上野千鶴子のレビュー一覧
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女性の労働環境に関して、1985年の男女雇用機会均等法の制定から現在に至るまでを俯瞰できる良書。
「女性は本当に戦っているんだな」と第三者的な視点で読んでいること自体が、著者に批判されそうであるが、これが素直な感想である。著者が言うことろの男の得意技である、否認、逃避、嗜癖そのものかもしれない。
第二次安部内閣が高市氏、山谷氏を登用したことにより、女性の登用が増えたと思っていたのだが、その登用した人物がフェミニストから見ればもんだいでああるらしい。
私も含めた、企業の体質を変え得る管理職の皆さんに是非読んでもらいたい。今まで無かったことにしてきたことをもう一度取り組む最後のチャンスかも知れない。 -
ナショナリズムとジェンダー 新版
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ネタバレこの手の本は、熱くなるなぁ。男はどうだ、女はどうだって語るのは好きじゃないけど、社会に出ると、労働、結婚、子育てにおける男女の差がありすぎて、それを無視して語れない。これから大人になる子たちに、これから社会に出ていく子たちに、明るい展望を持って生きていてほしいけれど、この世の中で生きていくにはサバイバルが必要だ。サバイバルを前に、私はそういう熱いの好きじゃない・・・と避けてしまったり、サバイバルする人を馬鹿にしたり、無気力高校生・大学生もいる気がする。ガツガツじゃなくてもいいけど、せめて、世の中が抱える課題くらいは知っておいて、サバイバルする人を認め(無意味に邪魔せず)、自分も自分やまわりのために行動できる人が増えたらいいなと思う。私は、微力ながらこういうことを広めていきたい。
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まえがきで丁寧すぎるくらい、この章は読み飛ばして
大丈夫ですとたくさん書いています。
「息子」が親の介護をすることについて。
前半部がデータの検証的な話で
実例が少なくぴんと来る話も
ないので、ちょっと失敗かなと思ったら・・・、
後半の読み応えのすごさ!!
仕事から介護に比重を移した時の、経済的、
世間的にもペナルティを受ける感じの例(女性は
全く逆になる)。
男同士の友人の集まりでは、介護の悩みは
話しづらい(言ってもお互いにいい気分にはなれない)
現実。
両親を介護していて、母親を介護していた時には
近所から色々と助けてもらっていたが、母親が
亡くなってからはめっきり誰も来なくなる現実。
これは、近所の人にとって○○さんの息子、
でしかないこと。
決して介護者としての息子、ではないという現実。
男として、これは非常に考えさせられます。
これらの後半部分については、もう一度読んでみたいと
おもいます。
久しぶりに、売らずに蔵書する本。 -
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思わず、女性専用車輌に乗ってしまった時と同様の戦慄は、終始拭えなかった。当たり前か。
NPO法人ウィメンズアクションネットワークと出版社主催の鼎談書籍化。
自分ではない何かになろうとして、婚活サイトを利用し死刑に至った木嶋佳苗から、97年に殺人事件の被害者となった東電勤務の女性、その他にも元オウム信者同士で逃亡生活を続けた斎藤明美、2006年に報道されたセレブ妻殺人事件の三橋歌織などを題材に、毒婦を生む背景に切り込む一冊。
上野先生が終始、韓流ではない事をアピールし続けるのに笑った。
あとがきで触れられる壇蜜の「はい。日本の矛盾が生んだ空っぽのただの32歳、それが壇蜜です。」には、それが言えるのはタダ者ではないのだよ、と感じずにいられなかった。 -
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ネタバレかなりおもしろい。というか気持ちいい。女たちの目線で世の中を見ること。言葉を獲得していくといことが真実の見え方にどれだけ影響するかを思い知った気がする一冊。思考停止していたのかもしれない。マスメディアが流す一元的価値観に自縄自縛に陥っていた自分の後頭部を思いっきり金槌で殴られた気がする。メディアが男社会であるという意識もなかった。男の股間のケアを要求する社会に逆手にとって現れた「毒婦」たち。毒婦は自分であるという目線。「言葉を持って女目線で現実をちゃんと暴きだすことが必要。(上野)」上野千鶴子の歯切れの良さ、好き嫌いハッキリわかれそうな人だけに、好きだと思った。
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男女雇用機会均等法から30年—。
確かに女性にとっての『雇用機会』は、均等になった。女性の大学進学率は増加し、男性と同じように就職戦線へ進むようになった…。
が、総合職と一般職、さらには正規社員と非正規社員…そんな組織都合の雇用機会が増えるばかり。また結婚や出産による女性に対するマイナス評価は一向になくならない。
そればかりか、かつてのような専業主婦の道は、この不景気では最も危険な選択肢と言わざるを得なくなった。
著者の言うとおり、一部の優秀な女性は総合職としてキャリアを積むことのできる機会ができ、均等法の恩恵を得たかもしれない。
しかし、大部分の女性にとっては、到底一人では生きていけない賃金で両親や夫に依存しながら生きていかざるを得ない状況が顕著になるばかり。それどころか、将来の親の介護…夫の将来…不安要素は尽きる事がない。
女性は男性のように『仕事だけ!』では生きていけない。『就活と婚活』、その後も『仕事、家庭、育児』全てをバランスよくこなさなくてはいけない。扶養されるということは、ありがたいことであるが、つまり、結局は自分は社会的弱者であると認めること。
そんな社会であるからこそ、女性として生き残っていく術をきちんと考えなくてはいけない。
差別のおかげで女たちの方が、正気で人生のバランスシートを考えることができている…という最後の言葉を信じたい。女は賢くしなやかに!
この本を、学生時代に読んでいれば良かったかと問われたら…なんとも言い難い。おそらくダメージが大きすぎて鬱になると思う…。 -
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最近言われて困ることは「M1の時より変じゃなくなったね」だ。私は変でいたかった。
変になったきっかけは学部時代にある先生の出会ったのがきっかけだ。
「恋って何?」「友だちって何?」と学生に問い、教員も一緒に考えていた。教員はそれを本当に面白そうに考えていた。
本書は上野千鶴子流教育論である。
上述のしたことは著者も「私は自分がおもしろがっていないことを他人サマにおもしろがってもらうことはできない、だから自分が面白いと思うことだけをやろう、と決めました(p.23)」という。
教員免許を取得する授業は教員の面白さよりも、教えなければいけないことがある。だから面白くないのかもしれない。それでも面白い授業ができる師匠や若師匠はすごい。
「東大にあるのはピア(同輩集団)の教育力です。その点では東大生は恵まれている、といえる(p.31)」学部生をみていると、自身の学部生時代よりはるかに優秀だと感じる。教員の指導はもちろん、学部生と院生が同じ講義を受けることも大きく影響しているだろう。
著者のゼミで「援助交際は自己決定か」についてディスカッションをしたそうだ(p.65)。
援助交際をする女性は、女性性や肉体を資源を高く売りつけるという生存戦略を主体的かつ合理的にとっている。
そこで学生が「私はそういうことはしない。私は自分の能力(語学力・学力)で勝負する」という。そこで著者は「学力資源を売ることと女性性を売ることにどういうちがいがあるのか」と問う。これまた面白い。
大学院でちょっとした違和感があった。「あぁ、そういうことだったのか!」というのが「生産財としての学位」と「消費財としての学位」という概念。
前者は学位をとることがそのあとの職業の「手段」なること。後者は学位を得ることじたいが「自己目的」であるというもの。
はっきりとどっちかに分けることはできないし、「どっちも」、結果的に「生産財」ということもあるけれど。これって面白い。
最後にこの一言!やっぱり上野千鶴子はかっこいい。
「私は研究者の最大の報酬は、頭の天井がスポーンと抜けるというか、「わかった!」「見えた!」という快感だと思うのです。この快感が最大の報酬。ある種のドーピングみたいなもので、これがあるからどんな不遇な目にあおうが研究者はやめられない(p.107)」
これが本当の研究者ですかね?
でも、「大学の教授になる」という目的のために論文を書いている人は教授になったら全く論文を書かない(川成洋『大学崩壊』)。それってどうしてだろう。快感を味わったことがないからなのか。それ以上にやらなくちゃいけない事務が多いからか。
「隠れたカリキュラム」というのはフェミニズムが発見したそうだ(゜o゜)
(まっちー) -
ナショナリズムとジェンダー 新版
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上野氏自身が述べるところ、1990年代の研究の集大成ともいえるのが本書だそうだ。「従軍慰安婦」問題などを中心に、国家主義とそのなかでのジェンダーについて思考した大部の書。
本書ではまず、国家における女性の扱いを「統合型」と「分離型」としている。前者は男女に同じ役割を課すもの、後者はたとえ非常時でも女性には女性の役割を課すもの。戦時に男女ともに徴兵があれば前者であり、女性に「軍神の母」「銃後の妻」役割を課せば分離型という理解でいいと思う。こんなふうに国家主義とジェンダーを論じていくのだけど、何といっても力が入っているのは「従軍慰安婦」に関してだ。
以前、韓国へ行った時、ほんの短い時間だが、かつての「従軍慰安婦」だったというハルモニたちが支援者とともに共同生活を送る「ナヌムの家」を訪ねたことがある。資料館にはたくさんの折り鶴や色紙が飾られ、平和への思いを訴える言葉が並んでいたが違和感があった。「慰安婦」問題はそうじゃないだろうと。それ以来、慰安婦問題は戦争問題ではなく、男と女の問題だと思っている。その視点で読むと……というか、いつも上野氏の本は明晰で腑に落ちるものだけど……本書の「慰安婦」に対する言質には大いに共感する。
この「慰安婦」問題が解決しないのは、もちろん日韓が本気で手をつけようとしていないせいもあるだろうが、そうしていられる背景をきっと全世界がつくっている。というのも、男たちが女性を慰みものにすることなんて、世界に掃いて捨てるほどあるからだ。「慰安婦」問題が解決することで、聖人面の化けの皮が剥がれる男たちがたくさんいるからだ。
そのとき、大国が何だとか、戦勝国だからといった言い訳が許されないことが目に見えているから、根本的な解決に向かわないのだと思う。
韓国では(「慰安婦」に限らないが)、両国の煮え切らない態度に業を煮やし、国籍放棄を願い出た人までいる。国どうしだと日韓条約で解決済みとされかねないが、韓国籍がなければ保証済み対象にはならないからだ。そこまでの手段を講じる人たちに、何という誠意のない態度をとっていることだろう。日韓条約で解決済みとする日本の態度もひどいが、国を挙げて日本を非難する韓国だって、自分自身への補償を求めている元「慰安婦」たちの声に乗じて代弁などしてほしくない。
国家どうしの話になれば、往々にして女性たちの声はかき消され、顧みられることがない。国と国の問題になることで、往々にして「男どうし」の話になってしまい、男と女の間での話ではなくなってしまう。家父長制的な論理がまかり通ってしまう。これほどまでに、世の中には大小の集まりが様々あるけれど、国というまとまりが益ないものに思えてならなかった。 -
ナショナリズムとジェンダー 新版
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私見
刑事裁判実務では「自白偏重司法」と言われるほど、被害者証言は時に補強証拠が脆弱であっても認められる。
しかし、歴史、特に戦争犯罪においては被害者証言は(処分されたことが明白な資料の不存在を理由に)軽んじられ、「公文書が見つからない⇒事実かどうか証明できない」と切り捨てられ、時に「カネ欲しさのでっち上げ」と非難されるという矛盾
メモ
慰安婦問題
三つの犯罪
過去
戦時強姦
現在
戦後半世紀にわたるその罪の忘却や被害認知の拒否
現在進行形や未来
長い沈黙を強いられ、告発したときにはカネ欲しさの嘘つき呼ばわり
キーセン観光、セックスツアー
カネの力で性的侵略?
慰安婦→民族の恥?被害者の恥?⇒×加害者の性犯罪へと変化
戦時強姦
権力支配誇示や弱者への攻撃を通じて連帯を確立する儀式
敵国兵士への象徴的侮辱
沖縄の韓国人慰安婦
当初は慰安所設置反対→軍「良家の子女の貞操を守るため」
沖縄差別→準占領地
韓国人慰安婦の存在により沖縄女性を守る?
1925年
醜業協定、醜業条約、婦女売買禁止条約
1932年
ILO強制労働条約
⇒公娼制度そのものが条約違反(韓国が日本だったとすれば、それを慰安婦問題責任回避のロジックに入れるのがそもそもおかしい?)
自由主義史観
西欧列強も同じような悪いことをしてきた→彼らはそれを謝罪していない⇒したがって西欧列強に肩を並べる日本は西欧列強並に振舞って当然、という論理
娼婦としての稼ぎ時や世界に見る娼婦の年齢層
ほとんどが十代⇒中高生
SNSや援交等の性的アクセスにさらされる年齢に戦争についての暗黒面を教えるのに、性についての暗黒面を教えないのは説明がつかない
60年代の日独若者比較
独「何よりもダメなドイツ」(エッツェンスペルガー)をもたらした親の世代の責任を問う世代間対立⇒スチューデントパワーの担い手がマスコミや教育現場なの社会の各層に散らばり、戦争責任の掘り起こしに努める
日「戦争を知らない子供達」というフォークソング等他人事