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読みたいと思いつつ、先延ばしになっていた本をやっと読む。380ページと新書にしてはやや厚いが、書き方の指南だけあって、読みやすく、構成も抜群で、情報が頭に入りやすい。
流石です。
KJ法の発展型である「うえの式質的分析法」が詳しく説明されていて、昔書いた卒論とやり方が同じなので懐かしかった。卒論で行ったマトリックス法はいいやり方だったのだなーと感慨深い。
それにしても、お礼の仕方やら、コメントへの返し方やら、ホントに微に入り細に入り、教えてくれて、上野千鶴子って情の深い人だ。(こんなこと書くとメチャクチャ叱られそう笑)
書くこと、書きたいこと、書くべきことの責任を負うことの面白さも知ることができた。
一度ちゃんと知りたかった論文の書き方を知ることができた満足感で読後の充実度すごく高い。
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論文の書き方の参考にしたいと読んだ。
非常に参考になるが、実行しようとするとものすごくハードルが高い。
上野さんの書籍は大体読んでいるが、毎度上野さんのバッサリいく感じが痛快である。
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問いを立てることが情報生産の第一歩。
当たり前が通じない環境で自分を磨きたいと思った。
上野さんが言うように、情報を使うよりも情報を生産する方がもっと魅力的なことかもしれないと思った。
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論文のテーマ決めからインプット、アウトプット、そしてその出版までを書いた一冊。
まだゼミにも入ってないから卒論のことを考えることは少ないが、文献が多くあれば書きやすいという認識は間違っていて、自分がパイオニアになって一次情報をもとに論文を仕上げるべきだとわかった。そのためにはcommon Themeであっても、切り口や着眼点を変えることが大切。
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◆2021/08購読
上野先生がゼミの学生さんに指導している内容がギュッとつまった本です。コンテンツづくりや情報発信している方は大変参考になる内容だとおもいます。こういう内容をしっかり指導してもらえる上野先生のゼミ生はいいな〜。
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研究に携わる学生は一読すべし。最初から最後まで上野先生にケツ叩かれまくりました、、、、。読み終わったら終わりではない、これからがスタート地点。
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4月から大学院に通うのだが、背筋が伸びるとともに実用的で事前に読むことができて良かった。自分が学部時代に師事したゼミと上野ゼミの雰囲気(輪読、ゼミ合宿、指導方法)が似ていて、懐かしく感じた。
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卒業研究を控えた身として大変ためになる著作であった。
問の立て方から調査の仕方、情報整理の仕方、論文の書き方、優良なコメントの仕方までを学ぶことができ、研究に対する意欲が湧いてきた。1年だけだが読み手に有意義な時間を与えられる論文を書きたいと思えた。
メタ情報を生成する
誰に向けた研究なのか
1番厳しい評価者は調査対象者
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アウトプットの方法をきちんと学んだ事がなかったので、タイトルに惹かれて手に取った。
文系の研究や論文を舐めていた部分もあったが、反省。目から鱗だった。論理の整合性や概念の定義、自分の考え・他人の考えの差別化、問いへの答えになっているか等々、、上野ゼミは大変そうだが、こんなに鍛えられて羨ましい、とも思った。こんなに自分の知識を惜しみなく与え、全力で育てようとしてくれる教育者にはなかなか出会えない。
この本を読んで印象に残ったのは、「問い」を立てること、批判的検討、情報の分析。
・問いを立てる
情報はノイズから生まれる。当たり前のことも、知らないことも、ノイズにはならない。当たり前を当たり前にしない。知識をつけ、知らないことを減らす。常に異なる環境に身を置き、違和感、疑問を感じよう。問いが生まれたら、先行研究を検討し、既存の問いではないかを調べること。
・批判的検討
筆者の論説には説得されてしまいがち。常に批判的に読もう。内在的コメント→論理の不一貫性、構成、説得力など、外在的コメント→欠けているもの、致命的なもの、あったほうが良い視点など
・情報の分析
質的データの分析はKJ法で。脱文脈化→文脈化。言説を同じor違うで分け、ラベリング、矢印で物語化、接続詞をつけて構成する。
今後研究して論文を書く機会はないかもしれないが、業務での問題抽出、解決において応用できるのでは?
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情報はノイズから生まれる。
ノイズとは違和感、こだわり、疑問、ひっかかりなど。
当たり前を当たり前だと思うところにノイズつまり情報は生まれない。
情報には2種類ある。一次情報と二次情報。
一次情報は自分が経験したことや目と手で手に入れた情報のこと。
二次情報とは誰かの手を介して得られた情報のこと。つまりこの感想文も二次情報(セコハン)(second hand dataの略)である。
情報生産者になるには一次情報を発信しなくてはならない。つまり、論文において先行研究を、つぎはぎしてセコハンの絵画を描いてもそれは情報生産には値しない。論文に求められるのは一次情報。よって、論文はデータを集め、検討して、そこから何が見出せるのかを発信しなくてはならない。
その際に必要になる調査法などの記載があった。
大学の卒論を書く前などに読みたい本である。
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研究のしかたをきわめて具体的にノウハウ開示してくれている本。すみっコぐらしの中高年でももしかしたら今からでも情報を生産できる人間になれるんじゃないかと、目がひらかれる思い。
ちゃんと勉強してこなかった自分にとってとてもためになった。
P009 もはや勉強ではなく学問(学んで問う)ことが必要です。つまり正解のある問いではなく、まだ答えのない問いを立て、自らその問いに答えなければなりません。それが研究(問いを極める)というものです。
P016 情報とは、システムとシステムの境界に生まれます。複数のシステムに股をかけたり、システムの周辺に位置したりすることは、情報生産性を高めます。
P022 その分野で何が問われてきてどこまでが明らかにされているかというreview essayは研究の前段階にすぎません。
P023 情報が相手に伝わらない責任は、もっぱら情報生産者にあります。もし誤解を生むとしたら、その責任も専ら情報生産者にあります。その点で研究という情報生産の特徴は、詩や文学のような多義性を許さない、という点にあります。
P025 わたしは学問を、伝達可能な知の共有材と定義しています【中略】わたしは研究者を、アーチストよりはアルチザンだと考えています。
P037 情報生産者が立てる問いは、第一に答えの出る問いです。(×「人生に生きる意味はあるか?」〇「どんな時に人は生きる意味を感じるか?」)
P065 批判はいつでも、後から来た者(late comer)の特権だからです。
P077 「キミの研究の仮説は?」と聞かれてうまく答えられなかったら「仮説生成型です」と答えればよいのです。
P093 時代区分を60年代、70年代、80年代というように十進法で区分するのは最低です。時代区分には画期となるepoch-making指標indexを用います。
P102 問題が問題になるのは、現状に満足できない誰かが、それを問題と言い立てるからにほかなりません。ですから問題には必ず「宛先addresse」があります。
P124 「孤独死」に先立つ「孤立生」は家族のいないシングル男性問題とも言えますが、他人と交わらない、助けを求めないのは彼らの選択でもあるので、当事者が問題とみなさないことに「解決」が必要かどうかはわかりません。そうなれば、「孤独死」はますます「死ぬ側」の問題ではなく、迷惑をかけられる周囲、すなわち死なれる側の問題だ、ということになるでしょう。
P138 参与観察とは、その場に入り込んで同じような経験をしながら、観察の結果得られたデータをもとに記述する方法を言います。
P149 研究の時間とエネルギーの配分から言えば、研究計画書からデータ・コレクションまでがほぼ半分、残りの半分は分析と論文執筆に充てる、つまり情報のインプットに1/2、アウトプットに1/2くらいのつもりでいたほうがよいでしょう。
P136 言語情報には、1)語(Word)2)言説(discourse)3)物語(narative)の3つの次元があります。【中略】言語情報とは言説の集合、それを文脈化して物語を紡ぐのが「論文を書くということだといってもかまいません。なぜなら論文とは言語作品だからです。
P170 のちに脱文脈化するために、情報をユニットに分解すること。これを情報ユニットの生産と言います。【中略】1時間半から2時間の面接調査で生産される情報ユニット数は100から150、話が弾んで情報量が多いなと思っても200が限度です。
P193 およそ100から150ユニットの情報処理の結果、得られるグループ数の経験則はなぜだか20から30内に収まります。おそらくそれが、目と手で情報処理する人間の身体的限界なのかもしれません。
経験則とは面白いもので、なぜそうなるかはよくわからないが、何度やっても結果的にそうなる、という傾向のことを言います。社会学にはインフォーマルグループについての小集団研究がありますが、なぜだかその最大サイズは15人、それを越すと集団は二つに分解する傾向がある、とわかっています。
P240 研究のアウトプットとは、根拠に基づいて発見を示すことですから、基本は結論先取り、AはBである、なぜならば・・という書き方をします。【中略】論文のコミュニケーション技術とは説得の技術であって、共感の技術ではありません。
P287 「しろうとにわからないことは、くろうとにもわからない」説明不足や論理の飛躍、過度な一般化などは、どんな読者にも見抜けます。
P291 内在的コメントと外在的コメントとを区別するのが役に立ちます。【中略】外在的コメントには「あれがない」「これが触れられていない」というものがありますが、いちいちまともに取り合う必要はありません。「あれがない」とは、翻訳すれば「オレの知りたいことが書かれていない」と同義のことが多く、それってあなたの問いでしょ、あなたの問いに私が答える責任はない、と言い放てばそれでよい。裏返しに言えば、コメンテーターとは、まず論者の立てた問いを共有したうえで、その問いの射程の中で、よりよい答えを出すお手伝いをする役割です。
P297 コメントは、コメントする側と受ける側、両方に立つことが大事です。
P300 ディフェンス力とは、自分の主張を通すためのスキルです。適切なコメントならありがたく採用したらよいし、そうでなければ反論し、場合によっては突っぱねる・・当たり前のことです。これもまた場数を踏むことによって培われる能力です。
P361 読者には正統な読者と非正統な読者とがいます。正統な読者とは、その人に充てて読んでもらいたいストライクゾーンど真ん中の読者。非正統な読者とは、直接宛先にしたわけではないがたまたま立ち聞きした読者のことです。正統な読者がどんなに少数派でも、読者の宛先が鮮明に見えているほど、非正統な読者もまた「立ち聞き」から心を動かされる・・書物とはそういうものです。
P368 無能なあなたもプロデューサーになれます。有能な誰かを使う能力さえあれば。但し自分がほしいまだ見ぬものが何か、がわかっている必要があります。いわば夢を見る能力、それだけでなく夢を形にする能力と言ってもよいでしょうか。
P370 最後にプロデューサーになることを追加したのは、情報生産者は、同時に自分自身のプロデューサーでもなければならないからです。
P371 「まだ見ぬもの」とは、もともとその人の中に存在しています。それにかたちを与えてこの世に引き出すのが、教育者の役目です。
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大変勉強になる本。上野先生の本を読むのは初めてでしたが、大変言葉が強く、信念の人との印象。内容は情報生産者を目指す者にとって厳しいものもありますが、ある意味当然のことばかりではないでしょうか。
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自分自身がちょうど一つの論文を書き終えた時期に、本書を手に取り読み始めた。冒頭の「研究は極道だ」「学問は極道だ」というフレーズは、そこ時だからこそ身に染みた。
本書の表題は『情報生産者』になるとあるが、内容は自分が手間・暇かけて作り出した新しい知見を論文形式でまとめる方法を説明したものと言い換えられる。新書で380頁の量だから教科書1.5冊以上に相当するだろう。読者の関心がおよそ社会科学の範囲の領域に入るのならば、必読文献となる。大学院の入学前の課題、初年次科目や基礎的なゼミの導入に、本書を学生に課すことで、教員側・学生の双方がその後の学習時間を有効に使うことができるのではないか。
例えば、「答えの出る問を立てる」「手に負える問を立てる」「データアクセスのある対象を選ぶ」(p.41)といった現実的なコメントは、ゼミで初めて言われるより、学生はあらかじめ了解しておいたほうが良い点だ。またテーマと仮説をあれこれ考えている時期は、「同じ主題を異なる分野や異なる文脈においたときーあなたが予想もしなかった問と答えが、すでに登場しているかもしれ」(p.55)ないといった趣旨の指導は、早い時期に受けておきたい事柄の一つである。
私自身がこれまで進めてきた研究のスタイルが明確になった。それは仮説生成型(p.77)であり、よくわからない対象に、これは何か、何が起きているのか、という興味・関心でアプローチし、研究の過程で浮き上がってくるパターンである。実際に、直近の論文では結果が出た後、後半に表題と問いを固めた経験をした。
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これからはすべての人がコンテンツの発信者になる時代が来る、となんとなくの確信を感じていたので書名にはげしく反応して即、読みました。しかし、中身はソーシャル時代のCGMみたいな話じゃなくて、しっかりとした研究論文の書き方、いや研究への取り組み方についての熱血指導なのでありました。上野千鶴子による東大大学院上野ゼミの18年間がぎっしり詰まっています。自らが自分の問題意識というか「怒り」をエネルギーに日本に「女性学」という学問分野を切り拓いて来たように、ゼミの学生にも自分事として問いの立てることを叱咤激励し、彼女が40年もの研究生活で掴んできたノウハウを惜しげもなく公開しています。そのベースは川喜田二郎のKJ法。それを、使いこなしながらさらに、うえの式質的分析法に進化させていて、彼女の学問的出自が京都学派であることを再認識しました。例えば、自分が一瞬で惹かれた書名「情報生産者になる」が梅棹忠夫の「知的生産の技術」への著者なりのアンサーなのだと知り、学問は「川の流れのように」なのだと思いました。上野流「学問のすゝめ」は、世のため人のための学問の手前に、自分のための学問を提示してくれています。ついつい自分はどんな問いを立てるんだろうと考えてしまう本です。研究者は特別の人だ、という時代が終わり、日本が一億の情報生産者に国になる、という妄想も抱きました。
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自分が持っている問に対して、完全ではなくとも、何らかのオリジナルな答えを公に受け入れられるに足るようにアウトプットするための方法論。確かにこの通りに出来れば、社会科学で言うところの論文をそれなりの質で書くことが出来るんだろうなと納得。
ノウハウをまとめたものとしてとても良い本だなと思うけれど、ところどころに本筋と関係ない著者の思想が出ていたり、あくまで経験科学の話をしているはずなのに、研究、論文といった用語が裸で使われていて、概念には定義が必要と主張していることと矛盾しないかと思ったり、読む意欲を削ぐような要素があることは残念。
200909
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『情報生産者になる』上野千鶴子氏
1.購読動機
上野さん執筆の記事を通じて、
①どんな授業なのか?
②どんな思考なのか?
を知りたかったことからです。
そして、さらに
③情報消費→生産の変化に必要なことは何か学ぶためです。
2.結論
①なぜ情報生産者なのか?
ずばり、そちらの方が楽しいからと記載あります。
②どの分野で目指すのか?
自己の関心があること。
情報にリーチできること。
解決できる、回答に辿りつけること。
3.最後に
8割は、論文を書くに関することです。
しかし、上野氏がタイトルに情報生産者になるを選択したにはわけがあります。
それは、長年、学生にそのテーマで教えつづけた自負、そして今社会に必要とされるスキルだからです。
本。比較的に読むほうです。
こちらの書籍の日本語は『綺麗でした。』
それは、書き手上野氏が読み手を意識して執筆していることが後書きからも読み取れます。
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斬新な発想で時代を切り拓いてきた、上野さんの方法論。
参考になる点は多いし、剽窃禁止や訪問時の靴下など
教える側の常識からスタートしないのは、
やはり教育現場の人だな、と思う。
本の指導通りに、コメントを試みると
多くの人が情報生産者になろうとしている割には
共通のルールが普及していない今、こういう形で
実例を交えたテキストの存在意義は大きい。
ただ、議論の射程は学術的な論文、レポートを
書こうとする人。エッセイ的な内容をSNSで
書く人は関係ないかも。
また、梅棹、川喜多的なカード主義、
精緻化したデジタル技術を活用した、
令和バージョンは、本当にないのか?
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必要に迫られて・・。
論文を書く必要のある方。研究者のための本。
なのか。
①オリジナリティとは何か。
今までにどんな問いが出て、
どんな答えが出たのかを知っていなければ、
オリジナリティは出せない。
そりゃそうだ。
②論文は結論先行型で。
③引用の仕方。
他人の考えと自分の考えを区別し、
その違いが分かるような書き方をする。
すごい人のすごい論文なんか(先行研究のため)
見ちゃうと、その文体などが乗り移っちゃう
っていうの、分かるなあ。
太宰治が好きで、太宰治みたいな
文体になっちゃう、っていうのと
同じかな。
でも、論文においては
文体がにているというだけで、
考えや研究していることが違うのであるならば
そこはよし、の範囲なのだろうか。
よし、の範囲であってほしい。
じゃないと全部借り物になってしまうではないか。
音楽や小説など、芸術的なことは難しいよね。
線引きできない。
ミスチルが好きだったら、どうしたって
作ったものもミスチルっぽくなっちゃいそうだもん。
ああいう分野で新しいものを作っていく
オリジナリティを出していく方々は
本当にすごいと思う。
論文は
9割借り物
1割オリジナル
でよいといった人もいるそうだ。
まあ、ほんのちょっと変えるだけでも、
十分に研究としては通用すると思う、
そのオリジナルな部分が
本当にオリジナルでなければならないのだろうが。
借り物、を自分の中で
どこまで消化するかも
大事だな。
Posted by ブクログ
高等教育以上の段階では、まだ答えのない問いを立て、みずからその問いに答えるべし。証拠を集め、論理を組立て、答えを示し、相手を説得する。消費者より生産者の方がえらい。何倍も楽しいし、やりがいと手応えもある。
いっぱい消費しているから、少しくらいは生産に寄与しなくちゃ、っと思ったくらいでできるものじゃないのですね。そうです。世の中に有為な人材を沢山育てた実績まさに教育です。
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論文の書き方の指南書。
昔読んだ『サヨナラ、学校化社会』(だったか?)で、上野さんが、生の現象から情報を作り出す力がこれからは求められる、といった趣旨のことを書いていた。
それにとても惹かれ、どうやってそれを実現するのか、知りたかった。
本書は、私にとって、積年の願いを叶えてくれるもの。
論文の書き方の大筋は、類書とも重なる部分が多い。
まあ、論文が型を持つ文章なのだから、当然。
教科書的に使うなら、用語の定義があったりなかったりするのが気になるかもしれない(定義がなく実例での説明に雪崩れていく部分もある)。
でも、言説分析の方法は、むしろ実例によって説明されたほうが分かりやすい。
どうやったら恣意的な分析にならずに済むのかということが幾分見えてきた気がする。
やはり一流の研究者の凄みを感じるのが、データ分析から情報化する部分だ。
ここまで手法をシステム化し、磨き上げてきたからこそ、あれだけの業績を残したのだなあ、と思う。
KJ法をさらに発展させた「うえの式質的分析法」。
やってみたいと思った。
まあ、やってみたら、やっぱりわからないことがどんどん出てきそうだが。
Posted by ブクログ
「自分があたりまえだと思っているところに情報は生まれない、あたりまえにならないような環境に身を置き、誰も立てたことのない問いを立てなさい」と著者はいう。
データ分析は、「外れ値」除く量的分析より、「外れ値」含む質的分析法が有効、この本にあるKJ法の説明はドキッとするほど、腹落ちする。
#情報生産者になる#KJ法#発想法#京都学派#うえの式質的分析法
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If you don’t speak out, you don’t exist!
で、発言をしないと自分の講義では欠席扱いの上野先生。社会科学における研究論文とは、どのように書いていけば良いか。先ずは問いを立てること。自明性の世界で思考停止をしている人には、疑問や違和感のようなノイズは発生しない。問いは何だって良い。剽窃はするな。アダルトビデオの文化史を書いた学生がいて、そのオリジナリティは高く評価するという上野先生。
インタビューの仕方について。
インタビューは議論や反論の場ではない。相手の言うことに同意できなくても相槌を打ちましょう。相槌は同意ではありません。相手をよりよく理解するようにしましょう。何が大事な話かは、話し手自身が決めます。調査の主題と一見関係なさそうなことを相手が話し出しても、遮らないようにしましょう。
このスタンスは中々難しい。流石、自ら言っていたが、だてに教職に長く就いてないと。
Posted by ブクログ
東京大学や、立教大学セカンドステージカレッジなどで、学生たちに論文執筆の方法を指導した著者の経験をもとに、社会科学の研究方法について解説している本です。
学問共同体において情報を生産するとはどのようなことを意味しているのかということからはじまって、現代の社会科学研究の方法を紹介し、さらに研究計画書のつくりかた、調査結果のつかいかた、論文執筆や発表の方法など、実践的なスタイルで書かれています。なお著者の方法は、京都大学で学んだ川喜多二郎の「KJ法」や梅棹忠夫の「知的生産の技術」をもとにしたものです。もちろん、これから研究をおこなうことを志す読者にとっては研究のための実践的なマニュアルとして有益な内容なのでしょうが、経験科学であると同時に、研究主体と研究対象が密接なつながりをもつことを避けられない学問分野において、経験的なデータから研究結果がどのようなしかたで生み出されるのかということが明確に語られていて、興味深く読みました。
また、著者自身が現在にいたるまでどのように研究者として、あるいは教育者としての自己形成をおこなってきたのかということがうかがえるのも、個人的にはおもしろく読むこととのできた理由のひとつです。
Posted by ブクログ
怖ええ!自分のしていることが何の価値もないということをガンガン怒られた感じ。適当な本の感想を書いていることが情けなくなった。
この本のメインは、論文の書き方。そういえば、卒論は書いていたものの、書き方って習ったことがなかったと思った。書き方だけでなく、司会の仕方やコメントの仕方も。この本を大学時代に読んでいたら、もう少しまともな研究ができたと思う(そもそもテーマ決めから)。自分って勉強してこなかったんだな、ってつくづく思う。
Posted by ブクログ
タイトルからすると軽い内容かと思いきや、わりと本格的な研究に関する指南書だった。順序を追って説明してくれる。レポートや論文を書く前に読みたい一冊。