【感想・ネタバレ】美しい距離のレビュー

あらすじ

芥川賞候補作
島清恋愛文学賞受賞作

死ぬなら、がんがいいな。
がん大国日本で、医者との付き合い方を考える病院小説!

ある日、サンドウィッチ屋を営む妻が末期がんと診断された。
夫は仕事をしながら、看護のため病院へ通い詰めている。
病室を訪れるのは、妻の両親、仕事仲間、医療従事者たち。
医者が用意した人生ではなく、妻自身の人生をまっとうしてほしい――
がん患者が最期まで社会人でいられるのかを問う、新しい病院小説。

解説・豊崎由美

※この電子書籍は2016年7月に文藝春秋より刊行された単行本の文庫版を底本としています。

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Posted by ブクログ

ネタバレ

「好きな人の爪を切るというのは、こんなにも面白いことだったのか」

最近読んだ本の中で断トツ素晴らしかった…!生涯大切にしたい本です。
がんに罹患した妻を看取る夫の心情と、夫を通して見た妻の物語。
当たり前のことのようですが、日本人の死亡原因1位のがんで亡くなるとしても、一人として同じ最期を迎える人はいません。

夫は、妻をがん患者としてではなく、社会生活を営んできた一人の人間として、妻自身がなにをしたいのか、誰に会いたいのか、そして自分とどうやって共に過ごしていきたいのかを看取る瞬間まで、悩みながらも考え続けます。
フィクションとして読むと、そんなの当たり前やんって感じもしますが、実際看取りのときって相手を必要以上に''病人''として扱ってしまう気がします。私は成人してからの看取りの経験はないのですが、相手が家族なら余計、優しさゆえに大事なもの扱いしてしまうと思う。がんになったからといってこれまでの本人の全てが変わった訳では無いのに。

だから夫の思考や妻と接する姿は、ある意味「がん患者を患者扱いしすぎない」お手本のようで、最初は立派だけど現実味ないなぁと思いながら読んでいました。が、読み進めるにつれて、夫の姿はむしろめちゃくちゃリアルなのでは?と印象が変わっていきました。
夫は妻のことがシンプルに好きで、きっと最初は恋だったものが愛となり、そして自然に妻自身を尊重したい、妻と過ごす時間を大切にしたいと考える夫になっていったんだと思います。

例えば、感想冒頭の「好きな人の爪を切るというのは〜」は、だんだん自分の身の回りのことができなくなる妻の髪を梳かしたり爪を切ったりする場面の夫の内心なんですが、文中にこういう妻への「好き」がちょこちょこ出てきます。
妻に直接「好き」だと伝える場面はないですが、だからこそ小説として夫の内心を読ませてもらってるこちらには、その気持ちが妻への正直な愛情として伝わりました…!あと結婚20年ぐらい(たしか)経っても心の中で妻のことを「好き」と思えてることってめちゃくちゃかわいい!笑

また、看護師さんから話しかけられた時などに、夫は「(妻も)自分でできることは自分でやりたいはずだ」として、極力妻が返答するようにしていたところもすごく大事な視点だと思いました。
看取りに限らず、介護や子育てにおいても、ついつい「やってあげよう」として、本人の自尊心ややる気を削いでしまうことってあるあるなので。

*以下ネタバレ

死別した瞬間で物語が終わらなかったところもよかったなあ。夫自身何度も言葉にしていたように、「死の瞬間」に立ち会うために見舞いに来てるわけじゃなくて、「今この瞬間」のために逢いに来てるんだから。死別してもこちらの生活は続くわけですから。

そして山崎ナオコーラさん著を読むのは初めてでしたが、夫の人間関係、社会関係における絶妙な距離感や微妙な違和感を言語化するのが上手すぎる…!
夫の夢に出てくる妻が、最近の病気の状態からだんだん昔の元気な姿で現れるようになったという描写も、夫と妻の''距離''が離れていくのを現していてすごくリアルでした。

「離れていく距離さえも美しい、遠くても関係さえあればいい」 ─── 「距離が離れる」ことはどうしてもネガティブな意味で捉えてしまうけど、その距離さえも一つの在り方だと、そう思える人を私も大切にしていきたい。

読後は、大事な人と向き合う時間や距離の変化を意識できる、つまり余命を宣告されてタイムリミットを知ったうえで死を迎えることのできる、がんという亡くなり方をあまりにも前向きに捉えられるようになってしまった。

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【随所の感想】

夫が妻のお見舞いに訪れることについて、お義母さんから「ありがとうございます」と言われる。その度に主人公(夫)が違和感を抱く描写
ーーー こちらは来たくてきているのだからお礼を言われるようなことではない、という気持ちと、お礼を言う側=自分(夫)より妻に近しい身内の人間である気がするいう感覚。感じたことないけどわかるわ…!自分が夫の立場ならお邪魔してます」って言ってほしいかも。

転院する病院によって、治療方針が「改善のための治療」から「最期の過ごし方をケア」に変化する描写
ーーー 自分がどう生きたいかではなく、医療体制や外部社会から「生」の段階を突きつけられるということ。もどかしさは計り知れないし、それを受け入れた上で、自分に合った生き方を選び直すには、さらに相当な時間と心の整理が必要になるだろう。

延命治療をしない=生きる未来を諦めているわけではない、ということ
ーーー めちゃくちゃわかる…!多分自分も同じ感覚。でも上手く言語化できない…。がんの治療はまだ生き続けられる身体にするための治療、延命治療はもう生き続けられない身体をこの世に繋ぎ止める治療。だから延命治療で伸びた寿命は私のものではないって感じかな。

「まだ余命とかという段階ではないの?」
ーーー そんなん聞くなよ!!

「二人の生活のためにサンドウィッチ屋を経営しているのではなく、社会活動としてやっているのだ」
ーーー このマインドで個々が自立した夫婦になりたい

紫陽花はガクが色づいているんだって。初めて知った。

亡くなる直前の呼吸の描写からきちんと裏取りされたものだろうということが伝わってきた。死はこうやって急に、でもじわじわと込み上げてくるのかな。

死後妻に着せる服について、二人(自分)の思い出のワンピースを着せたいと思っていた夫が、妻が生前魂を捧げたパン屋の服装にしようという義母からの提案に、目からウロコ状態になる
ーーー 自分も夫と同じ発想になりやすい性格だからこそ思うけど、これは妻の気持ちを蔑ろにするような間違っている感覚では無い。でも「かつての妻(と自分)」に目を向けた発想であって、「今の妻」が大切にしていたものとは違う。残された側が「自分のための思い出」ではなく、「その人自身が大切にしていたもの」に目を向けるって、やっぱり簡単じゃないんだなあと改めて感じた。

妻の葬儀の手伝いに自分の知り合いではなく、妻の知り合いに声をかけるシーン
ーーー こういう対応ができるように、家族の交友関係は知っておきたいなと思った。

「(綺麗に化粧は施されているが、生前の妻とは全く違う、死に)顔を見たくない、見せたくない」
ーーー この感覚はまだ自分には分からなかったなあ。自分は大人になってから葬式に参列したことがないから、葬式のシーンで世間話したり夫に妻の病状についてはっきり聞いたりする描写は意外だった。日常の延長みたいな、悪くいえば野暮な空気なんだなと。

「関係が遠くなるのもまた嬉しい」
ーーー とてつもない信頼と情愛がないと、そんなふうに思えないだろうなあ。その人との関わりすべてを、距離も含めて愛おしむような、穏やかな愛。そんな気持ちを自分も抱ける日が来るだろうか。

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【響いた言葉】

●主人公(夫)
仕事というものを、誰かを幸せにする行為だと思い込んでいた。他の誰かを幸福にする代わりに自分が社会で生きていくことを許されるのだ、と。だが、違うかもしれない。幸福だの不幸だのというのは当人の感覚で判断するもので、他人がジャッジできるものではない。〜〜〜本当の「ありがとう」、本当の「幸福」だけを求め、社会に役立つ自分に酔おうとしたばかばかしさに思い当たった。

病気になると実年齢を離れるのだろうか。子どものように他人から扱われる。

来年まで生きると思っていないのだろう。でも、そういうことを言ってこちらを困らせる気もないのだろう。言葉を詰まらせて、ちょっと笑うわけだ。

しかし、これまではずっと、未来を見ることで明るく生きてきたのだから、未来を見ずに明るく生きる方法が、今はわからない。

配偶者というのは、相手を独占できる者ではなくて、相手の社会を信じる者のことなのだ。

好きな人の爪を切るというのは、こんなにも面白いことだったのか。

だから、「上手くいかなくなってしまう人間関係」を作っているのはこちらの感受性の問題なのだろう。

「忌引き」という休みがあるが、死んでから休みをもらってなんになるのだろう。むしろ、死ぬ前に休みが欲しい。

鼻に酸素の管、腕に点滴、尿道にカテーテルが差し込まれていて、体が管だらけな上に、手にミトンをはめさせられた姿は痛々しく、人間らしさがうすくなって、屈辱的な環境に貶められているようにこちらからは見えた。でも、「では、管に繋がれていなければ尊厳のある状態なのか」と改めてかんがえると、そんなに単純なものでは無い気もしてくる。「自然な状態」という既成の理想を頭に置いて、「みていられない」とこちらの勝手な感性で捉えるから、尊厳がないとか自然ではないとかといった感覚を味わうだけのことかもしれない。

死の瞬間を、大事な瞬間のように捉えたくない。死の瞬間なんて重要視していない、それのために見舞いに来ているのではない、今のこの瞬間のために見舞っているのだ、と医者にもみんなにも声高に訴えたい。

●妻
「〜〜〜元気がなくても社会と関わりたい。元気がない社会人だっている」

「仕事相手は大事だよ。自分がこの社会に存在することを許してくれる」

●解説より
いい小説が備えている美点のひとつに、読む前にはなかったものの味方を与えてくれるという効能がある

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2025年06月05日

Posted by ブクログ

「がん患者である妻」ではなく「そのままの妻」として全てを考え行動しようとする。
そんな主人公の葛藤に心が揺さぶられました。

愛の形は人それぞれあれど、この人の愛はなんと美しいんだろう。
本当に愛しているんだな、大切なんだな。
そうひしひしと感じる作品でした。

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2025年01月23日

Posted by ブクログ

人物名などの詳しい説明がほとんどなく、妻の看護中に感じた違和感や出来事を淡々と語った小説でした。名前を呼び合わないっていうのが家族っぽいなぁと思いました。

亡くなった奥さんに手を合わせることなどできない、と固まってしまった場面は泣けました。

自分も死ぬときは妻と同じがんがいいと思い始めている、というのは看病する中でもはやがんは妻の命を奪った憎いものという存在ではなくなったんでしょう。

故人との距離は死後も遠くなったり、近くなったりする。距離が変化することは悪いことではない。悲しい話なのに悲観的ではなく、先の未来も感じられる静かな小説でした。

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2024年05月25日

Posted by ブクログ

ガンと死についてではなく、死ぬまでは(病気じゃなくても)生きていて、人と関わることが書かれている。人と人との距離って難しいね。夫の心の狭さ、めちゃくちゃ共感。みんな自分が大好きだし、自分の価値観が正しくてそこから発生するストーリーに、他人のことを嵌め込める。悪意はない。それに、ん?と違和感を覚える感じ。で、いちいち争わず、飲み込んだりやり過ごす感じ、わかるわ〜と思いながら読む。

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2024年05月12日

Posted by ブクログ

ネタバレ

タイトルがいいな。
40代で癌を患って人生の終わりに向かっていく夫婦の物語。夫目線で、弱っていく妻を見ている。さらりとしていて、病室に「きたよ」「きたな」とやりとりしながら入っていく。妻がどう考えているか、胸の内で憶測しながら、もちろん会話も重ねながら日々が過ぎていく。
主人公の男性は、自分で自分を「心が狭いからいらいらしてしまう」と分析している。医師の一言やしぐさ、介護認定員の職員のおせっかい、見舞いの人の態度にいちいち傷ついたり、怒りを覚えたりする。妻を気遣い、「ちょっと…いやな思いしただろ?」と聞くと「え?いい人だったよ?」と返ってきたりして、「あぁ、自分の心が狭いからいらいらしてしまうんだ…」と感じる。
こういうところ、すごくすごく共感する。私も心が、というか、許容範囲が狭くて、そんな自分が嫌になることが多々ある。価値観が合わない、絶対に合いそうにない人たちと一緒に仕事しなくちゃいけないし、人を相手にする仕事だからどんな人も受け入れなきゃいけないんだけど、すごく拒否感感じたり、見下してしまったり(絶対ダメなのに)して、仕事に差しつかえることがある。
色々葛藤を抱えながら日々が過ぎていく。妻はだんだん弱っていく。
3つ病院を代わって、死に向かっていく。よくある闘病を描く小説やドラマなら、「一時帰宅しましょう」とか「思い出の場所に…」とかなることが多いけど、「家に帰りたいか?」と聞くにもすごく考えてしまってうまく聞けない。妻も家に帰りたいとか言わず、ただ静かに「今」を受け入れている。
最期の看取りのシーンはとても…なんというか、静かで、切なくて、でも淡々としていて、あとで主人公の夫が振り返るように、決してその「瞬間」が特別なものではなかった。人生は、どの瞬間も特別だし、病気にならなくたって、癌じゃなくたって、人は生まれたときから死に向かっていっている。
亡くなったあとの、妻の夢や、妻が遠くなっていくけど、その距離も美しいと感じる心持ちも、とても素敵だと思った。死をどうとらえるか、心に響きました。
ナオコーラさん、また読みたいと思います。

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2024年02月17日

Posted by ブクログ

ネタバレ

結婚に対するネガティブな感情(女としての役割を押し付けられる、自分の負担が増えるだけ等)を少し改めた。
お互いを社会人として尊重し合う、2人の関係はとても素敵だ。
愛する妻のために働き方を工夫しながら看病する主人公は、献身的とも言えるが多分違う。彼は好きな人と一緒にいたくて、少しでも力になりたい一心だけど、自分が属する社会、妻が属する社会両方を大事にしている。
私もそんな人生のパートナーがいたらいいなと思った。

妻の死の場面では号泣した。段々と呼吸の間隔が大きくなり、息をしなくなる描写がとてもリアルだった。
死んだ途端に向こう側の住人として、神様のように扱われることに主人公は違和感を抱いていたけど、遺族がその先の人生を生きるために必要な儀式なんだと感じた。

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2023年09月02日

Posted by ブクログ

帯を見て、反射的に
切ない感じを想像していたけど
そうじゃなかった。

がん患者と家族の心のうち、
医師をはじめ、そこに関わってくる人たちとのやりとりで感じるさまざまな思いや葛藤、
どう社会と関わっていけるのか…

登場人物に名前がないぶん、
彼らが着ている服の色や仕草を
何度も描写しているのが印象的だった。
それが、淡々と物語が進んでいくように感じた
理由の1つかも。

主人公が、
がんを患った妻の入院先へ向かうところから
物語は始まる。
がん患者が考える仕事への思いと距離感。
がん患者家族とそれ以外の人たちとの距離感。
逝ってしまった大事な人との距離感。
とても冷静に綴られているなぁ
何度も思った。

がんに対して明るいイメージを持てた、と
主人公は言う。
あたしは、正直そこまでの変化はなかったし
最期の瞬間もあたしには大事なものだった。

だけど、
抱きがちながんへの悲観的なものは
なんか違うんじゃないかって思う。
がん患者だって可能な限り、
社会と関わっていたい。
仕事だってしたい。
延命治療をしないからといって、
全てを諦めているわけじゃない。

病室のロッカー、テレビカード、
横長の白いテーブル、
仕切りのカーテン…
自分もがんで父を亡くしているから
ものすごくリアルでに感じられ、
まるで自分の記録、のような一冊だった。

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2023年07月27日

Posted by ブクログ

あなたは、『がん』で死にたいと思いますか?

2021年の厚生労働省”人口動態統計”によると、この国で亡くなった方の死因は
第一位: 悪性新生物 26.5%
第二位: 心疾患 14.9%
第三位: 老衰 10.6%
という順位になるようです。悪性新生物、つまり『がん』が死因の四分の1を占めるという現実。60歳代に限るとその割合は45.2%にも上ると言いますから、『がん』という病が私たちにとって極めて身近にあることがよく分かります。この大きな割合を考えるとあなたの周りにも『がん』で亡くなられた方がいらっしゃるのではないでしょうか?

そんな『がん』は昔から小説の題材にもなってきました。不治の病という言葉と一番に結びつく『がん』は、その診断がなされてから亡くなるまでに一定の期間ができることから、物語として描きやすい側面はあるのだと思います。そんな運命に抗い、やがて諦めの感情の中に結末を見る『がん』。そんなある意味わかり切った結末に、それでも人が惹かれるのは、この世に生きるあなたにも、そしてわたしにも、決して他人事と言い切れない『未来』だからなのかもしれません。

さて、ここに、『四十代初め』という若さで『がん』になった妻を看取る一人の『夫』の物語があります。そんな『夫』が『来年まで生きられると思っていないのだろう』と妻の心情をさまざまに思いやるのを見る物語。そしてそれは、『がんは、それほど悪い死に方ではない』という思いの中に『夫』の人生観の変化を見る物語です。

『ターミナルにある三番乗り場から「新田病院行き」のバス』に乗ったのは主人公の『夫』。『終点に着く直前に、菜の花畑が左手に見え』たことに、『初めて会ったときの妻は菜の花模様のワンピースを着ていた』と振り返ります。『会社の上司の子どもだった』という妻との接点は、『夫』が就職した『生命保険会社』に起点がありました。配属された営業職の『体育会系のノリ』が、『大学ではフランス文学を専攻した身にはつら』いという中に『五年目にして辞めたくなって』いた『夫』に、新しく『赴任してきた』支社長が転機をもたらします。『部下を苗字に「さん」付けして呼』び、『叱咤激励ではなくて冷静な問いを投げ』てくれる支社長の下で『だんだんと仕事を続けられるような気がしてきた』という『夫』。そんな中、『ある日曜日』に、街で『支社長とその家族にばったり』遭遇します。『こんにちは。父がいつもお世話になっています』、『こ、こちらこそ、いや、こちらの方が、大変お世話になっております』という挨拶だけでその場は終わるも『一ヶ月ほど経った日の終業後に、支社長から自宅に招かれ、夕食をごちそう』になった『夫』。『連絡先を交換し、それからは自然とデートを重ねた』二人は『翌年には結婚し』ました。そして、『子どもには恵まれなかったが、楽しく十五年間を送ってきた』という二人。『結婚当初』『大手食品会社の事務職に就いていた』妻は『二年後に退職し、ひとりで店を始め』、今に至ります。『来たよ』、『来たか』と病室に入った『夫』を迎える妻に『今日はあったかいよ。菜の花が満開だった』と道すがらの景色を話す『夫』は、『手の動かし方や、匂いなどが、おばあさんじみてきている』と『この病気に四十代初めでかかるのは稀らしい』目の前の妻のことを思います。『新しい物語を見つけなくては。年齢のことは忘れよう』と思う『夫』は、『じゃあ、梳かすね』と『ロッカーから鼈甲色の櫛を取り出し』、妻の髪を『そおっと梳か』します。『二週間前からやってあげるようになった』という髪を梳かす行為は『抗がん剤治療で髪が抜けるかもしれないということを聞き』『肩に付かないくらいの長さに切っ』て以降行っています。しかし、『意識が混濁してせん妄と呼ばれる状態に陥』ったことで『抗がん剤治療は二回で中止にな』りました。そんな後にトイレへの付き添いに車椅子で病室を出た二人は『大きな窓』のある『デイルーム』へと向かいます。『あ、菜の花畑だ。見える?』と『はしゃいで指』を指す『夫』は、『駅前には、桜も咲いていたんだよ。大通りの桜並木の。来年は、一緒にお花見をしよう』と誘います。それに、『…うん、そうだね』と答える妻は『曖昧に頷いて笑顔を作』りました。そんな妻を見て『良い科白ではなかった』と後悔する『夫』は、『未来を見ずに明るく生きる方法が、今はわからない』と思います。そんな『夫』が、妻の最期の日まで、さまざまに思いを巡らす様が静かに描かれていきます。

“死ぬなら、がんがいいな。がん大国日本で、医者との付き合い方を考える病院小説!”と内容紹介にまずうたわれるこの作品。そんな内容紹介には、かなり詳細に、この作品の概要が語られています。この作品はそんな前提としての”あらすじ”をネタバレと考える作品ではないと思いますので、ここでも敢えて引用しておきたいと思います。

“ある日、サンドウィッチ屋を営む妻が末期がんと診断された。夫は仕事をしながら、看護のため病院へ通い詰めている。病室を訪れるのは、妻の両親、仕事仲間、医療従事者たち。医者が用意した人生ではなく、妻自身の人生をまっとうしてほしい ー がん患者が最期まで社会人でいられるのかを問う、新しい病院小説”

どうでしょうか。これだけの前提でこの作品が非常なもしくは非情な重みを持った作品であることがわかるかと思います。また、ネタバレ以前の問題として、結末に何が起こるのか、これも改めて説明するまでもありません。しかし、この作品の読みどころは、そんなある意味予定されたストーリー展開ではなくて、そこに私たちにさまざまな問いかけがなされていく点にこそ意味があると思います。

そんな作品で、まず注目したいのはこの作品の”視点”です。物語は終始”末期がん”の妻に付き添う『夫』視点で書かれています。しかし、そこには『私』、『わたし』といった表記が登場することなく、また、登場人物の氏名が全く登場せず、主要登場人物の四人は『妻』、『元上司』、『妻の母』、そして主人公の『夫』という記述のみで展開していきます。700冊近い小説ばかりを読んできた私にとってこれは初めての体験です。どうしてそんなことが断定できるかと言うと、私のレビューには定番で、レビューの最初に物語の冒頭部分を引用で繋げて、この作品の概要をお伝えするというパートを用意しているからです。そこに今回私は、”主人公の『夫』”と記しました。普通は氏名を書くか、物語中に記された『わたし』等の表記を使います。この作品ではそれが使えないということにまず驚きました。

・『子どもには恵まれなかったが、楽しく十五年間を送ってきたと思う』。

・『夫婦も十五年もやると、どこまで相手の体に触っていいのかわからなくなる』。

・『余命など聞きたくない。聞く必要がない。病名は聞きたかったし、妻に聞かせたかった』。

これらの表現はまさしく『夫』の内面以外の何ものでもありません。しかし、『わたし』といった言葉なしに紡がれていく物語は、読者が『夫』の内面に入り込んだような印象を受けます。『夫』と共に、”末期がん”の妻をリアルに見る、そんな感覚で進んでいく物語は読書中に他のことに気を取られる時間を与えてくれません。元々文庫本205ページという分量の作品であることもあって、短い時間に密度感濃い物語の中にどっぷりつかった後になんとも言えない余韻が残り続ける、なかなかに印象深い読書を体験させていだきました。

そして、この作品では”末期がん”の妻のそばに付き添う『夫』の姿が描かれることから『介護』というテーマにも向き合っていきます。それは、

『この国には育児・介護休業法が定められていて、介護をしながら働く人向けに介護休業制度という仕事と介護の両立を支援する仕組みがある』。

そんな大前提の提示がなされることに始まります。

『「介護が必要な状態」の家族のいる人は、九十三日を上限に休むことができる』。

いわゆる”介護休職”についても語られます。『制度を利用する権利があるのなら、行使したい』と思う一方で、『仕事への意欲が低下した』とか、『人事評価が下がるのではないか、と不安になる』『夫』の姿が必然的にそこには描かれていきます。”介護は突然やってくる”と言われるように、昨日まで他人事だと思っていた『介護』の当事者に一夜にしてなるという急展開。育児のように”予習”ができない分、当事者になった時の戸惑いが大きいのが『介護』だと思います。しかもこの作品では、『四十代初め』という若さで”末期がん”となった妻を看取る『夫』の姿が描かれていきます。

・『仕事には支障が出てきた』。

・『上手くいかなくなってしまう人間関係や、溜まってしまう仕事』。

そんな現実は会社員である読者に厳しい現実を突きつけます。その中で作者の山崎ナオコーラさんは幾つかの箇所に『感受性の問題』という言葉を使われています。『こちらの感受性の問題なのだろう』、『こちらの感受性の問題なのかもしれない』、そして『こちらの感受性の問題だ』と使われていくこの言葉は、あまり他の小説の中で見たことがないものです。今回、山崎さんの作品を初めて読んでこの言葉同様に独特な言葉選びがなされていることにもとても興味が湧きました。『介護』というものをどう捉えていくかは最終的には個々人の問題とも言えます。山崎さんのこの作品は、そんな問いかけに一つの答えを提供してくれるものでもあると思いました。

そんなこの作品では、”末期がん”となった妻を看取る中に、すぐそこにある死とさまざまに対峙していく『夫』の姿が描かれていきます。印象的な場面が多々登場しますが、例えば『花』というものに対する感じ方によって、変化していく『夫』の心持ちが描かれた箇所は、うるっとくると思います。『世の多くの花が、人の気持ちを高揚させる』と思う『夫』は、『初めの頃は、院内へも季節の風を吹かせることが妻の喜びに繋がるのではないか』と考えていましたが、やがて『季節の花』を妻に見せなくなっていきます。それこそが、『季節の話をする』こと自体が『こちらだけが季節を味わっていると自慢している』もしくは、『妻がいなくても季節は巡るということを肯定している』、『そんな科白になってしまいそうで怖くて、口を噤むようになっ』ていったという
『夫』の心持ちです。来年の今はもとより、次の季節さえ見ることの叶わない”末期がん”の渦中にある妻のそばにいるからこその感覚だと思いますが、『花』一つとってもそこに意味を考えていかねばならぬ状況に、『夫』の胸の内がよく伝わってきました。

そして、『次の季節』とは『未来』ということにもなります。この作品では、『未来』という言葉に絡めてこんな問いかけが幾度にもわたって投げかけられていきます。

『これまではずっと、未来を生きることで明るく生きてきたのだから、未来を見ずに明るく生きる方法が、今はわからない』。

人は、今が辛くても『未来』にはきっといいことがある、今よりもきっと良くなるということを信じて誰もが生きていると思います。今が幸せという人だって、もっともっと幸せになる、と上を見て生きていると思います。それが私たちが生きていく意味でもあるように思います。しかし、”末期がん”によって、そんな未来が否定されてれた場合に、いったい何を喜びに生きたらよいのか、この言葉は、そんな心の戸惑いを正直に表していると思います。

『未来がもうすぐ消えることは知っている。だが、未来が消える瞬間を見届けたくて今を過ごしているわけではない。希望を持って、ただ毎日を暮らしたい』。

『希望』というものは人にとって最後の砦だと思います。『希望』を失った瞬間、そこには生きる意味さえ失われてしまうようにさえ思います。妻の死が刻一刻と迫る日々、いつ何どき訪れるかわからない厳しい現実を前に、それでも『希望』にすがりたくなる『夫』の心持ち。この作品では、上記した通り、読者は『夫』の内面に視点が固定されたままに物語が最初から最後まで展開していく分、そんな『夫』の慟哭が切々と伝わってきました。そして、〈解説〉の豊﨑由美さんは、この作品の結末を踏まえ、またこの作品の書名にも絡めてこんな風に鮮やかにこの作品のことを説明されています。最後にご紹介しておきたいと思います。

“人との距離は、生きている間だけでなく、たとえ相手が死んだ後でも動き続ける。それが、人と人とをつなぐ’美しい距離’なのだ。動き続ける関係こそが愛なのだということを伝えて胸を打つ”

“末期がん”の妻を看取る主人公の『夫』が、妻と知り合った時からその最後までを『夫』の内面視点で描き切ったこの作品。そこには、確実に迫り来る妻の『死』に向き合う『夫』のさまざまな感情の推移が極めて淡々と描かれていました。結末が分かり切った物語の中に、それでも『夫』と共に『希望』を見出したくなるこの作品。『介護』、『余命』、そして『延命治療』といった言葉の重みを改めて噛み締めるこの作品。

予定されていた展開を見る結末にも関わらず、読後、『がんは、それほど悪い死に方ではない』という言葉に妙に納得をしてしまう素晴らしい作品でした。

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2023年07月01日

Posted by ブクログ

私も2年前に母を膵臓がんで亡くし、
自分自身も癌治療をしたことがあるので、
当人の気持ちも介護側の気持ちもわかる部分が多く、
この小説のエンディングの
亡くなった後のだんだん距離が離れていく感じ、
昔に戻っていく感じが美しくて、
私も死ぬなら癌もありだなと思えた。

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2023年06月01日

Posted by ブクログ

当初、主人公が妻に対して気が利かないもしくは考え過ぎと思うところがありモヤモヤしたが、それらは徐々にそうなるべくして、なっていることに気付く。人物描写がすごいリアル。余命と因果についての考え方も非常に参考になった。

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2025年10月25日

Posted by ブクログ

さっきまで生きていた人間に手を合わせて礼をする行為をばかばかしいと思っている主人公の姿に胸を苦しめられました。
死後の人との距離感を考えたことがなかったですが、死後の人との距離感は、生前の人との距離感がそのまま反映されるのだなと、看病する主人公の姿を見て思いました。

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2025年10月13日

Posted by ブクログ

医者が用意した人生ではなく、妻自身の人生をまっとうしてほしい

この言葉の本当の意味が、小説全体を通して段々とわかってきます。
医療職として終末期をみることもある者としては、この小説の医療者の見え方はかなりショックなものでした。特に、医師との噛み合わない話の場面では、医師側の気持ちも大いにわかってしまいました。トラブルを避けるために、事実ベースかつ最悪の想定を常に話しておき、それを理解してほしいという思いが先走ってしまうのです。
仕事を効率よくこなすことに躍起になり、疎かになっていた、病気ではなくそのひと自身をみるということを思い出させてくれる、苦しい読書となりました。
ネガティブなことばかり書いてしまいましたが、

「来たよ」
カーテンから覗いて、片手を挙げる。
「来たか」
笑って片手を挙げる。

このやり取りに、二人の関係が凝縮されているようで、憧れました。

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2025年08月02日

Posted by ブクログ

最後まで読むとタイトルの良さが分かる。とても良い、とてもマッチしたタイトル。まさに美しい。
近い時も遠い時も、近づく時も遠のく時も、相手を想うことで「美しい距離」となるのだなぁと。
この小説の紹介文に“がん患者が最期まで社会人でいられるかを問う病院小説”とあったのだけど、読んでみると印象は全く違うなぁと思った。視点がそのがん患者の夫だからそう感じたのかもしれないけれど。

豊崎由美さんの解説に、“小説は書かれた言葉だけで成り立っているのではない。書かれていないことにも語らせる力を持った小説こそが、いい小説なのだと、わたしは思う。”とあった。「まさに」!
この小説は、静かな中にも、ひしひしと夫の深い愛情を感じるし、妻自身の仕事への思いだとか、両親の我が子を思う気持ちだとか、いちいち書かれていないこともしっかり伝わってくると感じた。

死ぬって、実はそんなにドラマチックなことでもなく、いつか誰にでも訪れることで、“その瞬間”も案外普通のように訪れてしまう。それを静かに受け入れられる物語だった。
愛犬を見送るときは必死すぎて自分の中にしか物語がなかったけど、いつか大切な誰かを見送るときには、この小説を思い出したい。


p25 習慣は意味を越える。一度身につけたものは死ぬまでやり遂げたい、なんとなく毎日続けていることで「ああ、今日も自分は自分として生きている」という感じを味わえる

p52 配偶者というのは、相手を独占できる者ではなくて、相手の社会を信じる者のことなのだ。

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2025年06月15日

Posted by ブクログ

ネタバレ

自分にもいつか訪れるかもしれない日々
「死ぬための準備期間のあるがんという病気
がんは、それほど悪い死に方ではない」
考えさせられるフレーズだ

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2025年01月13日

Posted by ブクログ

「来たよ」
カーテンから覗いて、片手を挙げる。
「来たか」
笑って片手を挙げる。

こうした2人の、2人だけのやり取りがとてもあたたかくて、やさしくて、今でも心に温もりを宿らせています。

「ありがとう。気をつけて帰ってね」

「大好きだよ」
小さな声で耳元に囁いてみた。

夫と妻、そして、父と母やお客さん。
それぞれの、それぞれなりの心づかいや愛情が心に響きました。

また、"余命の物語“や「妻が死んだ時に距離の開きが決定したのではなくて、死後も関係が動いている。」といった言葉も印象的でした。
"余命の物語"はネット上などで時々目にする美談化的な営みの中に似たものを垣間見るように感じますし、自分自身そうした目線を向けたり、物語を勝手につくったりしていたかもしれない、と思いました。
そして、'関係の動き'について、本作では主に妻の死の前後における妻との関係の動きについて語られています。
しかし、当然ながら生の前後、あるいは生の只中においても、(特にまだ出会っていない誰か、何かとの)関係には動きがあるのだと改めて再認識させられました。1日に最大3万5000回の選択をするといわれる私たちの、その選択の一つ一つが、誰かとの、何かとの関係を動かしていくのだと。


上記で述べてきた以外にも多くの気付きや発見、学びがありました。「美しい距離」とは何か、深く実感させられる一冊です。

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2024年12月10日

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サンドイッチ屋を営む妻が末期がんになった。
夫は勤務先での理解を得ながら介護をし、妻の社会性と向き合い、どのように接するのが良いのか、妻が何を望むのか、深く深く考えながら残り少なくなった妻との時間を過ごす。

闘病中の友達と家族の気持ちを少しでも理解したくて、手に取った。
繊細な心情がとても良く表現されていて、まるで自分も家族になったかのような気持ちになる。
そういう意味でも読んで読んで良かった。

人生の最期をどうやって、誰と関わって、迎えるのか。
深く考えた話だった。

友達は今どんな事を望んで思っているのだろうと思いながら本を閉じて3日後、天国へと旅立ってしまった。

最後の会話は、あれで良かったのだろうか。。
主人公の気持ちが痛いほど分かってしまった。

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2024年11月18日

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ネタバレ

とても繊細で静穏とした語り口。
主人公が介護を経て、周りの物語を見出そうとする反応にいらつく様や、妻が社会的なものと繋がりをもとうとする姿勢が他の小説と違って良かった。

タイトル「美しい距離」も良い。心に残る小説だった。

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2024年11月12日

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 仰天する表題のデビュー作は知ってましたが、山崎ナオコーラさんの著作は今回が初読みでした。
 共に40代前半なのに、末期がんに侵された妻。本作は、優しく温かく寄り添う夫の視点で描かれる物語です。

 平凡な夫婦を描く一つの手法なのでしょうか、中心人物の固有名詞が現れず、発話者が明かされません。夫婦の自然な関係のリアルさを、誠実に伝えている気がします。

 闘病と介護の壮絶さや劇的な展開を避け、どこまでも夫の内面の心情変化が淡々と綴られます。医師、妻の母、見舞客たちの、機械的だったり無神経な態度や言葉に大いに違和感をもち、心が波立ちます。それでも、夫は痛いくらい他へ配慮し、自分が考え得る適切な距離を取れる人なのでした。

 妻のままならない病状、周囲の言動について思考を共有できず、抗いつつも自分の思考に傲慢さがあると、次第に気付いていきます。読み手の固定観念や思い込みを指摘されている気にもなりました。

 夫は妻の死後、距離が離れ続け、死後も関係が動いていると実感しますが、墓前で「出会った頃から間が縮まり嬉しかったが、関係が遠くなるのも乙なものだ」と言える心境、まさしく「美しい距離」でした。

 遠く離れているからこそ、関係が輝くことがあるのだと、そんな予感と光を与えてくれ、誰もが必ず向き合う身近な人の死に対して、救いを与えてくれる秀作だと思いました。

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2024年11月09日

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ネタバレ

いつ来るかもわからない死が迫る入院中の妻を、
お見舞いや世話をする夫の目線でつづられたモノローグ。
この小説は、精神的に繋がりの強い人の死と向き合い始める良いきっかけになる。

印象に残ったフレーズが2つある。
1つめ。「配偶者というのは、相手を独占できる者ではなくて、相手の社会を信じる者のことなのだ」
家父長制と比べればモダンな考え方だ。この意見に賛成だし、配偶者とはこういう関係を築いていきたい。その方が面白いと僕は感じるから。

2つめ。「死ぬための準備期間のあるがんという病気に、妻のおかげで明るいイメージを持てるようになった」
配偶者の死に準備期間があることは、準備のできない突然死よりも喜ばしいことなんじゃないか。死は全ての人に必ずやってくるのだから。

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2024年06月17日

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ネタバレ

がんで余命わずかの妻との最後の半年あまりの日々が夫の視点で淡々と描かれる。

病の家族を見送った経験を思い起こすと、体調の異常に気がついて検査を受けるところから、入院して亡くなるまで、さらに葬儀とか含めると、家族はジェットコースターみたいに感情が揺さぶられっぱなしだった。

しかし、この小説では「看病もの」と呼ぶには終始カロリーが低い。冒頭からすでに妻の病は相当進行していて、夫は病室に通い、顔を洗ったり、髪を編んだり、爪を切ったり、妻の世話をし、何気ない会話をする。それは「好きな人」のための幸せな行為と感じている。

義父母や病室を訪れるケアマネージャー、見舞い客に気をつかい、時々違和感を覚えたり、でも妻の人生を尊重する姿勢は変わらない。この夫婦はお互いを深く思いやり、だからこそ相手の心に踏み込まず、弱音を吐かず、むしろ互いに遠慮しあっているようにさえ見える。

妻が亡くなり、一気に妻が遠くに感じられる悲しさ、さらに日々が経過すると、また次第に思いは変わっていく。最後まで読んで、タイトルの意味が深く腑に落ちる。

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2023年03月18日

購入済み

非日常をどう受け止めるのか

ガン末期の妻。妻の淡々とした態度。今、自分にできることを模索しながら寄り添う夫。病院のいう箱の中で、どう末期を迎えるか。その人の思いをどう汲んでいくのか。終活という言葉がある。最後まで、本人の望みを叶えるのは無理かもしれないが、伝えておくことは必要だと思う。

#泣ける #切ない #感動する

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2023年03月12日

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末期がんと診断された妻を看病する夫視点の小説。だけどこれは、ありきたりな御涙頂戴系の物語ではない。
事柄と事柄を繋げてステレオタイプの物語を作りたがる人間の軽薄で愚かな好奇心や、死後急激に離れていく故人との関係/距離に対する違和感など、あらゆる物事に対し思慮深く心遣いのできる夫が抱いた想いや考え、怒りを、この小説は丁寧に丁寧に描いている。
そして、「近いことが素晴らしく、遠いことは悲しいなんて、思い込みかもしれない」という文章は私が持っていたステレオタイプな考え方に気付かせてくれた。

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2022年10月24日

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人との距離は、亡くなってからも淡くなったり、
濃くなったり、近くなったり、離れていったり、
動いている。
そうやって、ずっと関係性は続いていく。
未来じゃないところにも希望はあるのだと思う。
美しい距離の意味が、心に染みます。

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2025年08月18日

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夫婦の心の距離の取り方がまさに美しい距離

“カウントダウンの始まった人にだけ余命という言葉を当てはめ、始まっていない人との間に線を引きたがる。医師から余命を宣告された人だけが死と向き合っていて、そうではない人は生と向き合っていきている”

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2024年02月17日

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サンドイッチ屋店主の妻がガンになり入院、夫は介護休暇制度使い業務量を減らし、妻との時間を多く取り死までの時間を描いた一冊。

花田菜々子氏推薦、死について興味もあり手に取る。

夫は妻が死ぬまでの時間を淡々と自分がやれることをや過ごし、妻も穏やかにその時を迎える。物語としては面白みがないが、私の場合はどうだろうや、実際には日々の時間がやはり淡々と流れていくのか等、話が大げさになっていない分、自分事としてシュミレーションできた感がある。

読んだあと、これが「美しい距離」かと考える、そうだな。美しい距離か。

私も同じ状況になった場合、再読しても良いかなと思った、人は「美しい距離」を取れるのか?書評を書いているうちに、ジワジワと良さが改めて分かった作品。

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2024年02月09日

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老いは穏やかだ。
抑揚の無い日常の繰り返しも穏やかだ。
だが、病気により、その繰り返しや日々の穏やかな積み重ねも急に歪み、加速し、取り戻せなくなる。美しい距離とは儚さの事か。手を伸ばしても次第に届かなくなる、過ぎ去りし幸せな思い出が、やがて遠い過去になる。

この小説はそんな世界観を描いているような気がした。どこにでもありそうな平凡。日常を破る、また、どこにでもありそうな闘病。しかし、当事者にしか気付かない、不可逆的な穏やかな日々。

心臓がドキドキするのは、その日がいつか来ることに気付いているから。人間は何度も、死を乗り越えて、再び穏やかさを取り戻して生きる。死を前にすれば弱くもあり、しかし、それを乗り越える強さもある。人と人の距離、過去と現在の距離、自分自身と未来への距離を測りながら。

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2023年10月24日

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身近な人を看病して死を迎えるにあたって、どのように対するのか?
その人らしいとは?死に向かうのも生きかたそのものであり、
それは自分の死にかたであり、清ぎよしい死にかた、
あるいは清ぎよし生きかたが浮かんでくる、著者の目線が新鮮。

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2023年09月28日

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ネタバレ

とてもリアリティがあり、
悲しいしやるせないけれどどこか光も感じる。

お義母さんがあまり好きではないというか
けして嫌いではなく恐らく良い人なのに
ちょっともやっとするところがある。

そういった日常にありふれたことが、奥さんの闘病生活を支える中でもそこかしこに在る。
会社の人が奥さんの余命を訊いてくるのも可笑しいし
忌引きじゃなくて死ぬ前に休みが欲しいというのも
本当は当たり前の感情だと思う。
余命という物語を使わず納得してもらいたい
という表現の仕方に共感する。

主人公に対しても、「して『あげる』」という言い方を
しなくても良いのになと思った。

小林農園の人は良い人で、本人の前では泣かなかったのだろう。
しかし泣くのを我慢して看病してる人の前でお前が泣くのかよという気もするというのも
それはそうだろうなと思ってしまった。

痛くても並行して幸せだと思うこともあるというのも
分かる気がした。
うつる病気ではないのに治療に専念して表舞台には出るなというのはおかしい。
元気がないまま人に会ってもいいんじゃないか。
そういう考え方と、それを言葉にしているところが
素敵だなと思う。

考え方が合わない、相手が思い込みで話している
というようなことを
ストーリーが始まるという表現の仕方をしているのが
悪気のなさ、通じ合わなさなども感じられて
興味深い。

黄色一色にして欲しいと言ったのに
いろんな色で飾られた葬儀場。

「死ぬならがんが良い」
自分には到底言えそうにない言葉ではあるが
亡くなった奥さんも看取った旦那さんも
精一杯日々を過ごせたことだけは間違いないと思えた。

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2023年07月23日

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がんに侵され、余命わずかな妻を看取る夫の心境が淡々と描かれていて、ドラマティックでないだけに余計にリアルに感じた。
家族といえどもある一定の距離感は大切だと思う。
そして大切な人が亡くなって、そこで関係は終わりではなく、その後変化していく感情や距離感すら美しい、という表現にハッとさせられた。

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2023年05月05日

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BSジャパンで放送されてた「ご本、出しときますね?」が書籍化されたものを読んで、ゲストとして出ていた山崎ナオコーラさんに興味を持った次第。

「人のセックスを笑うな」の原作を書かれているが、映画がめちゃめちゃ好き過ぎて読めていない(笑)
普通、「原作が好きで、映画化したけど見てない。見たくない。」ってことの方がありそうだけど^^;

他に読みたくなる作品あるかなぁと探した時に本書に興味を持った。ターミナルケアの話。私自身、ターミナルケアに関わった経験は無いが、3歳から祖父母と一緒に暮らし、4歳のときに祖父が、11歳のときに祖母が亡くなるまで、近くで介護を見てきた。母が祖父母の介護や病院通い、時に救急車を呼んだりしていた日々のことはハッキリと覚えている。また、旦那が内科医ということもあり、身近なテーマではある気がした。

読後に他の方の感想を読み歩いていたら、「御涙頂戴ものかと思ったら違った。それがよかった。」と言う感想がとても多く、初めてそこで「そうか。ターミナルケアの話と聞くとそれを期待するのか。」と気付かされた。そういうジャンルがあることをすっかり忘れていた。祖父母の介護や旦那の仕事の大変さの印象が強く、ターミナルケアが御涙頂戴のキレイゴトで済まないことの方が多いことが無意識に刷り込まれていたのだなぁと思う。御涙頂戴ものだったら本を床に叩きつけていたかもしれない(笑)

40代の夫婦の奥さんが病気を患い、旦那がターミナルケアをする話。奥さん自身や義母、病院や自分が務める会社、奥さんの仕事関連の人たち。主人公は頑張って気を配る。「こうしたらこう思うかも?嬉しいかも?嫌かも?」いちいち周りの人には言えないけど、一挙手一投足に神経を使っている、そんな思慮・心労を書いているかんじ。

…神経つかって頑張ってるのは分かるけど、なんだか少し未熟な感じもする。いちいち聞かずに思いを汲み取ることも必要だけど、大病してる人の気持ちは分かるはずないのだから、勝手な想像で動かれるより、ハッキリと気持ちを確認してあげることも大切だと思う。死んだら「あのとき本当はどう思ってたの?」って聞けないのだから。

主人公が奥さんのこと大好きで「妻ならこう思うと思う」って確信に近いくらいに答えられるところは、とてもすてきな夫婦関係だったんだなと想像できる。本当に奥さんがそう思ってるならそれでいい。でも、医者がどれだけ「悔いのないように」と言っても、その言葉に過敏に反応してるだけで、実際には本人に確認してないことが多い気がしてモヤモヤした。でも実際「故人が本当に悔いがなかったか」なんて知らないで残される方が多いわけだから、悔いがなかったかどうかを知りたがること自体、「悔いなく逝ったかどうか知りたい。安心したい。」というエゴだよね。どんなに人間できた人だろうが、この主人公だろうが、良かれと思ってやったことのすべては、結局ケアする側のエゴだという意味では大差ないのかもしれない。本当に「本人の意志」を尊重できる(できた)か、って相当難しいことだと思う。

タイプは違うけど、子育てに翻弄されてヒステリックになるお母さんに近い自尊心?みたいなのが主人公から見えるような。「こんなにやってる!」みたいな。それを「自分はやってあげてるんじゃなくて、やりたくてしてるんだ」と言ってるところも少々痛い。もちろんやりたくてしてる部分が多くを占めるのだろうけど、心の奥にある文句が見える。「やってあげてると思って何が悪い!」ってくらい、心の中では開き直ってもいい気がするが、そう思わないと目の前の日々に飲まれてしまうのかもしれない。そう感じる人もいるのだろうなぁと思った。

私はターミナルケアの経験もないし、介護とはまた違って若くして余命宣告されるほどの大病を患ったときの本人や周りの人たちの気持ちは特有のものがあると思う。その辺は分からないわけだから、もちろん感じ方はそれぞれなのだけどね。

山崎ナオコーラさんが介護なりなんなりのご経験があるのかなぁ。そのとき思ったことなのかなぁ。






私の祖母が亡くなるまでの間の記憶はハッキリとあるが、祖母が悔いなく最期を迎えたかは分からない。ワガママだった祖父の分まで気遣い屋だった祖母。介護は時間もお金も体力も神経も使う。そんな中で祖母は本音を言えたのかなぁ。介護する側はもちろん良かれと思って色々するけど、本人の口から言われたことじゃない限り、想像の域を出ない。自分の死が迫ってると意識した人の気持ちが分かると思うこと自体、エゴだと私は思う。だからこそ配慮が必要なのだ。

でも一方で、残される側もケアをしている間に「納得感」を持つ準備をする必要がある。もちろん「死ぬ」ことを意識して日々のケアをしていると思いたくないのは分かる。でもそこから目を逸らして過ごしたために、後悔が残るのは不本意だと思う。残される側には残りの人生がある。故人も自分の死のために残した者たちが後悔するのは望まないはず。当人を心身共に苦しめないのはもちろんだけど、大切な人のことで一喜一憂翻弄される中だけど、準備は必要だと思う。どんなに準備しても、結果論の後悔はいくらでも浮かぶはず。少しでもそれを減らせるように。
仕事を辞める選択肢もあったが、ケア一本になるとメンタル崩れそうだと、仕事も両立しようとした主人公の判断や、人はやがて死ぬのだから死ぬ準備ができる癌を悪く思わなくなったという主人公の発言にはとても共感できたし、重みを感じた。






あと、「本書において」のことだから別に気を揉む必要はないのだけど、だからこそ「本書に限って」のことと言わせてもらえるなら、「医者は説明責任ばかりで、こちらの感情を分かろうとしない。分からない。」みたいに描写されてるのが少し悲しかった。医者も患者もたくさんいて、もちろん人間は文字通りごまんといて、感じ方は十人十色で、しかもこれはフィクションなわけで。そして本当にそういう医者もいると思う。でも、(私の)旦那がどれだけ頭と体を使い、心を削って患者さんの生死に毎日毎日携わってるかを思うと、「医者」と括られて書かれるとちょっと悲しい。この作品に限らず、医者は心が無いと表現されることはたくさんあるから、フィクションの作品として「ふーん」と思ってればいいんだろうけどさ。

コンビニ店員やタクシー運転手や営業担当に当たり外れや合う合わないがあるように、医者にもあるのは事実。みんな人間だから。でも自分や自分の大切な人の命に関わることだから、みんなそれぞれに合う医者を探せたり、出会えるといいなぁと思う。
最期にしあわせを決めるのは「納得感」だと思うから。

人は必ず死ぬ。「この先生に診てもらってダメならダメか」って最期に思えたらいいなと思う。でも、自分の最期より、人の最期に寄り添う方がよっぽど大変なことだと思う。



◆内容(BOOK データベースより)
限りある生のなかに発見する、永続してゆく命の形。妻はまだ40歳代初めで不治の病におかされたが、その生の息吹が夫を励まし続ける。世の人の心に静かに寄り添う中篇小説。

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2023年04月12日

Posted by ブクログ

『習慣は意味を超える。なんとなく毎日続けることで、「あぁ、今日も自分は自分として生きてる」という感じを味わえる。』

なにかを能力を向上させようとかスキルを習得しようと思って習慣化するのではなく、生きてる実感を味わう目的で習慣化しようと思った。

明日も起きたらストレッチしてdjしよう!

著者紹介の、『「こつこつ」という響きが気に入り、「こつこつ書き続けるだけでいいのだ」と仕事の姿勢を決めた」』

好きだなあ。俺も仕事の姿勢「こつこつ」を採用しよう。

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2023年03月17日

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