上野千鶴子のレビュー一覧
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「フェミニズムはけっして女も男のようにふるまいたいとか、弱者が強者になりたいという思想ではありません。フェミニズムは弱者が弱者のまま尊重されることを求める思想です。」
これは本書に限らず上野さんがよく発言されていることだが、忘れないようにメモしておく。私が今まで「女だからと不利を被った覚えがない⋯」と感じていたのは、良い環境に恵まれたからなのと、強者のトラックを曲がりなりにもそこそこ順調に走ってきたからだった。きっと私自身が幾人も虐げてきたのだろう。これから何ができるだろう。
本書の冒頭に、吉野源三郎の『君たちはどう生きるか』の「君たち」に女の子は含まれていないと書かれていた。私にはそれを感じるセンスはなかった。
この本は、女の子たちから寄せられた疑問や質問に上野さんが答える形式で読みやすく書かれている。女だから云々と言ってくるオトナたちの言葉は真に受けなくていいんだよというような意識面の話については、まあそれはわかってますと復習感覚で読んだが、社会や企業や政治の仕組みについては目が開かれるような思いで読んだ。これまでいかに無知・無関心・無頓着であったか。
ラストのブックリストも参考に、もうちょっと考えてみたい。
(追記)
本書を読んで一夜明けて、見た夢の記憶――
ディズニーリゾートで私と娘はそれぞれ単独行動でやりたいことをやって過ごして楽しんでいる。ふと振り向くと、私に付き合ってくれてた父と夫が疲れ切った顔をしていた。父は苦笑い、夫は眉間に皺。
ここまでが夢の話で、起きた私はメリー・ポピンズの中の歌、Sister Suffragetteを思い出した。歌詞のこの部分、
Though we adore men individually
We agree that as a group they're rather stupid
ここ最高だなと思った。
いや、疲れさせてごめんっていう気持ちももちろんちゃんとあるんです。 -
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ネタバレ社会学者の上野千鶴子さんの本。男女の働き方、非正規職などについて、歴史的背景を踏まえてわかりやすく書かれている。「こんな世の中」といわなくてもよい世の中を、次の世代に渡すためには、政治に関心をもち、声を上げていくことが大事だと思った。
・なぜこれほど非正規職が増えたのか。企業が人件費を抑えるために低賃金で働く非正規雇用者を増やし、その人たちを企業の都合で使い捨てることに政権が同意したから。この状況は、政治家による人災というべきもの。
・男性の働き方のルールはそのままに、女性が同じ土俵に上がって競争させられることになった。これは、男並みのルールのもとで競争する「機会の平等」であって「結果の平等」ではない。男たちが作った土俵では、深夜残業や休日のゴルフ、転勤は当然。男たちが免れている家事や育児など家庭責任を担っている女性は、その土俵にのぼることが難しい。そして、女性が男並みに働けないと、「自己責任だ」といわれる。「機会の平等」とはこういうもの。 -
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女性のラスボスと巷のどこかに書いてあったような上野千鶴子、の論文の書き方の本である。私の大学卒業論文執筆はかなり厳しめの男性指導教諭の工学部研究室であったので、書いた卒論には自信があるけれども、この本で書かれている社会学の論文執筆方法も大体同じようなものであった。
アウトプットした人だけにたどりつける世界がある、と帯に書いてある。さらに続けて、情報が溢れかえる現代において「新たな知」をいかに発信するか?数々の人材を輩出した「東大上野ゼミ」伝説のメソッド公開!多くの東大生が学んだ知的生産の教科書。論文・レポートこれ1冊でOK!また、知的生産のエッセンスをこの1冊に凝縮!! とある。
この本は大学で論文特に卒業論文レベルを真面目に書く人のための本で、そこに上野千鶴子という厳しい大御所の先生はどのように指導しているのかというのが気になったことと、またこぼれ話が聞きたくて読んでみた。得られることは色々あったが、これから情報生産するために論文を書く予定はないし、一度論文を書いてかなり大変な作業であったので、今後特別なことがない限り、卒業論文レベルの論文は書くことはないと思うので、この書物は追体験に過ぎなかった。ただ、卒業論文レベルの論文にも程度の差がかなりあったし、私が書いたのも20年以上前の話だ。論文の書き方の基本は変わってない。論文を書くことが仕事の人もいるのだと思うと、論文を書くことに見切りをつけることもない。 -
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ネタバレ過去にこんなふうに戦ってくれた女性がいるから今があるのだと思った。また、祖母、母世代が耐え、「子供にはこんな思いをさせないよう」という気持ちも働いたのだと思う。(逆に「私はこうだったのだから」と押し付ける人もいるにはいるが)
「個人的なことは政治的である」子供のお迎えがあるから、家事があるから、フルに仕事をすることができないのは家庭の問題ではなく、そうせざるを得ない社会に問題がある。ハッとさせられた。この言葉は男性にも当てはめられる言葉だと思う。稼げない、稼がない男性は弱者になりがちな社会。男女ともに性別役割分担のない世の中になればいいと願う。
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上野千鶴子の担当する章が興味深かった。
ホモソーシャルな集団(往々にして男性中心のコミュニティを指す)では、同性愛嫌悪(ホモフォビア)とミソジニー(女性蔑視)を持つことで成員資格が与えられる。つまり、異性愛者として女性を性の対象として扱うことができてはじめて「仲間」として認められる。
ホモソーシャルの考え方を使えば、非モテ男性や弱者男性、インセルといった現象も説明できる。
冷静に考えたら別にモテなくて落ち込む必要はないのに女性に性的にモテなくて落ち込む人が存在する。
それは実は女性にモテないのではなく、自分が男社会で「仲間」と認められないから落ち込むのではないだろうか?
そういうのは本当の意味の仲間とは言えない。ので、「仲間」ではなくて、自分を仲間と認めてくれるコミュニティを探すのがいいと思う。世界は広い! -
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「女の子」だけじゃない。アラフォーも同じようにモヤってて、上野先生のご回答にスッキリする。配偶者をどう呼ぶかなんて個人の好き好きでいいんだろうけど、やっぱり夫を主人、旦那様と呼ぶのは引っかかってしまう。自分の配偶者は、夫、妻でクリアできるとして、本書でも触れられていた、2人称、3人称の相手に対する配偶者の呼び名に困る。2人称の場合、「夫さん」と呼ぶのに慣れてきたけど、目上の人に「夫さん」はちと失礼な気もするし、「妻さん」はまだ言い慣れない。3人称の場合はもっと困る。「パートナー」は確かに長いし、「お連れ合い」や「ご伴侶」は賢まりすぎている気もする⋯まあ、慣れの問題なんだろうが⋯同性パートナーも含めて、すべてを一撃でクリアできる呼び方、誰か思いついてくれないかな!(他力本願)
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半分ほど読んで、しばらく積読状態だったのを最後まで読んだ。
「ウィークネスフォビア」(弱さ嫌悪)の人を最近身近に感じることがあって、女性の敵は女性、なんてことに絶対したくないので、この人と手を握るにはどうしたらいいかなあーと考えてしまった。
貪るように上野千鶴子さんの本を読んでた時期があったが、あの時、私はこの方によって薄皮が一枚ずつ剥がれて成長していく快感を味わって清々しかったよなーと思う。
今はちょっと違った感覚で上野さんの著作を読んでいる自分は、その時より成長してるから新しい扉を開ける必要がないせいなのか、時代がかなり良くない方にシフトしているからなのか、後者でないことを祈るような気持ち。 -
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柚木麻子さんの『BUTTER』からこちらに流れ着いた。木嶋佳苗の事件当時、私は20代前半だった。その頃は、へえ、なんか大変な事件が起こったんだな、くらいの関心しかなかった。もう20年近く前の事件に興味を惹かれるのは、ルッキズムやミソジニーの社会的状況が当時と変わっていないからだし、私自身がそこにちょっと敏感になっているからだろう。いくつかの事件をとおして、男とは、女とは、男女の関係とは、について、ここまで断定的に迷いなく語ることができる御三方に憧れのようなものを感じたし、御三方間の捉え方、見方も違っていて(特に上野先生と信田先生は社会学=マクロ、心理臨床=ミクロというモノの見方の違いがあるんだろうな)、ある一つの力強い考えに傾倒しがちな私にとっては、バランスよくこの本のテーマを考えることができたかなと思う。とは言え御三方のおっしゃっていることは私にとってはところどころ難しかったが…
特に売春、援交で女性たちは傷つくか、という命題に対して、売春をしている人たちが、男を蔑み、絶望しているからこそ、セックスを売ることができているのだとしたら、私は単純に、ある対象に絶望し続けること、その対象と長い時間を共にすることだけでも、傷つく(というか精神が喰われる)のではないかなぁと思った。 -
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ネタバレ
1日で一気読みできるほどとても読み易く、非常におもしろかった。
森崎和江の章を目的として読み始め、引用される彼女の硬質な言葉の凄まじさには完全に喰らってしまい、『第三の性』をすぐに注文した。
石牟礼道子の『苦海浄土』「ゆき女きき書」は何度読んでも涙をこられられない。『最後の人 高群逸枝』を巡る記述は初耳で興味深かった。
田中美津の運動家らしいパンチの効いた言葉にも大いに感動したが、富岡多恵子の章が最も刺さったかもしれない。単独者としてのラディカルな思想には共感を覚え、必ず著書を読もうと決意した。
『女ぎらい』を読み、水田宗子『物語と反物語の風景』は既に購入して積んでいるため、早く読みたい。
以上の5名の日本人女性の思想を分かりやすく紹介した第一部が本書のメインであることは間違いないだろう。
後半・第二部の、外国語の古典的な名著パートは、おおよそ知っている内容の復習として読んだ。歴史学者スコットのみ初めて知った。スピヴァクが来日した時に森崎和江と対談していたのはアツい。
総じて、フェミニズムと批評への良質な入門書だった。
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瀧波ユカリが紹介してたので読んでみた。家父長制を固定的・普遍的な構造としてではなく、「変化し得るもの」として扱っている点が新鮮だった。霊長類社会におけるジェンダー構成の多様性、世界各地における母系社会の存在、DNA解析によるヨーロッパでの家父長制の広がり、さらにはアテネとスパルタの女性像の対比と、それぞれの章が「家父長制はどこにでも自明のように存在していたのか?」という問いに対し、歴史的・文化的・生物学的な反例を積み上げていく構成になっており、読み応えがあった。
特に、女性を「人を生産する資源」として奴隷化したという視点に対して、「それはすでに奴隷が存在していた社会だったからこそ起きた」という指摘は鋭くて、歴史のコンテクストを見落とさない著者の視線はすごくいい。
また、旧共産圏での女性エンジニア比率の高さを紹介し、女性の社会進出が社会主義によってある種「加速された」点に着目するあたりも非常に示唆的だと思う。「壮大な社会実験」としての社会主義が、皮肉にも女性の役割を拡張したという事実は、単に制度や思想だけではなく、実際の社会構造や目的によってジェンダーが変容し得ることを浮き彫りにしてる。
一方で、学者の名前や文献の引用が連続して、どこまでが著者の主張でどこまでが引用か判然としない構成は、読んでてかなりの負荷だった。家父長制における知的な冒険の連続であると同時に、編集的な視点からは「読みやすさの設計」において課題が多いと思う。めんどくさかった。巻末の上野千鶴子氏の解説が最も明快だった。
家父長制は肯定できないが、ある意味では人間社会が成熟していく過程における、ある程度合理的で必然の選択でもあったのではないか?とも考えた。これはとても皮肉なんだけど、現実を直視すると否定はしきれず、思考の余白を残してくれる読後感につながった。