斎藤環のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
[ 内容 ]
娘を過剰な期待で縛る母、彼氏や進路の選択に介入する母…娘は母を恨みつつ、なぜその呪縛から逃れられないのか?
本書では、臨床ケース・事件報道・少女まんがなどを素材に、ひきこもり・摂食障害患者らの性差の分析を通して、女性特有の身体感覚や母性の強迫を精神分析的に考察し、母という存在が娘の身体に深く浸透しているがゆえに「母殺し」が困難であることを検証する。
「自覚なき支配」への気づきと「自立」の重要性を説き、開かれた関係性に解決への希望を見出す、待望の母娘論。
[ 目次 ]
序章 なぜ「母殺し」は難しいのか
第1章 母と娘は戦っている
第2章 母の呪縛の正体をさぐる
第3章 女性ゆえの困難について
第4章 身体の共有から意識の共有へ
終章 関係性の回復のために
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ] -
Posted by ブクログ
[ 内容 ]
メール依存、自傷、解離、ひきこもり…「非社会化=未成熟」で特徴づけられる現代の若者問題。
しかし、これらを社会のせい、個人のせいと白黒つけることには何の意味もない。
彼らが直面する危機は、個人の未熟さを許容する近代成熟社会と、そこで大人になることを強いられる個人との「関係」がもたらす病理だからだ。
「社会参加」を前に立ちすくみ、確信的に絶望する若者たちに、大人はどんな成熟のモデルを示すべきなのか?
豊富な臨床経験と深い洞察から問う、若者問題への処方箋。
[ 目次 ]
序章 若者は本当に病んでいるのか
第1章 思春期という危機
第2章 欲望を純化するネット社会
第3章 境界線上の若者たち
第4章 身体をめぐる葛藤
第5章 学校へ行かない子どもたち
第6章 ひきこもる青年たち
第7章 「思春期」の精神分析
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ] -
Posted by ブクログ
おおかたの女性は「関係原理」、おおかたの男性は「所有原理」で動いている、ジェンダーの問題はこの2つの原理について考えるとわかりやすい、という話。で、それぞれの原理は生物学的(脳とか)に出てくるものではなく、まさにジェンダーとして社会的に作られていくという考え方をとっている。、、んだが、やっぱふらりふらりと生物学的本質主義に傾きそうになる場合がないわけじゃないとか、なにより、斉藤さんの考え方がフロイトやらラカンやらの精神分析やそれを色濃く反映した哲学の系譜を引くので、二元論からは抜け出ていない、というか抜ける気はないだろう(^^;)。で、そういう意味で二元的だ、というのは、日本や西洋など、性別(ジェンダー)が2つしかないとされている地域では、実際そうで、斉藤さんがいうような2つ以上のジェンダーというのは現時点ではまったく構築されてない、と考える方がなおわかりやすそう。p.230には彼の主張がばっちり表にまとめられていて、怖いほどわかりやすい(^^;)。ここから別のことを論じようとするときはちょっとあぶねー!とか思うが、一部のことを説明するのにはかなり強力なツールになる考え方だ。精神分析やその流れのフランスの哲学については、代表的な研究者やその著作についてざっくりしたまとめが並んでいて、そのへんがよく分からなかったワタシはこれが大変気に入っている。邦訳のあるものについては参考文献もきちっと書いてある。
-
Posted by ブクログ
ジェンダー 社会的に文化的な性のありようについて 述べてゆく。
バックラッシュの主張 フェニズムとの対比
女はおんならしく 男はオトコらしく
y遺伝子の継承 論者
男女格差本にあるような男狩猟 女は家事
と太古からわかれていたかわからない。証拠はない。
非婚の進行
結婚は今でも 一人前の人間として完全な人生のありよう
それでも非婚化がすすむのは
義務感と世間のプレッシャーがへったため
結婚は女は新しい関係の出発 男性は性愛の帰着
結婚に
男は女を所有すると考える 女は関係と考える
結婚を安定化する制度を取り払うとジェンダーの差異にたいする不安だけが残った。
精神疾患での男女差
ひきこもりは圧倒的に男性が多い。
男性のモラトリアムは就労前
女性のそれは 結婚を前提としている。
うつの自殺者に男が多い理由
男は立場の生き物 女性は関係の生き物
女に多い拒食症
女性らしい肉体への拒否
ヒステリー 女性に多い
他者の欲望を刺激する肉体を持ちつつ
自らの欲望は放棄する。
おたく
性欲を実現するにしては、結婚は常識や制度というような不純物が多い。
女性のおたく 腐女子 少年愛の物語に興味
男性のおたく 萌え ビジュアルに依存
ここでも男 立場 女は関係
愛
男性における性行為は愛の究極 しかし所有の原理
女性の性交は非定型
女性は声に反応する 男性は視角が優位
男性の同一化は体そのものが透明化で成立
女性は身体を必要とする。
精神分析
男は象徴ペニスの所有によって位置づけられる。女性は男性でないとう関係でしか示すことができない。
女だけの特徴 からだ を持っていること。
女性の身体は擬態 身体は見られために存在する。ときには違和感から脱ぎ捨てたいと感じる。それにもかかわらず身体は女性の本質である。
母親の言葉によって娘は身体を持つ
男の会話は情報伝達が目的、女は結論を出すことより会話そのものを楽しみたい。
男の所有原理はひたすらファルス的享楽をめざして突き進む。ファルスは人間に言葉をもたらす原器的なものてあるがゆえ、男の欲望は徹底して言語・観念的なものとなる。この欲望こそ文明の進歩を支えてきた。
一方女の関係原理はどこまでもファルス的なものからはみだしてゆく。まず対象をまるごと受け入れた後から自らの欲望を発見する。
-
Posted by ブクログ
女性、そして同性同士の親子関係の特異さ・恐ろしいほどの難しさ、娘が母親の存在にいかにその後の一生を支配されるかということを極めて冷静に記述した本。
これという解決策がないのもまた恐ろしい。母との関係性のカラクリを知っただけでもよしか。
印象に残ったのは、女は自分の身体を“空虚な容れもの”と感じ、身体性に関する葛藤が男性に比べてとても強いというくだり。
確かに自分という存在が、メンテナンスのややこしい身体という容れものにすっぽり収まって出られないでいるというようなことはよく感じてきたなあ。
心理学上の専門用語がさらさら登場するので、予備知識がないと中盤は少し読みづらいかも。
女性性男性性のちがい、親子関係の特異さを知るにはなかなかの良書かと思います。 -
Posted by ブクログ
この本は、若者論、のようで実は違うんです。
「社会の成熟度と個人の成熟度は反比例する」
今の社会は成熟していると思います。ということは、個人の成熟度は下がる。というより、成熟しなくても生きていける。そんな社会です。それが、生きにくさを作り出している。
なんかおかしいですが、そうだと思いました。今の日本で、「生き延びること」に重点を置く必要がほぼ無い。これって、凄いことですよね。というこは、「大人」になることを強要されないし、「大人」にならなくても生きていけるってことです。RPGでの、主人公の成長物語は、ゲームの中で、物語の中で、のものでしかなくなった。
現代社会で生活するのに求められるのは、「成熟」ではなくて「適応」というのは、うん…と納得されられました。 -
Posted by ブクログ
すぐ側に微妙に引きこもりな人間が居るので、いろいろと興味を持って読んでみました。その結果、ひきこもりじゃないとは思いましたがwただの出不精だ(−−;
まぁ、ひきこもりだとしても俺には何の手助けも出来ないわけだが。この本曰く、兄弟の手助けはむしろ邪魔とのことでした。
ひきこもりになっていく様子や、ひきこもりの病理(ただの鬱ではない)などがわかって面白かったです。ひきこもりに対する見方がちょっと変わりました。
この著者の斎藤環さんの他の著作に「戦闘美少女の精神分析」が並んでて、あー、この人かと。たしかゲームラボでオタクに一番詳しい精神科医って言ってた人だよなァ。ひきこもりとかは得意分野だろうなと納得。 -
Posted by ブクログ
著者の提唱するいじめ後遺症の入門書的位置づけ。いじめによって、その後の被害者の人生にどのような影響があるのか、その後遺症はいじめがおさまった後にも長く尾を引き、PTSDの症状が長く残ることもままある。実感としてはあったが、それをさまざまな実例で理解できた。また、被害者へのケアは、確かに日本の学校では軽視されてきたのも事実だろう(いじめの指導については教職過程で学んでも、被害者へのケアについて理論立てて学んだ教員がどれだけいるだろうか)。また、オープンダイアローグに関する記述も興味深い。
いくつか、個人的には共感しない点もある。たとえばいじめが絶対的な悪である理由について、著者は「被害者の人生を損ない、時には破壊しつくしてしまいかねない行為だから」と述べているが、その論理でいくと被害者の人生を損なわない程度のいじめなら許容することになってしまう。いじめが悪な理由は、人権の侵害や倫理学的な視点から考察すべきことだと感じる。
また、著者の加害者への処罰に賛同するような視点もあまり共感できない。著者は被害者を納得させるための必要悪だというが、オープンダイアローグを提唱する著者の主張と、処罰を肯定する主張が個人的にはかなり乖離しているように感じる。被害者へも、加害者へも、学校という教育機関がすべきことは、対話であり処罰ではない。もっといえば、加害者だけを処罰するのはトカゲの尻尾切りで根本的な解決にはならない。観衆や傍観者も含めて、全員が何がしかの責任を負っている、という意識を、対話を通じて育むことこそが必要ではないか。加害者へ罰(刑罰)を与えるのはあくまでも警察や司法が行うものである。
また、著者は「社会モデル」寄りだと語っているが、少なくとも本書を読む限りでは、「社会モデル」的な記述の仕方はほとんど見られないことには注意されたい。
とはいえ、いじめ後遺症という、あまり知られていない知識を得ることのできる良書である。旭川のいじめ自殺についての詳細が書かれた箇所には胸を締めつけられる。教育に関する粗めの記述には目を瞑って一読することをおすすめする。 -
Posted by ブクログ
私はいわゆる母娘関係に悩んでいる一人だ。母娘関係あるある?な、姉弟の姉であり、弟が優秀で私はいらない子だという思い込みを抱えて生きてきた。
子どもの頃は散々母と喧嘩をしてきた。親元を離れたこともあり、子どもの頃のように激しい喧嘩はしなくなったが、母の干渉への嫌悪感と同時に罪悪感があって、悩んできた。この手の本を読むこと自体罪悪感に耐えられなくなり、読めずにメルカリに出品したこともある。
でも、カウンセリングで「家族と仲良くしたいけど、理想と異なる部分があるから家族について悩む。当然のこと。」と言われ、罪悪感が和らぎ、初めて読破することができた。
私は、「下の兄弟ができて自分はいらない子だと誤解したが、母は娘を愛している」ということを最近ようやく受け入れ始めた。本書にも母息子と母娘関係の違いに関する記載が何度もあり、息子(弟)に勝とうとすることがやっぱり無理なんだなと少し笑えた。
それでもいろんな恨みが湧いてくるが、親は神ではなくて私が生まれて初めて親になったという当たり前のことを理解すると、少しずつ許せるようになるのかも知れないと、本書を読んで思えた。
例えば、私は漫画を禁止されたこと(耐えきれずすぐ破ったが)、大学受験を失敗して母と折り合いが悪いママ友の子供と同じ大学になって罵られたことを許せない想いでいた。が、本書では萩尾望都先生の両親がいまだに漫画を批判していて、そんな仕事は辞めなさいと言い続けていると知り、立派な漫画家の親でも変わらないのなら、私の母が漫画より小説を読めと言ってきたのも仕方なかったか…と少し歩み寄れた気がしている。
また、角田光代さんが母との楽しかった思い出を思い出すと楽しいプラスアルファの切なさ、郷愁があると言ってることに激しく共感した。時々、実家を出たことへの罪悪感に相まってこの切なさに耐えきれないず、こんなふうに感じる私は、私の家族関係は異常なんだと苦しくなることがあるが、似た感覚を共有できる人がいると知り、心が軽くなった。実家を出たことへの罪悪感についても同様の思いである。
引き続き家族に関する本や萩尾望都先生の作品を読んでいこうと思う。