上野千鶴子のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
少し前にコテンラジオの「性の歴史」で女性の人権が認められるようになってきたのは歴史的にもつい最近だと聞いたことと、本書で団塊の世代以降の母や女性の姿が語られていたことがリンクして、自分の母や義母や妻や妹や娘たちも思い浮かべながらリアルに女性の気持ちを想像することができた。
お互いに踏み込まない、気持ちをぶつけ合わない夫婦は結婚をナメている、そのツケは子どもに回されるというのは、確かにそうだなと思った。妻の話ちゃんと聞かないとならないし、伝える努力を怠るべきでないと思った。
それと、良くも悪くも社会の変化は極端だなと実感する。一昔前は主婦の女性が一般的だったことに対し、今では場合によっては主婦が軽んじられたり肩身が狭い雰囲気になることもある変化に、気持ち悪いものを感じる。
主婦か働くかとか、結婚するしないとか、子を持つ持たないとか、本来無意味なはずの分断が女性同士の中にもあって、それが場合によっては本丸の問題から視線を逸らすために意図して作られた分断であったりもする ということに対し、注意深く生きていないとならないと思った。
全体を通して、女性の人権のことは男性の自分としてはとっつきにくいというかあまり触れないでおこうと思いがちな難しい問題であることは否めないのだけど、自分が歴史的に既得権益を持っている側であり女性にはそれがないということをきちんと受け止めて、健全な人権社会の構成員になろうと思った。少なくとも無神経にハラスメントを撒き散らすオヤジにはなりたくないと思った。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ私の本棚のタグには#女性の生き方 とか#女性と仕事 とかがいっぱいついています。ジェンダーの問題、女性の生きづらさなどに関心が高いので読んでみました。
最初の方は、とにかく男女の非対称性について論じていて、納得する部分もあるが、「そんな極端な!」と思う部分も多かった。何より私自身が、「女に生まれて損をした」とはあまり思わず、かえって得したと思っているからだ。著者によれば、男は皆「女でなくてよかった」と一度は思ったはずだし、女は皆「女に生まれてソンをした」と一度は思ったはずだ、とのことで、すべてその前提に立っている。
しかし読み進めていくと非常に納得することが多い。この社会は常に男が主体であり、女が客体である。女の価値が男によって決められ、女が男を値踏みするようではあっても結局は男の価値も男社会の中で決まる。私自身は、男女平等でセクハラもなく、管理職には男性が多いが女性もそこそこいて、上司はハラスメントに関して常に研修を受け人権意識が高い職場で働いているので、女という記号で見られたり、女だから損をしたことは(全くではないが)ない(つまり「私は主体であり、客体ではない!」)と思っている。しかし男からの、女としての評価を気にせずに生きてこられたかと言われれば、それはやはり常についてまわった。褒めるにしたって、「女の子なのに勉強ができるね」とか。私は当たり前に普通の仕事をしているだけだが、「女性なのに男性と対等に働いているからすごいね」という評価だ。自分でも自分をそう評価していたのだと気づかされた。
著者はちょうど私の母と同じ世代。私の母は、好きなことや得意なことがあったのに、大学には行かせてもらえず、結婚して家族のために生きてきた。(長男である弟だけが大学に行き、そこそこ出世したが、親の世話は長女である母がしている。)母は私には好きなことを学んで男性と対等に働いてほしい、女だからって家事に追われなくていいと小さい頃から言っていた。自分に経済力があったら…とか、男の子を産みたかった、とか、自分が女であることを嘆き、私が性別に縛られない生き方をすることを望んだ。上野千鶴子さんに、私の母の話を聞いてほしい!と思った。死ぬほど平凡な昭和の母だけれど、だからこそ。
以下引用
・・・私も若い女たちに言いたい。(中略)手前勝手な男の欲望の対象になったことに舞い上がるな。男が与える承認に依存して生きるな。男の鈍感さに笑顔で応えるな。じぶんの感情にふたをするな。そして・・・じぶんをこれ以上おとしめるな。
・・・おんなもいよいよ企業のなかで定年を迎えるようになったのだ。そのうち「退職女子」ばかりか「要介護女子」「認知症女子」という呼び名も登場するかもしれない。なぜって女子は一生、女子だから、女子は生涯、自分のなかに誰にも侵されない透明な核を持っているはずだから。
(最近は、私の職場でも60歳を過ぎて再雇用で働き続ける女性の先輩が増えてきた。10年前は、多くの女性が50代で辞めていたが、私も60を過ぎても働きたいと思えるようになった。)
・・・「わたし」はつねに中途半端な、過渡的な時代の産物である。過去の自分を否定して生きる必要はない。過去の自分の、限界や過ちや「こじらせ」があったからこそ、今の自分がある。過去の自分を許し、和解し、「わたし」のなかに抱きとめたらよい。
(これ、なんてあたたかい言葉なんだろう・・・!) -
Posted by ブクログ
親を介護する息子たちを温かくも厳しい眼差しで説いている。
いまだに、介護といえば女性がするものという世のなかの感覚が根強く残っている。性別役割分業的にとらえるべきでないといった硬い言い方をしなくても、実態としてもはや、自分の親は自分で介護する、あるいはその算段をつける時代になりつつある。そのようななかで介護する人たちの声をもとにしている。「28人の現場から」という副題がついていることもあり、各人のいろんな喜怒哀楽のエピソードが紹介されていることを期待して読んでみたんだけど、各人のエピソードが大して収まっておらず、むしろ各人へのインタビューなどをもとにした「息子介護」なるものの分析に大部が割かれている。
そんなうち、温かな眼差しと感じたのは、息子介護って思ったより希望があるものだなということ。皆さん、もっと困ったり憤ったり卑屈な思いをしながら介護しているのかと思ったら、そこは十人十色だろうけど、ちょっとした楽しみや和みがあったりする。こういうインタビューを(人を介して)受けられるくらいだから客観的にみてもわりとうまく息子介護している人たちなんだろうけど、そういうバイアスはあるにしても、希望ある事例に触れられたのはよかった。以前読んだ『男が介護する』(津止正敏著、2021年)ではもっとジェンダー的な部分で卑屈になったり葛藤するものというような紹介のされ方だった気がするけど、本書によるとそうでもないみたい。多くの人が、ジェンダー意識なんか二の次で、悩むとすれば親やきょうだいとの人間関係だったり介護のしかたといった、息子でなくても向き合う課題のような気がした(そこに、自身が息子であったり男であることによる特徴的な課題はありそうだけど)。
あわせて、よくも悪くもだけど「ミニマムケア」という介護への向き合い方も一つの知恵といえそう。育児世代でも妻と夫の家事時間の差を上げ、男性の家事参加が叫ばれるけど、妻がいま急いでやらなくてもいいことをやらなければならないと思い込んでやっていることもあるんじゃないかと思う。ともにミニマムケアでいくというやり方もあるはず。
同様に、男の介護って孤独な介護疲れのあげくの暴力や殺人が話題になりがちで問題ありありのようだけど、かといって女性の介護が万全なわけでなくむしろ危ういこともあるだろう。でも女性的な介護が一般的・スタンダードになっていることで危ういことも当たり前のこととして半ば正当化され顧みられないこともあるかもしれない。
一方、苦言を呈している点といえば、息子(男性)の介護ってコントロールしたいような思いが反映されてしまうこと。先述の「ミニマムケア」にしても、できないことの棚上げ、親の衰えなど見たくないものから目を反らしているとの指摘もあるとか。
ただ、誰がやっても介護は悲喜こもごもなはず。自分のやり方、自分なりの介護がなされればいいんじゃないだろうか。著者はこんなふうにも書いている(p.308)。
「『困っていない』僕らは、本当に困らなくてよいのか?」
「どうしたら僕らは、困るべきときに困ることができるのか?」
困っているときに困ったと言えない、助けてほしいときに助けてと言えない、弱みを見せられない男の「弱さ」を、「強さ」とかんちがいするのはやめたほうがよいのではないだろうか。男には弱さを認めることのできない「弱さ」がある……この問いに答えるのは、男たちの永遠の課題だろう。
介護って悲喜こもごも、困ったり迷ったり憤ったりしながらしていくもの。男だろうと女だろうと、誰だろうと。そういう意味で、困りながら介護をしていくことを当たり前として、息子たちも困りながら介護していることを表出しながら生きていくといい。 -
Posted by ブクログ
『私だけの問題だと思っていたら、
世代共通の問題だったのか!』
と驚愕した団塊ジュニアの私です。
私自身の問題であると捉える自己責任の考え方自体が団塊ジュニア世代の特徴であるという
二重の納得まで得てしまった。
「人に迷惑かけるな」と呪いのように言われて育った世代ですから
と団塊ジュニアのことを雨宮さんが言っていて、
『え!うちの母親だけじゃなかったのか!』と驚愕し、
「生きてると迷惑かけるから死にます」と言って自殺していった雨宮さんの友人たちの話にもすごく共感してしまった。
私も鬱状態になったとき、自分の存在自体が迷惑だから死にたいと母に言って母を泣かせたりした。
一時期母を責めたりもしたけれど、
母自体も団塊世代特有の価値観の中で
苦しんでいたんだよなと
なんだか俯瞰してみるキッカケをくれた本でした。 -
Posted by ブクログ
読みたいと思いつつ、先延ばしになっていた本をやっと読む。380ページと新書にしてはやや厚いが、書き方の指南だけあって、読みやすく、構成も抜群で、情報が頭に入りやすい。
流石です。
KJ法の発展型である「うえの式質的分析法」が詳しく説明されていて、昔書いた卒論とやり方が同じなので懐かしかった。卒論で行ったマトリックス法はいいやり方だったのだなーと感慨深い。
それにしても、お礼の仕方やら、コメントへの返し方やら、ホントに微に入り細に入り、教えてくれて、上野千鶴子って情の深い人だ。(こんなこと書くとメチャクチャ叱られそう笑)
書くこと、書きたいこと、書くべきことの責任を負うことの面白さも知ることができた。
一度ちゃんと知りたかった論文の書き方を知ることができた満足感で読後の充実度すごく高い。 -
Posted by ブクログ
ーーとりわけ男性は自分の尺度でフェミニズムを理解しがちです。「男児平等?そうか、キミたちはボクらみたいになりたいんだね。それじゃ、女を捨ててかかってこい!」……これが「機会均等」のルールです。(p.113)
ここを読んで、胸のつかえがスッと取れた気がした。今まで自分が何に足を引っ張られていたのかがよく分かった。
「男勝り」を求める思想は「弱さ嫌悪」とセットで、その根っこは父性原理至上主義的なニッポンの働き方にある。
結局、「働き方改革」とかなんとか言うけど、一番にメスを入れなきゃいけないのはここなんだと思う。
オッサンへの忖度よ、さらば。