【感想・ネタバレ】思春期ポストモダン 成熟はいかにして可能かのレビュー

あらすじ

メール依存、自傷、解離、ひきこもり……「非社会化=未成熟」で特徴づけられる現代の若者問題。しかし、これらを社会のせい、個人のせいと白黒つけることには何の意味もない。彼らが直面する危機は、個人の未熟さを許容する近代成熟社会と、そこで大人になることを強いられる個人との「関係」がもたらす病理だからだ。「社会参加」を前に立ちすくみ、確信的に絶望する若者たちに、大人はどんな成熟のモデルを示すべきなのか? 豊富な臨床経験と深い洞察から問う、若者問題への処方箋。

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Posted by ブクログ

著者の斉藤環氏は、ラカン派精神分析学者である。私は以前同精神分析学者である樫村愛子氏の「ネオリベラリズムの精神分析」を読んでいたが、それとは全く違い、私たちにわかりやすいように「若者」について論じている。ただ単に「若者」を論じているわけではない。斉藤氏は「最近の若者は...」と若者論を上から目線で非難して安住する大人にも、問題があるという。つまり、「若者」とレッテルを貼り付けて安住するような善悪二元論的な構図では何も解決にはならないのだ。オウムとマスコミ=大衆の時もそうだったように、何らかの関わりを若者と持とうとしない限り、解決策は見えない。本書は、若者の問題として挙げられる「ひきこもり」「不登校」「リストカット」「インターネットや携帯電話の普及」「境界性人格障害」「心的外傷ストレス=PTSD」など多岐にわたる問題を「病因論的ドライブ」という斉藤氏独自の言葉で言及する。さらに難解ではなく平易に書かれているので、一日もあれば読めてしまう。このような青少年の問題は、何が原因なのか。彼らの自己責任なのか。家族か、社会か。まず、このような問題は「関係性」の中で生じる問題であり、簡単に当事者を「病人」扱いしてしまうことは非常に危険だと著者は言う。私もその通りだと思う。不登校の子供がいたら、まず家庭でその子供の声を聴いてあげることから始める。そして精神科にもまず当事者と同伴せずに、親だけで相談してみる。簡単に精神科に子供たちを連れて行くと、自分が病人だということを内面化してしまうおそれがあるからだ。その他にも「若者」の病因と「関係性」としての処方箋がこの本には記されている。リストカットやひきこもりは、良い悪いの問題じゃない。どう関わっていくか、の問題であると私は思う。

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2009年10月04日

Posted by ブクログ

成熟が不可能になった時代=ポストモダンという永遠に続く思春期=成熟前夜になって顕在化し始めたNet社会・DV・摂食障害・不登校・ひきこもりといった現象と、その至近距離に若者という存在。筆者によれば、不登校やひきこもりというのは、彼ら自身が何か本質的な問題を抱えているというよりも、社会との、あるいは家族との接続に原因がある、間主観的な問題なのである。言わば、病むのは脳でも精神でもない、人間関係である、と。一旦発生したそれらの接続ミスは、本人に過度なプレッシャーを与え、ますます追い詰めていくという悪循環を成る。それが「病因論的ドライブ」なのだ、と。
  ――2009/08/31

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2015年12月17日

Posted by ブクログ

「心理学化する社会」と一緒に読んだのだが、今の社会には「思春期の『こども』」を守る仕組みが欠如している。

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2010年07月31日

Posted by ブクログ

[ 内容 ]
メール依存、自傷、解離、ひきこもり…「非社会化=未成熟」で特徴づけられる現代の若者問題。
しかし、これらを社会のせい、個人のせいと白黒つけることには何の意味もない。
彼らが直面する危機は、個人の未熟さを許容する近代成熟社会と、そこで大人になることを強いられる個人との「関係」がもたらす病理だからだ。
「社会参加」を前に立ちすくみ、確信的に絶望する若者たちに、大人はどんな成熟のモデルを示すべきなのか?
豊富な臨床経験と深い洞察から問う、若者問題への処方箋。

[ 目次 ]
序章 若者は本当に病んでいるのか
第1章 思春期という危機
第2章 欲望を純化するネット社会
第3章 境界線上の若者たち
第4章 身体をめぐる葛藤
第5章 学校へ行かない子どもたち
第6章 ひきこもる青年たち
第7章 「思春期」の精神分析

[ POP ]


[ おすすめ度 ]

☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)

[ 関連図書 ]


[ 参考となる書評 ]

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2010年07月03日

Posted by ブクログ

 この本は、若者論、のようで実は違うんです。

 「社会の成熟度と個人の成熟度は反比例する」

 今の社会は成熟していると思います。ということは、個人の成熟度は下がる。というより、成熟しなくても生きていける。そんな社会です。それが、生きにくさを作り出している。
 なんかおかしいですが、そうだと思いました。今の日本で、「生き延びること」に重点を置く必要がほぼ無い。これって、凄いことですよね。というこは、「大人」になることを強要されないし、「大人」にならなくても生きていけるってことです。RPGでの、主人公の成長物語は、ゲームの中で、物語の中で、のものでしかなくなった。
 現代社会で生活するのに求められるのは、「成熟」ではなくて「適応」というのは、うん…と納得されられました。

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2009年10月04日

Posted by ブクログ

携帯電話で繋がり、プリクラの枚数における繋がりの安心。その先には〈性欲〉があるっぽい。携帯を捨て、プリクラを破って別のことしたら? 当時のメンヘラや、精神病、ボーダーライン、精神分析、ひきこもりなどの話をしてるが、私はメンヘラでひきこもり…まだ”ココ”にいるんだ。

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2024年03月25日

Posted by ブクログ

成熟した社会における未成熟の若者(34歳まで:年金受給資格のボーダー)を、構造的、関係論的に論ずる。「病因論的ドライブ」は著者も言うようにちょっと恥ずかしい。「成熟」の定義を曖昧にしながら持論を展開するのは...まあこれもありか、と。未成熟者に対して寛容な社会、というのも10数年経った今ではちょっと違和感...。

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2020年03月01日

Posted by ブクログ

「若者論」への懐疑から不登校・ひきこもりまで。なんだか情報が古いと思ったら2007年の本だった。著者の本は他に『キャラクター精神分析』を読んでわ、わからない……! となっただけなのだが(知性が足りない)、この『思春期ポストモダン』を読めば著者のスタンスは概ね把握できると思う。と、いうか、著者のスタンスはわかるけど客観的な事象はこの本ではあまりわからない。先に言ったとおり情報も古いし。

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2016年05月15日

Posted by ブクログ

不登校やひきこもりといった、思春期を中心に若者に広がる心の病理の原因を、個人の心理か周囲の環境のどちらか一方に求めるのではなく、それらの「関係」のなかで生じる出来事としてとらえようとする著者の立場が示されている本です。

著者は、こうした立場から、現代という時代においてどのような病理が生まれているのかを考察しています。とくに、個人の性質や能力に病理の原因を求める「心理主義」を批判しながら、そのような「心理主義」が求められる社会と、それに(過剰に)適応しようとすることで「病理」に陥っていく個人のありように迫っている箇所は、興味深く読みました。

ただ、著者のスタンスが示されているだけで、やや具体性に欠ける印象もあります。もう少し著者自身が診たことのある事例や、社会の中で起きている問題にそくした議論を読みたかったという思いが残ります。

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2017年12月23日

Posted by ブクログ

社会の成熟と個人の成熟は反比例するというのは納得出来た。また著者はラカン派精神分析の立場であり、「人間みなビョーキ」という見方もあるというのは面白かった。

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2011年04月07日

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