発達障害のある文学者の「当事者紀行」本。世界周航記と副題にあるが、ゆらゆらとした感覚の美しい描写に惹かれる。
蛮勇は勇気ではないという記述にハッとさせられる。自分の時折極端な決断はここからくるのかと思う。
カルト宗教信者の母から虐待を受けた過酷な生い立ちも客体視できる非常に高度な知性
P003 「
...続きを読む障害」というものに関して、現在でもいわゆる「医学モデル」と呼ばれる素朴な受け止め方が影響力を失っていない。(医学モデルとは、障害の原因を身体的気質にみる考え方)【中略】でも現在は「社会モデル」による障害理解が支持を広げている。これは、障害の原因を社会の側に見る考え方で、当事者が行きづらい環境しか提供できない社会の側に障害の発生源があると考える。
P021 (クリムトの絵を見るたびに強烈な反撥がこみあげてくるというのは)もしや「嫉妬」ではないかと考えるようになった。「みんな水の中」という世界観の先取権争いに負けてしまったという悔しさが僕にはあるのではないか。
P079 (バイエルンは)日本にたとえれば、京都に隣接した大阪によく似ていると思います。右派ポピュリズム政党の日本維新の回が大阪から誕生した事実は、ナチスがバイエルンから生まれたことと並行している現象に思えます。バイエルンとはそんな感じです。「コテコテ」の文化です。ヤンキーっぽいのです。そして住民はそのアイデンティティに誇りを抱いているのです。
P112 映画「カサブランカ」は王道的恋愛映画の古典という外見的な印象とは異なって、カルト映画だったのだ。場当たり的に撮影されたことによって、不穏な印象が生まれ、僕はその不安定さに共鳴していたのだ。
P119 本音による対話(ダイアローグ)とはなんと魅力的なものかと驚いた。建前を並べる日常的な会話(カンヴァセーション)とは本質的に異なっている。
P149 僕は雨をこよなく愛する。自閉スペクトラム症があると感覚が過敏になりやすいため、気圧の影響を受けやすい人が多く、雨の日は定型発達者よりも心理的負担を感じる人が多いようだけれど、僕の場合は事情が異なる。少ない雨ならむしろ濡れて歩き回りたい。そうしながら僕は自分が植物になると感じる。
P170 魂が似ていない者同士だけでなく、あまりに魂が似ている者同士も、ともに同じ道を歩み続けることは難しい。
P186 いつも「みんな水の中」と感じている僕に、ゴッホの絵は最大級の精神の「快晴」を与えてくれる。ゴッホの絵のサイケデリックな色彩感覚と、竜巻のような荒々しい筆さばきが、僕の体験世界に呼応するからだろう。
P254 (台北の夜市)僕は夜の電灯に群がるガやハチやコガネムシのように、そういった煌々と照らし出された夜の一区画に吸い寄せられては、熱にやられて、ぽとりと地面に落ちて死んでしまう。夢中になって燃えつきる。そんな自分を何度も想像した。そうして身体の感覚があいまいになってゆく。ゼリー状あるいはスライム状になってしまう身体感覚へと丸められて、夜の闇に溶け込んでゆく。
P268 僕もひとりの穏当な、健全な知性に奉仕する発達障害者でありたい。
P269 自閉スペクトラム症があると、環境の変化を拒む傾向が付随する。【中略】ところが僕は注意欠如・田道昭を併発している。その場合、冒険家風の衝動性が生まれやすい。【中略】だから臆病なのに、蛮勇でもある。蛮勇は勇気ではない。勇気には臆病と蛮勇という両極があって、蛮勇も本質では臆病と同じだ。