江川紹子のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
『オウム真理教』をはじめとする"カルト宗教"の実例とその考察が書かれた本。良著でした。
"カルト"に騙される方を見かける度に、「なぜ?」や「どうしてそんな事を信じたの?」という疑問が湧き上がります。ですが、本著を読んでみると、カルトに引き込まれるのはタイミングと運が悪かったという他ないという結論が自分の中に湧き起こりました。
オウム真理教で師の命令に殉じた信者の人々。それは時と場合が違えば、もしかしたら自分が彼らの立場に置かれていたかもしれません。
『自分の頭で考え、そして感性に従う』。当たり前だけれど、難しい。カルトの恐ろしさを感じられる本でした。
お薦めです。 -
Posted by ブクログ
オウム真理教って超裕福な開業医の家庭に生まれて、慶応附属に通ってた人まで居たんだよね。
江川紹子
早稲田大学政治経済学部を卒業後、神奈川新聞に入社。5年9か月間、社会部記者として務めた後に退社し、以後フリーランス。2020年4月から神奈川大学国際日本学部でカルト問題、ジャーナリズム、メディアリテラシーなどを教えている。
「本来、このようなものにはかかわらないのが一番です。しかし、彼らの手口が巧妙であるために、全く気づくことなく、いつのまにかかかわってしまうこともあるかもしれません。 その場合、どうすれば問題のある集団だと見分けられるのでしょうか。 重要なことは、彼らが本来は断定したり断言したりできないことを断定・断言していないかどうか、注意することです。自分の主張や自分が尊敬する人の思想や認識が絶対正しいかのように断言し、ほかの人の主張や思想、認識などをすべて否定するなどしていないかどうか。真理や正義などのキーワードを巧みに使いながら、自分の宗教思想や世界観がどんなに素晴らしいかを語り、皆さんに同調させようとしていないかどうか。そうしたことに注意してください。 そして、最も重要なことは、自分のアタマで考えることだと思います。もし皆さんがそれと知らずにカルト関連の人にかかわったとしても、彼らの発する言葉に注意深く耳を傾けていれば、必ず違和感を覚える点があるはずです。その感覚を大切にしてほしいのです。そして、その違和感がなんなのか、その正体をご自身で考えてみてほしいのです。」
—『「カルト」はすぐ隣に オウムに引き寄せられた若者たち (岩波ジュニア新書)』江川 紹子著
「裁判が始まった時、井上は二六歳でした。しかし、傍聴していた私の目には、彼は実年齢よりずっと幼く、まだ高校生のように見えました。 彼の心理状態を鑑定した社会心理学者の西田公昭さんも、次のように証言しています。 「精神的には今なお高校生」「見かけは大人だが、人間は社会に出て経験を積んでいく間に成長していくもの。オウム真理教に入って、オウムの中での現実感は身につけただろうが、それは社会とはかけ離れている。常識、センスが発達していない」 心の未熟さが、その態度や外見にもにじみ出て、若く見えたのでしょう。」
—『「カルト」はすぐ隣に オウムに引き寄せられた若者たち (岩波ジュニア新書)』江川 紹子著
「食事は一日一回。教祖一家は焼き肉や寿司、メロンなどを自由に食べていましたし、一部幹部はファミリーレストランにも出入りしていましたが、広瀬を含めて多くの信者は教団から支給される「オウム食」と呼ばれる味の単調な食物だけを食べていました。 その内容は時期によって異なりますが、菜食で肉や魚はありません。教祖の姿を、喉元に思い浮かべながら、食べるように指導されていました。配られる食べ物には教祖のエネルギーが込められているとされていたので、カビが生えたり腐ったりしても捨てるわけにはいきません。腐ってドロドロになった白菜を生のままかじったり、カビだらけになった教団製の蕎麦を、教祖を念じながらひたすら飲み下した、といった経験をしている信者は少なくありません。 こういう食事は、じっくり味わっていたらとてもできるものではなく、広瀬も「食べ物というより、物質を食べている感じだった」と言います。そんな食生活を続けているとどうなるのでしょうか。一年半ほどした頃の状況を、彼は裁判でこう語っています。 「何を食べても味気なく、砂を食べているような感覚がした」」
—『「カルト」はすぐ隣に オウムに引き寄せられた若者たち (岩波ジュニア新書)』江川 紹子著
「こうして、最初は友人を止めるためだったのに、まるでミイラ取りがミイラになるように、彼はオウムにのめり込んでいきました。 「出家することにした」 ある日突然、父は息子からそう告げられ、仰天しました。 いったいオウムとはどんなところなのか。それを確かめようと、父と母はそれぞれ、教団の施設を訪れたり幹部と話をしたりしましたが、うさんくささ、危うさを感じ、懸命に息子を説得しました。けれども息子は、「最終戦争が起きる。それまでに最終解脱する人を何人か作らないと間に合わない」と言って聞きません。」
—『「カルト」はすぐ隣に オウムに引き寄せられた若者たち (岩波ジュニア新書)』江川 紹子著
「裁判の途中でも、端本は繰り返し言いました。 「自分の感性を信じるべきだった」 「今思うと、引くのも勇気だった」 どんな立派な教えや権威や他のみんなが言うことよりも、自分の感性を大事に。これは、彼からの若い世代への遺言だと思います。」
—『「カルト」はすぐ隣に オウムに引き寄せられた若者たち (岩波ジュニア新書)』江川 紹子著
「林は、教団にとって格好の広告塔でした。彼のような「エリート医師」がいることは、新たに信者を獲得する時にも役に立ちました。「こういう人も入っているのだから、おかしな教団ではない」と思わせる効果があったのです。」
—『「カルト」はすぐ隣に オウムに引き寄せられた若者たち (岩波ジュニア新書)』江川 紹子著
「 (人間には、日々いろんな心がある。地獄に行ってもおかしくないようなひどいことを考えるときもあるけれども、その次の瞬間には、自分自身の利益を度外視して他の人のために尽くそうとする、神仏にも似たような心を持ったりもする。麻原は、そういう人間の心を分かっていない) そう思ったところから、林は本気で教義や麻原について考え始めました。そして、信じていたものが誤りであると気づいた時、自分が奪った命の重さを実感しました。」
—『「カルト」はすぐ隣に オウムに引き寄せられた若者たち (岩波ジュニア新書)』江川 紹子著
「 「私もナチのことは知っている。小さい時に、(ナチについて書いてある)本を読んでいて吐き気がして、どうして人間ってこんな残酷なことまでできるんだ、と思った。ほかにも、(アメリカの水爆実験で被曝した)第五福竜丸のことや原爆のこと、人種差別のことなどを読みました。そういう被害を与えた人たちは特殊な人たちであり、自分は(彼らとは違って)良心に従って行動できると思っていた。でもそうじゃない。単に、過去の残虐な行為を(知識として)知っているだけでは抑止力にはならない」 人間の心は、特異な環境に置かれれば、残酷な行為もしてしまう弱さを持っているのでしょう。誠実で真面目な人柄や、頭のよさや知識の量、社会経験の豊富さで、その弱さを補えるとは限りません。自分にもそういう心の弱さがあると自覚して、このような特異な環境に陥らないように努めるしかないのかもしれません。」
—『「カルト」はすぐ隣に オウムに引き寄せられた若者たち (岩波ジュニア新書)』江川 紹子著
「教祖の側近として教団の武装化や松本・地下鉄両サリン事件で中心的な役割を果たした村井秀夫の妻 B子も、夫と共にオウムに「出家」しました。 B子は元々化学の研究者でした。ある時、夫もいる場で、教祖から「危険なワークをしてくれるか」と言われ、土谷正実の研究棟でサリンの製造や覚醒剤などの薬物合成などに携わりました。 途中で作っているものがサリンであることを知りました。他の宗教団体トップを暗殺しようとした事件に失敗し、実行犯の新実智光がサリンを吸い込んで瀕死の重傷となったことも、耳に入っていました。土谷がサリン生成の途中で倒れ、痙攣を起こすのも目の当たりにしました。」
—『「カルト」はすぐ隣に オウムに引き寄せられた若者たち (岩波ジュニア新書)』江川 紹子著
「サリンの恐ろしさは十分に分かっていたはずなのに、 B子は作業にかかわり続けました。法廷で、「教団は何のためにサリンを作っていると思っていたのか」と検察官に聞かれた B子は、しばし沈黙した後で、こう答えています。 「……そうですね、具体的には、あまり考えていませんでした」 人を殺傷する事件に使われることは、普通であれば容易に想像できそうなものです。しかし、自分の頭で考えないようにする教団生活を続けていた彼女の心の中では、具体的なイメージが浮かばず、ただただ言われたことを黙々とこなしていたようです。」
—『「カルト」はすぐ隣に オウムに引き寄せられた若者たち (岩波ジュニア新書)』江川 紹子著
「厳しい戒律があり、表では人々の救済を説きながら、教祖が愛人を囲い、社会と摩擦を起こして非合法活動までしている教団の裏の顔を見るにつけ、 C子は悩んだそうです。 「自分自身が葛藤状態にいるからつらい。(教団がやっていることは)常識で考えたら(社会にとって)迷惑だろうと葛藤していました。でも、周囲を見渡すと(信者には)つらそうな人がいない。みな、平然としている。なんでだろう……と思った。それで考えているうちに、葛藤するのは自分の修行が至らないためではないかと思ったら、葛藤が消えて楽になりました。それで、「これでいこう」と思ってしまいました」」
—『「カルト」はすぐ隣に オウムに引き寄せられた若者たち (岩波ジュニア新書)』江川 紹子著
「サリン製造に携わっていた時、誰からも何を作っているのかはっきりと教えられてはいませんでしたが、断片的な情報から、サリンであることはなんとなく分かっていました。 そういう仕事をする時、どのように心の中で折り合いをつけるのでしょうか。この質問に、 C子はこう答えました。 「その時は、これが自分に与えられている仕事で、それさえすればよい、と思っていました。後のことは、自分がもっていない、計り知れない能力や知恵をもっている人(つまり教祖)が考えることだ、と」」
—『「カルト」はすぐ隣に オウムに引き寄せられた若者たち (岩波ジュニア新書)』江川 紹子著
「 気をつけたいのは、正統派から「邪教」と批判される宗派が「カルト」とは限らない、ということです。「鰯の頭も信心から」などと言いますが、鰯の頭を信仰する宗教を作っても、別に構わないのです。日本国憲法は「思想・良心の自由」(一九条)、「信教の自由」(二〇条)を保障しています。 問題は、その信念を絶対視し、他人の心を支配したり、他の考え方を敵視したりして、人権を害する行為があるかどうかです。一人静かに、時折鰯の頭を拝んでいるだけなら、「カルト」とされるいわれはないでしょう。けれども、勉強や仕事をしなくなって四六時中拝み続け、他人の悩みや弱味につけ込んで仲間に引き入れたり、「これを拝まないと地獄に堕ちるぞ」などと脅してお金をとったりすれば、これは「カルト」と批判されても仕方がありません。」
—『「カルト」はすぐ隣に オウムに引き寄せられた若者たち (岩波ジュニア新書)』江川 紹子著
「 長年カルトについて研究してきた社会心理学者の西田公昭・立正大学教授は、人の心(頭)を部屋に見立て、「カルトへの入信は、部屋の模様替えに似ています」と説明します。 たとえば、いろんなことでつまずいたり、将来への不安が募ったりして、悶々としている。今の自分には、何かが足りないと思えてならない。そんな、これまでの自分の知識や思考方法、すなわち自分の部屋の中にあるものでは問題がうまく解決できない時に、見たこともない、すばらしく役に立ちそうな調度品を、「これはどう?」と見せられ、「こんなものがあったらいいな」と家具を一つ入れ替えてみます。 新しい家具は、あまりに立派で、自分の部屋がみすぼらしく見えてきます。それで、新たな家具と調和する壁紙を提供され、張り替えをします。そうなってくると、他の家具や置物なども変えないとバランスがとれません。こうして、絵画や置物などを次々に提供されるままに、従来のものと取り替えていくうちに、いつの間にか自分らしい部屋から、カルトの色調で統一された〝カルト部屋〟に変わっている、というわけです。」
—『「カルト」はすぐ隣に オウムに引き寄せられた若者たち (岩波ジュニア新書)』江川 紹子著
「カルトは、宗教には限りません。過激派など政治的な集団やマルチ商法といった経済的な集団の中にも、カルト性の高いところがあります。 たとえば、一九七〇年代の日本には、連合赤軍という左翼過激派の集団がありました。革命で世界を変革するという理想に燃えた若者たちが、山中で武装訓練をするうちに、リーダーが批判したメンバーを皆でなぶり殺しにするという、壮絶なリンチ殺人を繰り返しました。そこから逃れたメンバーが、宿泊施設を占拠し、人質をとって立て籠もり、銃を発砲して警察官ら三人を射殺する「浅間山荘事件」を起こしました。」
—『「カルト」はすぐ隣に オウムに引き寄せられた若者たち (岩波ジュニア新書)』江川 紹子著
「人間は、生まれてから死ぬまで、ずっと順風満帆というわけにはいきません。人間関係に悩んだり、努力が報われなかったり、選択に迷ったりします。病気をする、事故に遭う、父母や友人が亡くなる、恋人と別れる、友達と深刻な喧嘩をする、受験に失敗する、職を失う……こうした予定外の出来事に見舞われることもあります。 そんな時、人はカルトに巻き込まれやすい、と言います。救いの手がさしのべられ、素晴らしい解決法を示されたように思うと、ついつい信じたくなるからです。」
—『「カルト」はすぐ隣に オウムに引き寄せられた若者たち (岩波ジュニア新書)』江川 紹子著
「 「第一に、お金の話が出たら要注意です」と紀藤弁護士。途中で会費やセミナー代などを求められたら、これは警戒した方がいい、と言います。その代金が法外なものでなくても、疑ってみましょう。 「第二に、話が最初と違っていたり、何らかの噓が含まれている場合も注意すべきです」 たとえば、宗教ではないセミナーのはずだったのに、教えている人は、実は宗教団体の教祖や幹部であることが分かった場合。カルトは、宗教であることを隠そうとして、別の形をとって、人を勧誘しようとすることがあります。オウムも、ヨガ教室や様々なサークルを隠れ蓑にして勧誘活動をしていました。 「第三に、「これは誰にも言っちゃいけない」などと秘密を守らせようとしている場合も気をつけてください」 若者に対しては、親や先生など、大人に言わないよう口止めする場合もあります。本当にいい教えなら、秘密にしたりせず、どんどん公表し、大人たちにも堂々と伝えればいいのです。それを秘密にしようとするのは、まだマインド・コントロールが十分完成していない段階で、大人に反対され、考え直して脱会してしまうことを恐れているのです。こういう場合は、むしろ大人に相談してみることにしましょう。」
—『「カルト」はすぐ隣に オウムに引き寄せられた若者たち (岩波ジュニア新書)』江川 紹子著
「そして、少しでも「変だな」と感じたら、その自分の感性を大事にしましょう。そういう時は、「自分の理解が足りないため」などと思わず、なぜ違和感を覚えたのか、一度相手と少し距離を置いて、じっくり考えてみてください。 4章で紹介した端本悟は、「自分の感性を信じるべきでした」と繰り返しました。この本に手記( 3章)を寄せてくれた杉本繁郎は、「疑念や疑問を感じる、その感受性を大切にして下さい」と呼びかけています。」
—『「カルト」はすぐ隣に オウムに引き寄せられた若者たち (岩波ジュニア新書)』江川 紹子著
-
Posted by ブクログ
歴史認識は、加害側被害側それぞれで見方が異なり、そこにイデオロギーが入るため真逆の認識となり、どちらが正しいかの答えが出るものではない。本書は今の世情で色分けするなら、左側の主張にも見えるが、論理主張が合理的かつ公平で、色分けして考えることがナンセンスに感じた。善悪二元論ではなく、自分なりの考えを持つには、客観的公平に書かれた資料から判断し、自分なりに咀嚼するしかないと改めて思えた。人間が書いている以上、当人の主観や価値観が入り込むのは当然で仕方ないが、本書は偏った思想に立脚しないように客観的事実と合理的な思考を提示する努力が感じられ、自虐でも独善でもなく、左右の色分けなしに言うべきことは主張しており、自分の考えを整理する一助になる良書と思われた。
-
Posted by ブクログ
ネタバレオウムに入信し、凶悪事件を起こしてしまう人達はなぜそうなってしまったのか。そもそもオウムがどうしてこんなに力を持つことになったのか。時代の背景から、どんな人でもそうなってしまう可能性があることなど、とても、分かりやすく詳しく書かれていた。宗教に全く関心がない私だが、もしかしたらなにかをきっかけにカルトに関わってしまう事もあるのかと怖くなった。裁判でみんなが口を揃えて言っていた「疑問や違和感を持った時に、自分を信じればよかった。それを見逃し続けることで、自分では何も考えないで言われたことを行うようになっていた。」マインドコントロールは恐ろしいことだが、実は今でも会社や学校や部活や仲間うち、そんなコミュニティでも同じようなことがどこかで起こっていると思うと、カルトと紙一重なのだ。
-
Posted by ブクログ
ネタバレ「カルト」はすぐ隣に
オウムに引き寄せられた若者たち
江川紹子氏による作品。
2019年6月20日第1刷発行。
江川紹子・・1958年8月4日東京都生まれ。
千葉県立船橋高等学校を経て、早稲田大学政治経済学部卒。
神奈川新聞社の社会部記者を経て、フリージャーナリストになる。
新宗教、災害、冤罪のほか、若者に悩みや生き方の問題に取り組む。
1995年一連のオウム真理教報道で菊池寛賞を受賞。
本書は岩波ジュニア新書ということで小学校高学年、中学生、高校生向けに分かりやすく書かれている。
もちろん当時を振り返るのに本書は有効なので、社会人にもおすすめだ。
1995年はターニングポイントと言える。
オウム真理教事件の前後で日本社会は明らかに変わった。
新宗教も含めた宗教団体の力は衰え続ける一方になった。
葬儀も簡素なものに変わりつつある。
直葬というものまで世の中で浸透してきた。
そのように大きく変化したきっかけは突き詰めるとオウム事件ではないだろうか。
この事件の事を深く知る事は重要だ。
(宗教団体の力が衰えたとは言っても、カルト的なモノが無くなったわけではない。日本会議のような政治団体のカルト性が近年際だつ)
オウム真理教で死刑になった最高幹部達も詳細をよくよく知れば哀れとしか言いようがない。
彼らもまた犠牲者なのだと思う。
どれだけ多くの人の人生を狂わせたのか。
著者の江川紹子氏も当時オウム真理教に暗殺されかけた(宮崎県)
小林よしのり氏もオウムを批判した為に暗殺団を送り込まれた。
別にカルトや宗教だけに限らないだろうけれども、
ファンと言える著者やオピニオンリーダー、発信する内容をチェックするインフルエンサーなど誰もがいることと思う。
その際には複数の、少なくともセカンドオピニオンを持つべきであろう。
特定のコンサルに盲信するような態度は誤りであると考えるべきだ。
人間は弱い存在なので放っておくと自分にとって都合の良い「見たい現実」ばかり見てしまうものだ。
定期的に自分と異なる立場の論者の発信する内容を全て肯定しなくて良いけれども、読む、見る習慣はつけた方が良い。
印象に残った点を紹介していきたい。
死刑囚が受けるべき刑罰は、死刑の執行のみなので、
逃げ出したりしないよう身柄拘束はされていても、禁固刑や懲役刑を受けた受刑囚とは違って刑務所には行きません。
拘置所は主に、裁判が確定する前の人たちが収容される場所ですが、
死刑囚は刑が確定した後も拘置所に留まり、そこで執行されます。
死刑執行ができる拘置所は、全国に七ヵ所あります。
麻原の生い立ち
制服も、他の生徒のお下がりを着ていました。
週末も、自宅に帰ることなく寮に残り、両親が学校を訪ねてくることはありませんでした。
そうした家庭事情の反動か、彼は子供の頃から金に対する執着が強かったようです。
「金持ちにならにゃあ」が口癖。
就学奨励費などは使わずにせっせと貯め、同級生に金品をせびることがしばしばありました。
そうして卒業時には300万円もの貯金をしていたといいます。
ワンマンな親分肌で、人の上に立ちたい欲求も強かったようです。
小学部5年の時に、児童会の会長に立候補しました。
寮でおやつに出るお菓子を、同級生や下級生に献上させて貯めておき、自分に投票するように言って配る、買収工作まがいのことまでやりましたが、落選しました。
彼は激しく落胆し、先生が妨害したせいだ、と言って責めたのです。
中学部の時にも生徒会長に立候補しました。
この時は、泣いてみんなに訴えたのですが、やはり駄目でした。
この時も、智津夫は落選にひどくがっかりしていたそうです。
怖いので面と向かって逆らわないけれど、投票の秘密が守られる選挙では、彼には入れたくないというのが、同級生や下級生たちの本音でした。
けれども一般信者は、自分が何を作っているのか知らされていませんでした。
何か危ないものだと感じたり、部品の形状から「銃かもしれない」と察したりした人はいましたが、なぜそんな物を作るのか、深く考えてはいませんでした。
上からの指示は、すべて修行と心得て、疑問を抱いたりあれこれ詮索したりせずに、黙って従うことが教団の中では当たり前になっていたからです。
教団側も、秘密保持のために、違法行為については一般信者に詳細を教えませんでした。
いったい、これからの日本はどうなるのだろう。
そんな不安が人々に芽生えてきたこの時期、爆発的にヒットした本が2つありました。
1973年3月に出版された小松左京のSF小説「日本沈没」(光文社)と同年11月に出版された五島勉の「ノストラダムスの大予言」(祥伝社)です。
「ノストラダムスの大予言」は1974年のベストセラー第2位となりました。
ちなみに、1位はアメリカの小説「かもめのジョナサン」(リチャード・バック、新潮社)
でした。他のかもめのように、単に餌をとるために飛ぶのではなく、より速くより高く飛ぶことを極めようとするかもめの物語です。
ただ漫然と生きるのではなく、よりよく生きたいと願い、生きる意味や自分らしい生き方を探している若者たちは、この本に共感しました。
後にオウム真理教に入信し、教団ナンバー2となる村井秀夫もその一人です。
彼は、オウムに入ることを親に反対された時に、この本を渡し、「読んでください。僕の気持ちはこの本の中にあるから」と言ったそうです。
オカルト情報は口コミでも広まりました。全国各地の学校では「こっくりさん」占いが一種の降霊術としてブームとなり、失神したり心を病む子供も出ました。
そんな中、書籍「ノストラダムスの大予言」は、その後も売れ続け、累計で250万部にもなりました。
続編も次々に出され、いずれも数十万部から
100万部の売り上げがありました。このシリーズは、20世紀末の日本人、とりわけ子供や若者たちの意識に少なからぬ影響を与えました。
人は誰かのために役に立ちたい、という気持ちが大なり小なりあります。
信者たちは、自らが「解脱悟り」を得るだけでなく、多くの人々を救う為の教祖の「救済計画」を手伝うことになると信じて、修行や活動に打ち込みました。
「救済」は自分の生きがいを求め、生き方に迷う若者たちを教団に吸い寄せる力にもなったのです。
最も重要なことは、自分のアタマで考えることだと思います。
もし皆さんがそれと知らずにカルト関連の人にかかわったとしても、彼らの発する言葉に注意深く耳を傾けていれば、必ず違和感を覚える点があるはずです。
その感覚を大切にして欲しいのです。
そして、その違和感がなんなのか、その正体をご自身で考えてみて欲しいのです。
宗教団体なのだから、学歴を偏重しがちな世俗とは違うはず、と思いきや、オウムの中も、かなりの学歴社会でした。
麻原に重用され、教団幹部となった
人たちの中には、有名大学出身者が何人もいます。
信者たちが出身大学ごとに「◯◯大、歌います!」と宣言して、オウムの歌を歌ったりもしました。
特に東大出身者は一目置かれ「オウム真理教東大生グループ」の名前で、本も出しています。
これは、東大進学を夢見ながら果たせなかった麻原のコンプレックスの裏返しでもあるのかもしれません。
「最終解脱者」であり、戒律を超えた存在と自らを位置づけていた麻原は、高い世界に導く儀式と称してしばしば若い女性の性をむさぼっていました。
麻原は妻との間に二男四女をもうけましたが、気に入った女性信者を側室にし、少なくとも3人の女性との間で合計6人の子供が生まれています。
女性信者は、人の命を奪うような凶悪犯罪にかかわることは稀でしたが、その代わりに性や若さや容姿を教祖や教団に奉仕させられていたのでした。
広瀬(健一)は、逮捕後に拘置所の中で生理学や心理学などいろいろな分野の本をたくさん読み、当時の「(神秘)体験」は「人が葛藤状態にある時に、
脳内神経伝達物質が活性過剰な状態で起こる幻覚的現象」と理解するようになりました。
実は、ヨガや伝統仏教の修行者でも、この種の超常体験をしている人はたくさんいます。
伝統仏教では、そうした「体験」は修行の妨げになる幻想や幻覚として、惑わされないように戒められます。
ところがオウムでは「神秘体験」として肯定的にとらえるばかりでなく、教義の正しさや教祖のエネルギーの力を証明するものだと教えていました。
「体験」をきっかけにオウムにのめり込む人は、自ら体感しているので、親や教師など周りの大人たちがいくら意見をしても、教団の言うことが真実であるように思ってしまいます。
教団は、信者を獲得し、心を呪縛するのに、「体験」の効果を最大限に利用しました。
(出家信者は)食事は一日一回。教祖一家は焼き肉や寿司、メロンなどを自由に食べていましたし、一部幹部はファミリーレストランにも出入りしていましたが、広瀬を含めて多くの信者は教団から支給される
「オウム食」と呼ばれる味の単調な食物だけを食べていました。
こんな風に疑問や違和感を自分自身で抑えつけ、教義の世界だけでモノを考えてしまうのが、オウムのようなカルトの心の支配の特徴です。
スタンレー・ミルグラムというアメリカの心理学者が書いた
「服従の心理」(河出文庫)
↓
ナチスドイツのユダヤ人虐殺(ホロコースト)にかかわった人たちは、家庭ではよい夫だったり息子だったりする人たちでした。
老人、子供まで殺害したベトナム戦争でのソンミ村虐殺事件にかかわった米兵もそうです。
この戦争では、韓国軍による村民虐殺も報告されています。
日頃はごく普通の市民なのに、このように一定の条件下では、指導者の指示に従って、通常は考えられないような残酷なことをやってしまうことがあります。
日本軍が戦時中、中国・南京を攻略した際に、
少なからぬ非戦闘員の殺害、略奪などを起こした南京事件も同様の事が言えるかもしれません。
ミルグラムの実験で、権威の存在、組織のシステムに
よって、こうした残虐行為にかかわってしまう人間の心理が浮き彫りになりました。
林郁夫は、別の信者の裁判に証人として呼ばれた際、この本を読んだ感想を次のように述べています。
「私もナチのことは知っている。小さい時に、(ナチについて書いている)本を読んでいて吐き気がして、どうして人間ってこんな残酷なことまでできるんだ、と思った。ほかにも、(アメリカの水爆実験で被爆した)
第五福竜丸のことや原爆のこと、人種差別のことなどを読みました。
そういう被害を与えた人たちは特殊な人たちであり、自分は(彼らと違って)
良心に従って行動できると思っていた。
でもそうじゃない。
単に、過去の残虐な行為を(知識として)知っているだけでは抑止力にならない」
人間の心は、特異な環境に置かれれば、残酷な行為もしてしまう弱さを持っているのでしょう。
誠実で真面目な人柄や、頭のよさや知識の量、
社会経験の豊富さで、その弱さを補えるとは限りません。
自分にもそういう心の弱さがあると自覚して、このような特異な環境に陥らないように努めるしかないのかもしれません。
さらに、テレビの人気バラエティ番組が麻原をスタジオに呼び、好きなように語らせました。
「ビートたけしのTVタックル」(テレビ朝日系)でのビートたけしとの対談で麻原は「私に代わって、オウム真理教の教祖をやってもらってもいいんじゃ ないですかね」と相手を持ち上げ、たけしも「おもしろいよなあ、麻原さんて」
と応じました。
「とんねるずの生でダラダラいかせて!!」(日本テレビ系)では「麻原彰晃の青春人生相談」と銘打って、若者の悩みに答える企画も行われていました。
そうした番組で、麻原は「ちょっと変わっているけど、精神世界に詳しく、悩みにやさしく答えてくれるおもしろいおじさん」を演じてお茶の間に浸透していきました。
「朝まで生テレビ!」(テレビ朝日系)では、麻原以下オウムの幹部と、別の新興宗教団体の関係者を生出演させ、対決を演出。
相手方は教祖が出演しなかったこともあり、オウム側の独壇場となりました。
これを見て、オウムに関心を持ち、入信してしまった若者もいます。
こうしたメディアや知識人は、人々のオウムに対する警戒心を解き、広める役割を果たしてしまったと言えます。
メディアは、このような脅しに屈せず、きちんと適切な取材をして報じることが大切で、そういう点でもオウムの事件は大きな教訓を残しました。
オウムで事件を起こした人たちの証言や手記を見れば分かるように、カルトのメンバーは元々は社会のルールや人権を損なうような人たちではありません。
それが、カルトに心を支配されると、無意識のうちに、アタマの中の思考回路がそっくり、カルト式回路に変えられてしまいます。
それを「マインド・コントロール」と呼びます。
体を拘束し、薬物や拷問によって無理やり新たな価値観を注入する「洗脳」とは異なり、「マインド・コントロール」は意思に反した強制的なものとは言えないことが多く、当人はコントロールされているとは気づきません。
カルトから身を守るうえでは、特定の団体を「カルトか、カルトでないか」という二分法で考え、その結論を待って判断するというのは、得策ではありません。
それより一つの価値観に固執し、それまでの人間関係を壊したり、社会の規範から逸脱する行動をとったり、人の権利を損なうような傾向のある場合はマインドコントロールを疑い、カルト性が高いのではないかと、よくよく注意し、距離を置いた方がいいと思います。
カルトは、どの時代や社会にも現れます。
カルトは、宗教には限りません。過激派など政治的な集団やマルチ商法といった経済的な集団の中にも、カルト性の高い所があります。
人間は、生まれから死ぬまで、ずっと順中満帆というわけにはいきません。
人間関係に悩んだり、努力が報われなかったり、選択に迷ったりします。
病気をする、事故に遭う、父母や友人が亡くなる、恋人と別れる、友達と深刻な喧嘩をする、受験に失敗する、職を失う・・・
こうした予想外の出来事に見舞われることもあります。
そんな時、人はカルトに巻き込まれやすい、と言います。
救いの手がさしのべられ、素晴らしい解決法を示されたように思うと、ついつい信じたくなるからです。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ韓国などと「歴史認識」問題について大もめにもめるようになった時、そもそも「歴史認識」とは何ぞや?そんなもの百人いれば百通りあるだろう?と謎に思って勉強しようと手に取った本。
「日本では1990年代以来、「歴史認識」はある特定の歴史にかかわる言葉としても使われている。」
(はじめに ⅰ)
第一次世界大戦以降の戦争と、日本の他欧米列強の植民地支配問題から、戦後日本がどのように戦後処理、戦争賠償問題にとりくんできたか流れがよくわかりました。冷静な文章でできるだけ偏りがないよう解説をされているのでとても読みやすく、謎に思ってたこともすっと頭に入りました。良書だと思います。
慰安婦問題は世界的な人権意識の高まりが背景にある(特に女性の人権)。
欧米諸国は植民地支配の責任は認めていない。(だからといって日本だけ批判されるのは不公平だという論もおかしい)
ドイツと日本の差はアピール力の差かな、と。
帯にある、「自虐でも、独善でもなく」という言葉にこれからの日本が進むべき道を示されているように思う。