山崎ナオコーラのレビュー一覧
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Posted by ブクログ
即物的な日常を生きる精神の在りようとして、「長い終わり」は純粋さと同型だ。「長い終わり」という純粋さは、決して終わらない。それは、自らの純粋性それ自体をも否定しうるほどの徹底さによって、逆説的に「長い終わり」を終わらせる機制を自らの内に欠いているからだ。それが終わるとすれば、その純粋さが否定によって押し出した外部からの圧力によって終焉を迎えるしかない。その時、純粋さを生きてきたその人間の美的感性そのものが消滅する。
ところで、「長い終わり」という純粋さが、その実、外部に対して自らの「弱さ」が精神に取らせる防衛的構えでないと、証明することはできるだろうか。できないだろう。この問いは、純粋さの内に於いては決定不可能な命題であり、それを決定する機制も自らの内に欠いているのであるからして。
純粋さの強張った脆さが、淡々とした筆致の中に描き出されている。
「人間も[水と]同じようなもので、この街に溢れる男女は、それぞれの肌が区別され、各々歩き回っているが、ひとりの指先がどこまでなのか実は曖昧であり、この人形[ひとがた]はいっときの仮の姿でしかなく、誰かと触り合えばすぐに境目が溶けてしまい、自分というものを意識するのが難しくなるのではないか・・・。自分の体がどこまで伸びるのかが分からない」
「セックスって、いつが終わりなのか、分からない。小笠原が田中のことを好きな間は、日々を越えて続いていく行為なのだろうか。まだ終わっていない、と小笠原は感じる」
「男の生理感覚に偏って成立しているセックス文化は、おかしい。射精でなんか、セックスは終わらない」
なお、批評家による巻末の解説は、蛇足の典型。