山崎ナオコーラのレビュー一覧
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Posted by ブクログ
「ミルクとコロナ」という不思議な題。
コロナにまつわる子育て本かな…と手にしたところ、予想はほぼ的中。
コロナ禍突入時、一番下の娘が小学生になったばかりだった私は、乳幼児を抱える人達がどれだけ大変な思いをしているのかが気になっていた。
職場にも乳幼児を持つ人達はたくさんいたので、時々話は聞いていたものの、いまひとつ想像できずにいた。
ナオコーラさんと白岩さんのエッセイを読んで、在宅勤務をされている方々の苦労と、様々な気づきに驚かされた。
コロナ前と後。
育児に対する姿勢は変わらなくても、今まで通りに行かないことでお二人が楽しみながら工夫して子育てしている様子は微笑ましい。
そして、コロナ禍での子どものコミュニケーションについてお二人も色々と悩んだり心配していたことに共感する。
中でもナオコーラさんが発達障害を抱えているかもしれないお子さんと彼女自身について、自分達は困っていないけれど、周囲が型に嵌めようとすることに戸惑う様子が印象的。
「普通と違っているせいで困ったり大変だったりしているから、普通になるように治したい」のではなく
「特性を知り、自分に合った教育を受けてほしい。周囲を傷つけることなく、自分も大事にして、生きていって欲しい」
という願いに頷くばかりだ。
みんな違ってみんないいという言葉をよく耳にするけれど、結局は学校や医療現場でもみんなと同じにしなければ、注意されるし見捨てられたりする。
コロナ禍でのマスク警察はほんとに酷かったし、今でもマスクをしなければ入れない病院や施設はたくさんある。
みんなと同じにできない人もしたくない人も、周りのみんながそれを認めて、必要な時には手を差し伸べることができる。
そういう社会にしていくことが大人の責任なのだろうなと思う。
お二人の子育てのその後。また読んでみたいな。
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Posted by ブクログ
これはとても不思議な心地の異空間に連れてこられたようで抜け出したいって思ってしまった。
「あきらめる」の語源は「明らかにする」ことからきていてネガティブな表現でないとか。
作者の言いたいことってそれよりも頻繁に使用してる「科白」じゃないかと思ってしまう。セリフのことらしいけど初めて訊きました。この言葉、普及させようと多用してるんですよね。
私が使いたい言葉2024は「リノリュウム」なんですけどなかなか使う機会がありません。病院のリノリュウムが冷たくってとか、さりげなく表現してみたいww
これは言葉テロに巻き込まれた感じです。
「高齢者」のことも「成熟者」と呼ぶのが流行ってるとかダメージ少ない言葉を使っても実体は変わらないと思うのですけど。
挨拶できない5歳児を危惧する保護者。
挨拶って、相手に敵意があるかどうか、機嫌がいいかどうかとか探るためのコミュニケーションツールだと思うのですが、人と調子をあわせる必要のない状況なら、ポーカーフェイスのまま相手の出方で探るのもいいと思うのですけど・・
現代なのか近未来なのか、マイノリティに寛容な人々が暮らす世の中は圧倒的な個人主義の形相で馴染まない。真っ先に浮かんだのはフランス人なんですがそれも偏見なのかぁ。
ともかく砂場でオリンポス山作るとか発想がぶっ翔んでたぁ。時より出てくる身代わりロボっトも愛らしい。外に出られない人に代わって散歩とかしてるようで遠隔操作で臨場感味わえるみたいだけど、足腰弱くなって山とか登れなくなったら身代わりロボットにアルプス縦走してもらったり、アイガー北壁とか、厳冬期のエベレストとか、七大陸最高峰とか登って冒険したくなりました。
ジェンダー平等や人種、年齢からくる差別もなく扱う文章には親近感湧かないし認識阻害効果があるようで人の外見的特徴や、距離感がつかめない。とりあえず関わる人すべて不審者として、なんだかのハラスメントをもたらす存在と判断したほうがよさそうな気さえしました。
結婚も、育児も、仕事もテキトーに火星に移住するとかやっぱぶっ飛んでますよね。重力が地球の3分の1だから飛んでるように歩けるかもしれないしオリンポス山に登れるかも。
けど、この世界観に浸っていたらどうでもよく思えてきて無理な気がしました。
自分が何者でもないってわかることって無茶怖いことだし、いろいろ抵抗して生きていくことのほうが食事が美味しく感じられるし、睡眠の質もよくなると思いますが、あきらめることよりも、憧れや達成感を持って生きていきたい。
「あきらめたらそこで試合終了ですよ」って安西先生の言葉の方が素敵だと思ってしまう。 -
Posted by ブクログ
以前からラジオ番組『アフター6ジャンクション 2』や西加奈子さんのPodcastでの紹介を聞き、吉高由里子さんも大河ドラマでの時代考察の参考として読んだと聞いていた山崎ナオコーラさんの著作を自身の関心と交わる様に感じたので初めて拝読した。
読んでみての一番の感想は、私の中にあった不安定な基準に一本の柱を通してくれた作品だと感じた、である。
生活をしている中で性別、容姿に関する先入観、ついてまわるイメージと、こうした方が良い、こうするべきであるという圧力を感じる場面を日常的に体感し、おかしいと感じながらも、これは合わせられない自分がおかしいのだろうと思っていた。
沢山ある正しそうな雰囲気を持つ声のどれを指針とするべきかも分からないままに、フラットでありたいと思いながらも女尊男卑的な考えに寄り添うにもなっていたと思う。
この本の通してくれた柱はがっしり固定する石柱ではなく、五重塔の中央にある様な木の柱のイメージで、そんな不安定だった指針に理由を与えてよりシンプルにしてくれた。
女性が強い立場になる事を求めるのではなく、根本的にどの立場に対しても公平である為に弱い立場に手の届く配慮を行う。
弱い立場という前提で行動や言葉を発するときに、ある種の差別を行う当たり前も取り除かなければ、熟成された社会足り得ないと納得した。
また、悪口は文脈により単語に依らない。も、大切な考え方だと思った、そして、それを実行する為には思考を放棄しない常に自身の発言が及ぼす効果を考えることが必要だと感じた。
小さな子供が〇〇と言ってはいけないと言われて、隠語のように悪口を言う事。
大人が日常的な言葉に悪意を忍ばせる事。
どちらもが上記に当て嵌まり、これの改善を私の倫理観としたいと思った。
差別をしない事は私にとっては能動的な事だから、もっと知ることを大切にしていきたい。 -
Posted by ブクログ
主夫のお話。
ナオコーラさんの作品には、固定概念に囚われないキャラクターが登場する。
常識を疑う。
一般論、マジョリティに従う、同調圧力に従うことが、いかにつまらないかを感じさせてくれます。
やっぱり、やっぱりオリジナルの生き方をしてナンボだよなぁって。
主夫の妹子とタロウとみどりの3人家族。
一家の経済を支える大黒柱は、稼ぎの良い妻のみどりが担うことになった家族。
妹子は、主夫の道を歩み始めるわけだが、時給換算の癖があり、どうしても劣等感を募らせてしまう。5歳くらいの息子のタロウとの対話、みどりとの対話、近所の人との対話を通して徐々に劣等感から解き放たれて、時給では測れない価値を見出していく。
ヒモだと自覚していた妹子がリボンへと成長していく。
他のブクロガーさんが書いてだ通り、タロウがいい。普通の挨拶はできないけど(あえてしてない気もしたけど...)、面白い視点の質問とかで会話を成立させる。タロウの予定不調和さは、一緒にいてワクワクさせる。
やっぱり、思ってもいない事が起こったり、思ってもいない視点を持つ人と生活するのが、面白いよなぁと感じた。
字も大きくて、短編に近い文量。すぐ読み終わります。
ナオコーラさんがユニークだから、ユニークなキャラクターを生み出せるんだろうなぁ。
短くて物足りない感じも確かにあったけど、世界の広げ方もいろいろあることを学べました。
新しい発見もある作品です。
どうやらエッセイも面白いみたいなので、今度手に取ってみよう