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Posted by ブクログ
「欲望や意欲というものは自分の中から自然に発生しているように見えて実は他者が起源で他者から供給し続けてもらわないと維持できない」
引きこもりの人が1割くらいいても今の資本主義ならやっていける。引きこもりに寛容になることは、引きこもっていない人にも生きやすい社会になる。
弱者男性と優生論。生まれつきとか努力しても無駄という思想に繋がり、入り口で諦めることにつながる。脳科学という、科学的に仮説レベルの話が横行。優生論と親和性が高い。
酸っぱい葡萄の新解釈。本当に葡萄は酸っぱいのか。自分には必要じゃないものだったと諦めても良いのでは(葡萄を手に入れた人同士、今度はまた出世競争)。
ソフトヤンキー優勢説(笑)
以上が、心に書き留めた、色々気になるキーワードである。つくづく、このお二人の対談を読んでいて、弱い人への視線の優しさにホッとして読み続けられる。それは引きこもりや不登校に向き合ってきた斎藤先生だからであり、物理的に弱い立場=壁の中に押し込められた佐藤さんだからこそだろう。
Posted by ブクログ
私にとって多くを学べる本でした。
対談形式ということもあってか、色んな話を知ることが出来て、勉強になりました。
「(外交などは)交渉の途中で物理的に遮断できてしまうリモートでは成立しない」(P81)と書いてあり、今の世界情勢を見ても考えることが多くありました。
また、リモートと対面の違いについて斉藤先生は「オーラ」を挙げてらっしゃいましたが、私は「空気(読む方ではなく、存在する方)」の有無もあるのではないかと思いました。例えば怒りながら「この書類は全然ダメじゃないか」と言われ、書類を机にバーンと打ち付けるように置かれたとき、そこから流れ出る、発生する空気の流れはその場にいないと感じない、というようなものです。肌で感じる空気の存在も暴力的だなと思いました。
あとは、引きこもりの年間使用額やオキシトシン、脳には男性脳も女性脳もないなどの話は興味深かったです。
Posted by ブクログ
「題名」が良い。キャッチ―に引き付ける。コロナ禍は、それが起こる前からあった問題を可視化した。良い意味でも悪い意味でも。この二人の対談というのは異色ではあるが、それぞれの個性が、対話によって、良い意味で咀嚼され、外側に開いている。著者の一人である斎藤氏の著作は以前から多少は読んでいるが、オープンダイアログ前と後でかなり異なる。多様な人たちに満遍なく目が届き、それを外の世界と結び付ける。「ひきこもり」についてはもとより、脳科学と優生思想の親和性は興味深い論考であったし、ミーハー的に面白かったのは「鬼滅の刃」の解釈であった。最後に著者たちも述べているが、今の状況を忘れずにハイブリッドにしていくことが、コロナ禍後に生きていくのであろう。
暴力の効能と不可避性
元々好きな二人の対談だったので楽しみに読み勧めていましたが、思った以上に面白かったです。
特に印象に残ったのはこの部分。
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佐藤 もし暴力が完全になくなってしまうと、世界は際限なくエントロピー(不確定)化して、我々自身も消えてしまう。裏を返せば、拡散を防ぐためには、ちょっと無理して耐エントロピー構造を作っていかねばならず、その機能を果たすのが暴力に他ならない―。そんな理解でよろしいでしょうか。
斎藤 おっしゃる通り、社会の根源に暴力があると思うのです。…
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エントロピーという普遍的な概念を使って、暴力の効能・必要性・不可避性がこんな形で表現出来るとは、目からウロコでした。
逆に言えば、エントロピーを低減させることは暴力に比することと言えるのかも知れません。
例えば、部屋の掃除、整理整頓。身だしなみを整える、久しぶりに顔を合わせた人に挨拶するなど。
放って置くと乱れてしまったり消えてしまったりするものを維持する時に必要となるのが、一種の「暴力」的なエネルギー。
引きこもりになってしまうような人たちは、そのような暴力的エネルギーの消費を可能な限り回避し続けようとしているということなのかも知れません。
しかし、生きている限り必ずエントロピーは増大し、エネルギーは消費されてしまうのです。
どんな「暴力」的エネルギーを振るうことを選んで生きていくのか。それをどこかで選ばなければいけない、そんな勇気が必要なんだと言うことなのかもしれないと思いました。
大分佐藤さんに慣れ親しんでいる感じの、巻頭の斎藤環さんの前書きが微笑ましかったです。
どうかもう一度でも、この二人の対談が実現しますように。
Posted by ブクログ
佐藤優・斎藤環 両氏の対談本。
コロナ禍において感じた日本人のメンタルについて、様々なトピックから語られています。
特に興味深く読んだのが、「鬼滅の刃」の主人公は”からっぽ”という説と、『会うことは「暴力」である』、というところです。
全体的に面白いなーと思いながら読み進めましたが、個人的に気になってしまったのが、『心の中に「逃げる自由」を確保しよう』という小節での斎藤さんの発言についてです。
果たして女性は、逃げようと思って「逃げている」のか? 果たしてそれは本当に「逃げ」と言えるものなのか?
そのあたりについては、斎藤さんも佐藤さんも深追いすることなくさらりと流し、次の話題に移っているので何とも言えないのですが、もし弱者に対して理解を示しておられる斎藤氏が、女子は「逃げている」(しかも簡単に)と思っておられるのだとしたら、残念だなと思いました。
このことについて、他の点で「社会システムに問題がある」と繰り返し述べておられるお二人がノータッチなのには驚きましたし、社会システムじゃなくて「女子の側に問題がある」と思っている可能性もあるのかな? と思うと(他の説の説得性を考慮してみても)ぞっとします。
簡単に逃げているように見えるのでしょうかね?
それくらい、男性に「逃げ」という行動は恥の意識が染みついていて大変だ、ということを言いたかっただけなのかもしれませんが、女性としては心外に思いました。
どうか私の勘違いであってほしいと願うほど。
それ以外の点では本当に良かったので、
・コロナ禍での人間関係の距離
・人に会えないことで「楽になる人」「萎れた人」
・リモートワーク
・シンギュラリティ論争
・優生思想
・弱者男性
・自助・公助・共助とコロナ禍
・旧態依然とした日本型組織
・マイルドヤンキー
上記キーワードを見て「面白そう」と思った方には、お勧めします。
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