あらすじ
発達障害の観点から小説版ムーミン・シリーズを読み解いた、全く新しいムーミン評論! 登場するキャラクターはみな自分勝手で、てんでバラバラなのに、ムーミン谷ではみんなが仲よく暮らしているのはなぜなのか。はみだしている人たちのために書かれたというムーミン・シリーズの新たな魅力を見いだし、ムーミン谷のように、誰もが住みよい世界をつくるヒントに満ちた1冊。作品の奥深さ、トーベ・ヤンソンの才能の素晴らしさがより多面的にわかる。
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Posted by ブクログ
「〜これまでよりじぶんらしくあることができるようになった、つまり安心して「自閉」し、思うぞんぶんじぶんの世界を楽しんでいられるようになったということではないでしょうか。」という一文が印象に残った。つまり、『自閉症は津軽弁を話さない』の時に違和感とともに感じた、“自閉的すなわち生きづらい”という前提が、ムーミン谷にはない。
ニューロマイノリティとニューロマジョリティ、ニューロダイバーシティという言葉を初めて知った。「他者にシンクロしづらい」「自分に対する関心の集中」などの「自閉」的な特徴を、ネガティブなものとして語っていない。だってそのように自分が存在してるなら、しかたないものね?
ムーミンパパの冒険好きをADHDとして読み解くくだりで、筆者も交流があるという高野秀行さんが登場。そこから派生して、ネット上で読める高野さんと横道さんの対談や、高野さんによる横道さん著書の書評なども読むことができた。高野さんのいう「書くことで混沌が整理される」には共感する。
横道さんの研究スタイルは「当事者研究」と呼ばれるものらしいが、当事者研究じゃない研究ってあるのだろうか。マジョリティがマイノリティを観察して研究したとしても、それは「マジョリティから見るとマイノリティはこう見える」という当事者研究なのではないか。発達特性はグラデーションだとすると、マジョリティとマイノリティという概念は本当に成立するのだろうか。マジョリティなんて本当にいるのか。何が何だかわからなくなってきた。とりあえずムーミンシリーズ読破も途中で止まっているので再開しないと。読むべき本が多すぎて、生活してる場合じゃない(?)。
Posted by ブクログ
発達障害の立場からムーミンを見るとこう読み解けるのかと納得する面と、うーんの部分があった。
確かに子供の頃に読んだ本の中で、ムーミン谷のメンバーはだいぶ個性的で、自由気ままに生きているように見えて、そこもまた魅力だった。アニメのムーミンも見ていたけど、なんか別の物としてみていたような、、、。どっちも好きだった。子供としては面白ければあり。
この本の内容を頭の片隅に置いておきながら、シリーズを再読してみようと思う。違う景色が見えるか?