江川紹子のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
立花隆の青春漂流と比較すると柔らかく、より一般的な人にフォーカスの当たったルポタージュ作品だった。
人はどうせ死ぬわけで、どうせ死ぬなら自分らしく生きる方がよい。
回り道をしながらも自分が生きるべき場所を見つけてきた人たちの話は勇気をもらう。
重松清が最後に残しているメッセージが良かった。
現代社会は自分の肥大化が起こっていて、自分探しの旅や本当の自分はどこにいるのか?といったように、自分が納得しなければすぐに辞めてしまう傾向にある。
仕事が生きるための仕事から、生きがいのために変化してきたことが原因だ。
本当にしないといけないのは、社会にとっての自分の居場所はどこなのか?という問いである。
それを間違えると、変な宗教へとのめり込んでいくのだろう。
社会は一筋縄ではいかない。
なかなかひとは思うように行動しない。でも、それを社会が悪いとか言うのは間違っているし、それは自分勝手に過ぎない。
社会という一つのコミュニティの中において、自分は何ができるのか?を考え続けることこそ、自分の人生を豊かにする上で大事なことなんだと思う。
それが金持ちかどうかとか、カッコいいかどうかとか関係ないんだろうな。
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Posted by ブクログ
東京裁判、日中国交正常化なども重要論点だが、慰安婦問題にも紙幅を割く。
「強制連行」などの史実にかかわる部分については、「ないものはない」と歴史学者としての冷徹な分析を徹底しつつ、一方で問題そのものについての日本の道義的責任は回避できない、との立場。
同時に、アジア女性基金の設立、歴代日本国首相による直筆の「手紙」の被害者への手渡しなど、国際的な類例(典型的にはナチス政権を反省するドイツ)と比較しても決して恥じるべきではない、むしろ先進的で踏み込んだ謝罪も行ってきている、という点も強調(そしてそのことが韓国国内で全く知られていないことのPR不足への指摘も)。
右派左派双方の論客から批判的に読まれているようでもあるが、マスコミで取り上げられる「歴史認識問題」について、「学者」の冷静な整理をコンパクトに読みたいというニーズにふさわしい本と思う。 -
Posted by ブクログ
「歴史認識」とは、日本人として、日本の近代史をどう考えるのか、ということだ。著者は、この問題について頭で考えただけの人ではない。アジア女性基金理事として多くの人との対話を重ねる中で試され、磨かれた末に得たであろう、実の詰まったことばで、この難しい問題をていねいに説明してくれている。
とくに慰安婦問題については、韓国の問題ばかりがクローズアップされるが、オランダやインドネシア、台湾などの慰安婦もいたこと。それらの国々には「アジア女性基金」などの取り組みを通じて、首相の手紙を渡したり、資金的な援助をしたり、いろんな活動を行ってきたこと。ただ韓国だけは、「国家補償」にこだわる支援団体の頑なな対応がゆえにうまくいっていないことなど、交渉に当たった当事者としての言葉だけに重みがある。
日本はたしかに近代化の過程でとくにアジアの諸国に多大な迷惑をかけた。それを「解決」しようと思ってはいけない。「侵略じゃなかった」とか否定するより、間違いは間違いと認めてはじめて、かつての植民地支配について「謝ってもいない」欧米諸国とは違う立ち位置に立てるのだという指摘、実にそうだなぁと思う。 -
Posted by ブクログ
私も宗教2世、いや、正確には3世です。
皆さんの体験談は、自分と重なるところも多く、改めて、自分もいろんなことを我慢してきたんだろうな、本当の自分を出すことができずに大人になったんだろうなと感じました。
せっかくなので、私の記録も(長くなりますが)ここに残します。
私は、父方の祖母、母方の祖父母が創価学会に入会し、父と母は子どもの頃から学会員で、学会活動の中で出会って結婚し、私が生まれました。
父母は地元でちょっと有名な活動家だったので、その長女である私も期待されていると(勝手に)感じていました。
小学生になる頃、母から勤行唱題を教わり、土日には未来部として会合や合唱団の活動に参加しました。
かなり真面目でいい子で、勤行唱題も活動も休むことはほとんどありませんでした。
思い出もあるし、活動を率いるお姉さんたちも優しかったし、そこで教わった宗教的な考えに、今でも救われると思うこともあります。
でも、土日に予定があることが多かったこと、特に中学になると休みの日でも制服で学会活動に行くので、友だちに会うと気まずかったこと、修学旅行では他宗のお祈りはできないということで、クラスメイトが参拝中、外で待っていたことなどが、苦い思い出として残っています。
活動したいとか、したくないとかの前に、自分が本当にしたいことというのは、小さい頃からよく分からず、全ての行動はやるべきことだからやる、という感じで、学会活動以外は、勉強ばかりしていました。
なので、成績もよかったです。
学会は関係ないですが、高校の時は留学もしました。
それも、母が話を持ってきたからで、私は「ああ、留学すればいいのね」と思ったことを覚えています。
その後、地方の大学に行き、転勤のある職に就いたので、各地の学会員にお世話になりました。
知らない土地でも、学会活動を通じて仲良くなれるのはありがたいことでした。
基本的に、いい人が多いので、引っ越しても安心ではありました。
けれど、結婚し、子育てをするようになって、母に子育ての相談をしたりする中で、違和感を感じるようになっていきました。
もともと生きづらさがありましたが、自分はアダルトチルドレンなのかもと思うようになり、最近ようやく、宗教を強いられたことも原因なのかなと思うようになりました。
そうはっきり思ったから、というわけではありませんが、少しずつ活動から距離を置くようになりました。
母も母でいろいろな思いから活動から距離を置くようになったようですが、それは、私には意外で、この本の中でもどなたかの体験にあったように、母は活動から離れないでほしかった、とも思います。
だって、私が創価学会から離れようと思ったのに、だって、母が信じていた学会活動で私が傷ついたのに、、、うまく言えませんが、ずるいというか、裏切られたというか、そんな気持ちがあります。
結局、母も流されていたのかな、と思うこともあります。
一方、父は生涯を学会活動に捧げたと言ってもいいほど、熱心な活動家でした。
父の大切な居場所であり、生き甲斐だったのだと思います。
欠点もある人だったとは思いますが、私は父のことが大好きで、だから、父が亡くなって、学会活動から離れた母のことが許せないのかもしれません。
父のことは二言もなく好きだと言える一方、母には複雑な思いがあり、ただ、宗教活動という面で言えば、父が母に与える影響も大きかったと思うので、私の思いは複雑です。
まだまだ抑圧していることがたくさんあるんだろうと思います。
でも、このような本のおかげで、少しずつ、私の中に閉じ込めたものも解放されるかもしれません。
そんな影響力のある本だと思います。