久しぶりに一気読みした。面白かった、、、、、やはり自分の中にある切実な問いに向き合おうと思うと、自ずと興味関心が高く集中してしまう、、特に松本さんの著作は他にも勧められているのもあるし、読みたい。
私は自分が何かの依存症だとは思わないが、他の人と同じように何かに依存して、その依存先が少なくなることもあって、人間関係においては別れを経験し、なぜこうも別れが辛いのかと泣き悩むことがある。そしてなかなか手放せず、依存時間がダラダラとしたり、それがきっかけに自暴自棄になりそうな時だって、ある。そういった体験の理解を依存症の本は少し助けてくれるような気がするのだ。
以下線を引いたところ
「2、ヘイ、マコト 松本俊彦」
ー神さま、与えてください。
変えられるものを変える勇気と
変えられないものを受け容れる心の落ち着きを
そして、その両者を見分ける賢さを
…
そして、依存症の人たちに羨望の念を抱きました。「仲間がいるっていいなぁ」と素直に思いました。だって、人は歳をとるごとに本当の意味での仲間は少なくなり、孤独になっていくものです。かつての友人は成功を競いあい、マウンティングしあうライバル関係へと変容し、仕事を通じて知り合った人の名刺だけはやたらと増えるものの、所詮は利害関係上のつながりにすぎません。プライベートだってそうです。結婚したり子どもができたりと、私的生活でも責任が増すごとに、家族の前ですら仮面が必要となってくるでしょう。(p.32)
冒頭の「平和の祈り」は『スローターハウス5』にも引用されていたものらしい。すっかり覚えていない笑
すっかり最初の松本さんの語り口に引き込まれてしまった。
結局のところ、親が苛立つのは、子どもが自分の思い通りにならないからなのです。その意味では、依存症は、時代の文化や価値観、あるいは社会的通念と無関係ではありません。…ここに依存症薬物(あ、アルコールはれっきとした薬物ですよ)の謎があります。実は、ある薬物が違法か合法化といった区別には、明確な医学的根拠などないのです。少なくとも「健康被害や依存症が深刻だから違法」ではありません。主流派に愛されている薬物は合法で、少数派に愛されている薬物は違法と、どちらかといえば多数決で決まっています。(p.35)
ちなみに、苦痛の緩和に役立つのは、心地よい酩酊だけではありません。一般的には「苦痛」と捉えられるものですら役に立つことがあります。たとえばリストカットのような自傷行為を考えてみましょう。…しかし、それでも、それよりもはるかに大きい苦痛から一時的に意識を逸らすのに役立つ可能性があります。そうであればこそ、リストカットはしばしば習慣化するのです。
…かつて米国の依存症専門医エドワード・カンツィアンは、「依存症の本質は快感ではなく苦痛であり、人に薬物摂取を学習させる報酬は快感ではなく、苦痛の緩和である」と指摘し、「自己治療仮説」という考え方を提示しました。この自己治療仮説は、私たちに依存症の本質を教えてくれます。それは、依存症は確かに長期的には命をさらしますが、皮肉なことに、短期的には、今いるしんどい場所や状況に踏み止まり、「死にたいくらいつらい今」を一時的に生き延びるために役立つことがある、ということです。
人が何かにハマるとき、そこには必ずピンチが存在します。大切な関係性の喪失や破局のような一大事かもしれませんし、少々無理をしている、今いる場所が何となく居心地が悪いといった程度のこともあるでしょう。程度の差こそあれ、ピンチにはちがいありません。(p.39)
「9. ヘイ、トシ(再び)横道誠」
私は非モテだから、おじさんになったいまでも、セックスよりもオナニーを積極的にやっていて、希死念慮が高まると、高まったことでトクすることはほとんどないんだけど、オナニーの快楽はグッと向上している感じがあって、それはありがたい。ふだんの強烈な苦悩が一時的に緩和されるから、そのギャップの力で性的興奮を感じやすくなっているのか、「まだ死にたくない」という生存本能が掻きたてられて、その機序で気持ちが良いと感じるのか、それともほかの理由があるのかは、よくわからない。女性の場合には、もしかしてそういうメカニズムが理由で、自傷行為めいたセックス依存にのめりこんでいく人も多いのかな、なんて想像します。(p.116)
「10. なぜ人は何かにハマるのか? 松本俊彦」
…物質の薬理作用よりも、「自分の力で気分を変えることができる」という、行為によるセルフコントロールの成功体験の方が、報酬としてはるかに強力であり、それゆえ依存症を引き起こす可能性が高い、ということです。…
要するに、人を依存症にさせるのは、物質の薬理作用ではなく、行為を通じた自己効力感の体験ー心身になにらかの刺激を与え、身体感覚の変容感を介して気分調節に成功する体験ーの方ではないか、ということです。そして、身体感覚の変容感を引き起こすための行為は、一定の薬理作用を持つ物質の摂取でも、あるいは、スリルと興奮を引き起こすパチンコやゲームでもよいのでしょう。(p.126)
…依存症の根源には、制御不能な<現在>を何とか乗り越え、予測不能な<未来>を少しでも可視化したい、というあまりにも人間らしい、人類全体の欲望が横たわっている、と。(p.133)
「16. 依存症家族支援と強すぎないつながり 松本俊彦」
…そっと「愛をもって手を放す」べきところを、「もうあいつなんかどうなってもいい」と、力んだ助走で勢いをつけて「突き放す」のです。しかし、そのような乱暴な方法は後に家族に罪悪感を覚えさせ、本人への冷酷無比な対応を後悔させます。そればかりか、「やっぱり私にはあの人が必要、そしてあの人にも私が必要」と、より強力な共依存に舞い戻ってしまいかねません。(p.220)
…家族とは不思議なコミュニティです。お互いの希望や期待、恨みや嫉みが深く入り組み、いささか下品なたとえですが、相互に相手の急所を掴みあって均衡する変態的関係、あるいは、一方の傷を他方の傷で塞ぐような、傷を介してつながる境界曖昧な関係ーそれが家族です。その意味で、家族は本質的に共依存的要素を孕んでいます。…私たちが内と外とのあいだに線を引く瞬間、愛情/憎悪の熱量、あるいは、束縛/排除の力学が生じている可能性はないでしょうか?そしていうまでもなく、愛情はありがたいものですが、だからといって束縛の苦しさを相殺することはありません。(p.226)
「18. アディクションと死を見つめて 松本俊彦」
…思うに、アディクションと死とは表裏一体の関係にあります。というのも、アディクション自体が、「死にたいくらいつらい現在」を生き延びるために、「死んで解放される」のを一時的に延期し、迂回する手段だからです。したがって、もしもアディクションの効果が減衰したり、何らかの事情でアディクションが不可能となったりすれば、死は現実の危機として迫ってきます。(p.253)