上野千鶴子のレビュー一覧
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ネタバレ健康診断のリストを見て若い人に「年齢がばれるから嫌ですね」と言われました(年齢によって検査項目が増えるから)。当たり障りなくかわすためには「ね、ほんと嫌だー」というようなことをひとこと言っておくと良いみたい。「(その年齢に)見えないから大丈夫ですよ」というフォローにはとりあえず自分を下げ気味に表現しておきます。挨拶みたいなものだから、こちらも世渡り的に必要な範囲のリアクションを返します。しかしエイジズムについて学んだ経験を無視できないし、サラッとかわすにしても少しだけ労力が要る。というわけで読み始めた本。
「わたしたちは「若い(あるいは年齢より若く見える)ことが価値であるような社会に住んでいる。若い者ももはや若くない者も、その価値を内面化している。だからこそ「お若いですね」が高齢者に対する「ほめ言葉」になり、高齢者もそれを嬉しがる。」
人は老いるもの、衰えるもの。医療や公衆衛生などが発展し長寿を手に入れた社会で、長寿を憂うしかないのか?生産的でなくても、生きているだけでいいじゃないか、という後半の部分は上野千鶴子氏のよく話されている内容で、頭の中で拍手しながら読んでました。
第8章ではサルトルとボーヴォワールの恋愛関係、三角関係やそれをモデルとした小説の解説があって、話題のyoutuberのオープンマリッジを連想。笑
【第8章:女性の老い】 -
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上野千鶴子さんや樋口恵子さんが好きだ。この方たちの活動のおかげで日本の介護保険制度が高齢者とその家族を守ってくれているのだ。
お家で一人で死ねますか?はい、できます。家族がいてもいなくてもできます。独居でもがんでも認知症でも。心強い答えである。
自宅での看取りが病院や施設と比べてお金がかかるわけではない(むしろかからない)ということ、必要なサービスを必要なだけいれることが可能だということ、よく説明されていた。
高齢者が亡くなった時あわてて救急車を呼ぶのでなく、訪問看護ステーション、主治医、ケアマネ、訪問介護事業所の緊急対応窓口に連絡をと。大事な知識だ。 -
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ネタバレ2021年に出版された社会学者の上野千鶴子さんの本。一般的には、病院で亡くなるものと考えられている中、在宅で死を迎えることができると説明している。私もいくつか在宅での終末医療の本を読んだことがあったため、在宅で死を迎えることは可能だと考えていたので、特に違和感がなかった。ただ、新たに知ったこともあったので、まとめておきたい。
・年寄りの容態が悪化したとき、119番はしないことと筆者は言う。これには驚くけど、理由がある。 火事場の大騒ぎのような死に目に逢わなければならないことは、避けられるため。
・施設はある意味、刑務所なようなもの。そのように考えたことがなかったので驚いた。生活が 24 時間完結するからとのこと。
・死んでから葬式でどんなによい弔辞を読んでも、死者の耳には届かない。生きているうちに、すぐ感謝を伝えること。
・ひとりで暮らしている年寄りがひとりで死んで何が悪い、それを「孤独死」と いうのは嫌だという考えから、「在宅ひとり死」 という言葉を作った。言葉を作るところが学者さんらしい。
・認知症は自己責任なのか。そうではない。だれだってなるものだとのこと。理由なんてない。認知症予防や規則正しい生活をしている人だって、なる。
・生きるとは、食べて、出して、清潔を保つ、ということ。これが食事、排泄、入浴という3大介護。この3点セットが維持できるあいだは、生きられる。
・父の看取り経験から、健康な時に書いた日付入りの意思など信じるな、と思うようになった。また、いったん決めたことを最期まで貫くことを、尊いこととも思わなくなった。
・安楽死を求める社会は、緩和医療が遅れている社会。病で辛い痛みを抱えている人にとって、安楽死を求めるのは権利だと思っていた。しかし、緩和医療が遅れているという視点から見ると、確かにそうかもしれない。 -
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この本を学生の時に読んでいたら、挑戦しがいがありそうだと真剣に研究者を目指したか、こりゃ無理だとますます尻尾巻いて逃げる方向に拍車がかかったか、体の向きがどっちに傾いたかはちょっとわからない。けど、研究って、論文ってなに?状態で五里霧中の四苦八苦だったあのころに、こんなに明晰でしかも自信たっぷりなノウハウ本に出会っていたら、ありがたく吸収しただろうことは確実!と思った。
とはいえ、同じようなことは先生も先輩も言ってくれてた気がするが、みんな優しかった⋯。私は何より土台がゆるゆるなのでそこから⋯。
備忘メモ。
・ノイズから問いは発生する。
・答えの出る問い、手に負える問い、検証のためのデータアクセスが可能な問いを立てる。
・問いとは常に「わたしの問い」。論文の中立性、客観性など神話に過ぎない。
・(引用)主観的な問いに、経験的な根拠を示して、有無を言わせぬ結論に導くのが、経験研究というものです。
・(引用)質的データを徹底的に帰納分析し、データそのものに語らせる⋯⋯エビデンスにもとづいた経験科学として質的データを有効利用することができれば、たとえどんなに事例数が少なかろうが、それをもとに、確実にこれだけのことは言えると主張できるはずなのです。
・KJ法の説明のなかに、「曼荼羅図」が出てきた!
・概念(concept)の語源は「孕む」。 -
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「フェミニズムはけっして女も男のようにふるまいたいとか、弱者が強者になりたいという思想ではありません。フェミニズムは弱者が弱者のまま尊重されることを求める思想です。」
これは本書に限らず上野さんがよく発言されていることだが、忘れないようにメモしておく。私が今まで「女だからと不利を被った覚えがない⋯」と感じていたのは、良い環境に恵まれたからなのと、強者のトラックを曲がりなりにもそこそこ順調に走ってきたからだった。きっと私自身が幾人も虐げてきたのだろう。これから何ができるだろう。
本書の冒頭に、吉野源三郎の『君たちはどう生きるか』の「君たち」に女の子は含まれていないと書かれていた。私にはそれを感じるセンスはなかった。
この本は、女の子たちから寄せられた疑問や質問に上野さんが答える形式で読みやすく書かれている。女だから云々と言ってくるオトナたちの言葉は真に受けなくていいんだよというような意識面の話については、まあそれはわかってますと復習感覚で読んだが、社会や企業や政治の仕組みについては目が開かれるような思いで読んだ。これまでいかに無知・無関心・無頓着であったか。
ラストのブックリストも参考に、もうちょっと考えてみたい。
(追記)
本書を読んで一夜明けて、見た夢の記憶――
ディズニーリゾートで私と娘はそれぞれ単独行動でやりたいことをやって過ごして楽しんでいる。ふと振り向くと、私に付き合ってくれてた父と夫が疲れ切った顔をしていた。父は苦笑い、夫は眉間に皺。
ここまでが夢の話で、起きた私はメリー・ポピンズの中の歌、Sister Suffragetteを思い出した。歌詞のこの部分、
Though we adore men individually
We agree that as a group they're rather stupid
ここ最高だなと思った。
いや、疲れさせてごめんっていう気持ちももちろんちゃんとあるんです。 -
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ネタバレ社会学者の上野千鶴子さんの本。男女の働き方、非正規職などについて、歴史的背景を踏まえてわかりやすく書かれている。「こんな世の中」といわなくてもよい世の中を、次の世代に渡すためには、政治に関心をもち、声を上げていくことが大事だと思った。
・なぜこれほど非正規職が増えたのか。企業が人件費を抑えるために低賃金で働く非正規雇用者を増やし、その人たちを企業の都合で使い捨てることに政権が同意したから。この状況は、政治家による人災というべきもの。
・男性の働き方のルールはそのままに、女性が同じ土俵に上がって競争させられることになった。これは、男並みのルールのもとで競争する「機会の平等」であって「結果の平等」ではない。男たちが作った土俵では、深夜残業や休日のゴルフ、転勤は当然。男たちが免れている家事や育児など家庭責任を担っている女性は、その土俵にのぼることが難しい。そして、女性が男並みに働けないと、「自己責任だ」といわれる。「機会の平等」とはこういうもの。 -
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女性のラスボスと巷のどこかに書いてあったような上野千鶴子、の論文の書き方の本である。私の大学卒業論文執筆はかなり厳しめの男性指導教諭の工学部研究室であったので、書いた卒論には自信があるけれども、この本で書かれている社会学の論文執筆方法も大体同じようなものであった。
アウトプットした人だけにたどりつける世界がある、と帯に書いてある。さらに続けて、情報が溢れかえる現代において「新たな知」をいかに発信するか?数々の人材を輩出した「東大上野ゼミ」伝説のメソッド公開!多くの東大生が学んだ知的生産の教科書。論文・レポートこれ1冊でOK!また、知的生産のエッセンスをこの1冊に凝縮!! とある。
この本は大学で論文特に卒業論文レベルを真面目に書く人のための本で、そこに上野千鶴子という厳しい大御所の先生はどのように指導しているのかというのが気になったことと、またこぼれ話が聞きたくて読んでみた。得られることは色々あったが、これから情報生産するために論文を書く予定はないし、一度論文を書いてかなり大変な作業であったので、今後特別なことがない限り、卒業論文レベルの論文は書くことはないと思うので、この書物は追体験に過ぎなかった。ただ、卒業論文レベルの論文にも程度の差がかなりあったし、私が書いたのも20年以上前の話だ。論文の書き方の基本は変わってない。論文を書くことが仕事の人もいるのだと思うと、論文を書くことに見切りをつけることもない。 -
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ネタバレ過去にこんなふうに戦ってくれた女性がいるから今があるのだと思った。また、祖母、母世代が耐え、「子供にはこんな思いをさせないよう」という気持ちも働いたのだと思う。(逆に「私はこうだったのだから」と押し付ける人もいるにはいるが)
「個人的なことは政治的である」子供のお迎えがあるから、家事があるから、フルに仕事をすることができないのは家庭の問題ではなく、そうせざるを得ない社会に問題がある。ハッとさせられた。この言葉は男性にも当てはめられる言葉だと思う。稼げない、稼がない男性は弱者になりがちな社会。男女ともに性別役割分担のない世の中になればいいと願う。
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上野千鶴子の担当する章が興味深かった。
ホモソーシャルな集団(往々にして男性中心のコミュニティを指す)では、同性愛嫌悪(ホモフォビア)とミソジニー(女性蔑視)を持つことで成員資格が与えられる。つまり、異性愛者として女性を性の対象として扱うことができてはじめて「仲間」として認められる。
ホモソーシャルの考え方を使えば、非モテ男性や弱者男性、インセルといった現象も説明できる。
冷静に考えたら別にモテなくて落ち込む必要はないのに女性に性的にモテなくて落ち込む人が存在する。
それは実は女性にモテないのではなく、自分が男社会で「仲間」と認められないから落ち込むのではないだろうか?
そういうのは本当の意味の仲間とは言えない。ので、「仲間」ではなくて、自分を仲間と認めてくれるコミュニティを探すのがいいと思う。世界は広い! -
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「女の子」だけじゃない。アラフォーも同じようにモヤってて、上野先生のご回答にスッキリする。配偶者をどう呼ぶかなんて個人の好き好きでいいんだろうけど、やっぱり夫を主人、旦那様と呼ぶのは引っかかってしまう。自分の配偶者は、夫、妻でクリアできるとして、本書でも触れられていた、2人称、3人称の相手に対する配偶者の呼び名に困る。2人称の場合、「夫さん」と呼ぶのに慣れてきたけど、目上の人に「夫さん」はちと失礼な気もするし、「妻さん」はまだ言い慣れない。3人称の場合はもっと困る。「パートナー」は確かに長いし、「お連れ合い」や「ご伴侶」は賢まりすぎている気もする⋯まあ、慣れの問題なんだろうが⋯同性パートナーも含めて、すべてを一撃でクリアできる呼び方、誰か思いついてくれないかな!(他力本願)
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半分ほど読んで、しばらく積読状態だったのを最後まで読んだ。
「ウィークネスフォビア」(弱さ嫌悪)の人を最近身近に感じることがあって、女性の敵は女性、なんてことに絶対したくないので、この人と手を握るにはどうしたらいいかなあーと考えてしまった。
貪るように上野千鶴子さんの本を読んでた時期があったが、あの時、私はこの方によって薄皮が一枚ずつ剥がれて成長していく快感を味わって清々しかったよなーと思う。
今はちょっと違った感覚で上野さんの著作を読んでいる自分は、その時より成長してるから新しい扉を開ける必要がないせいなのか、時代がかなり良くない方にシフトしているからなのか、後者でないことを祈るような気持ち。