藤原辰史のレビュー一覧
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一部ネットで嫌われてそうな論客たちからのメッセージ集。みなさん、日本から少しずつ自由が奪われていると危惧している。
ある一面の行動・発言が切り取られて批判されることが多い方々だが、その考えに直に触れると、国の在り方や自由について真剣に考えているのが分かる。
例えば表現の不自由展に携わった津田大介氏。近年、アートの世界では政権の意向に沿った展示しかできなくなってきたと言う。意向に反せば、補助金が下りないなど不自由を強いられるそうだ。
詳しく知らないが、おそらく、この展示は慰安婦像などを展示するのが目的ではなく、賛否両論のものを公の場で示すこと自体が目的だったのではないか。こうした国の動きに対する挑戦というか。
個人的には反日思想の展示など不愉快だし、する必要はないと思うが、一方で表現に規制がかかる危うさには怖さを感じる。こうした規制を許せば今後、反日的なものでなくとも、政府や権力者が、言論や表現に制約をかけられる世界になっていくわけだから。
アートの世界だけでなく、科学技術なども国の意向に沿わなければ補助金がなくなり、活動できなくなってしまう模様だ。それは果たして国民にとって健全な、豊かなことなのだろうか。賛否両論のものに対して全員が自由に発言できる世界、何事にも反対意見を出して議論できる社会、多面的に物事を考えられる世の中、そうしたものを守らなければ。などと思いました。 -
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最近推しの学者さん、伊藤亜紗さんと福岡伸一さんの組み合わせに、読まなきゃと刺激を受ける。
藤原辰史さんからは『ナウシカ考』につながる話題があって、あー、買って良かったなと、満足。
全体を統括しているのは、ロゴス(言葉・理性)とピュシス(自然)というキーワードだ。
そもそも、ウイルスも、人間のピュシスとしての生に深く関わる存在である。
だから、ウイルスを根絶させる、戦って人間が勝つという言葉に違和感を覚えるということだった。
そこで、ロゴスとしての社会は、人の生き方をコントロールするために手を伸ばす。
行動に制限をかけ、相互に監視を強め、それを善いこととして一方的に価値づけてしまう。
アフターコロナの世界では、そうした大きなシステムに対して疑いの目を持つことの必要性を説く。
けれど、私たちは、安全で清浄な社会に、随分と深く浸ってきたのではないだろうかと思う。
危険で汚いものは、悪と見なしていることと、同じ意味でもある。
そのことが、システムとサービスによって、さらに徹底され、維持されて欲しいと願っている。
これは結局、『ナウシカ』の墓所と変わらない。
私たちは、ナウシカと共に墓所を破壊出来るか?
三人の視点は、これかこれ!と整然と分けられるものではなく、ぐちゃぐちゃと入り混じった混沌に向けられている。
伊藤亜紗の「さわる」と「ふれる」の違いも、藤原辰史の「もれる」の生命との結びつきも、考えてみると、とても面白く魅力的だ。
科学への比重から哲学へ。
分析しても見えなかったものを、直観する。
先日読んだ『科学と哲学』ともピタリと符合して、良かった。 -
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テーア、チャヤーノフ、横井時敬、橋本傳左衛門、クルチモウスキー、杉野忠夫、小野武夫、川島武宜、吉岡金市、本書で取り上げられた主な人物である。かろうじて知っているのは、著作を読んだこともある川島武宜一人である。
本書冒頭、近未来の「農」が、必須栄養素の簡易摂取化、植物工場による栽培といった工学技術により根本的に変貌する可能性を指摘しつつ、著者は、“農学栄えて農業亡ぶ"を原理的に考察しようとする。農学とは、農業発展のために進展すればするほど農業を滅却させていくという逆説的な宿命を帯びているのではないか。
本書では、次の問いが示される。
1 「近代化の前進」と「農の原理の探究」というパラドックスのはざまでどのような思想が紡がれ、どのような実践がなされたのか。
2 これらの特質から見える資本主義の特質は何か。
3 1、2を踏まえて、それでも残りうる農の原理があるとすれば、それはどのようなものか。
こうした問題関心のもと、ロシアの小農論者チャヤーノフ、日本「農学の祖」横井、満洲移民の理論的指導者橋本、満洲移民運動を実務的に支えた杉野、日本農業の機械化にかけた横井等研究者の事績が、功罪共に論じられていく。
日本の農学の歴史的実践が、ナチズムやスターリン治世下の集団化に、こんなにも影響されていることに驚いたし、満州が壮大な実験場であったことを改めて実感した。
戦前の行為を無自覚・無反省のまま戦後の活動につなげていく研究者たちに対する著者の筆は厳しいが、これも決して高みからの、事後的な立場からの批判ではなく、農学と実践をどのように結び付けていくべきなのか真剣に考えている著者だからこそと思われる。
資本主義の関連については、利潤最大化のためのコスト削減という経営論理が、小規模農業を駆逐していくこと、家族経営という経済外的要素が多く入り込んでくる経営を、農業労働者と大土地所有経営者の二極分解するものであったことがあげられる。
それへの対処的反応が「農本主義」なのだということが、本書を読んで良く分かった。
個人的には、農学とは別の観点から考察される「第5章 「血と土」の法学」が興味深かった。一農家当たりの適正規模を定め、自作農を創設し、経営を安定させ、国家にとっても食糧基盤を確保するという道を、ナチス・ドイツと日本はとろうとした。つまり、所有権原理を制限するというもので、具体的には、ナチスの世襲農場法、満洲国の開拓農場法として法制化された。
負の遺産として、今日顧みられることはほとんどないので全く知らなかったが、少し勉強してみたくなった。
これからの食と農を考える上で直接参考になるものではないかもしれないが、農学とは何だったのか、農業とどう関係を切り結ぶべきなのか、そうしたことに関心を持つ人にとっては、豊かな鉱脈に満ち満ちた書物だと思う。 -
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●→引用
●第三に、給食は食品関連企業の市場であること。1988年の段階で「給食は、人件費と食費をあわせて年間1兆400億円のお金の動く大事業」と述べている。ここには、アメリカを代表とする農業大国や、多くの食品産業、食品卸業、農家の利益が直接絡んでくる。調理器具も、食器も、冷凍食品も、小麦も、牛乳も、公的な給食は大企業に、場合によっては地域の小さな八百屋や魚屋や肉屋に支えられている。
●つまり、占領を円滑に進めるために、具体的には、日本で病気が蔓延して占領軍やスタッフの健康が脅かされず、占領軍の統治を安定させるために、日本の子どもたちへの給食計画を断行すべし、という意味である。すでに述べたように、食糧メーデーやデモなど餓えに苦しむ民衆の怒りは沸騰し、それをGHQは「暴動」と認定し、沈静化をはかった。共産党の勢力伸長にも警戒せねばならない。こういった給食の持つ治安維持の機能をGHQが考えていたことは、当時の日本の官僚たちはもちろん、従来の給食の研究でもあまり意識されてこなかったように思える。給食は、民衆の統治技法の観点からも有意義な政策であり、警察の任務とも近接する、すぐれて政治的課題なのである。
●占領後、MSA協定からPL480にいたるまでの日米外交は、給食の意味合いを大きく変えた。目の前の外貨獲得、経済復興、飢えからの解放という喫緊の課題の裏で、アメリカは日本を食糧輸出先としてお得意先にし、あわせて共産主義の防壁にしようとした。
●「この脱脂ミルク給食に反対する先生がクラス担任をおろされたり、左遷されたり、また学校給食栄養士さんが仕事からはずされたり、ビラマキのお母さんが警察にひぱられたり、改善のたたかいをおこしてみると脱脂ミルク給食の権力的性格も」明らかになった。また、「教育委員会や校長のなかには、教師をつかって学童に給食ミルクをのむよう強力な指導をしたところ」もあったが、「そのさい勤務評定体制が物をいった」。(略)もちろん、給食だけが「勤務評定」の対象ではなかったにせよ、これ以降、給食運動に関わろうとする教師は勤務評定を意識せずにはいられなくなる。
●一方で、独立後の日本は、対共産主義の防波堤として位置づけ直されることで、アメリカの置土産の代償を払い続けることになる。再軍備および給食とアメリカの余剰農作物の市場開拓はセットであった。
●ソフト麺は、正式には「ソフト・スパゲティ式麺」という。1965年頃から給食に使われだしている。硬質小麦の粉、つまり強力粉が使用され、ビタミンB1やB2が栄養素として添加されているものだった。パンだけではアメリカの余剰農作物は解消されなかったので、パン以外にソフト麺が登場した、という言い方もできる。
●だが、現在、子どもたちが給食で空腹を満たしている現状、民間業者に払われる委託料の値上がりに自治体が苦しんでいる現状、そして「子どもの貧困」が新自由主義の一つの帰結である現状を鑑みても、子どもの生命がかかっている部門だけにコスト削減一辺倒の給食改革は思慮不足・構想稚拙という批判は免れないだろう。
●そして、香川、木村双方とも、いまが飽食の時代であることを前提に考えていることに注目したい。貧困は、ずっと隠されていたのであり、その少なからぬ部分を給食が守ってきたという点を、香川さえ主張できていない。歴史を振り返れば、給食廃止や給食民営化によって何が真っ先に失われるか、明らかであろう。 -
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トラクターなしに現代農業を語れはしないだろうに、それを主題にした本を見つけるのは難しい。
農業革命というと肥料や品種改良ばかりが注目され、失敗というと政策や気候についてのみ語られるが、
農機具の進化が如何な役割を果たしたのかが語られないのは何故だろうか。
本書はその調査対象を各国の農業史や歴史書、企業広告等は当然として、ポーランドの歴史小説からベトナムの短編小説、戦時中のソ連映画、19世紀のドイツの風刺雑誌、1937年公開のナチスと日本の合作映画など、トラクターが作った轍をすべて辿りつくすかのような徹底ぶりを見せる。
この本を抜きにしてトラクターを語ることは出来ないだろう。
19世紀末にアメリカで発明されて以来、ときに激動の歴史の渦に巻き込まれ、ときに新しい時代を後押しし、人々の生活と関わってきた。
多額のローンを組んだのに故障の多さに泣く独立自営農民。
家畜の有意さを信じて疑わない古い農民。
新しい農業共同体を信じる共産政治家。
労働力不足解消のためにトラクターを大量輸入する政府。
慣れない操作に戸惑い事故で死ぬ共同労働者。
生産力向上による農作物価格の下落。
銀行と金融による土地の集積と大規模化と零細農の放逐。
農業集団化のシンボルとしてプロパガンダに用いる共産主義国家。
日本の水田に適合した小型トラクターを開発する発明家。
ほとんどの進歩というものがそうであるように、多くの混乱の果てに必需品となったトラクター。
もはや昨今の自然主義者であろうとも、トラクターを手放せとは言わないだろう。
今の世界人口は完全にトラクターありきの生産力に支えられている。
予想される進化の先には完全無人化があるが、それを超えるようなイノベーションは起こるのだろうか。
まだまだ積み重なるこれからのトラクターの世界史に期待したい。 -
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「食べる」をテーマとした、ある大学の先生と、中高生の議論をまとめたもの。
「食べる」とはどこからどこまでのことか、たとえば、食べ物を口に入れた瞬間や噛んでいる間、は食べる行為としてOKだとして、飲み込んで食道を通過している間や、胃で消化している間はどうなんだろう、さらにその先の小腸や大腸を通過している間は、などと考えると、意外に、食べるという言葉の表す意味の曖昧さ、というか広さを実感できます。
また「食べる」には、単に「食べる」だけでなく、誰が作ったものを食べるのか、誰と食べるのか、どういうシチュエーションで食べるのか、といったいろんな要素が絡んでいます。
そういった、「食べる」に関するいろんな問いが、この本にはたくさん詰まっています。 -
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「トラクター」を通して、世界の農業史を振り返る一冊。
農家にとって、トラクターは「一度頼るとそれから離れられない農機具」。それを「政治的に農業と農民を管理する手段(p.84)」として使ったスターリン時代のソ連など、興味深い事例が多く紹介されている一冊。
歴史資料として「トラクターが出てくる小説」を多く取り上げているのも特徴。なかでも秀逸なのが、戦前・戦後のウクライナの政治・農業史を振り返る資料として紹介される「ウクライナ語版トラクター小史(=邦訳『おっぱいとトラクター』)」(p.114-)。舞台となるウクライナでもトラクターを通して農民を管理・抑圧する動きはあったことを示唆しつつ、一方でトラクター技術者としての誇りももつ、という主人公の存在は非常に興味深い。
日本でのトラクター史も紹介はされている。ただ、それは海外(特に米ソ)では主流の大型トラクターの技術を、日本の小規模で粘土質が多い田畑に適した小型トラクター(耕運機)に生かしていくか、という日本技術者の動きに注目されており、日本の農村社会への踏み込みはこの著書の中では限定的。そこはちょっと物足りなかった。
ただ、油断してると「田畑・農村・農民間におけるトラクターの立ち位置」にとらわれがちなトラクターへの視点を、世界史という全体を俯瞰できる視点に引き上げてくれる一冊として、興味深い一冊だった。 -
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学校給食というとどんな思い出があるだろう。
学校で一番楽しい時間だった人もいれば、嫌いなものを食べなくてはならなくて苦痛だった人もいるだろう。人気のおかずが余るとお代わりに皆が殺到したり、牛乳の早飲みをする猛者がいたり。
それは授業とはまた違う、けれどもやはり学校という環境でなくては経験しえない時間であったはずだ。
「学校で」「皆で」「同じものを」食べる。
本書はそのことの意味を、その歴史を通じて見直していく1冊である。
給食成立の背景には、貧困や災害があった。
戦後の困窮期には、アジアへ向けたアメリカからの支援物資の利用があり、その影響は長く残った。
学校給食は必要なのかとの議論もあった。
自校方式でなくセンター方式が広まるにつれ、安全性への疑問や効率重視の弊害も叫ばれた。
「食育」の観点から給食をもっと魅力的にしようと努力してきた人々もいた。
一口に給食というが、その背後にはさまざまな事情があり、経緯があった。
日本で本格的な学校給食が開始されたのは1919年のことである。背景には、不作や貧困で子供たちが十分な栄養が取れていなかったことがある。そうした中で、全校児童に同じものを提供するのは、スティグマ(烙印)を避けるためという意味合いが強かった。弁当の場合、明らかな貧富の差が出たり、そもそも持ってこれない者がいた。子供はそうした差に敏感だ。貧しいものにだけ給食を出せば、「明らかにあの家は貧しい」ということになる。給食実施の当初から、その点には注意が払われてきた。
戦後の食糧難の時代には、GHQの放出物資や民間慈善団体の支援物資が入ってきた。脱脂粉乳やスープの素、缶詰等、さまざまな物資が送られてきた。
パイナップルなどの物珍しい材料もある中、教師と父母が一緒になって調理をした学校もあったという。
復興が進むにつれて、学校で給食を出す必要があるのかという議論も生じていく。
1950年代はアメリカでも共産主義に対する警戒感が高まっていた頃だが、こうした流れで、児童皆に同じものを食べさせるのは共産主義的ではないのかという主張もあったのである。
一方で、戦後、アメリカからの物資が入ってきたことは、その後の日本の食に大きな影響を及ぼした。
そもそもGHQの担当官サムスは米食に批判的だった。給食にパン食を進めたのは、栄養的にそれが正しいという信念があってのことだったようだが、その後、日本の食生活が洋食よりへと大きく変化していくのに、そのことがある程度の役割を果たしたことはおそらく間違いないだろう。それにつれ、アメリカからの肉や野菜など、パン食に合う食材の輸入が増した面も否めないだろう。
子供時代の食生活はそれだけ大きな影響を持ちうるともいえるのだ。
経費削減の観点から、学校で作る自校方式から、より合理的なセンター方式に移行する流れが出てきた。しかし大規模に、機械的になるにつれて、食材の切り方や調理法などでよりきめ細かい対応ができなくなる例も出た。配送に時間が掛かるため、調理の時間が削られたり、温かいまま提供したりすることが不可能になったりもした。
何より大きかったのは、ひとたび食中毒などの問題が出た場合に、影響が広域にわたることである。
センター方式だけでなく、経費を削ることと子供の食の安心・安全の問題は常に裏表の関係にあった。こうした中から、食品安全に関する運動も生まれた。
現在に至るまで、紆余曲折を経て発展・変遷してきた給食である。
皆で一緒にご飯を食べるというのはやはり楽しいことであるはずである。偏食がちの子でも、新しいメニューに触れることで食べられるようになることもあるだろう。マナーを学ぶ面もあるだろう。何より、ともに食事をすることには、どこか心の垣根を払う面もある。
給食の時間をより楽しい、実りあるものにするために、さまざまな試みもなされている。
教育と福祉の狭間で、その道のりは平坦でも穏やかでもないけれども、それでもなお、給食には大きな可能性があるのではないか。
そんなことを思わせる労作である。