斎藤環のレビュー一覧
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対談は與那覇潤、溝口敦、デーブ・スペクターを読んだ。興味深い分析だが、ヤンキーの定義が感覚的で、しっくりしない感もある。小泉政権が用いた「B層」とどう関係するかも興味ある。
著者は、ヤンキーをバッドセンスな装いや美学と、気合や絆といった理念の下に家族や仲間を大切にするという倫理観が融合した文化と定義する。コミュニケーションが巧みで、キャラが立っている。
気合を入れれば限界を超えられるという発想は、戦争では「大和魂があれば資源がなくても勝てる」という根性主義につながった。気合で勝てるなら兵站のことなど考える必要がない。インパール作戦では、10万人の歩兵が武器や食料の補給もないまま敵地へと送り込まれ、7万人の兵士が飢えと病に倒れた。太平洋戦争での戦没者の60%は餓死者だった。家族のため、仲間のため、お国のために入れる気合いは、個人を集団主義に引き寄せる匿名的意志が潜んでいる。
気合い主義のルーツは陽明学にある。中国の宋朝以来、知性主義である朱子学の思想が科挙によるインテリ支配を支えたが、陽明学はそのアンチとして明朝の末期に台頭した(小島毅「近代日本の陽明学」)。
ヤンキー文化は、生存戦略に最適化されており、治安や秩序維持のための意義が大きく、政治的には保守に親和性が高い。思春期に芽生えた反社会性はヤンキー文化に吸収され、絆と仲間と伝統を大切にする保守として成熟する。日本では、集団的現象がしばしばヤンキー化して、反知性主義的な行動主義が支配し始める。
ポエムは、知識や論理とは無関係に依拠すべき肯定的感情をもたらしてくれるため、ヤンキーは好む。 -
Posted by ブクログ
○本の概要
社会的ひきもりという新しい現象について、その原因や実態について解説しつつ、対処法についても紹介。現在の日本の教育システムにも疑問を呈し、今後、社会的ひきこもりを巡ってある医療や教育のあるべき姿についても一考する。
*社会的ひきこもりの原因は複雑に絡み合っており、シンプルに捉えることが難しい。そこで、「引きこもりシステム」という捉え方を行う。個人、家族、社会という3つの観点から、原因を考え、対処していくことが大事
*引きこもりの当事者への対処は、非常にアドラー心理学と近いような信条に基づくものである。まずそこに居ることを認めることが大事。引きこもっている現状を否定せず、そこに居ることを認め、コミュニケーションをとっていく
・まずは挨拶から行う。できる限り可能なタイミングでは声を書ける
・説教、罵声、非難などはしてはだめ。辛抱強くコミュニケーションを取り続け、誘うように働きかけを続けること
・本人がいなくても、まずは親だけでも通院するといい。「あなたのことが心配なので、病院に通っている」と声をかける
・必ず、病院に行く日の朝に「今日一緒にいかないか」と声をかける。前日に声をかけるのは、実際に出かけるまでにじかんがあるため、不安が募り、断られるケースが多い
*基本的心構え
・信じてまつ姿勢
・北風よりは太陽
・干渉を避けて見守る
・愛よりは親切
・非難されても腹をたてず、十分に聞く
・本人の劣等感を気にしない
・お金は渡す。金額は一緒に相談して決める。「必要に
応じて渡す」というケースになると、問題化しやすい
*社会的ひきこもりのケースのほとんどは男性であり、著者自身も受け持ったケースの8割以上が男性であった
・男性は女性よりも学校や社会において期待されることが大きく、それによって苦しむことが一因として考えられる
*暴力はきっちりと拒否する。それは専門家の指示を仰ぎながら、回避行動を取るべし
*不登校の多くは自然に回復する。その一方で、社会的ひきこもりの最初のきっかけとなる原因のほとんどが学校への不登校である
*社会的ひきこもりへの対処としては、経験豊富な医者の指示を仰ぐことが重要で効果的であるものの、医者の提言をすべて受け入れ実行できる親は多くない
・人は習慣を変えることが容易ではない
*半年以上引きこもりを続けるならば、何かしらの治療行動を起こすべし。
*引きこもっている本人が一番引きこもっている現状を問題視している。したがって、そのような現状について正論んで問いだしてはいけない。憎しみを生んでしまう。
*まず家庭内暴力を沈静化させてから、社会的ひきこもりに対処できるようになる
・家庭内暴力においては、母親が犠牲になることが多い
*社会的ひきこもりのケースの、役半数が家庭内暴力を含む -
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長年臨床の場で「ひきこもり」問題の事例を見つめ、また解決に向かっていた医師が著者。
1998年が第一版。
「ひきこもり」の症状などに関する理解が第一部で理論編となっており、第二部では具体的にどう向き合っていくかという実践編という構成になっている。
最近(2009年)では、あまりひきこもりが社会的問題として取り上げられることは少なくなった様に思う。
それはそういった事例が減ってきた、ということなのかそれとも単に社会がそう言ったことに興味を失ったのか、はわからない。
しかし現在ニートと呼ばれる人々の中には、ある程度このひきこもりと置かれている状況が似通っている人もいるだろう。
この本の中で著者は「ひきこもり」という現象を「個人の病理」ではなく社会システムや家族が抱える病理として捉えている。それは実際的な原因がどうか、ということよりもひきこもりの状態に陥っている人間が社会に復帰するためには、家族や社会との接点の回復がどうしても必要になってくるからである。
「社会的ひきこもり」は不登校からの状態維持によっておこる場合が多い。
また単純にひきこもりそのものの問題よりも、それによって引き起こされる二次症状の方が問題が大きいように思う。
「対人恐怖症」「脅迫症状」などの症状により、いっそう社会に復帰することが困難化し、循環するシステムの様にひきこもりが内側に閉じていく。
興味深いのは、ひきこもる若者の大半が男性である、ということだ。
著者は競争を避けることで、男性のアイデンティティが発展しにくいという社会の現象をそこに見ている。確かに一時期過度に競争を忌避する教育現場があったことは確かだ。もちろんそれは教育だけが問題なのではなく、それを是としていた社会そのものの問題があると見るべきなのだろう。 -
Posted by ブクログ
わたしは自分とはあまりにかけ離れた存在としてヤンキーに異常に興味があるので読んだ。が、なんていうかぬるぬるした文章ですね。主張はあるのだけれど、それがポンと上がるかと思えば裏付けがするりと躱されていくような。というか最初から自明の結論が頭の中にあって、一応解説しようという気持ちはあるのだけれど、自明すぎて語りが中断されるような?何にしろ、もちろん平易で読みやすいんだけれども、ぬるぬるとすべっていくような気がしてあまり熱中できなかった。
そして何より読んでいてキツかったのは、父性/母性と男らしさ/女らしさを使ったくだりです。非常に明快なよくある二項対立のもと、母性には反知性主義のすべてが押し付けられており、また男らしさについては提示されないのに、女らしさにあらゆる批難をまとめ上げており、それが読んでいてとても平板に感じ、かなりキツい気持ちになった。今はここまでです。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ雑誌『Voice』に「健康は生成する」というタイトルで連載したコラムを加筆修正してまとめた本。
コラムの、そして本書のタイトルからは「人の健康」についての本だと思ったが、もちろんその部分はあるものの、人が健康を生成する資源となっているSOC(センス・オブ・コヒーレンス:首尾一貫性)とレジリエンスにまつわる文化論や社会論、著名な政治家の病跡学など、要は著者の興味を他の文献からつまみ食いしたような内容。
人間の健康に関しては、「健康=病気ではない状態」ではなく、放っておくと常に病気・死へと向かおうとする圧に抗しながら、より健康に近づこうとする(生成する)プロセスであるとする観点や、いい意味での鈍感力、いい加減さも大事だということを認識した。
健康とは何か?の問いの先に、健康であるために何をすればよいのかの答えを期待したが、期待外れだった。
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