あらすじ
小中学校で毎日のように口にしてきた給食。楽しかったという人も、苦痛の時間だったという人もいるはず。子どもの味覚に対する権力行使の側面と、未来へ命をつなぎ新しい教育を模索する側面。給食は、明暗二面が交錯する「舞台」である。貧困、災害、運動、教育、世界という五つの視角から知られざる歴史に迫り、今後の可能性を探る。
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Posted by ブクログ
「新資本主義」という搾取により生まれた弱者を自己責任という言葉で覆い隠すための主張に、子供の命を救い、共に幸せに生きていこうとする意思を差し出すわけにはいかない。
Posted by ブクログ
参考文献の引用の丁寧な書き方、最初に本全体の概要、
流れを説明し、章ごとに深掘りしていき、
きちんとそれまでを振り返りまとめて終わり、という本の構成が好みで、読んでいて満たされました。
自分語りや、表立った感情論はなく、根拠として事実関係の引用を用いて自分の意見の方向性を述べるところが読みやすかったです。
給食の恩恵は受けてきたけれど、その当時は子供だったため、どれほどの苦労や思いがあってのものか露知らず。年齢的には、今度は親になって給食に関わる段階でしょうがいまだその機会はないため給食はテレビで報道される異物混入の報ぐらいでしかほぼ触れることがなくなっていました。「おいしい給食」というドラマに出会い、面白く楽しんで見ていましたが、そんな風に楽しむだけで、取り立てて真剣に、真面目に大事な問題として給食に思いを馳せるという概念がなく、この本に触れて初めて、給食の歴史、政府、保護者や栄養教諭の活動などを見て、多くの人の尽力で成り立っているんだなと感心しました。
この本に出会わなければ、知ることもなかったです。
この本を手に取ったのは「ゼロからの資本論」に引用されており、興味を持ったからです。
効率化、コストカットなど、利便追求をしてしまうと大事なものを見落としてどんどん味も温度もなくなっていくんだなとしみじみ思わされました。
生きる上で欠かせない身近な「食」に関わることだからその危機感がわかりやすかった気がします。
資本主義に飲み込まれ振り回される世の中で、効率優先ではない体制がまだ残っていること、それが給食だということ、盲点というのか灯台下暗しというのか。
失われず残っていってほしいし残していかなくてはならない。
給食に対して絶対にブレてはならないこと、貧困児童のスティグマとならない。はい。
この視点、心に刻んで生きたいです。
Posted by ブクログ
とても良かった。日本で生まれ育った日本人は、学校で給食を経験しているはずである。もちろん海外にも同様の制度はあるが、本書では日本で給食が始まった理由、進化の過程、さまざまな葛藤、今後の課題と給食の持つ役割が論理的に書かれており、興味深く学ばせてもらった。本書を読めば日本の給食の成り立ちから意義からすべてがわかる。
日本の給食は江戸時代終盤ごろ始まったとされるが、その意義は常に貧困家庭の子どもの救済にあった。その過程で常に、助けを受ける子どもが恥をかかないように、との細心の配慮がされてきた。
戦後はGHQが給食の復活を強く推し進めたことも初めて知った。もちろん、アメリカの意図としては、日本の子どもたちの健全な発育以外にもアメリカ製の食材を売りたいという下心があったわけだが、結果として子どもたちが救われた側面もあったようだ。
給食職員(今は給食教諭と呼ぶらしい)の人たちや、母たちの働きかけで制度や法律がどう変わっていったのかも知る意義がある。
小学校時代の給食を思い出しながら読んだ。本書で出てくる、脱脂粉乳やクジラ肉やソフト麺は経験したことがない。中学と高校は弁当だったが、当時働いていた母の負担を考えると、給食があったらよかったと思った。
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戦後の占領政策の一環として語られることが多い学校給食。本書では戦前まで遡る給食の萌芽から現代に至るまでの給食の歴史が語られるが、そこには占領政策という単純な構図ではなく弱者救済、スティグマの回避、効率化の弊害、供給側のやりがい、イデオロギーとの関係など多様なドラマが織り込まれている。
コッペパン、ソフト麺。先割れのスプーン。給食といえば想起されるこれらがどのような経緯で生れ出づったのかという経緯は興味深いし、昨日の命を明日へ繋ぐ指名としての給食のナラティヴには胸打たれるものがある。
Posted by ブクログ
こんなに給食について考えたのは、給食をいただいていた小学校以来どころか35年の人生初だと思う。
私の中の給食の思い出に強烈に残っているのは小学2年時、イワシか何かのマリネがどうしても食べられなくてベランダに机ごと出されて食べ終わるまで放課後ずっと残されていた…という苦い記憶。
そんなような感じで、少なからず各々の給食の思い出を呼び覚まさせる新書。
が、本書の意義や趣意はもっと広範で、戦時下の強兵育成というところから始まりアメリカによる小麦・ミルク市場としての給食、中曽根首相時代の新自由主義方針と給食の変容、と新たに知った事・考えさせられた事が沢山。まさかソフト麺や先割れスプーンにこんなに背景があったなんて!
「学校給食感謝の日」についてはもっときちんと広めた方が良いと思う。
本書参考文献の『ナチスのキッチン』、フレーベル館『日本全国給食図鑑』とみすゞ書房『味と雰囲気』は一度読んでみたい。
1刷
2021.5.18
素晴らしい新書
給食を軸に、日本の近代史を辿ることで、教育はもちろんのこと貧困問題や食糧政策など、日本社会の実相を明らかにする。そもそもの着眼点とその意図を明確に論じられている著者の力量に敬意を感じます。学べたことはたくさんありますが、子どもの発達と食との密接な関連を知ることができました。私も使っていた先割れスプーンが使われた経過なども分かります。
Posted by ブクログ
主に日本の学校給食を、その歴史を追いながらその役割と意義の変遷を追った一冊。黎明期における世界の給食との比較、給食の成長を支えた多くの人々の求めた理想と現実の乖離、戦後に子供たちを飢えから救う為にアメリカと共に進めた給食復興と善意の裏にあった冷徹な戦略・・・。
給食とは学校で提供される昼食に留まらない、社会の鏡といえる一面を持っている事が丁寧に綴られている。栄養士諸兄にはぜひ読んでもらいたい。たとえ学校給食の現場で働いていなかったとしても。
Posted by ブクログ
学校給食は子供達を飢餓から救うことから始まった。
今でも「学校給食が唯一栄養バランスの取れた食事」である子は存在する。給食費の未納を給食の停止につなげて、子供に大きなしわ寄せが行くことはあってはならない。
センター方式では給食の品質が劣化する。自校方式では人件費がかかるが、食べる人と作る人、互いのの顔が見える。それが調理員のやりがいにつながる。子供達も残しては申し訳ないという気持ちになる。
中学校の給食提供率が低いこと。
給食のもたらす意義は大きい。給食は母親の怠慢ではない。弁当では格差が浮き彫りになり子供同士が気まずい思いをする。家庭だけに食育を押し付けることは限界がある。みんなで同じ物を食べることで家では食べられないものが食べられたり、栄養バランスの取れた食事の目安を知ることができる。
税金はこういう部分に使われるべきだ。子供も大人も、今一度、食の持つ力を見直し、大切にするべきだと思った。疎かにしてしまいがち。
そんなことを思わせてくれた一冊。
Posted by ブクログ
調査量、論理立て、思想、全てにおいてハイクオリティの内容だった。
給食のいう一つのシステムから近代日本の流れを見通すことができ、現在の社会問題まで把握することができる。
戦後の給食が、アメリカの(ある種占領的な)思惑で動いていたこと。無料給食に対しての議論の中で、ジェンダー論にいきつくこと。などなど知的好奇心をそそられる記述が満載だ。
Posted by ブクログ
戦後アメリカの占領により、学校給食ひいては日本人の食生活は大きな影響を受けた。ただし、戦前から一貫して、貧困と災害に対する備えとして発展を遂げている。
私は一貫して自校給食だったが、センター方式に対する抵抗運動についても知ることができた。
Posted by ブクログ
日本の給食の歴史がよくまとまっている。
給食は、教育政策、貧困政策、災害政策、健康政策、
食料自給、地域の発展、地域の活性化と関連がある。
新型コロナで突然休校になり、保護者や給食関連企業は困っている。
給食は廃止して弁当にすればいいと思っていたが、安心でおいしい給食の提供を続けていくことの必要性を認識した。
Posted by ブクログ
●→引用
●第三に、給食は食品関連企業の市場であること。1988年の段階で「給食は、人件費と食費をあわせて年間1兆400億円のお金の動く大事業」と述べている。ここには、アメリカを代表とする農業大国や、多くの食品産業、食品卸業、農家の利益が直接絡んでくる。調理器具も、食器も、冷凍食品も、小麦も、牛乳も、公的な給食は大企業に、場合によっては地域の小さな八百屋や魚屋や肉屋に支えられている。
●つまり、占領を円滑に進めるために、具体的には、日本で病気が蔓延して占領軍やスタッフの健康が脅かされず、占領軍の統治を安定させるために、日本の子どもたちへの給食計画を断行すべし、という意味である。すでに述べたように、食糧メーデーやデモなど餓えに苦しむ民衆の怒りは沸騰し、それをGHQは「暴動」と認定し、沈静化をはかった。共産党の勢力伸長にも警戒せねばならない。こういった給食の持つ治安維持の機能をGHQが考えていたことは、当時の日本の官僚たちはもちろん、従来の給食の研究でもあまり意識されてこなかったように思える。給食は、民衆の統治技法の観点からも有意義な政策であり、警察の任務とも近接する、すぐれて政治的課題なのである。
●占領後、MSA協定からPL480にいたるまでの日米外交は、給食の意味合いを大きく変えた。目の前の外貨獲得、経済復興、飢えからの解放という喫緊の課題の裏で、アメリカは日本を食糧輸出先としてお得意先にし、あわせて共産主義の防壁にしようとした。
●「この脱脂ミルク給食に反対する先生がクラス担任をおろされたり、左遷されたり、また学校給食栄養士さんが仕事からはずされたり、ビラマキのお母さんが警察にひぱられたり、改善のたたかいをおこしてみると脱脂ミルク給食の権力的性格も」明らかになった。また、「教育委員会や校長のなかには、教師をつかって学童に給食ミルクをのむよう強力な指導をしたところ」もあったが、「そのさい勤務評定体制が物をいった」。(略)もちろん、給食だけが「勤務評定」の対象ではなかったにせよ、これ以降、給食運動に関わろうとする教師は勤務評定を意識せずにはいられなくなる。
●一方で、独立後の日本は、対共産主義の防波堤として位置づけ直されることで、アメリカの置土産の代償を払い続けることになる。再軍備および給食とアメリカの余剰農作物の市場開拓はセットであった。
●ソフト麺は、正式には「ソフト・スパゲティ式麺」という。1965年頃から給食に使われだしている。硬質小麦の粉、つまり強力粉が使用され、ビタミンB1やB2が栄養素として添加されているものだった。パンだけではアメリカの余剰農作物は解消されなかったので、パン以外にソフト麺が登場した、という言い方もできる。
●だが、現在、子どもたちが給食で空腹を満たしている現状、民間業者に払われる委託料の値上がりに自治体が苦しんでいる現状、そして「子どもの貧困」が新自由主義の一つの帰結である現状を鑑みても、子どもの生命がかかっている部門だけにコスト削減一辺倒の給食改革は思慮不足・構想稚拙という批判は免れないだろう。
●そして、香川、木村双方とも、いまが飽食の時代であることを前提に考えていることに注目したい。貧困は、ずっと隠されていたのであり、その少なからぬ部分を給食が守ってきたという点を、香川さえ主張できていない。歴史を振り返れば、給食廃止や給食民営化によって何が真っ先に失われるか、明らかであろう。
Posted by ブクログ
学校給食というとどんな思い出があるだろう。
学校で一番楽しい時間だった人もいれば、嫌いなものを食べなくてはならなくて苦痛だった人もいるだろう。人気のおかずが余るとお代わりに皆が殺到したり、牛乳の早飲みをする猛者がいたり。
それは授業とはまた違う、けれどもやはり学校という環境でなくては経験しえない時間であったはずだ。
「学校で」「皆で」「同じものを」食べる。
本書はそのことの意味を、その歴史を通じて見直していく1冊である。
給食成立の背景には、貧困や災害があった。
戦後の困窮期には、アジアへ向けたアメリカからの支援物資の利用があり、その影響は長く残った。
学校給食は必要なのかとの議論もあった。
自校方式でなくセンター方式が広まるにつれ、安全性への疑問や効率重視の弊害も叫ばれた。
「食育」の観点から給食をもっと魅力的にしようと努力してきた人々もいた。
一口に給食というが、その背後にはさまざまな事情があり、経緯があった。
日本で本格的な学校給食が開始されたのは1919年のことである。背景には、不作や貧困で子供たちが十分な栄養が取れていなかったことがある。そうした中で、全校児童に同じものを提供するのは、スティグマ(烙印)を避けるためという意味合いが強かった。弁当の場合、明らかな貧富の差が出たり、そもそも持ってこれない者がいた。子供はそうした差に敏感だ。貧しいものにだけ給食を出せば、「明らかにあの家は貧しい」ということになる。給食実施の当初から、その点には注意が払われてきた。
戦後の食糧難の時代には、GHQの放出物資や民間慈善団体の支援物資が入ってきた。脱脂粉乳やスープの素、缶詰等、さまざまな物資が送られてきた。
パイナップルなどの物珍しい材料もある中、教師と父母が一緒になって調理をした学校もあったという。
復興が進むにつれて、学校で給食を出す必要があるのかという議論も生じていく。
1950年代はアメリカでも共産主義に対する警戒感が高まっていた頃だが、こうした流れで、児童皆に同じものを食べさせるのは共産主義的ではないのかという主張もあったのである。
一方で、戦後、アメリカからの物資が入ってきたことは、その後の日本の食に大きな影響を及ぼした。
そもそもGHQの担当官サムスは米食に批判的だった。給食にパン食を進めたのは、栄養的にそれが正しいという信念があってのことだったようだが、その後、日本の食生活が洋食よりへと大きく変化していくのに、そのことがある程度の役割を果たしたことはおそらく間違いないだろう。それにつれ、アメリカからの肉や野菜など、パン食に合う食材の輸入が増した面も否めないだろう。
子供時代の食生活はそれだけ大きな影響を持ちうるともいえるのだ。
経費削減の観点から、学校で作る自校方式から、より合理的なセンター方式に移行する流れが出てきた。しかし大規模に、機械的になるにつれて、食材の切り方や調理法などでよりきめ細かい対応ができなくなる例も出た。配送に時間が掛かるため、調理の時間が削られたり、温かいまま提供したりすることが不可能になったりもした。
何より大きかったのは、ひとたび食中毒などの問題が出た場合に、影響が広域にわたることである。
センター方式だけでなく、経費を削ることと子供の食の安心・安全の問題は常に裏表の関係にあった。こうした中から、食品安全に関する運動も生まれた。
現在に至るまで、紆余曲折を経て発展・変遷してきた給食である。
皆で一緒にご飯を食べるというのはやはり楽しいことであるはずである。偏食がちの子でも、新しいメニューに触れることで食べられるようになることもあるだろう。マナーを学ぶ面もあるだろう。何より、ともに食事をすることには、どこか心の垣根を払う面もある。
給食の時間をより楽しい、実りあるものにするために、さまざまな試みもなされている。
教育と福祉の狭間で、その道のりは平坦でも穏やかでもないけれども、それでもなお、給食には大きな可能性があるのではないか。
そんなことを思わせる労作である。
Posted by ブクログ
「給食」を
明治以降の世相史として
読み解いていく好著
その時代の
その時の政府の
その時に置かれた子供たちの状況の
背景も丹念に考察されておられる
確かに面白き一冊である
ただ
「給食」がどこで食べられているか
という問題には触れられていない
ことが残念
ほとんどの学校園では
普段の「教室」が
そのまま、教室の場として
使われている
それは 当たり前といわてしまえば 当たり前
なのでしょうが
ほんとうに
それは 当たり前のことなのだろうか?
Posted by ブクログ
給食を通して、戦争、福祉、行革、経済、
占領、様々なテーマ史が、浮かび上がる。
食に対する強制の側面もある給食だが、
格差が拡大していく一方の現代日本では
スティグマ防止のための役割は拡大中。
歴史的な経緯も踏まえた議論が
重要だと感じた。
Posted by ブクログ
学校給食の歴史の中から関係者達の苦労や問題点を探っている。「全ての子供に対し心身ともに健康な食事を提供する」理念が貫かれている。
終戦後のアメリカによる給食用食材の提供には数々の思惑が絡んでいたことは以前他の本でも読んだ。国内外問わず、産業界の利益を優先した結果発生した問題も多かったようだ。そして貧困によって食事を安心して摂れない子供達は現在でも多く、「食べられない」だけでなくそれによる感情面のダメージも非常に大きく、何があっても学校給食は平等に与えられなければならないことが繰り返し強調されている。
コロナ前に書かれた本なので「黙食」の話題は出てきていない。みんなで楽しく食事ができる機会が減ってしまったことも、今後は大きな課題になるだろう。
Posted by ブクログ
「給食」というものが生まれた背景と、現代まで続いてきた中での変遷。
日本でも戦前から給食はあった。農村地帯などで、貧困のため弁当を持たせてもらえない家庭の児童を救うためだ。
それが敗戦後には全国規模で展開されることになる。そこには日本の食習慣を米食からパン食にシフトさせる事で、自国で余っている麦の売り先を確保しようとするアメリカの国家戦略も見え隠れする。
またそもそも給食が導入される最初から、弁当は内容に家庭の事情による差が出て、児童自身が謂れのない恥ずかしさを感じてしまうのに比べて、給食は貧困家庭の児童が家庭事情の恥ずかしさから解放される事を目指しており、そのためにも無償支給を目指していた(無償支給は社会主義につながるというアメリカの方針に反対していた)という。
そういうところから始まって、給食制度の普及、各学校で給食を調理する自校式と、別に設けられた給食センターで何校分もの給食を調理し配送するセンター方式などの変遷、米食の導入、果ては給食の献立を考え、調理を行う栄養士と教職員の対立の話まで、給食の歴史は様々な紆余曲折がある。
今また経済的な理由などにより満足な食事が取れていない子どもの問題がクローズアップされてきている。給食を巡る問題は、根っこのところでは変わっていないという気がする。