はあの事件をニュースで見た時に「怖いな」「なぜあんな見るからに怪しい宗教にはまる人がいるんだろう」とは思ったが、被害そのものに対する解像度は低く、そのまま30年が過ぎてしまった。この本を読み、個々の人生の日常が大なり小なり破壊されてしまったことが、とてもリアルに伝わってきて、やっとこの事件の凄惨さを実感できたような気がする。
今またオウムの後継団体に入信する若者が増えているという。あの事件がどんどんと遠い過去となり、風化していく前に、特に若い人たちはこの本を読んでほしいと思う。
Posted by ブクログ
あれから30年。被災に遭っていたので地下鉄サリン事件のことは、ほとんど知らなかった。当日、被害にあわれた方々の生の証言は、30年たった今もまざまざと色々な感情が感じ取れる。真面目だけど生きづらい人を取り込む宗教の上層部や自分の保身にあたる組織の上層部には怒りしかわかない。30年たって、果たしてこの事件の教訓が生かされているだろうか?この本を作った著者、製作者、証言者には頭が下がります。
Posted by ブクログ
テレビに出ていたサリン事件。まだ私が生まれてない時だったので、そこまで詳しく知りませんでした。
この本を読んでたくさんの被害者の証言で感じた事は、サリンの副作用の恐ろしさに大変恐怖を感じました。2度とこのような悲惨な事件を起きない事を願うばかりです。
Posted by ブクログ
地下鉄サリン事件当日何があったのか、村上春樹による綿密な調査とインタビューによってリアリティをもって知ることができた。
事件の被害者の方のバックグラウンドが書かれており、事件の前後で何が変わりどのような影響をもたらしたのか興味深く読むことができた。
被害者の方々にはそれぞれの人生がありストーリーがある。
ドキュメンタリーを超えた人生ドラマが私を強く惹きつけた。
また、被害者方の何人かは偶然事件に巻き込まれていたり、あるいはいつもと違う行動を当日とっていたことにより被害が軽症であったりした。また、不思議な体験をされている方もおり、そういうこともあるのだなと感慨深く感じた。
Posted by ブクログ
わかりやすい構図、伝えたいこと、そんなレールに沿って語られる物語より、アトランダムに取り上げられた物語から出来上がった総体から、やんわりと感じられる何か、そんなものが私を惹きつける。
ジャーナリズムだって、その例外ではない。というか、ジャーナリズムこそ、そうあるべきなのかもしれない。
こんなに熱がこもっているのは珍しいくらいに、熱いものを感じるあとがきの「目じるしのない悪夢」は、今回のテーマを超えて、普遍的なメッセージとして心に響いた。
「…あなたが今持っている物語は、本当にあなたの物話なのだろうか? あなたの見ている夢は本当にあなたの夢なのだろうか? それはいつかとんでもない悪夢に転換していくかもしれない誰か別の人間の夢ではないのか?」
Posted by ブクログ
【2024年141冊目】
1995年3月20日、東京の地下鉄で起きた無差別テロ、地下鉄サリン事件。作家村上春樹がその被害者や関係者総勢62名に対してインタビューを行った生きた記録である。あの日、東京の"アンダーグラウンド"で、一体何が起こったのか。迫真の一冊。
きっと★いくつとかで評価をつけるべきではないのだろうと思いつつ、少しでも高評価であることで、手に取る人が増えると良いなと思って★5にしました。
文庫本にして777頁、しかも多くの頁は2段組という恐ろしい文量の一作です。読み進めるのにかなり時間がかかりました。一気読みはとてもできなかった。
本著が書かれた時よりも被害者数には変化があり、死者は14名、負傷者は6,000名を超えるとされています。正に未曾有の事件です。
本作において、被害者ひとりひとりの証言はまずそのバックグラウンドから語られ始めます。どのように人生を生きてきたのか、そしてサリン事件の前後でどのように変化があったのか。
あまりにも生々しい証言の数々。そこから読み取れるのは、オウム真理教への怒りと困惑でした。理解ができないことが起こったというのが正しいのかもしれません、判断の範疇外の出来事すぎるのです。
巻末で村上春樹さんが「意識をして逸らさなければならない存在」というように形容していて、なるほどなと思いました。無視をするには、少しだけこちらの世界に足を踏み入れている、そんな感じだったのかもしれません。
この本はもっぱら電車移動の時に読んでいましたが、人間の世界は性善説でなんとか均衡が保たれていて(もちろん事件は起こっていますが)こういった大事件は、起こるかもしれないという想像さえつかなかったはず。現に、この本を読むまで、電車という密閉空間の危険性について忘れていたくらいなので(サリン事件の時、まだ小学生でした)
少しボリュームがありすぎるので、なかなか気軽に読むには決心がいりますが、何百年先まで語り継いでいくべき一冊だと思います。
Posted by ブクログ
ぽん先輩が「これはただのノンフィクションではない」って言ってたけど、その意味がわかった。
本当に事実だけが、彼らが証言したことがそのまま書かれている。
だからサリンの匂いについてだったり犯人たちへの思いだったり、同じことを言ってるなと思うこともあれば違うことを言ってる人もいて、人間の個性が出ていて興味深いものだった。
わたしは信仰心に漬け込んで悪事を働いたオウム真理教が許せないけれど、本屋に足を運んでもそれ関連の本はなかなか見つからない。あれだけの凶悪犯罪なのに、肖像権の問題があり当時のニュースなどは残っていないし、仕方ないことかもしれないが忘れられようとしている気がする。風化させないようにしたいと思った。
Posted by ブクログ
村上春樹による「オウム地下鉄サリン事件」の被害者たちへのインタビューに基づくノンフィクション。文庫本で600ページ以上という大作。
この作品は読む前に期待していたものよりも、もっと多くのものを含んでいると感じた。
その内容は大別して2つに分けられる。「被害者たちの体験の追憶」とそこから著者によって分析される「地下鉄サリン事件とは何なのか」である。
前者は圧倒的な取材量がベースとなって描かれる、サリン事件の被害者たちのリアルである。著者はこの作品を書こうと思った動機として、当時のメディアが被害者たちを「傷つけられたイノセントな一般市民」としてしか描いておらず、彼らのリアルが明らかにされることがほとんどなかったからだと冒頭で語っている。
メディアは、オウム(悪・狂気)と被害者(正義・正気)という単純な二項対立を描くために、被害者たちの「顔」(個性)を排除したのだ。
対して村上春樹は、被害者たちが事件の当時どんな目に遭って、どう感じて、今(取材当時)どう生きているのか、を率直に綴る。
このリアルに圧倒された。
被害の大小に関わらず、被害者たちの人生と生活は事件の前後で一変してしまった。それが痛々しく伝わってきた。
特に、こうしたイレギュラーな大事件は人が平時に信じている価値観や「軸」、大事にしているもの、アイデンティティを浮き彫りにするのだと感じた。事件の後、多くの被害者たちがより一層自分の生き様を考えて、それに偏るようになったと語っている。
そして「地下鉄サリン事件とは何か」という問題。
村上春樹はこれに対して、いずれこの大事件が単なる「狂気の集団によって起こされた異常な事件」「都市伝説的な犯罪ゴシップ」と見做されてしまうようになることに多大な危機感を持っていると書いている。
実際、事件の後に生まれた自分もこれに似たようなイメージを持っている。この2022年において、大多数の日本人がそうだと思う。村上春樹の懸念は当たったわけだ。
では村上春樹が分析する「地下鉄サリン事件とは何か」とは、「オウムの狂気は我々の中にも存在する」という事実である。
つまりオウムとは「自律的に目標を追求する意志を抑えつけるシステム(高度管理社会)への反抗」であり、これは誰しもがうちに抱えている問題だとするのだ。
この分析は傑出した洞察かと思う。実際、インタビューの中で「彼ら(オウム信者)の気持ちも分かるんです」という被害者もいた。
個人的にもこの分析は当たっていると思う。自分の中にも社会に反抗して自律的パワープロセスを追求したい気持ちはあるが、それに見て見ぬ振りをして上手く社会に溶け込んでいる。多かれ少なかれ人はそうした感情を持っているのではないか。
麻原彰晃は人のこうした感情を非常に上手く焚き付けて、魅惑的でシンプルなストーリーを説くことで信者を獲得していった。信者は麻原についていくことで自尊心を満たし、代わりに自我という対価を渡した。
「地下鉄サリン事件」は正義と悪の単純な二項対立ではなく、我々の内にも存在する負の感情の表出である。それを理解しなければ、今後第二のオウム、地下鉄サリン事件が出てくるだろう。
今からでも学べることはあるのではないか?
Posted by ブクログ
面白いとか、好きではないのだけど、この地下鉄サリン事件の被害者62人にインタビューし、事件の一側面からの生の記録を残したことがまずすごいと思った。元気がないとなかなか読めない本。
インタビューはとても読みやすかったけど村上春樹本人のとこは、読みづらかったかな。
でも、読んで残る本。数でまとめられてしまう出来事の先に一人一人の人間がいるということ、そして、それぞれの人の性質やほんのひとえの行動が生死や、軽症・重症をわけること、この事件がどういうものだったかなど色々考えさせられた
まだ50%しか読んでいませんが、信州大学病院長へのインタビューは是非一読頂きたいと思います。
地下鉄以前の松本事件での医療経験を、ご自身の判断で直接東京の医療現場へFAXで情報提供を指示したことが人命救助に繋がった事実。
偶然にも事件当日は、大学の卒業式のため予定を空けていた、松本事件の医療論文出版日で資料が手元にあった必然。
また、通常なら然るべき機関を通して情報提供する所を直接情報提供する判断に至ったのは、その卒業式に卒業証書を授与される女生徒が松本事件で亡くなっており心するところがあったとのこと。
最後の一文、涙が零れました・・・。
あの時のこと。
20数年前に起きた、あの事件の被害者達の記録。
普通に生活していた人たちに降り掛かったことが当時の言葉で語られています。
週刊誌とかで数人の被害者の話が載ることはあるけど、ここまでまとまっているのはないかな。
あの時のことを忘れないための1冊。
Posted by ブクログ
村上春樹を刊行順に読むプロジェクトにおいては、「ねじまき鳥クロニクル」の次は「スプートニクの恋人」だったのだが、「村上春樹、河合隼雄に会いに行く」を読んだら、一個飛ばして先にこっちを読みたくて仕方なくなって、手に取った。
地下鉄サリン事件のことはもちろん知っていたし、子どものとき、クラスでは「しょーこーしょーこーしょこしょこしょーこー♪」の歌をみんなで歌ったりもしていた。でももちろん、自分からは遠いものだった。というか、それに対してなんか分かるそぶりでも見せようものなら自分もこの社会の枠の線の外に追いやられるような感じのもの。それがオウム真理教で、地下鉄サリン事件はその人たちが起こしたものだった。禍々しいものという感じだった。
読んでみると、知っていたはずだったのに、驚くほど自分が普段使っている路線で起きたことなのだと実感されて、すごく怖くなった。
丸の内線も、日比谷線も、千代田線も。ほとんど毎日のように使う。時が違えば、自分も自分の同僚たちも、巻き込まれていた可能性があること。
最初は快調に読んでいたのだけど、中ごろあたりから、リアルの自分が落ち込みはじめているのを感じた。わけもなく悲しく、イライラするようになった。眠って体力を回復してまた読んで落ち込んで、眠って…というのを繰り返して読み切った感じだった。そこまでして読まなくてもいいんじゃないかとも思ったけど、なぜか、誰一人の物語も余すことなく読み切らねば、受け止めねばと思った。特に最後の二組のもの。両方とも亡くなった被害者のご遺族へのインタビューのまとめ。亡くなったということもあるのだと思うけど、読んでいてすごく辛かった。涙も出てきた。
Posted by ブクログ
地下鉄サリン事件において、大小さまざまなサリン被害を受けた62人もの人々へのインタビュー記録。
村上春樹はどうもノルウェイの森のイメージで(ほかに何冊か読んだ気もするんだけど)「元祖やれやれ系」というか、なぜか女にモテるし、なぜか女を抱いてるし、なんかすぐ勃起してるし、みたいなイメージがあったんだけど、このルポ本ではとても真摯にインタビューしている様子が垣間見えて、純粋にすごいなと思った。被害者を傷つけないように……と意識しながらも、結局は自分は「安全地帯」から来た人間で、そのことによって不用意に傷つけてしまったかもしれない、と思った。的なことをあとがきに書いており、そうだよね~~……と思った。しかしその後続けて書いていた通り、「だから触れない」では、後世に何も残らないし、そこで話が終わってしまう。地下鉄サリン事件のリアルな側面を知る上でとても重要な本になっているのではないかと思った。当時の報道を知らないので、実際の報道がどれだけ脚色されていたのか、偏向的な報道がなされていたのか、というのは自分はわからないけれども。
以下、思ったこと。
・1995年は自分にとっては割と「結構な昔」という印象なんだけど、女性活躍的な意味では結構進んでいるのか……?と思った。一般職/総合職てきな分けはあったと思うし、子どもができれば専業主婦になった人は多かったんだろうけど、思ったよりバリバリ働いている女性が多い印象。「今の女性は強いので痴漢されても『やめてください』と言います」みたいなところで、景気が良かった時代を経た後特有の力強さみたいなものをなんとなく感じた。まあ今もそういう人はいると思うんだけど。自分のあの時代の女性のイメージ像はもう少し大人しい感じだったのかもしれない。
・1時間半とか2時間とか掛けて通勤している人の多いことよ!東京大変すぎる。「僕の稼ぎでは遠い家しか買えなかったのです」的なコメントが多かった。それでもなんとかマイホームを持たねばならんのか。大変だ。昔は分譲マンションより一軒家、って感じだったのかも。そもそもマンションないのかな?
・なんていうかなー。登場人物全体から、「大人としての社会的責任」みたいなものを感じた。子どもがいて家庭のある人が多いからなのかなあ。独身でも、年齢を重ねれば自然に備わっていくものなのかなあ。わからないけど、自分の損得や立場や安全を差し引いても他者を救わねば!という気持ち、これを持てる人は大人だな……と思った。駅員さんは職業上そういう行動をせねばならないことはよくわかるけど、自分が駅員さんだったら同じだけ勇敢な行動ができるだろうか。そして、割を食うのはいつも下っ端で、上の人はちっとも身を傷めない、というの、本当にそうだよね。どうしたら変わるんだろうね、こういう体制って。結局、守るべき者を持たない人(=責任を持てない人)は真に大人にはなれないのではないかという、絶望的な気持ちが心の中で首をもたげている。
・逆に、立派な人ばかりで、「おれはまあどうでもいいっすね」的なプータローが一人もいない印象だったのが……ちょっと作為的なものを感じたようなきもするけど、ある意味こういうところでインタビューを引き受けるというのも「社会的責任」的な視点によるものと言えるのかもしれない。
・妊娠中に旦那さんを亡くした女の人、本当にかわいそうだったなあ。怖いニョ。それはさておき、自分は「私この人と結婚するかも」的なことを感じたことがない。
・「まあ周りが暗いけどとりあえず会社行くか……」「牛乳買うか……」って、正常性バイアス的なこと?と思って読んでたけど、「それはさておき頑張りすぎじゃない!?」みたいな事例もあり、すごかった。とはいえやはり24時間戦えますか的なことではなく、「会社に行く」という普段通りの行動を通して落ち着きたい、平常に戻りたい的な気持ちが働いたんじゃないのかなと思った。まあでもフラフラで歩いていて2次被害(倒れて頭を打った、車に轢かれたとか)がなくてよかった。単にそういう人はここに来れていないだけかもしれないけど……
とにかく、物凄く内容の濃い本だった。あとサリンにめちゃくちゃ詳しくなった感じがする。700p超の本を読むのは初めてだったけど、割とするする読めた。ルポ好きな人にぜひおすすめしたい。
Posted by ブクログ
今まで名前しか知らなかった地下鉄サリン事件。
その場に居たかのように感じさせてくれるしっかりとしたインタビュー。本当に恐ろしい事件だし、人間としての心理的反動が浮き彫りになっていて本当に興味深い。
Posted by ブクログ
村上春樹、海辺のカフカ以来かな。誰かが勧めてたところに古本見つけて読んでみた。
地下鉄サリン事件の被害者のインタビュー集、やねんけど、インタビュイーの人となりを紹介する地の文とか、インタビュー内でも事件の話に入る前の仕事や生活について語ってる部分の方がおもしろかったり。
あと、内容と関係ないねんけど、1999年の文庫初版本が今でも普通に読めるんよね。電子書籍とかサイトなりデバイスの都合で読めへんようになることもあるらしいけど。結局紙の本なのよ。古いんやろうけど。
Posted by ブクログ
地下鉄サリンって響きだけは知っていて、けど何にも知らなくて、被害者のことを取材した本って珍しいし、なにか新しい感情を持てそうって軽い気持ちで読み始めた。
自分には被害を受けた人の気持ちはきっとわからないけれど、心にずっしりときた。
オウムへの得体の知れない嫌悪感は強く感じつつも、一歩間違えたら宗教的なものって身近に潜んでいそうで、飲み込まれそうな恐怖も感じた。
Posted by ブクログ
全777ページと膨大ではあるが、インタビューをまとめたものなので読みやすく、サクサク読むことができる。千代田線でばら撒かれたサリンの掃除をして亡くなってしまった方だったり、ほぼ植物状態だった女性などは衝撃だった。
また、症状が出てくるのが遅く、なんとか同僚らと出会うことを期待してバス停まで行き女性社員と会うも事件のことは知らず貧血か何かだと思われていたが、偶然にも地下鉄事件を知っている男性社員が通りかかり、救急車を呼ぼうにも手が回らないということでタクシーで病院へ行き、事なきを得たという話が、その偶然通りかかり男性視点と、助けられた男性視点があって印象的だった。p397〜418
全編通して読んでみると、今も後遺症に悩まされて仕事もままならず苦痛を訴える人もいる一方で、運悪くサリン事件に巻き込まれて入院までしたし夜間の標識が見えずらくなったなどあるが、当事者というより経験者といった形でそれほど重く受け止めていない人もおり、もちろん同じ被害者としても事件当時に立っていた/座っていた場所やその後の行動などで差は大きいが、こうゆうところがやはり色んな人間の話を聞く面白いところだと思った。
いずれも、汗や涙が出てきて、吐き出すのが苦しい感じで呼吸が荒くなる。1番印象的なのが視界が暗くなるということ。全く見えないわけではなく、電気がずっと消えているようだ、と結構な人が言っていて、実に不思議な症状だと思った。
たまたまそのタイミングでその場所にいたばかりに被害に遭い、非常に理不尽ではあるが、日常と死の狭間の狭さを感じた。
それぞれどうゆう人間なのかの説明として、どんな仕事をしていて、どこら辺に住んでいて、そこから通勤時間はこのくらいで、サリン事件の日はこうゆう予定があって居合わせたんですよ〜というような語りがあり、サリン事件とは別にして、色んな職業人の通勤事情なども知れて面白かった。
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インタビューはもちろん、最後の「目じるしのない悪夢」まで読み応えのある作品だった。
特に和田さんの話、明石さんの話から、「平和」、大事な人がいることの大切さを強く感じた。そして
一番危険であるのは、誰かに己の思想を任せることだ。村上自身の言葉で言えば、自律的パワープロセスは自分自身のものか、確かめる必要がある。
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読む前はページ数と二段組の構成に怖気をなしていたが、さすが村上春樹、非常に読みやすい文章。しかし本書は地下鉄サリン事件について「こうだからこうです」とわかりやすい結論や正解を与えてくれる本ではない。62人へのインタビューを通し、善良な市民と異常なカルト教団という二分化に走ってしまう私たちの認識が本当に正しい見方なのか、という揺らぎを与えてくれる内容。社会には本当にたくさんの人々がいて、それぞれの人生があり、色々な痛みを抱えているんだということに実感を持つことができたし、とても意味のある一冊だったと思います。あとは時代もあるのか、ラッシュアワーの地下鉄に乗る人々だからなのか、とにかく仕事を頑張る人たちが多いのが印象的だった。今も同じように仕事を頑張り、毎日きつい満員電車で会社と家の行き来をする人々(本当にすごい)はたくさん居るけれど、時代として「まあ仕事はそこそこで自由な時間を楽しみたいよね」という価値観も重視されている現代とはまた違った雰囲気があるというか……。こういった人々や社会全体の空気感によってこの国は発展してきたんだろうなとも思う。その変化が良いのか悪いのかはわからない。
Posted by ブクログ
転職してもうすぐ一年が経とうとする頃、職場の最寄駅に突然黒服の集団が等間隔で立っている。
まさにそこが地下鉄サリン事件の舞台であった。
物心つく前に起きた事件だったため、名前は知っていたけれど何が起きたかは全く知らなかった。普段何気なく歩いていた駅構内がまさにその場所であったと知った瞬間、この本を読むために自然と書店に足を運んでいた。
想像以上の解像度で何が起きたか知ることができた。事件に遭う遭わないの命運はいくつかの偶然が重なって別れたように思えるし、生死を分けたのも運であった気もする。(袋を破った近くに居合わせたかどうか、風上が風下か、偶然バスが遅れていつもより遅い電車に乗ったなど)
ただこの事件を企む者がいなければ被害者の日常は暴力的に奪われることはなかったと思うと彼らが信じていたものは何だったのか、虚しい気持ちにもなる。
Posted by ブクログ
65冊目『アンダーグラウンド』(村上春樹 著、1999年2月、講談社)
1995年3月20日。カルト宗教団体「オウム真理教」は東京都の地下鉄構内でサリンを散布するという、未曾有のバイオテロを行った。俗に言う「地下鉄サリン事件」である。
本書は村上春樹がその事件の被害者、および被害者遺族にインタビューを行い、その証言を纏めたノンフィクションである。
証言者の数は60人以上。750頁を超える大ボリュームの一冊である。
〈一九九五年三月二〇日の朝に、東京の地下でほんとうに何が起こったのか?〉
Posted by ブクログ
全800ページ弱の地下鉄サリン事件の
被害者及び専門家のインタビュー記録。
村上春樹に対して苦手意識があったけど、
事件と真摯に向き合っておられ、
その分、パワーをつぎ込んで読んだので
読破に半月ほどかかりました。
実行犯や幹部のインタビューもあれば
よかったです。
毛色の異なる村上作品
常日頃から村上作品を愛読する者として、毛色の異なる作品だと感じた。
極めて現実的な内容で、シビアで、淡々としたルポルタージュ。
あまりにシビアな部分を読んでいるうちに、本来の村上作品を超えるような幻想性を感じさえする。
しかし、面白かった。
それにしても、地下鉄サリン事件には戦慄を覚える。
Posted by ブクログ
最近、電車内での事件が立て続けに起きていたので、ふと地下鉄サリン事件を思い出し、この本を手に取った。村上春樹が地下鉄サリン事件に遭遇した方々へインタビューをした内容がまとめられており、事件のリアルを知ることができる。
自分がもしそのような事件に遭遇したら、どんな行動を取るだろうか。いつもと違う駅でおりるのか、人を助けるのか、それとも会社に直行するのか。ちょっとした行動の違いが生死を分ける。自分の直感と五感を大切にして日々過ごさなければと思う。
Posted by ブクログ
1995年3月20日に(昨日がちょうど事件から19年目でした)
オウム真理教による地下鉄サリン事件が東京で発生しました。
死者は13人、被害者は6300人(本書には3800人)にものぼりました。
事件当時僕は17歳で、教室で1時限目か2時限目の生物の授業の時に、
教室に入ってきた先生が興奮しながら「ひどい事件が起こった」
といって、結局授業にならなかったことを覚えています。
そのくらい、インパクトの大きな事件で、その後もしばらく
世間はこの事件とそしてオウム真理教に関する報道にくぎ付けになりました。
本書は小説家・村上春樹さんが初めて手掛けたノンフィクションで、
彼がインタビュアーとなって、62人の被害者や関係者に事件のことを
語ってもらった、777ページに及ぶ大作です。
その日、何が本当に起こったのか。
事件の当時、地下鉄駅構内や周辺では具体的にどうだったのかは、
事件後マスメディアからは語られなかったようです。
語られるのは、正義の「こちら側」から断罪するように分析され糾弾される
悪の「あちら側」すなわちオウム真理教だったようです。
つまり、「こちら側」と「あちら側」を対立させ、相互流通性を欠いたかたちで
一方的に「あちら側」を責め立てる論調があったようです。
しかし、そこで著者はあとがき的なところでこう述べています。
「あちら側」の論理やシステムを徹底的に追求し分析するだけでは
物足りないのではないか、もちろんそれは大事で有益なことだが、
それと同じ作業を同時に「こちら側」の論理とシステムに対しても
平行に行っていくことが必要ではあるまいか、と。
このあたりについて「どうして?」と思う人は、本書を手に取ってみてください。
62人のインタビュイー(語り手)から語られることは、
たとえば同じ地下鉄を利用した人ならば状況は一緒なのですが、
そのときの対処の方法、感じたことや考えたことは十人十色で違います。
そして、その違うそれぞれの体験によって、事件当時の様子が多角的で
部分的にわかるようになっています。
インタビュイーの方々は、たぶん警察の事情聴取を受けておられるでしょうから、
語る内容が整っていて、対象化されていますが、
それは、もしかすると、書き起こし文の編集をした著者によってそう読みやすく
されたところが大きいのかもしれないです。
意外に思われるかもしれないですし、不謹慎とさえ誤解されるかもしれないですが、
インタビュイーのひとたちの人生を交えて語っていることが多いのですごく興味深く、
面白かったりします。笑えるようなことを言ってる人もいる。
こういう人もいるんだなぁ、大変な仕事をされているなぁ、
だとか、そういう感想を持ちながら読むことになります。
そうはいっても、そのインタビューの大部分であるところは事件の体験なので、
ぐっと気を引き締めたりしながら読む場面もあるのですが。
それだけ、本書は被害者の人生の一場面としての事件であり、
その大きさを語っているでしょう。
被害による「縮瞳」という症状、
後遺症とみられるような健忘の症状や疲労のしやすさというものが
多く告白されていました。
それで、ここが一つの問題なのですが、
サリンを撒いた犯行そのものによる被害と、
その後の社会の無理解からの被害がこの事件にはあると言われていました。
「もう時間がたっているんだから事件の被害のことは言うな」というような空気、圧力ですとか、
「あの人はサリン被害者だ」という差別があったようです。
それはどうなんだ、と思いますよね。
現代人の冷たさです。
原爆被爆者を差別するというのもありましたが、
サリン被害者もはみ出し者扱いをするムラ社会がこの日本の社会なのでしょう。
なので、本書でも、仮名でインタビューを受けておられる方が多くいらっしゃったようです。
安心社会とは、はみ出し者を無視したり迫害したりする排他的な性格を持っています。
それを信頼社会に移行していこうとする考えももちろんあって、その方が良いよなぁと、
僕もなんとなく考えていたりします。
信頼が裏切られた場合に機能する法律、
一定の道徳感覚・倫理感覚が社会全般で共有されているという信頼の前提があってこそ
「ムラ社会(安心社会)」後の「信頼の社会」は機能するのでしょう。
とまぁ、いろいろと考えさせられます。
オウム真理教の問題は、いまなおはっきりしない部分もあります。
そんななかで、事件を風化させないための力をもった本です。
あとがき的な部分はちょっと難しめですが、
「物語」が必要だ、などと語られる論説に繋がったものですので、
そういう知識や経験がある人はわかると思います。
Posted by ブクログ
いやあ、長かった。実に長い。
一部例外がありますが、ほぼ上下二段組みで合計777ページ。
あの村上春樹氏が、オウムの地下鉄サリン事件の被害者からのインタビューをまとめたもの。
・・・
だからジャンルで言えば、ノンフィクション? かと思うじゃないですか。
ただ、そこはかとなく村上氏のエッセンスがブレンドするのです。だから、やっぱりこれは村上文学なんだろうな、と感じます。
・・・
繰り返しになりますが、内容といえば、62人の被害関係者へのインタビューがただただ掲載されているものです。
上で村上氏のエッセンス云々いっていますが、各インタビューの前に見開きでその方の略歴、村上氏の抱いた印象がデッサンのごとく粗く表現されています。
ごく短い、本当にざっくりとした印象であろうかとは思いますが、この1-2ページが各インタビューの冒頭で待ち構えることで、やはりそれ以降のインタビューの印象は村上氏のそれに引きずられると思います。
まあ別にこれは悪いことでもなんでもなく、そういう作品、ということだと思います。村上氏の直観的描写も、取り立てて悪意を持って書かかれているようにも見えませんし、むしろ暖かいと感じました。
・・・
そして、いつ間にか、読中の印象は『ナショナルストーリープロジェクト』のような、日常に潜む不思議な体験を綴るかのような風合いを感じるようになりました。私はね。
故に、いろんな人がいて、事件に遭った。大変な方もいますが、多くのかたは従容として受け入れているように読めました。実に皆さん悟るかのように生きているなあ、という印象すら持ちました。もちろん、怒り狂っているような方も当然いらっしゃるのですが、ただ大半は事実をフラットに受け止めているように見えました。
もちろん、インタビュイーはほんの氷山の一角。
こんな話はしたくないし、聞きたくもないという被害者も居ると思います。そういう方にとっては、作中の大半の方のような従容とした態度が、あるいはその表現が、なにやら不謹慎だと思うかたもいらっしゃるかもしれない、と少し心配になりました。
批判を避けるためというわけでもないのですが、やはりこれは村上氏の文学のひとつ、直球のノンフィクションとは違う、と捉えたほうが良いと思いました。
・・・
ということで、村上氏の『アンダーグラウンド』でした。
これも実に約30年前の作品となります。当時の狂騒を思い出します。あれから日本は良い方向に変わったのかなあ。
かつて「事件を総括するべき」「何だったかを振り返るべき」などと叫ばれた気もしますが、あれから考えることもなく、振り返ることもなく、事件は時の波にのまれつつ風化しただけに感じます。
またぞろ同じような事件が起きないといいな、と祈るばかりであります。
Posted by ブクログ
残念だったのは著者自身が総括する最後の章「目じるしのない悪夢」も殆ど共感を感じなかった事。
オウム真理教、地下鉄サリン事件の被害者インタビューレポート。読んだことあったが、だいぶ前の話だし、不思議に読んでみようと思い手に取る(寝る前に読む本が欲しかったからかもしれない)
事件のレポートとしては大変貴重な情報で、よくまあこんなに多くの方にインタビューをして文字を起こしたなと思う。
作者にとっては、自身の興味、伝える使命、成長になった本だとは思う。
村上春樹を読みたいと思って読む本では無い。
私も当日のニュースをテレビで見て驚いた記憶もあり、今回2度目読書をしたが読み終わった後でも、他人事感は払拭できない。
それでも何か自分の中に残るものを探してみる。
・明日自分の身にも起こるかもしれない。毒ガステロの可能性を認識
・(何度か文章中に見たが)警察は動いてくれない
・最近は聞かなくなったが、宗教を盲信している人の存在
Posted by ブクログ
事件が起きた頃はまだ小さかったので、オウム真理教が起こした事件くらいの認識しかなかった。
被害に遭われた方のリアルな声をまとめておくというのは、とても貴重なことだと思う。
事件のことはもちろん、満員電車に毎日1,2時間乗る生活を送る人のことを考えさせられた。