オウム真理教って超裕福な開業医の家庭に生まれて、慶応附属に通ってた人まで居たんだよね。
江川紹子
早稲田大学政治経済学部を卒業後、神奈川新聞に入社。5年9か月間、社会部記者として務めた後に退社し、以後フリーランス。2020年4月から神奈川大学国際日本学部でカルト問題、ジャーナリズム、メディアリテラシーなどを教えている。
「本来、このようなものにはかかわらないのが一番です。しかし、彼らの手口が巧妙であるために、全く気づくことなく、いつのまにかかかわってしまうこともあるかもしれません。 その場合、どうすれば問題のある集団だと見分けられるのでしょうか。 重要なことは、彼らが本来は断定したり断言したりできないことを断定・断言していないかどうか、注意することです。自分の主張や自分が尊敬する人の思想や認識が絶対正しいかのように断言し、ほかの人の主張や思想、認識などをすべて否定するなどしていないかどうか。真理や正義などのキーワードを巧みに使いながら、自分の宗教思想や世界観がどんなに素晴らしいかを語り、皆さんに同調させようとしていないかどうか。そうしたことに注意してください。 そして、最も重要なことは、自分のアタマで考えることだと思います。もし皆さんがそれと知らずにカルト関連の人にかかわったとしても、彼らの発する言葉に注意深く耳を傾けていれば、必ず違和感を覚える点があるはずです。その感覚を大切にしてほしいのです。そして、その違和感がなんなのか、その正体をご自身で考えてみてほしいのです。」
—『「カルト」はすぐ隣に オウムに引き寄せられた若者たち (岩波ジュニア新書)』江川 紹子著
「裁判が始まった時、井上は二六歳でした。しかし、傍聴していた私の目には、彼は実年齢よりずっと幼く、まだ高校生のように見えました。 彼の心理状態を鑑定した社会心理学者の西田公昭さんも、次のように証言しています。 「精神的には今なお高校生」「見かけは大人だが、人間は社会に出て経験を積んでいく間に成長していくもの。オウム真理教に入って、オウムの中での現実感は身につけただろうが、それは社会とはかけ離れている。常識、センスが発達していない」 心の未熟さが、その態度や外見にもにじみ出て、若く見えたのでしょう。」
—『「カルト」はすぐ隣に オウムに引き寄せられた若者たち (岩波ジュニア新書)』江川 紹子著
「食事は一日一回。教祖一家は焼き肉や寿司、メロンなどを自由に食べていましたし、一部幹部はファミリーレストランにも出入りしていましたが、広瀬を含めて多くの信者は教団から支給される「オウム食」と呼ばれる味の単調な食物だけを食べていました。 その内容は時期によって異なりますが、菜食で肉や魚はありません。教祖の姿を、喉元に思い浮かべながら、食べるように指導されていました。配られる食べ物には教祖のエネルギーが込められているとされていたので、カビが生えたり腐ったりしても捨てるわけにはいきません。腐ってドロドロになった白菜を生のままかじったり、カビだらけになった教団製の蕎麦を、教祖を念じながらひたすら飲み下した、といった経験をしている信者は少なくありません。 こういう食事は、じっくり味わっていたらとてもできるものではなく、広瀬も「食べ物というより、物質を食べている感じだった」と言います。そんな食生活を続けているとどうなるのでしょうか。一年半ほどした頃の状況を、彼は裁判でこう語っています。 「何を食べても味気なく、砂を食べているような感覚がした」」
—『「カルト」はすぐ隣に オウムに引き寄せられた若者たち (岩波ジュニア新書)』江川 紹子著
「こうして、最初は友人を止めるためだったのに、まるでミイラ取りがミイラになるように、彼はオウムにのめり込んでいきました。 「出家することにした」 ある日突然、父は息子からそう告げられ、仰天しました。 いったいオウムとはどんなところなのか。それを確かめようと、父と母はそれぞれ、教団の施設を訪れたり幹部と話をしたりしましたが、うさんくささ、危うさを感じ、懸命に息子を説得しました。けれども息子は、「最終戦争が起きる。それまでに最終解脱する人を何人か作らないと間に合わない」と言って聞きません。」
—『「カルト」はすぐ隣に オウムに引き寄せられた若者たち (岩波ジュニア新書)』江川 紹子著
「裁判の途中でも、端本は繰り返し言いました。 「自分の感性を信じるべきだった」 「今思うと、引くのも勇気だった」 どんな立派な教えや権威や他のみんなが言うことよりも、自分の感性を大事に。これは、彼からの若い世代への遺言だと思います。」
—『「カルト」はすぐ隣に オウムに引き寄せられた若者たち (岩波ジュニア新書)』江川 紹子著
「林は、教団にとって格好の広告塔でした。彼のような「エリート医師」がいることは、新たに信者を獲得する時にも役に立ちました。「こういう人も入っているのだから、おかしな教団ではない」と思わせる効果があったのです。」
—『「カルト」はすぐ隣に オウムに引き寄せられた若者たち (岩波ジュニア新書)』江川 紹子著
「 (人間には、日々いろんな心がある。地獄に行ってもおかしくないようなひどいことを考えるときもあるけれども、その次の瞬間には、自分自身の利益を度外視して他の人のために尽くそうとする、神仏にも似たような心を持ったりもする。麻原は、そういう人間の心を分かっていない) そう思ったところから、林は本気で教義や麻原について考え始めました。そして、信じていたものが誤りであると気づいた時、自分が奪った命の重さを実感しました。」
—『「カルト」はすぐ隣に オウムに引き寄せられた若者たち (岩波ジュニア新書)』江川 紹子著
「 「私もナチのことは知っている。小さい時に、(ナチについて書いてある)本を読んでいて吐き気がして、どうして人間ってこんな残酷なことまでできるんだ、と思った。ほかにも、(アメリカの水爆実験で被曝した)第五福竜丸のことや原爆のこと、人種差別のことなどを読みました。そういう被害を与えた人たちは特殊な人たちであり、自分は(彼らとは違って)良心に従って行動できると思っていた。でもそうじゃない。単に、過去の残虐な行為を(知識として)知っているだけでは抑止力にはならない」 人間の心は、特異な環境に置かれれば、残酷な行為もしてしまう弱さを持っているのでしょう。誠実で真面目な人柄や、頭のよさや知識の量、社会経験の豊富さで、その弱さを補えるとは限りません。自分にもそういう心の弱さがあると自覚して、このような特異な環境に陥らないように努めるしかないのかもしれません。」
—『「カルト」はすぐ隣に オウムに引き寄せられた若者たち (岩波ジュニア新書)』江川 紹子著
「教祖の側近として教団の武装化や松本・地下鉄両サリン事件で中心的な役割を果たした村井秀夫の妻 B子も、夫と共にオウムに「出家」しました。 B子は元々化学の研究者でした。ある時、夫もいる場で、教祖から「危険なワークをしてくれるか」と言われ、土谷正実の研究棟でサリンの製造や覚醒剤などの薬物合成などに携わりました。 途中で作っているものがサリンであることを知りました。他の宗教団体トップを暗殺しようとした事件に失敗し、実行犯の新実智光がサリンを吸い込んで瀕死の重傷となったことも、耳に入っていました。土谷がサリン生成の途中で倒れ、痙攣を起こすのも目の当たりにしました。」
—『「カルト」はすぐ隣に オウムに引き寄せられた若者たち (岩波ジュニア新書)』江川 紹子著
「サリンの恐ろしさは十分に分かっていたはずなのに、 B子は作業にかかわり続けました。法廷で、「教団は何のためにサリンを作っていると思っていたのか」と検察官に聞かれた B子は、しばし沈黙した後で、こう答えています。 「……そうですね、具体的には、あまり考えていませんでした」 人を殺傷する事件に使われることは、普通であれば容易に想像できそうなものです。しかし、自分の頭で考えないようにする教団生活を続けていた彼女の心の中では、具体的なイメージが浮かばず、ただただ言われたことを黙々とこなしていたようです。」
—『「カルト」はすぐ隣に オウムに引き寄せられた若者たち (岩波ジュニア新書)』江川 紹子著
「厳しい戒律があり、表では人々の救済を説きながら、教祖が愛人を囲い、社会と摩擦を起こして非合法活動までしている教団の裏の顔を見るにつけ、 C子は悩んだそうです。 「自分自身が葛藤状態にいるからつらい。(教団がやっていることは)常識で考えたら(社会にとって)迷惑だろうと葛藤していました。でも、周囲を見渡すと(信者には)つらそうな人がいない。みな、平然としている。なんでだろう……と思った。それで考えているうちに、葛藤するのは自分の修行が至らないためではないかと思ったら、葛藤が消えて楽になりました。それで、「これでいこう」と思ってしまいました」」
—『「カルト」はすぐ隣に オウムに引き寄せられた若者たち (岩波ジュニア新書)』江川 紹子著
「サリン製造に携わっていた時、誰からも何を作っているのかはっきりと教えられてはいませんでしたが、断片的な情報から、サリンであることはなんとなく分かっていました。 そういう仕事をする時、どのように心の中で折り合いをつけるのでしょうか。この質問に、 C子はこう答えました。 「その時は、これが自分に与えられている仕事で、それさえすればよい、と思っていました。後のことは、自分がもっていない、計り知れない能力や知恵をもっている人(つまり教祖)が考えることだ、と」」
—『「カルト」はすぐ隣に オウムに引き寄せられた若者たち (岩波ジュニア新書)』江川 紹子著
「 気をつけたいのは、正統派から「邪教」と批判される宗派が「カルト」とは限らない、ということです。「鰯の頭も信心から」などと言いますが、鰯の頭を信仰する宗教を作っても、別に構わないのです。日本国憲法は「思想・良心の自由」(一九条)、「信教の自由」(二〇条)を保障しています。 問題は、その信念を絶対視し、他人の心を支配したり、他の考え方を敵視したりして、人権を害する行為があるかどうかです。一人静かに、時折鰯の頭を拝んでいるだけなら、「カルト」とされるいわれはないでしょう。けれども、勉強や仕事をしなくなって四六時中拝み続け、他人の悩みや弱味につけ込んで仲間に引き入れたり、「これを拝まないと地獄に堕ちるぞ」などと脅してお金をとったりすれば、これは「カルト」と批判されても仕方がありません。」
—『「カルト」はすぐ隣に オウムに引き寄せられた若者たち (岩波ジュニア新書)』江川 紹子著
「 長年カルトについて研究してきた社会心理学者の西田公昭・立正大学教授は、人の心(頭)を部屋に見立て、「カルトへの入信は、部屋の模様替えに似ています」と説明します。 たとえば、いろんなことでつまずいたり、将来への不安が募ったりして、悶々としている。今の自分には、何かが足りないと思えてならない。そんな、これまでの自分の知識や思考方法、すなわち自分の部屋の中にあるものでは問題がうまく解決できない時に、見たこともない、すばらしく役に立ちそうな調度品を、「これはどう?」と見せられ、「こんなものがあったらいいな」と家具を一つ入れ替えてみます。 新しい家具は、あまりに立派で、自分の部屋がみすぼらしく見えてきます。それで、新たな家具と調和する壁紙を提供され、張り替えをします。そうなってくると、他の家具や置物なども変えないとバランスがとれません。こうして、絵画や置物などを次々に提供されるままに、従来のものと取り替えていくうちに、いつの間にか自分らしい部屋から、カルトの色調で統一された〝カルト部屋〟に変わっている、というわけです。」
—『「カルト」はすぐ隣に オウムに引き寄せられた若者たち (岩波ジュニア新書)』江川 紹子著
「カルトは、宗教には限りません。過激派など政治的な集団やマルチ商法といった経済的な集団の中にも、カルト性の高いところがあります。 たとえば、一九七〇年代の日本には、連合赤軍という左翼過激派の集団がありました。革命で世界を変革するという理想に燃えた若者たちが、山中で武装訓練をするうちに、リーダーが批判したメンバーを皆でなぶり殺しにするという、壮絶なリンチ殺人を繰り返しました。そこから逃れたメンバーが、宿泊施設を占拠し、人質をとって立て籠もり、銃を発砲して警察官ら三人を射殺する「浅間山荘事件」を起こしました。」
—『「カルト」はすぐ隣に オウムに引き寄せられた若者たち (岩波ジュニア新書)』江川 紹子著
「人間は、生まれてから死ぬまで、ずっと順風満帆というわけにはいきません。人間関係に悩んだり、努力が報われなかったり、選択に迷ったりします。病気をする、事故に遭う、父母や友人が亡くなる、恋人と別れる、友達と深刻な喧嘩をする、受験に失敗する、職を失う……こうした予定外の出来事に見舞われることもあります。 そんな時、人はカルトに巻き込まれやすい、と言います。救いの手がさしのべられ、素晴らしい解決法を示されたように思うと、ついつい信じたくなるからです。」
—『「カルト」はすぐ隣に オウムに引き寄せられた若者たち (岩波ジュニア新書)』江川 紹子著
「 「第一に、お金の話が出たら要注意です」と紀藤弁護士。途中で会費やセミナー代などを求められたら、これは警戒した方がいい、と言います。その代金が法外なものでなくても、疑ってみましょう。 「第二に、話が最初と違っていたり、何らかの噓が含まれている場合も注意すべきです」 たとえば、宗教ではないセミナーのはずだったのに、教えている人は、実は宗教団体の教祖や幹部であることが分かった場合。カルトは、宗教であることを隠そうとして、別の形をとって、人を勧誘しようとすることがあります。オウムも、ヨガ教室や様々なサークルを隠れ蓑にして勧誘活動をしていました。 「第三に、「これは誰にも言っちゃいけない」などと秘密を守らせようとしている場合も気をつけてください」 若者に対しては、親や先生など、大人に言わないよう口止めする場合もあります。本当にいい教えなら、秘密にしたりせず、どんどん公表し、大人たちにも堂々と伝えればいいのです。それを秘密にしようとするのは、まだマインド・コントロールが十分完成していない段階で、大人に反対され、考え直して脱会してしまうことを恐れているのです。こういう場合は、むしろ大人に相談してみることにしましょう。」
—『「カルト」はすぐ隣に オウムに引き寄せられた若者たち (岩波ジュニア新書)』江川 紹子著
「そして、少しでも「変だな」と感じたら、その自分の感性を大事にしましょう。そういう時は、「自分の理解が足りないため」などと思わず、なぜ違和感を覚えたのか、一度相手と少し距離を置いて、じっくり考えてみてください。 4章で紹介した端本悟は、「自分の感性を信じるべきでした」と繰り返しました。この本に手記( 3章)を寄せてくれた杉本繁郎は、「疑念や疑問を感じる、その感受性を大切にして下さい」と呼びかけています。」
—『「カルト」はすぐ隣に オウムに引き寄せられた若者たち (岩波ジュニア新書)』江川 紹子著