藤原辰史のレビュー一覧
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戦争と農業は切っても切り離せない。
トラクターが戦車に、化学肥料が火薬に、毒ガスが農薬に転用される経緯は非常に興味深かった。
また、戦時中の「食糧」というものの立ち位置も重要なものであるが故に、兵糧攻めができた。
兵糧攻めというものを詳しく学べたのは非常に大きかった。
食糧を管理下に置きたがる権力者の生々しさも学べた。
なぜそんな酷いことができるのか。読むのが辛い部分もあった。
非人道的であるが、それをおかしいと思えなかったのは、結局は民主主義の欠点でもある。
大衆の意見が正義とされる。
今自分が何不自由なく食事にありつけるありがたさを痛感する一冊でした。 -
Posted by ブクログ
学校給食の歴史の中から関係者達の苦労や問題点を探っている。「全ての子供に対し心身ともに健康な食事を提供する」理念が貫かれている。
終戦後のアメリカによる給食用食材の提供には数々の思惑が絡んでいたことは以前他の本でも読んだ。国内外問わず、産業界の利益を優先した結果発生した問題も多かったようだ。そして貧困によって食事を安心して摂れない子供達は現在でも多く、「食べられない」だけでなくそれによる感情面のダメージも非常に大きく、何があっても学校給食は平等に与えられなければならないことが繰り返し強調されている。
コロナ前に書かれた本なので「黙食」の話題は出てきていない。みんなで楽しく食事ができる機会が減ってしまったことも、今後は大きな課題になるだろう。 -
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2020年夏に刊行された本。コロナ後の社会の変化について。 人間、生命、歴史、国家、くらしと文化をテーマに21人の知性が語る。
インタビューと寄稿された文で構成されている。コロナが蔓延し拡大していた頃の見解なので、現在の視点で読むとやや違和感がある意見もあるけれど、総じてコロナをきっかけに、今後社会が大きく変化すること、先が見通せない不安がつきまとうことで一致している。コロナ発生から1年が経って、ワクチン接種が進んでいるが、なかなか終息しないのが心配。 経済活動は悪化しているが、でもマクロレベルでの指標と実態の乖離は、それほど危機的ではないように思う。 影響が出てくるとすれば社会構造の変化、人間の付き合い方の問題だろう。 この本は、賞味期限が短いと思うので、読むなら早めがよい。 5年から10年経って、彼らの予想がどうだったのか検証には使えるかもしれない。 -
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ラジオ「荻上チキセッション」が夕方に移ってから聞くようになり、荻上チキさんとはどういう人かと探していて行きあたった本。読みたいと思った人の章のみ読みました。
養老孟司:「不要不急とは」という、今回もまた若干ずれた感のある内容なのだが、この用語への同氏の違和感は、医者でありながら現場ではなく解剖をやっている自分、また現在の老人で公職にもない自分の存在は不要不急なのではという根本から生まれている。そこからさらに、人間自体不要不急なのではという話。この辺りは、前回読んだ氏のインタビューで、老人はコロナ禍を乗り切ったところで生き甲斐はあるのかという疑問と相反するようで通じるところがあり、面白いなあと思った。それにしても毎回若干ずれてるのに毎回養老先生が出てくるのは、よっぽど好かれているということなんだろうなあ。
五味太郎:絵本作家だからなのか子供にあたたかい視点。そもそもの教育が、子供の権利のはずなのに子供に失礼だというところから発し、不安だったのはコロナ禍のせいなのか、収束して非日常から戻った際の「日常」は(特に子供にとって)そもそもよかったのかという議論。学校はありがたいけれど、現行の教育に対する疑問や批判が帳消しにされるべきではないということなのだろう。これまたコロナ云々を超えた根本的議論。
荻上チキ:検察庁法改正(定年延長)が見送られたことに見る世論の動きの分析。良くも悪くも議論が単純化されることで世論が盛り上がるというところに、なるほどなと思った。
ブレイディみかこ:息子が受けた、コロナ禍でのアジア人蔑視発言から、各人が自分のなかにある偏見に気づくきっかけになったという話。分析する息子さんも、その発言を注意した級友も、なんとも冷静ですごいなあと思う。またキーワーカーへの拍手の要不要論も、それが次世代に残すであろう影響から反対はできないというブレイディさん、現在がそうこうで終わらせずコロナ後に続いていく、次世代を育てていくという先を見据えた視点にハッとした。
(お名前を失念):会うことが暴力という言葉になるほどなあと思った。だから「あつ森」のように会わなくて良い平和なゲームが人気になると。裏を返せば、会うことの暴力に対峙できない人の中に、その分の暴力をネット上で振るう人がいるのではないかと思わないでもなかったが、生身とバーチャルの違い=暴力・重力という視点が面白いと思った。 -
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「給食」というものが生まれた背景と、現代まで続いてきた中での変遷。
日本でも戦前から給食はあった。農村地帯などで、貧困のため弁当を持たせてもらえない家庭の児童を救うためだ。
それが敗戦後には全国規模で展開されることになる。そこには日本の食習慣を米食からパン食にシフトさせる事で、自国で余っている麦の売り先を確保しようとするアメリカの国家戦略も見え隠れする。
またそもそも給食が導入される最初から、弁当は内容に家庭の事情による差が出て、児童自身が謂れのない恥ずかしさを感じてしまうのに比べて、給食は貧困家庭の児童が家庭事情の恥ずかしさから解放される事を目指しており、そのためにも無償支給を目指していた(無償支給は社会主義につながるというアメリカの方針に反対していた)という。
そういうところから始まって、給食制度の普及、各学校で給食を調理する自校式と、別に設けられた給食センターで何校分もの給食を調理し配送するセンター方式などの変遷、米食の導入、果ては給食の献立を考え、調理を行う栄養士と教職員の対立の話まで、給食の歴史は様々な紆余曲折がある。
今また経済的な理由などにより満足な食事が取れていない子どもの問題がクローズアップされてきている。給食を巡る問題は、根っこのところでは変わっていないという気がする。