岸見一郎のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
ネタバレ「不幸なラブストーリーが数多くあるのは、おそらく読者がそれを利用するために求められるからであろう」(『人はなぜ神経症になるのか』アドラー)
読者が利用するというのは一体どういう意味でしょう。
世の中には、恋愛や結婚を避けようとする人がいます。
もしも恋愛がたやすいものであり、失恋というようなつらい経験をすることが決してないのであれば、恋愛や結婚を避けなければならない理由はありません。
反対に、恋愛が困難なものであり、自分の思いは決して相手に伝わらないのであれば、恋愛などしないでおこうと決心する人がいても不思議ではありません。自分の気持ちを打ち明けなければ、そもそも人を好きにならなければ、失恋するというような痛い目にあわなくてすむからです。
しかし、理由もなく恋愛を避けることはできません。そのことを正当化してくれる理由が必要です。そのため、「愛はこんなものよ」と愛に対してシニカルになる人がいます(前掲書)。斜に構え、人を好きになることなど恥ずかしいことだと考える人です。
このような人は、おそらく過去に失恋するなどして痛い目にあっているので、次にまた同じ目にあうことがないように愛から遠ざかろうとしているのです。しかし、恋愛がうまくいかなかったことが自分に何か問題があったからだとは思いたくないので、恋愛自体に価値がないといわなければならないのです。
そのようにいう人は、イソップ物語に出てくる狐のようです。お腹をすかせた狐は、支柱から垂れ下がった葡萄の房を見つけて、取ってやろうと考えました。しかし、葡萄が高いところにあるため届かず、手に入れることができません。結局諦めた狐は立ち去り際に、こう独り言をいいました。
「あの葡萄はまだ熟れてない」(『イソップ童話集』)
不幸なラブストーリーも、同じ目的のために使われます。読者が「不幸なラブストーリーを利用する」とアドラーがいっているのは、愛や結婚に対して消極的であることを正当化するために利用するということです。
そのような人は、不幸なストーリーを好みます。恋愛を避けようとするためには、恋愛を困難なものだと見なければならないからです。
恋愛が実際に困難なので恋愛を避けようとするのではありません。恋愛を避けるために恋愛は困難だと思わなければならないのです。人を愛さないという決心をするためには、幸福なラブストーリーでは駄目なのです。
ハッピーエンドの本や映画、ドラマはもちろんあります。しかし、ハッピーエンドの物語ではそれを読んだり観たりした後に、誰かと恋愛したいと思ってしまうかもしれません。しかし、実際、好きな人と出会って恋愛が現実になっても、本やドラマのような展開にはなりません。現実とフィクションとの違いに失望するかもしれません。
しかし、現実とかけ離れたシンデレラストーリーであれば話は別です。憧れる人もいるでしょう。そのような物語も実は不幸なラブストーリーと同じ理由で好まれているのです。
そこに描かれる理想的な男女の織りなすラブストーリーは、あまりに現実とはかけ離れているので、現実の生活で出会う人を恋愛や結婚の候補者から外すために好まれるのです、そうするには、「ロマンティックで理想的な、あるいは、手に入れられない愛」(アドラー『人生の意味の心理学』)を創り出せばいいのです。
フロムは、愛は自然なものではなく技術であるといいますが、アドラーは、愛を「ライフスタイル」の観点から見ます。
相手が変わっても同じような失敗をするのは、誰と恋愛するかではなく、自分のライフスタイルに問題があるからです。
ライフスタイルというのは、自分や他人、世界についての信念体系のことです。何か問題が生じた時に、「自分には能力があるから解決することができる」と考えるか、「自分には能力がないから解決できない」と考えるか。普段、自分以外の人間のことを「隙あらば自分を陥れようとする怖い人だ」と見ているか、「必要があれば自分を援助してくれる人だ」と見ているか。こういった思考の癖、世界の見方のことをアドラーはライフスタイルと呼びました。
これは普通には性格といわれるものであり、それとほぼ同義です。しかし、性格という言葉を使うと、生まれつきのもので変えにくいと思われるので、その言葉から連想されるようなものとは違うことを示すために、ライフスタイルという言葉をそのまま使います。
このライフスタイルは生まれつきのものではなく、自分で選んだものです。なぜこのようなことをいえるかというと、同じ親から生まれ、ほぼ同じ生育環境で育ったきょうだいの性格が同じにはならないからです。このことは子どもがライフスタイルを自分で選んだからだとしか説明できません。
自分で選んだのですから、その気になれば、ライフスタイルは、今この瞬間に変えることができます。しかし、なぜそうしないのかといえば、新しいライフスタイルを選ぶと、次の瞬間、何が起こるか予想できなくなるからです。
例えば、自分のことをよく知っている人が向こうから歩いてきたとします。知らない人ではありません。それどころか、その人にはかねてから好意を持っていて、いつか二人きりになれたら告白しようと思っていた人です。今、声をかけなければ、二度とこんな機会はないかもしれません。そう思うと、その人が近づくにつれて緊張が高まっていきます。
ところが、その人はすれ違いざまに目を逸らしました。自信がない人であれば、相手が目を逸らしたのを見ると、避けられたとか嫌われていると思うことでしょう。
こんなふうに思ってしまうことにはわけがあります。できれば自分の思いを伝え、お付き合いをしたいと思っていても、相手が自分の思いを受け入れてくれることなど到底ありえない、たとえ付き合えるようになってもよい関係を築けるか自信がないので、相手が自分を拒絶したという解釈をするのです。そのように解釈をして諦めれば、それ以上相手と関係が進展することはありません。それはつらいことではありますが、その人との関係が始まってから、うまくいかなくなり傷つくよりははるかにいいのです。
しかし、嫌われたとか、拒絶されたというのは、あくまで一つの解釈でしかありません。今の例で起こったことは、次のように解釈することもできます。
「きっと、あの人は私に好意を持っているから、私と目を合すのが恥ずかしかったのだ」
このように考えたら、次はその人にどうアプローチするかを考えなければなりません。しかし、これまでは先ほどのような仮定の世界を生きるライフスタイルでしか生きてこなかったので、どうしたらいいのかわかりません。
ライフスタイルは変えられないのではなく、「変えたくない」というのが本当です。ライフスタイルを変え、起こったことについて、今までとは違う見方をすれば次の一歩へ踏み出すことができますが、それはつまり未知の世界に踏み出すということです。それを恐れて、ライフスタイルを変えたくない、変えないでおこうと思うのです。
しかし、もし今のライフスタイルが恋愛を不幸なものにしているのであれば、ライフスタイルを変える勇気を持たなければなりません。
ライフスタイルを変えるためには、まず、ライフスタイルを変えないでおこうという不断の決心を止める必要があります。
しかし、それだけでは十分ではありません。ライフスタイルを変えるためには、どんなライフスタイルに変えるのかというイメージをはっきりと持つことが必要です。
自身を持つというのは、三木清の言葉を使うならば「自分を個性として理解すること」です。さらに三木は続けて「個性的な人間ほど嫉妬的ではない」といっています(『人生論ノート』)。
自分は自分であって、他の人と比べようがありません。
先にも見たように、失恋の苦しみは、私でなくてもよかったのだということを思い知らされることです。しかし、相手が他の誰にも代えることができない自分の「個性」を愛していると思えれば、嫉妬などしないですみますし、自信を持って接すれば、相手が他の人に気持ちを移すことはないでしょう。
それなのに、いつか愛されなくなるのではないかと恐れる人は、相手の気持ちが自分から少しでも離れていく徴候を見つけ出しては、強い態度に出て、相手を責めてしまうことがあります。そのようなことをすれば、いよいよ相手は離れていこうとするでしょう。相手が自分から離れていくことを望まないのであれば、嫉妬してはいけないのです。そのためにも自信を持つことが大切です。自信がない人は、相手が離れていけば、やはり自分は愛されないのだと妙に納得してしまいます。
自信を持つためには、自分の個性をまず自分が認め、それを受け入れることが出発点です。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ講演の内容を書籍にしたものということでした。アドラーの基本から、生活での取り入れ方まで幅広くカバーしていたように思います。自分を好きになると社交しようという勇気が出るということは納得でしたが、
自分が嫌いでも社交的を装って、苦しいけれども人間関係をなんとかうまくやっているタイプについても教えてほしいです。
また、子育ての事例が多く、たいへん興味深かったのですが、子どもと対等でいることで弊害はないのか心配になりました。私の考えが、古い考えなのかもしれません。
ただ、著者は単なるアドラー信者ではなく、アドラーが言っているから正しいのではないと認めているので、バランスの取れた視点で書かれているところに好感を持ちました。
著者にカウンセリングしてもらいたいです(笑) -
Posted by ブクログ
これは,「勝っている」時に読んでも,きっと響かないでしょう.
「負けている」と感じている時に読んでも,これまた受け入れるのは難しいかもしれません.
そして,個人的なタイミングとしては
「本当に下がり切ってる時は,どんな内容も上滑りしてしまうのだな」と.
と言うワケで・・・
「普通」=「あるがまま」
とは,理解出来ても,その「あるがまま」すら分からなくなっている時,それはどうしたらいいんでしょうね?少なくとも,他人と比較して「なんとかしなきゃ」が間違いだって事は解るのですが…
しかし,だ・・・
「大切なものは何が与えられているかでは無く,与えられたものをどう使うかだ」
そして,「誰でも何でも出来る」
と言う発想は,極めて民主的に勇気を与えるようでいて,無批判にこの2つをくっつけると,これ,meritocracyそのものの発想なんだよな.
裕福であれば,教育へのアクセスは容易だし,より高い学力を身に付ける機会に恵まれるし,教育に熱心な親の下に生まれるか否かもこれは「運」でしかない.
この実力とは全く違うところで降りかかる「運」に目を瞑っていては物事の本質を見失うだろう.単なる「運」による底上げまで「実力」だなんて,そんな傲慢を認める訳にはいかない.
さて,いつもならスッとこころに入ってくるアドラーの,岸見先生の言葉だけど,今回は「ちょっと,社会学的に危ういぞ」と. -
Posted by ブクログ
嫌われる勇気の岸見一郎氏だ〜と思い、なんとなく手にして読んでみました。アドラー心理学の本という感じではなく、アドラーの生涯を振り返りながら、どのようにしてアドラー心理学の思考に辿り着いたのかを紹介するという非常にマニアックな本でした。
僕は、そもそもアドラー心理学自体をそこまでしっかりと理解できていないので、この本がどこまで理解できたかというと、正直あまり理解できていないです。
でも、アドラーが全ての問題は過去に原因があるのではなく、目的(未来)にあるという考え方はとても良いなと思います。過去は変えることができないけれど、目的などの考え方は変えることができるので、励まされます。
また、私たちに必要なのは勇気だという。アドラーの言う勇気がイマイチよく理解できないところがあるのですが、自分が価値ある人間だと思えることが勇気の始まりであると言う考えもとても好きでした。
まだ理解度は30%くらいだと思いますが、アドラー心理学は今の時代のリーダーシップにおいても大事だと思っているのでまた勉強したいと思います。 -
Posted by ブクログ
嫌われる勇気からのアドラー心理学入門。幸せになる事は難しいことではない。世界はシンプルだ。これらについてより深く考える機会になったし、目的論にそえば納得いくものだった。
嫌われる勇気で私の課題だった「横の関係」について、本書では事例のみで薄く書かれていたため横の関係を築くための3要件、自己受容、他者信頼、他者貢献のうち、他者信頼に関して''無条件での信用が必要"とまでは読めなかった。どちらかというと教育、育児の場面を想定してる事例だからなのだろうか、本書で言われる他者信頼に違和感はない。
時系列でいくと嫌われる勇気の方が後なので、そういう事(無条件の信用=他者信頼)なのだとすると、やはり難しい。。。
それと、思いやり、これの理解が今一つ腑に落ちない。コミュニケーションは言葉が全てだから、思いやりのある行動は理想ではあるが、すれ違ったときのダメージが甚大なのだと。そりゃそうなんだけど、、、慮ってそっと手を差しのべることが、他者の課題に踏み込むことになるのだそう。
それはあなたには出来ないでしょと、下に見てるのだと言うのだ。。他者貢献との兼ね合いが難しい。
差し伸べてみて、必要なければ引いてみることで、つまりコミュニケーションを取る必要があるって事なのかもしれない。
アドラー心理学の基礎理論
全体としての私があることをする…そしてある行為を選択する時点でその行為の責任は私にある。
善く生きることは責任を引き受ける事だ。
ギリシャ語で、善いとは「ためになる」の意。悪いとは「ためにならない」の意
哲学者でもある岸見先生はソクラテス、プラトン、アリストテレスを引いて目的論についてアドラーとの共通点を見出し説明する。
善く生きるとは自分のために生きること。
悪く生きるとは自分のためにならないように生きること。と解釈した。
そうすると「誰一人として悪を欲する人はいない」のソクラテスのパラドクスは、誰でも幸福であることを望んでいると解釈できる。
自由には責任がともなう。篠田桃紅さんの「これでおしまい」で「自由というのは、気ままにやりたい放題にすることではなく、自分というものを立てて、自分の責任で自分を生かしていくこと。」でハッとさせられたのを思い出した。
アドラー心理学について理解が深まったので、幸せになる勇気も手元にあるが、積んでおこうと思う
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Posted by ブクログ
個人的には結構当たり前のことが書いてあって、あまり刺さり切らず。
最終章は、当たり前だけど言語化するのが難しいことをきちんと書いてくれていてとても良かった。結局「言語化までできるか」どうかは「考えてるだけ」からちょっと差別化されそう。
趣味が健康を自称しているが、俺と真逆の人間が「ほんとうに健康な人間」と書かれていて笑った。気をつけます。
「その病気のゆえに、少しでも身体に異常を感じたら、診察を受け、問題があれば、手遅れになる前に、必要な措置をとることができるだろう。こうして、病気であっても、身体からの呼びかけに反応する人は、ヴァン・デン・ベルクが逆説的にいうように、「ほんとうに健康な人間」(『病床の心理学』)になり得るのである。」P164
本書で出てきた、自省録より引用の良いフレーズ
「自分自身の魂の中よりも静謐で煩わしいものが少ない場所はない」P150 -
Posted by ブクログ
ネタバレ良く「思われる」ことを急き立てられる制度で構築される社会で、
良く「ある」ことに集中するのは難しいなーと思う。
自分をどう印象付けようか、としているか、
それがすべで悪いというわけではない気がするけれど、
印象だけ、ではないこともときに忘れさせられるぐらい、なかなか強固なシステムができていたりもする。
ほんとうは…だ。というのは意味がない。
過去に…した。という過ぎ去った成功体験や成績も、今の自分の本質ではなくて、付属物だと。
人と生きている以上、どうにか自分が信頼できるものだと印象付けないと始まらない、と思ってしまう。
結果を出していくこと、今に真摯に取り組むこと、それは大事だとわかるけれど、
やっぱ人に何かを託すときはその人の過去の実績を見る、
まあそういうことも多々あるけれども、
確かに現在進行中のものも、自信をもてるのが理想だなー…。
まあ、いろいろな不安はあるが、それが何かに挑戦することへのブレーキにならないように、というここと。
なにより、競争から降りることが強調されていた。
競争したくなくてもしてしまう、だからこういう本を読み続けているのかもしれない。 -
Posted by ブクログ
講演録という作りだと、ちょっともったいないかも
アドラー心理学研究の第一人者で、大ベストセラー『嫌われる勇気』で有名な岸見一郎さんの新刊です。親からの期待や、社会からの同調圧力など、無意識に依存と支配を受け入れてしまっていないか自分を見つめ直し、自分の人生のリーダーになろうというメッセージがこめられた講演録です。
講演録ということもあり、易しい言葉でとてもシンプルな文体です。しかしシンプルな話し言葉がすぎて、接続詞が不足してるような気が。「だから」「しかし」「ただ」とかが抜けたような文章で、前の文とのつながりがやや不自然に感じられてしまいました。だからメッセージがストンと落ちてこず、ちょっともったいないです。お笑いコンビかまいたちのコントの有名なセリフ「もし俺が謝ってこられてきてたとしたら絶対に認められてたと思うか?」のようなこんがらかった表現もあり、混乱を誘います。
それでも心に響く箇所ももちろんありました。トラウマというものは存在しない、過去を理由にして自分を守っているにすぎないという、アドラー心理学の基本である”原因論の否定”を紹介しつつ、ときにはアドラーと反対の位置に立ち、岸見さん自身の体験から得た知見も伝えています。
「どうにかなるだろうという”楽天主義”も、どうにもならないという”悲観主義”も、どちらも積極的なアクションをおこさない。実現しないこともあるが、できることをやるという”楽観主義”で生きるべき」
「真剣に生きるからこそ人生は楽しめるが、真剣でなく深刻になってしまうと問題から抜け出せないまま」
「決断の時、aとbの選択肢で”迷う”ことはOKだけど、”悩む”ことはいけない。それは決断を先延ばしいているだけ」
「誰も1人では生きられない、という意味において、他者は根源的に味方である(アドラーの”共同体感覚”)」
「甘やかしとは、頼まれもしないことをすること」
「他人にリードされるがままでいることで、自分の人生の責任から逃れようとしないこと」
「勇気を持って、自分自身のリーダーになれると信じなければならない」
これらのメッセージはわたしにとって有益なものだと思いました。
ただ岸見さんは、意地悪な言い方ですが人がいいのかもしれません。ひねくれているわたしには芯に響き切らない部分がありました。岸見さんはカウンセラーをされていたのですが、症例は守秘義務により紹介できないとのことなので、岸見さん自身の体験談はお子さんとのものが多くなるのですが、なんだかんだ最終的にはうまくいった体験談が多い印象です。そりゃ岸見さんはうまくいっただろうけど、いざ自分はどうだろう?という考えが頭の隅に残るのです。「とにかく相手を信じてあげてください」とありますが、あまりにも理想論ではないかと思えてしまいました。もし岸見さんに人間関係における失敗談があって、失敗から学びを得たことがあるのなら、それこそが心に届く説得力を持ち得ると思うのですが。もし失敗が一切ないということであれば、それはそれで一番説得力があるという証明だけども。「自分の論旨には、こんなツッコミを入れられるかもしれない、でもそんな人にはこう諭してあげよう」という、岸見さんがわたしたち読者の一歩先を読んでいるような、もう一歩おし進めた考えを知りたかった。ただの理想論じゃないんだという強い説得力が欲しかったというのが本音です。
アドラー心理学をもとにした岸見さんの自己啓発系の本は、それこそ『嫌われる勇気』や他の著作がありますから、わざわざこの本でなくてもいいのかな、と思います。お子さんとの関係に悩んでいる人には向いているかもしれません。