山崎ナオコーラのレビュー一覧
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Posted by ブクログ
14歳と25歳の『私』。近頃facebookなどで、「いいね!」という言葉を沢山目にします。女の子どうしの間では「かわいいね!」と言い合う習慣が身についているように感じます。自分もみんなとおなじだとか、規則を破りたくなるたちでした。本当に皆が皆おなじものをみて、おんなじように感じているのか不思議に思うことが多々ありました。『私』のきもちはいつも素直に口に出せていないけど、宗教ごっこの神との文通、会社の同僚だったミカミさんとのパソコンでのメールのやりとりではピュアな少女に見えました。悩み、もがきながら進む女性はきれいだなと思いました。しかし自分は、犬井みたいな人になりたいのです。
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Posted by ブクログ
青春モノ、恋愛モノというようにあっさりとは分類できない作品。
行間も大きく頁数も少ないのであっという間に読めた。もっとも、この手の作品にはじっくり行間を読む姿勢が必要とされるんだろうけど。
正直、一昔前の自分なら間違いなく
「なんだこのよく分からんくてオチのない話」
と一蹴していただろうが
大学に入ってそれなりに友人もできて、女の子とも付き合って、酸いも甘いも味わった今の自分にはひどく共感できる部分が随所にあったのも事実。
人の気持ちは簡単に変わるし、他人の気持ちなんて分からない。分かろうとするのが間違いなのかも。
恋愛ってムツカシイ・・・ -
Posted by ブクログ
即物的な日常を生きる精神の在りようとして、「長い終わり」は純粋さと同型だ。「長い終わり」という純粋さは、決して終わらない。それは、自らの純粋性それ自体をも否定しうるほどの徹底さによって、逆説的に「長い終わり」を終わらせる機制を自らの内に欠いているからだ。それが終わるとすれば、その純粋さが否定によって押し出した外部からの圧力によって終焉を迎えるしかない。その時、純粋さを生きてきたその人間の美的感性そのものが消滅する。
ところで、「長い終わり」という純粋さが、その実、外部に対して自らの「弱さ」が精神に取らせる防衛的構えでないと、証明することはできるだろうか。できないだろう。この問いは、純粋さの