【感想・ネタバレ】美しい距離のレビュー

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ネタバレ

Posted by ブクログ 2024年02月17日

タイトルがいいな。
40代で癌を患って人生の終わりに向かっていく夫婦の物語。夫目線で、弱っていく妻を見ている。さらりとしていて、病室に「きたよ」「きたな」とやりとりしながら入っていく。妻がどう考えているか、胸の内で憶測しながら、もちろん会話も重ねながら日々が過ぎていく。
主人公の男性は、自分で自分を...続きを読む「心が狭いからいらいらしてしまう」と分析している。医師の一言やしぐさ、介護認定員の職員のおせっかい、見舞いの人の態度にいちいち傷ついたり、怒りを覚えたりする。妻を気遣い、「ちょっと…いやな思いしただろ?」と聞くと「え?いい人だったよ?」と返ってきたりして、「あぁ、自分の心が狭いからいらいらしてしまうんだ…」と感じる。
こういうところ、すごくすごく共感する。私も心が、というか、許容範囲が狭くて、そんな自分が嫌になることが多々ある。価値観が合わない、絶対に合いそうにない人たちと一緒に仕事しなくちゃいけないし、人を相手にする仕事だからどんな人も受け入れなきゃいけないんだけど、すごく拒否感感じたり、見下してしまったり(絶対ダメなのに)して、仕事に差しつかえることがある。
色々葛藤を抱えながら日々が過ぎていく。妻はだんだん弱っていく。
3つ病院を代わって、死に向かっていく。よくある闘病を描く小説やドラマなら、「一時帰宅しましょう」とか「思い出の場所に…」とかなることが多いけど、「家に帰りたいか?」と聞くにもすごく考えてしまってうまく聞けない。妻も家に帰りたいとか言わず、ただ静かに「今」を受け入れている。
最期の看取りのシーンはとても…なんというか、静かで、切なくて、でも淡々としていて、あとで主人公の夫が振り返るように、決してその「瞬間」が特別なものではなかった。人生は、どの瞬間も特別だし、病気にならなくたって、癌じゃなくたって、人は生まれたときから死に向かっていっている。
亡くなったあとの、妻の夢や、妻が遠くなっていくけど、その距離も美しいと感じる心持ちも、とても素敵だと思った。死をどうとらえるか、心に響きました。
ナオコーラさん、また読みたいと思います。

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ネタバレ

Posted by ブクログ 2023年09月02日

結婚に対するネガティブな感情(女としての役割を押し付けられる、自分の負担が増えるだけ等)を少し改めた。
お互いを社会人として尊重し合う、2人の関係はとても素敵だ。
愛する妻のために働き方を工夫しながら看病する主人公は、献身的とも言えるが多分違う。彼は好きな人と一緒にいたくて、少しでも力になりたい一心...続きを読むだけど、自分が属する社会、妻が属する社会両方を大事にしている。
私もそんな人生のパートナーがいたらいいなと思った。

妻の死の場面では号泣した。段々と呼吸の間隔が大きくなり、息をしなくなる描写がとてもリアルだった。
死んだ途端に向こう側の住人として、神様のように扱われることに主人公は違和感を抱いていたけど、遺族がその先の人生を生きるために必要な儀式なんだと感じた。

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Posted by ブクログ 2023年07月27日

帯を見て、反射的に
切ない感じを想像していたけど
そうじゃなかった。

がん患者と家族の心のうち、
医師をはじめ、そこに関わってくる人たちとのやりとりで感じるさまざまな思いや葛藤、
どう社会と関わっていけるのか…

登場人物に名前がないぶん、
彼らが着ている服の色や仕草を
何度も描写しているのが印象...続きを読む的だった。
それが、淡々と物語が進んでいくように感じた
理由の1つかも。

主人公が、
がんを患った妻の入院先へ向かうところから
物語は始まる。
がん患者が考える仕事への思いと距離感。
がん患者家族とそれ以外の人たちとの距離感。
逝ってしまった大事な人との距離感。
とても冷静に綴られているなぁ
何度も思った。

がんに対して明るいイメージを持てた、と
主人公は言う。
あたしは、正直そこまでの変化はなかったし
最期の瞬間もあたしには大事なものだった。

だけど、
抱きがちながんへの悲観的なものは
なんか違うんじゃないかって思う。
がん患者だって可能な限り、
社会と関わっていたい。
仕事だってしたい。
延命治療をしないからといって、
全てを諦めているわけじゃない。

病室のロッカー、テレビカード、
横長の白いテーブル、
仕切りのカーテン…
自分もがんで父を亡くしているから
ものすごくリアルでに感じられ、
まるで自分の記録、のような一冊だった。

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Posted by ブクログ 2023年07月01日

あなたは、『がん』で死にたいと思いますか?

2021年の厚生労働省”人口動態統計”によると、この国で亡くなった方の死因は
第一位: 悪性新生物 26.5%
第二位: 心疾患 14.9%
第三位: 老衰 10.6%
という順位になるようです。悪性新生物、つまり『がん』が死因の...続きを読む四分の1を占めるという現実。60歳代に限るとその割合は45.2%にも上ると言いますから、『がん』という病が私たちにとって極めて身近にあることがよく分かります。この大きな割合を考えるとあなたの周りにも『がん』で亡くなられた方がいらっしゃるのではないでしょうか?

そんな『がん』は昔から小説の題材にもなってきました。不治の病という言葉と一番に結びつく『がん』は、その診断がなされてから亡くなるまでに一定の期間ができることから、物語として描きやすい側面はあるのだと思います。そんな運命に抗い、やがて諦めの感情の中に結末を見る『がん』。そんなある意味わかり切った結末に、それでも人が惹かれるのは、この世に生きるあなたにも、そしてわたしにも、決して他人事と言い切れない『未来』だからなのかもしれません。

さて、ここに、『四十代初め』という若さで『がん』になった妻を看取る一人の『夫』の物語があります。そんな『夫』が『来年まで生きられると思っていないのだろう』と妻の心情をさまざまに思いやるのを見る物語。そしてそれは、『がんは、それほど悪い死に方ではない』という思いの中に『夫』の人生観の変化を見る物語です。

『ターミナルにある三番乗り場から「新田病院行き」のバス』に乗ったのは主人公の『夫』。『終点に着く直前に、菜の花畑が左手に見え』たことに、『初めて会ったときの妻は菜の花模様のワンピースを着ていた』と振り返ります。『会社の上司の子どもだった』という妻との接点は、『夫』が就職した『生命保険会社』に起点がありました。配属された営業職の『体育会系のノリ』が、『大学ではフランス文学を専攻した身にはつら』いという中に『五年目にして辞めたくなって』いた『夫』に、新しく『赴任してきた』支社長が転機をもたらします。『部下を苗字に「さん」付けして呼』び、『叱咤激励ではなくて冷静な問いを投げ』てくれる支社長の下で『だんだんと仕事を続けられるような気がしてきた』という『夫』。そんな中、『ある日曜日』に、街で『支社長とその家族にばったり』遭遇します。『こんにちは。父がいつもお世話になっています』、『こ、こちらこそ、いや、こちらの方が、大変お世話になっております』という挨拶だけでその場は終わるも『一ヶ月ほど経った日の終業後に、支社長から自宅に招かれ、夕食をごちそう』になった『夫』。『連絡先を交換し、それからは自然とデートを重ねた』二人は『翌年には結婚し』ました。そして、『子どもには恵まれなかったが、楽しく十五年間を送ってきた』という二人。『結婚当初』『大手食品会社の事務職に就いていた』妻は『二年後に退職し、ひとりで店を始め』、今に至ります。『来たよ』、『来たか』と病室に入った『夫』を迎える妻に『今日はあったかいよ。菜の花が満開だった』と道すがらの景色を話す『夫』は、『手の動かし方や、匂いなどが、おばあさんじみてきている』と『この病気に四十代初めでかかるのは稀らしい』目の前の妻のことを思います。『新しい物語を見つけなくては。年齢のことは忘れよう』と思う『夫』は、『じゃあ、梳かすね』と『ロッカーから鼈甲色の櫛を取り出し』、妻の髪を『そおっと梳か』します。『二週間前からやってあげるようになった』という髪を梳かす行為は『抗がん剤治療で髪が抜けるかもしれないということを聞き』『肩に付かないくらいの長さに切っ』て以降行っています。しかし、『意識が混濁してせん妄と呼ばれる状態に陥』ったことで『抗がん剤治療は二回で中止にな』りました。そんな後にトイレへの付き添いに車椅子で病室を出た二人は『大きな窓』のある『デイルーム』へと向かいます。『あ、菜の花畑だ。見える?』と『はしゃいで指』を指す『夫』は、『駅前には、桜も咲いていたんだよ。大通りの桜並木の。来年は、一緒にお花見をしよう』と誘います。それに、『…うん、そうだね』と答える妻は『曖昧に頷いて笑顔を作』りました。そんな妻を見て『良い科白ではなかった』と後悔する『夫』は、『未来を見ずに明るく生きる方法が、今はわからない』と思います。そんな『夫』が、妻の最期の日まで、さまざまに思いを巡らす様が静かに描かれていきます。

“死ぬなら、がんがいいな。がん大国日本で、医者との付き合い方を考える病院小説!”と内容紹介にまずうたわれるこの作品。そんな内容紹介には、かなり詳細に、この作品の概要が語られています。この作品はそんな前提としての”あらすじ”をネタバレと考える作品ではないと思いますので、ここでも敢えて引用しておきたいと思います。

“ある日、サンドウィッチ屋を営む妻が末期がんと診断された。夫は仕事をしながら、看護のため病院へ通い詰めている。病室を訪れるのは、妻の両親、仕事仲間、医療従事者たち。医者が用意した人生ではなく、妻自身の人生をまっとうしてほしい ー がん患者が最期まで社会人でいられるのかを問う、新しい病院小説”

どうでしょうか。これだけの前提でこの作品が非常なもしくは非情な重みを持った作品であることがわかるかと思います。また、ネタバレ以前の問題として、結末に何が起こるのか、これも改めて説明するまでもありません。しかし、この作品の読みどころは、そんなある意味予定されたストーリー展開ではなくて、そこに私たちにさまざまな問いかけがなされていく点にこそ意味があると思います。

そんな作品で、まず注目したいのはこの作品の”視点”です。物語は終始”末期がん”の妻に付き添う『夫』視点で書かれています。しかし、そこには『私』、『わたし』といった表記が登場することなく、また、登場人物の氏名が全く登場せず、主要登場人物の四人は『妻』、『元上司』、『妻の母』、そして主人公の『夫』という記述のみで展開していきます。700冊近い小説ばかりを読んできた私にとってこれは初めての体験です。どうしてそんなことが断定できるかと言うと、私のレビューには定番で、レビューの最初に物語の冒頭部分を引用で繋げて、この作品の概要をお伝えするというパートを用意しているからです。そこに今回私は、”主人公の『夫』”と記しました。普通は氏名を書くか、物語中に記された『わたし』等の表記を使います。この作品ではそれが使えないということにまず驚きました。

・『子どもには恵まれなかったが、楽しく十五年間を送ってきたと思う』。

・『夫婦も十五年もやると、どこまで相手の体に触っていいのかわからなくなる』。

・『余命など聞きたくない。聞く必要がない。病名は聞きたかったし、妻に聞かせたかった』。

これらの表現はまさしく『夫』の内面以外の何ものでもありません。しかし、『わたし』といった言葉なしに紡がれていく物語は、読者が『夫』の内面に入り込んだような印象を受けます。『夫』と共に、”末期がん”の妻をリアルに見る、そんな感覚で進んでいく物語は読書中に他のことに気を取られる時間を与えてくれません。元々文庫本205ページという分量の作品であることもあって、短い時間に密度感濃い物語の中にどっぷりつかった後になんとも言えない余韻が残り続ける、なかなかに印象深い読書を体験させていだきました。

そして、この作品では”末期がん”の妻のそばに付き添う『夫』の姿が描かれることから『介護』というテーマにも向き合っていきます。それは、

『この国には育児・介護休業法が定められていて、介護をしながら働く人向けに介護休業制度という仕事と介護の両立を支援する仕組みがある』。

そんな大前提の提示がなされることに始まります。

『「介護が必要な状態」の家族のいる人は、九十三日を上限に休むことができる』。

いわゆる”介護休職”についても語られます。『制度を利用する権利があるのなら、行使したい』と思う一方で、『仕事への意欲が低下した』とか、『人事評価が下がるのではないか、と不安になる』『夫』の姿が必然的にそこには描かれていきます。”介護は突然やってくる”と言われるように、昨日まで他人事だと思っていた『介護』の当事者に一夜にしてなるという急展開。育児のように”予習”ができない分、当事者になった時の戸惑いが大きいのが『介護』だと思います。しかもこの作品では、『四十代初め』という若さで”末期がん”となった妻を看取る『夫』の姿が描かれていきます。

・『仕事には支障が出てきた』。

・『上手くいかなくなってしまう人間関係や、溜まってしまう仕事』。

そんな現実は会社員である読者に厳しい現実を突きつけます。その中で作者の山崎ナオコーラさんは幾つかの箇所に『感受性の問題』という言葉を使われています。『こちらの感受性の問題なのだろう』、『こちらの感受性の問題なのかもしれない』、そして『こちらの感受性の問題だ』と使われていくこの言葉は、あまり他の小説の中で見たことがないものです。今回、山崎さんの作品を初めて読んでこの言葉同様に独特な言葉選びがなされていることにもとても興味が湧きました。『介護』というものをどう捉えていくかは最終的には個々人の問題とも言えます。山崎さんのこの作品は、そんな問いかけに一つの答えを提供してくれるものでもあると思いました。

そんなこの作品では、”末期がん”となった妻を看取る中に、すぐそこにある死とさまざまに対峙していく『夫』の姿が描かれていきます。印象的な場面が多々登場しますが、例えば『花』というものに対する感じ方によって、変化していく『夫』の心持ちが描かれた箇所は、うるっとくると思います。『世の多くの花が、人の気持ちを高揚させる』と思う『夫』は、『初めの頃は、院内へも季節の風を吹かせることが妻の喜びに繋がるのではないか』と考えていましたが、やがて『季節の花』を妻に見せなくなっていきます。それこそが、『季節の話をする』こと自体が『こちらだけが季節を味わっていると自慢している』もしくは、『妻がいなくても季節は巡るということを肯定している』、『そんな科白になってしまいそうで怖くて、口を噤むようになっ』ていったという
『夫』の心持ちです。来年の今はもとより、次の季節さえ見ることの叶わない”末期がん”の渦中にある妻のそばにいるからこその感覚だと思いますが、『花』一つとってもそこに意味を考えていかねばならぬ状況に、『夫』の胸の内がよく伝わってきました。

そして、『次の季節』とは『未来』ということにもなります。この作品では、『未来』という言葉に絡めてこんな問いかけが幾度にもわたって投げかけられていきます。

『これまではずっと、未来を生きることで明るく生きてきたのだから、未来を見ずに明るく生きる方法が、今はわからない』。

人は、今が辛くても『未来』にはきっといいことがある、今よりもきっと良くなるということを信じて誰もが生きていると思います。今が幸せという人だって、もっともっと幸せになる、と上を見て生きていると思います。それが私たちが生きていく意味でもあるように思います。しかし、”末期がん”によって、そんな未来が否定されてれた場合に、いったい何を喜びに生きたらよいのか、この言葉は、そんな心の戸惑いを正直に表していると思います。

『未来がもうすぐ消えることは知っている。だが、未来が消える瞬間を見届けたくて今を過ごしているわけではない。希望を持って、ただ毎日を暮らしたい』。

『希望』というものは人にとって最後の砦だと思います。『希望』を失った瞬間、そこには生きる意味さえ失われてしまうようにさえ思います。妻の死が刻一刻と迫る日々、いつ何どき訪れるかわからない厳しい現実を前に、それでも『希望』にすがりたくなる『夫』の心持ち。この作品では、上記した通り、読者は『夫』の内面に視点が固定されたままに物語が最初から最後まで展開していく分、そんな『夫』の慟哭が切々と伝わってきました。そして、〈解説〉の豊﨑由美さんは、この作品の結末を踏まえ、またこの作品の書名にも絡めてこんな風に鮮やかにこの作品のことを説明されています。最後にご紹介しておきたいと思います。

“人との距離は、生きている間だけでなく、たとえ相手が死んだ後でも動き続ける。それが、人と人とをつなぐ’美しい距離’なのだ。動き続ける関係こそが愛なのだということを伝えて胸を打つ”

“末期がん”の妻を看取る主人公の『夫』が、妻と知り合った時からその最後までを『夫』の内面視点で描き切ったこの作品。そこには、確実に迫り来る妻の『死』に向き合う『夫』のさまざまな感情の推移が極めて淡々と描かれていました。結末が分かり切った物語の中に、それでも『夫』と共に『希望』を見出したくなるこの作品。『介護』、『余命』、そして『延命治療』といった言葉の重みを改めて噛み締めるこの作品。

予定されていた展開を見る結末にも関わらず、読後、『がんは、それほど悪い死に方ではない』という言葉に妙に納得をしてしまう素晴らしい作品でした。

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Posted by ブクログ 2023年06月01日

私も2年前に母を膵臓がんで亡くし、
自分自身も癌治療をしたことがあるので、
当人の気持ちも介護側の気持ちもわかる部分が多く、
この小説のエンディングの
亡くなった後のだんだん距離が離れていく感じ、
昔に戻っていく感じが美しくて、
私も死ぬなら癌もありだなと思えた。

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Posted by ブクログ 2022年08月27日

久々に星5の昨日に巡り会えて嬉しい…!

長く生きられない病を患った妻と、それを看病する夫の物語。
そんなふうに聞くと、へそ曲がりな私はこの本を手に取らなかったかもしれない。あ、感動の物語なのね、と。

そうではなくて、タイトルそのままのお話で、死に向かっていくひとと、その周りの人たちの距離感のお話...続きを読む

記憶に残っているのは、「死の瞬間を、大事な時間のように捉えたくない」「マラソンをしているとき、テープを切る瞬間は特別かもしれないが、その瞬間を見守っている人たちだけが選手にとって大事な人ではないだろう。練習に付き合った人、スタートの背中を押してくれた人、沿道で応援してくれた人、どの人も大事に違いない。」という言葉。

死ぬ直前や死んだ後は、家族のことを考えてると思われがちなのは、なぜだろう。仕事のことは死ぬ直前や死んだ後は考えなくなるって思われがちなのは、なぜだろう。

大事な度合いやベクトルは違っても、肉親や長く連れ添ったパートナー以外の自分を取り巻くたくさんの人へ、それぞれ違った思いを持っている。


つい昨日まで、手を上げて声を掛け合っていたのに、死んだ途端に、手を合わせなきゃならなくなる。仏壇に声をかける時、なぜか敬語になってしまう。遠くに行ってしまう。
だけど時間と共に、また故人との距離が縮まったりする。

多くのことを考えさせられたし、つい先月身内を亡くした身としては、死に直面することについて、より身近に感じられて、わかる、と何度も頷いてしまった。

大病を患った妻が苦しみに悶える様などが描かれていない分、現実とは違うところもあると思う。
実際の闘病生活では痛みや苦痛から家族に当たってしまったり、看病する側もいらいらを募らせてしまう部分もあると思うので。

それでも深く考えず何気なくこの小説を手に取って良かったです。
優しいお話だし涙も出たけど、感動を誘うことを目的としていない感じがして、すごく好きでした。
 

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Posted by ブクログ 2022年08月27日

「人が死ぬ系の物語か。。。」とお涙頂戴系を予想していたが、全く違った。確かに人は死ぬ。がん患者の妻を夫が看病し、看取るという物語だ。
でもそこには、かわいそうとか悲しいとか絶望とかは、無かった気がした。

人と人との距離が遠くなっていくことは、必ずしも悪いことじゃなくて、むしろ美しいと形容して良いこ...続きを読むとなのかも知れない。そういう提言を、淡く優しく語りかけてくれるような本だった。

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Posted by ブクログ 2022年06月16日

圧倒的だった。何度も泣きそうになった

がん終末期の妻との、近いようで遠い距離
そして亡くなった妻との、遠いようで近い距離

「死ぬなら、がんがいいな」

実はこれは医療者の実感だったりする。

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Posted by ブクログ 2022年03月08日

慣れとは怖いもので、何気なくタメ口で話してしまう看護師。それは患者、家族はとっては何気ないことではない。看護師からしたら沢山いる患者の1人かもしれないが、患者・家族からしたら沢山いる中ではなく自分達の人生。私の中でとても現実味のある話で、考えさせられるものが多かった。人との距離と言うものを最近難しく...続きを読む考えていたので、この夫婦の距離が美しく思えた。(題名の通りだが、本当にそう感じた。)大切な一冊に出会えた。

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Posted by ブクログ 2021年10月05日

きっとこの時は皆それぞれの立場での距離がある。
読んでて母の時のことを思い出した。
自分しか感じ得ないことをこの話で主人公を通じて話しあえたようで。静かに穏やかで良い気持ちになれた

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Posted by ブクログ 2021年09月26日

今の日本で生きる多くの人は「全ての人が平等なのだから平均寿命まで生きられる権利を持っている。しかし特別な人はその権利を失い、早めにカウントダウンが始まる。」そして、「罪深い人、人間ドッグを受けなかったから、食事に気をつけなかったから、煙草を吸ったから」と何かしらの理由をつけたがる。カウントダウンが始...続きを読むまった人にだけ余命という言葉を当てはめ、始まっていない人と線を引きたがる。

こちらの感受性の問題。

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Posted by ブクログ 2021年08月23日

大学のサークルの先輩が紹介しているのを見て手にとってみました。

つい最近『もしも一年後、この世にいないとしたら。』という精神腫瘍医(がん専門の精神科医および心療内科医のことみたいです) の本を読んだばかりなこともあり、すごく色々と考えさせられました。

山崎ナオコーラさんの本は初めて読んだのだけ...続きを読むれど、考えさせながらも一気に読ませる筆致力がスゴいなと思いました。

心のヒダを確実に増やしてくれた作品です。

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ネタバレ

Posted by ブクログ 2023年03月18日

がんで余命わずかの妻との最後の半年あまりの日々が夫の視点で淡々と描かれる。

病の家族を見送った経験を思い起こすと、体調の異常に気がついて検査を受けるところから、入院して亡くなるまで、さらに葬儀とか含めると、家族はジェットコースターみたいに感情が揺さぶられっぱなしだった。

しかし、この小説では「看...続きを読む病もの」と呼ぶには終始カロリーが低い。冒頭からすでに妻の病は相当進行していて、夫は病室に通い、顔を洗ったり、髪を編んだり、爪を切ったり、妻の世話をし、何気ない会話をする。それは「好きな人」のための幸せな行為と感じている。

義父母や病室を訪れるケアマネージャー、見舞い客に気をつかい、時々違和感を覚えたり、でも妻の人生を尊重する姿勢は変わらない。この夫婦はお互いを深く思いやり、だからこそ相手の心に踏み込まず、弱音を吐かず、むしろ互いに遠慮しあっているようにさえ見える。

妻が亡くなり、一気に妻が遠くに感じられる悲しさ、さらに日々が経過すると、また次第に思いは変わっていく。最後まで読んで、タイトルの意味が深く腑に落ちる。

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購入済み

非日常をどう受け止めるのか

2023年03月12日

ガン末期の妻。妻の淡々とした態度。今、自分にできることを模索しながら寄り添う夫。病院のいう箱の中で、どう末期を迎えるか。その人の思いをどう汲んでいくのか。終活という言葉がある。最後まで、本人の望みを叶えるのは無理かもしれないが、伝えておくことは必要だと思う。

#泣ける #切ない #感動する

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Posted by ブクログ 2023年01月28日

身近な人だけじゃなく、様々な人との距離に着目している点が面白かった
恋人や近しい友人、心的距離や身体的距離を求めてしまいがちだけどそうではない、
見えているもの感じる距離が全てではない

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Posted by ブクログ 2022年10月24日

末期がんと診断された妻を看病する夫視点の小説。だけどこれは、ありきたりな御涙頂戴系の物語ではない。
事柄と事柄を繋げてステレオタイプの物語を作りたがる人間の軽薄で愚かな好奇心や、死後急激に離れていく故人との関係/距離に対する違和感など、あらゆる物事に対し思慮深く心遣いのできる夫が抱いた想いや考え、怒...続きを読むりを、この小説は丁寧に丁寧に描いている。
そして、「近いことが素晴らしく、遠いことは悲しいなんて、思い込みかもしれない」という文章は私持っていたステレオタイプな考え方に気付かせてくれた。

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Posted by ブクログ 2021年10月24日

大号泣...
夫の妻への愛が本当に感じられる作品だった。

死のあり方について考えさせられた。
いちばん良い形でその人の固有の死を迎えるためにどうするか
新しい視点だった。

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Posted by ブクログ 2021年09月22日


人の気持ちを冷静に捉えようとする夫の心情がとても丁寧に描かれていて、ありありと頭に描けた

安直なステレオタイプな理解になっていないか
勝手に自分の思う物語にしていないか
本当に相手を思う行動や発言ができているのか
思考の身勝手さを反省して背筋の伸びる気持ちになった

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Posted by ブクログ 2021年06月07日

黄色くて可愛いらしい菜の花畑から物語は始まります。妻に初めて会った時も、菜の花模様のワンピースを着ていた。
病院の大きな窓から見える美しい菜の花畑を夫は見せたいが車椅子の妻には見えない。

優しい夫の心の葛藤と共に、私の心も大きく揺れ、涙なくしては読めませんでした。でも、温かい涙です。

近過ぎず遠...続きを読む過ぎず、ふんわりとした温かい空気が保つ距離  菜の花が印象的でした。



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Posted by ブクログ 2021年05月25日

家族だから、夫だから、妻だから
ではなくひとりの人として、尊厳を尊重することの大切さが伝わる本だと思いました。

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Posted by ブクログ 2021年04月09日

少し前に「エンド・オブ・ライフ」という主に末期癌で在宅医療を選んだ人たちをライターが追う素晴らしい作品を読んだばかりなのだけど、この小説は、在宅医療ではないものの年若くして末期癌と診断されて入院している妻と、適度な距離感と愛情でもって関わっていく夫の物語だった。知らずに選んだので、タイミングに少し驚...続きを読むいた。

若くして余命を宣告された人の気持ちは、想像したって分かるはずもない。だんだんと弱っていくのが自分でも分かって、諦めることを積み重ねていく日々なのだろうと考えると、普通の精神なら平常心ではいられないということは想像できる。
この作品に登場する「妻」は、お見舞いに毎日訪れる夫や母親の前ではいつも通り穏やかに接して、薬の副作用に苦しんでほとんど食事も摂れなくなっても笑顔や感謝を欠かさず、たまに訪れる見舞い客にも重々しさを感じさせずに接する。その裏側にどれだけの諦めや苦しみがあったのかと考えてしまう。

そして夫は、そんな妻を支えるというよりは、寄り添うという言葉が適切な存在の仕方をしている。
大袈裟に心配したり、何でもやってあげたりせず、出来ることは本人にさせて妻が自分だけでは出来ないことには手を貸す。
だけどそれは自然にそうなったわけではなくて、夫が人知れず悩んで考え尽くした結果の在り方のように見える。

2人の間に子はなく、妻は1人でサンドイッチ屋を営んでいたので、妻には妻の社会があることを夫はきちんと理解している。理解して、その社会には踏み込みすぎないようにしている。
夫婦の距離感は本当にとても美しくて、そしてお互いを思う愛に溢れている。
自分の、あるいはパートナーの命の終わりが確実に見えている時、こんな風に寄り添え合えたら。「美しい距離」というタイトル以外考えられないような作品だった。

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Posted by ブクログ 2024年02月17日

夫婦の心の距離の取り方がまさに美しい距離

“カウントダウンの始まった人にだけ余命という言葉を当てはめ、始まっていない人との間に線を引きたがる。医師から余命を宣告された人だけが死と向き合っていて、そうではない人は生と向き合っていきている”

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Posted by ブクログ 2024年02月09日

サンドイッチ屋店主の妻がガンになり入院、夫は介護休暇制度使い業務量を減らし、妻との時間を多く取り死までの時間を描いた一冊。

花田菜々子氏推薦、死について興味もあり手に取る。

夫は妻が死ぬまでの時間を淡々と自分がやれることをや過ごし、妻も穏やかにその時を迎える。物語としては面白みがないが、私の場合...続きを読むはどうだろうや、実際には日々の時間がやはり淡々と流れていくのか等、話が大げさになっていない分、自分事としてシュミレーションできた感がある。

読んだあと、これが「美しい距離」かと考える、そうだな。美しい距離か。

私も同じ状況になった場合、再読しても良いかなと思った、人は「美しい距離」を取れるのか?書評を書いているうちに、ジワジワと良さが改めて分かった作品。

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Posted by ブクログ 2023年10月24日

老いは穏やかだ。
抑揚の無い日常の繰り返しも穏やかだ。
だが、病気により、その繰り返しや日々の穏やかな積み重ねも急に歪み、加速し、取り戻せなくなる。美しい距離とは儚さの事か。手を伸ばしても次第に届かなくなる、過ぎ去りし幸せな思い出が、やがて遠い過去になる。

この小説はそんな世界観を描いているような...続きを読む気がした。どこにでもありそうな平凡。日常を破る、また、どこにでもありそうな闘病。しかし、当事者にしか気付かない、不可逆的な穏やかな日々。

心臓がドキドキするのは、その日がいつか来ることに気付いているから。人間は何度も、死を乗り越えて、再び穏やかさを取り戻して生きる。死を前にすれば弱くもあり、しかし、それを乗り越える強さもある。人と人の距離、過去と現在の距離、自分自身と未来への距離を測りながら。

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Posted by ブクログ 2023年09月28日

身近な人を看病して死を迎えるにあたって、どのように対するのか?
その人らしいとは?死に向かうのも生きかたそのものであり、
それは自分の死にかたであり、清ぎよしい死にかた、
あるいは清ぎよし生きかたが浮かんでくる、著者の目線が新鮮。

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ネタバレ

Posted by ブクログ 2023年07月23日

とてもリアリティがあり、
悲しいしやるせないけれどどこか光も感じる。

お義母さんがあまり好きではないというか
けして嫌いではなく恐らく良い人なのに
ちょっともやっとするところがある。

そういった日常にありふれたことが、奥さんの闘病生活を支える中でもそこかしこに在る。
会社の人が奥さんの余命を訊い...続きを読むてくるのも可笑しいし
忌引きじゃなくて死ぬ前に休みが欲しいというのも
本当は当たり前の感情だと思う。
余命という物語を使わず納得してもらいたい
という表現の仕方に共感する。

主人公に対しても、「して『あげる』」という言い方を
しなくても良いのになと思った。

小林農園の人は良い人で、本人の前では泣かなかったのだろう。
しかし泣くのを我慢して看病してる人の前でお前が泣くのかよという気もするというのも
それはそうだろうなと思ってしまった。

痛くても並行して幸せだと思うこともあるというのも
分かる気がした。
うつる病気ではないのに治療に専念して表舞台には出るなというのはおかしい。
元気がないまま人に会ってもいいんじゃないか。
そういう考え方と、それを言葉にしているところが
素敵だなと思う。

考え方が合わない、相手が思い込みで話している
というようなことを
ストーリーが始まるという表現の仕方をしているのが
悪気のなさ、通じ合わなさなども感じられて
興味深い。

黄色一色にして欲しいと言ったのに
いろんな色で飾られた葬儀場。

「死ぬならがんが良い」
自分には到底言えそうにない言葉ではあるが
亡くなった奥さんも看取った旦那さんも
精一杯日々を過ごせたことだけは間違いないと思えた。

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Posted by ブクログ 2023年05月05日

がんに侵され、余命わずかな妻を看取る夫の心境が淡々と描かれていて、ドラマティックでないだけに余計にリアルに感じた。
家族といえどもある一定の距離感は大切だと思う。
そして大切な人が亡くなって、そこで関係は終わりではなく、その後変化していく感情や距離感すら美しい、という表現にハッとさせられた。

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Posted by ブクログ 2023年04月12日

BSジャパンで放送されてた「ご本、出しときますね?」が書籍化されたものを読んで、ゲストとして出ていた山崎ナオコーラさんに興味を持った次第。

「人のセックスを笑うな」の原作を書かれているが、映画がめちゃめちゃ好き過ぎて読めていない(笑)
普通、「原作が好きで、映画化したけど見てない。見たくない。」っ...続きを読むてことの方がありそうだけど^^;

他に読みたくなる作品あるかなぁと探した時に本書に興味を持った。ターミナルケアの話。私自身、ターミナルケアに関わった経験は無いが、3歳から祖父母と一緒に暮らし、4歳のときに祖父が、11歳のときに祖母が亡くなるまで、近くで介護を見てきた。母が祖父母の介護や病院通い、時に救急車を呼んだりしていた日々のことはハッキリと覚えている。また、旦那が内科医ということもあり、身近なテーマではある気がした。

読後に他の方の感想を読み歩いていたら、「御涙頂戴ものかと思ったら違った。それがよかった。」と言う感想がとても多く、初めてそこで「そうか。ターミナルケアの話と聞くとそれを期待するのか。」と気付かされた。そういうジャンルがあることをすっかり忘れていた。祖父母の介護や旦那の仕事の大変さの印象が強く、ターミナルケアが御涙頂戴のキレイゴトで済まないことの方が多いことが無意識に刷り込まれていたのだなぁと思う。御涙頂戴ものだったら本を床に叩きつけていたかもしれない(笑)

40代の夫婦の奥さんが病気を患い、旦那がターミナルケアをする話。奥さん自身や義母、病院や自分が務める会社、奥さんの仕事関連の人たち。主人公は頑張って気を配る。「こうしたらこう思うかも?嬉しいかも?嫌かも?」いちいち周りの人には言えないけど、一挙手一投足に神経を使っている、そんな思慮・心労を書いているかんじ。

…神経つかって頑張ってるのは分かるけど、なんだか少し未熟な感じもする。いちいち聞かずに思いを汲み取ることも必要だけど、大病してる人の気持ちは分かるはずないのだから、勝手な想像で動かれるより、ハッキリと気持ちを確認してあげることも大切だと思う。死んだら「あのとき本当はどう思ってたの?」って聞けないのだから。

主人公が奥さんのこと大好きで「妻ならこう思うと思う」って確信に近いくらいに答えられるところは、とてもすてきな夫婦関係だったんだなと想像できる。本当に奥さんがそう思ってるならそれでいい。でも、医者がどれだけ「悔いのないように」と言っても、その言葉に過敏に反応してるだけで、実際には本人に確認してないことが多い気がしてモヤモヤした。でも実際「故人が本当に悔いがなかったか」なんて知らないで残される方が多いわけだから、悔いがなかったかどうかを知りたがること自体、「悔いなく逝ったかどうか知りたい。安心したい。」というエゴだよね。どんなに人間できた人だろうが、この主人公だろうが、良かれと思ってやったことのすべては、結局ケアする側のエゴだという意味では大差ないのかもしれない。本当に「本人の意志」を尊重できる(できた)か、って相当難しいことだと思う。

タイプは違うけど、子育てに翻弄されてヒステリックになるお母さんに近い自尊心?みたいなのが主人公から見えるような。「こんなにやってる!」みたいな。それを「自分はやってあげてるんじゃなくて、やりたくてしてるんだ」と言ってるところも少々痛い。もちろんやりたくてしてる部分が多くを占めるのだろうけど、心の奥にある文句が見える。「やってあげてると思って何が悪い!」ってくらい、心の中では開き直ってもいい気がするが、そう思わないと目の前の日々に飲まれてしまうのかもしれない。そう感じる人もいるのだろうなぁと思った。

私はターミナルケアの経験もないし、介護とはまた違って若くして余命宣告されるほどの大病を患ったときの本人や周りの人たちの気持ちは特有のものがあると思う。その辺は分からないわけだから、もちろん感じ方はそれぞれなのだけどね。

山崎ナオコーラさんが介護なりなんなりのご経験があるのかなぁ。そのとき思ったことなのかなぁ。






私の祖母が亡くなるまでの間の記憶はハッキリとあるが、祖母が悔いなく最期を迎えたかは分からない。ワガママだった祖父の分まで気遣い屋だった祖母。介護は時間もお金も体力も神経も使う。そんな中で祖母は本音を言えたのかなぁ。介護する側はもちろん良かれと思って色々するけど、本人の口から言われたことじゃない限り、想像の域を出ない。自分の死が迫ってると意識した人の気持ちが分かると思うこと自体、エゴだと私は思う。だからこそ配慮が必要なのだ。

でも一方で、残される側もケアをしている間に「納得感」を持つ準備をする必要がある。もちろん「死ぬ」ことを意識して日々のケアをしていると思いたくないのは分かる。でもそこから目を逸らして過ごしたために、後悔が残るのは不本意だと思う。残される側には残りの人生がある。故人も自分の死のために残した者たちが後悔するのは望まないはず。当人を心身共に苦しめないのはもちろんだけど、大切な人のことで一喜一憂翻弄される中だけど、準備は必要だと思う。どんなに準備しても、結果論の後悔はいくらでも浮かぶはず。少しでもそれを減らせるように。
仕事を辞める選択肢もあったが、ケア一本になるとメンタル崩れそうだと、仕事も両立しようとした主人公の判断や、人はやがて死ぬのだから死ぬ準備ができる癌を悪く思わなくなったという主人公の発言にはとても共感できたし、重みを感じた。






あと、「本書において」のことだから別に気を揉む必要はないのだけど、だからこそ「本書に限って」のことと言わせてもらえるなら、「医者は説明責任ばかりで、こちらの感情を分かろうとしない。分からない。」みたいに描写されてるのが少し悲しかった。医者も患者もたくさんいて、もちろん人間は文字通りごまんといて、感じ方は十人十色で、しかもこれはフィクションなわけで。そして本当にそういう医者もいると思う。でも、(私の)旦那がどれだけ頭と体を使い、心を削って患者さんの生死に毎日毎日携わってるかを思うと、「医者」と括られて書かれるとちょっと悲しい。この作品に限らず、医者は心が無いと表現されることはたくさんあるから、フィクションの作品として「ふーん」と思ってればいいんだろうけどさ。

コンビニ店員やタクシー運転手や営業担当に当たり外れや合う合わないがあるように、医者にもあるのは事実。みんな人間だから。でも自分や自分の大切な人の命に関わることだから、みんなそれぞれに合う医者を探せたり、出会えるといいなぁと思う。
最期にしあわせを決めるのは「納得感」だと思うから。

人は必ず死ぬ。「この先生に診てもらってダメならダメか」って最期に思えたらいいなと思う。でも、自分の最期より、人の最期に寄り添う方がよっぽど大変なことだと思う。



◆内容(BOOK データベースより)
限りある生のなかに発見する、永続してゆく命の形。妻はまだ40歳代初めで不治の病におかされたが、その生の息吹が夫を励まし続ける。世の人の心に静かに寄り添う中篇小説。

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Posted by ブクログ 2023年03月17日

『習慣は意味を超える。なんとなく毎日続けることで、「あぁ、今日も自分は自分として生きてる」という感じを味わえる。』

なにかを能力を向上させようとかスキルを習得しようと思って習慣化するのではなく、生きてる実感を味わう目的で習慣化しようと思った。

明日も起きたらストレッチしてdjしよう!

著者紹介...続きを読むの、『「こつこつ」という響きが気に入り、「こつこつ書き続けるだけでいいのだ」と仕事の姿勢を決めた」』

好きだなあ。俺も仕事の姿勢「こつこつ」を採用しよう。

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Posted by ブクログ 2021年10月18日

人との距離の取り方は人それぞれだなと感じた。
夫の距離の取り方の思慮深さ。母親の思い。お客さんや取引先の方との関わり方。素敵な関わり方だなと思った。
最後は涙です。

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Posted by ブクログ 2021年03月22日

悲しい、切ない、美しい思い出という感傷的な部分ではなく、病身の妻に寄り添う夫側から見たシビアな日々。
この物語の夫婦には名前がでてこない。男性目線の捉え方であり、闘病記録のような
重さがあり、最後には明るい気持ちになりたいと思いつつ読む。
諸事にかかわる価値観の違いがいくつかあった。ここに出てくるお...続きを読む見舞いに関しては疑問を持った。よくない例として挙げられてるんだな。でも考えはそれぞれ(?)
闘病については共感して、読んでいて辛いところもあった。
人との間には距離が必要、夫婦であっても夫は夫、妻は妻、離れているからこそ関係が輝くことだってきっとある。<離れることを嫌だと感じている。でも、嫌でなくなるときがいつか来る。そんな予感がする。>
<未来を見ることで明るく生きてきたのだから、未来を見ずに明るく生きる方法が、今はわからない。>

山崎ナオコーラさんの小説は、時代と共に緩やかに変わりゆく価値観に寄り添い、やさしく訴えかけてるんだな(まだ少ししか読んでいないけど)。

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