上野千鶴子のレビュー一覧
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上野千鶴子さんと鈴木涼美さんがお互いにリスペクトを持って手紙を書いているのがすごく伝わる。
2人の対談はそれぞれのパーソナルな部分をえぐるものだけれど、真摯なやりとりが成立していることに感動する。
内容として印象的だったのは、「被害者」と呼ばれたくない、「弱者」であることがガマンできない、ウィークネス・フォビアの話。
上野さんの「ご自分の傷に向きあいなさい。痛いものは痛い、とおっしゃい。ひとの尊厳はそこから始まります。自分に正直であること、自分をごまかさないこと。その自分の経験や感覚を信じ尊重できない人間が、他人の経験や感覚を信じ尊重できるわけがないのです(それを前便でわたしは「『被害者』を名のることは、弱さの証ではなく、強さの証」と書きました)。」という言葉が、自分にも響いた。
そして、鈴木さんの「構造自体を疑う」ということと、「とりあえず今の現実で傷つかないよう対処する」ということを、「しっかりバランスよく両方やらなくてはいけない」というのもよくわかる。
「エロス資本」「母と娘」「恋愛とセックス」「結婚」…と対談テーマが12個もあるので、刺さる部分、考えさせられる部分がきっと読む人それぞれにあると思う。 -
Posted by ブクログ
組織でルールを決める立場の方や経営陣には、一度読んでみてほしい一冊だった。
本書には恋愛や家族、女性同士の関係など様々な論点があるが、自分は特に職場や組織における男女の扱われ方について考えさせられた。
本書で描かれるような露骨な差別や周縁化は、少なくとも自分の周囲ではあまり見ない。一方で、現代のコンプライアンス意識の高まりの中で、別の形の不均衡は生まれているように感じる。
読んでいて印象に残ったのは、差別や不均衡は単純な「抑圧/被抑圧」だけではなく、配慮や保護の形でも現れるということ。性別を意識しすぎることで、関わり方や期待のかけ方に差が生まれ、それがまた別の不均衡につながっているようにも思える。
そもそも「女性」「男性」という大きなカテゴリで人を捉えること自体が、もう現実に合わなくなってきているのかもしれない。本来は仕事をする上で制度や扱いは公平で、その上で必要な配慮があるなら個人に対して行われるべきなのだろう。
書かれた当時からさらに時間が経ち、今の社会との違いを考えながら読めたのも面白かった。
さて、自分はこれからどうするか。簡単には答えの出ない読後感が残った。 -
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最期まで「自分らしく」あるために。プロの視点からも勇気をもらえる一冊。
長く介護の現場に関わってきた一人として、
この本が提示する「ひとり死」の形には、
驚きとともに深い納得感がありました。
「孤独死」という言葉には、どこか悲惨なイメージがつきまといます。
しかし著者の上野さんは、住み慣れた家で、
自分のペースを守りながら最期を迎えることを、
あえてポジティブに「在宅ひとり死」と呼び、
その実現可能性をデータと情熱で示してくれます。
現場で多くの方の最期に触れてきましたが、
家族に囲まれていれば幸せかといえば、必ずしもそうとは限りません。
むしろ、家族に気兼ねせず、慣れ親しんだ四隅の壁に囲まれて旅立つことは、
一つの究極の「自立」の形ではないかと感じました。
もちろん、それを支える介護・医療体制の充実は不可欠ですが、
何より大切なのは本人に「家で死ぬ」という覚悟と、
それを良しとする社会の空気です。
最期まで自分らしく、わがままに、そして軽やかに生き抜く。
死を「忌まわしいもの」から「人生の締めくくりのプロジェクト」へと
変えてくれる、知的な刺激に満ちた一冊です。 -
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フェミニズムを勘違いしていた。私は大学4年の時に建設会社の技術系総合職から採用通知をもらった時から「男(私は女)として、現場で働くこと」を求められていると思っていた。でも実際はそうではなかったし、いくら自分が男性のように振る舞ったりしても女性として扱われ(セクハラや差別発言等を含む)、しかも「所詮私は女性だからしょうがないか」と思ってしまっていた。でもそれが落とし穴だったことにこの本を読んで気がついた。上野先生が本の中で「痴漢は犯罪です」というポスターを見て感動したと書かれていたが、自分でも気が付かないうちに女であるから当たり前にOKとされていたこと・されて当たり前だと思い込んでいたことがあると痛感した。私はもうわきまえないことにする。
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ネタバレ健康診断のリストを見て若い人に「年齢がばれるから嫌ですね」と言われました(年齢によって検査項目が増えるから)。当たり障りなくかわすためには「ね、ほんと嫌だー」というようなことをひとこと言っておくと良いみたい。「(その年齢に)見えないから大丈夫ですよ」というフォローにはとりあえず自分を下げ気味に表現しておきます。挨拶みたいなものだから、こちらも世渡り的に必要な範囲のリアクションを返します。しかしエイジズムについて学んだ経験を無視できないし、サラッとかわすにしても少しだけ労力が要る。というわけで読み始めた本。
「わたしたちは「若い(あるいは年齢より若く見える)ことが価値であるような社会に住んでいる。若い者ももはや若くない者も、その価値を内面化している。だからこそ「お若いですね」が高齢者に対する「ほめ言葉」になり、高齢者もそれを嬉しがる。」
人は老いるもの、衰えるもの。医療や公衆衛生などが発展し長寿を手に入れた社会で、長寿を憂うしかないのか?生産的でなくても、生きているだけでいいじゃないか、という後半の部分は上野千鶴子氏のよく話されている内容で、頭の中で拍手しながら読んでました。
第8章ではサルトルとボーヴォワールの恋愛関係、三角関係やそれをモデルとした小説の解説があって、話題のyoutuberのオープンマリッジを連想。笑
【第8章:女性の老い】 -
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上野千鶴子さんや樋口恵子さんが好きだ。この方たちの活動のおかげで日本の介護保険制度が高齢者とその家族を守ってくれているのだ。
お家で一人で死ねますか?はい、できます。家族がいてもいなくてもできます。独居でもがんでも認知症でも。心強い答えである。
自宅での看取りが病院や施設と比べてお金がかかるわけではない(むしろかからない)ということ、必要なサービスを必要なだけいれることが可能だということ、よく説明されていた。
高齢者が亡くなった時あわてて救急車を呼ぶのでなく、訪問看護ステーション、主治医、ケアマネ、訪問介護事業所の緊急対応窓口に連絡をと。大事な知識だ。 -
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ネタバレ2021年に出版された社会学者の上野千鶴子さんの本。一般的には、病院で亡くなるものと考えられている中、在宅で死を迎えることができると説明している。私もいくつか在宅での終末医療の本を読んだことがあったため、在宅で死を迎えることは可能だと考えていたので、特に違和感がなかった。ただ、新たに知ったこともあったので、まとめておきたい。
・年寄りの容態が悪化したとき、119番はしないことと筆者は言う。これには驚くけど、理由がある。 火事場の大騒ぎのような死に目に逢わなければならないことは、避けられるため。
・施設はある意味、刑務所なようなもの。そのように考えたことがなかったので驚いた。生活が 24 時間完結するからとのこと。
・死んでから葬式でどんなによい弔辞を読んでも、死者の耳には届かない。生きているうちに、すぐ感謝を伝えること。
・ひとりで暮らしている年寄りがひとりで死んで何が悪い、それを「孤独死」と いうのは嫌だという考えから、「在宅ひとり死」 という言葉を作った。言葉を作るところが学者さんらしい。
・認知症は自己責任なのか。そうではない。だれだってなるものだとのこと。理由なんてない。認知症予防や規則正しい生活をしている人だって、なる。
・生きるとは、食べて、出して、清潔を保つ、ということ。これが食事、排泄、入浴という3大介護。この3点セットが維持できるあいだは、生きられる。
・父の看取り経験から、健康な時に書いた日付入りの意思など信じるな、と思うようになった。また、いったん決めたことを最期まで貫くことを、尊いこととも思わなくなった。
・安楽死を求める社会は、緩和医療が遅れている社会。病で辛い痛みを抱えている人にとって、安楽死を求めるのは権利だと思っていた。しかし、緩和医療が遅れているという視点から見ると、確かにそうかもしれない。 -
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この本を学生の時に読んでいたら、挑戦しがいがありそうだと真剣に研究者を目指したか、こりゃ無理だとますます尻尾巻いて逃げる方向に拍車がかかったか、体の向きがどっちに傾いたかはちょっとわからない。けど、研究って、論文ってなに?状態で五里霧中の四苦八苦だったあのころに、こんなに明晰でしかも自信たっぷりなノウハウ本に出会っていたら、ありがたく吸収しただろうことは確実!と思った。
とはいえ、同じようなことは先生も先輩も言ってくれてた気がするが、みんな優しかった⋯。私は何より土台がゆるゆるなのでそこから⋯。
備忘メモ。
・ノイズから問いは発生する。
・答えの出る問い、手に負える問い、検証のためのデータアクセスが可能な問いを立てる。
・問いとは常に「わたしの問い」。論文の中立性、客観性など神話に過ぎない。
・(引用)主観的な問いに、経験的な根拠を示して、有無を言わせぬ結論に導くのが、経験研究というものです。
・(引用)質的データを徹底的に帰納分析し、データそのものに語らせる⋯⋯エビデンスにもとづいた経験科学として質的データを有効利用することができれば、たとえどんなに事例数が少なかろうが、それをもとに、確実にこれだけのことは言えると主張できるはずなのです。
・KJ法の説明のなかに、「曼荼羅図」が出てきた!
・概念(concept)の語源は「孕む」。