あらすじ
家族や友人などの繋がりをすべて断ち切って、オウムに入信し、凶悪な事件に手を染めていった若者達。一連の事件がどうして起きたのか、彼らは特別な人達だったのか。オウムを長年取材してきた著者が、若い世代に向けて事実を伝えるとともに、カルト集団に人生を奪われない生き方を示す。巻末に年表を付し、当時の社会も見える化した。
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Posted by ブクログ
教団の中におられた方々により生々しいエピソードが語られている。生きづらさを感じやすい現代社会において、特に未熟な若者の拠り所となってしまうのだろう。
入信し、犯罪に加担してしまった方々が共通していうのは、『何か違うかもしれない、という自分の感覚を信じればよかった』ということ。そう思う瞬間はあったということだ。
もちろん健康セミナー、瞑想、ヨガなどが全てカルトではない。
友人関係とと同じように、つかずはなれずができるような距離感が大切。
信じすぎるのも要注意なのである。
Posted by ブクログ
オウム真理教って超裕福な開業医の家庭に生まれて、慶応附属に通ってた人まで居たんだよね。
江川紹子
早稲田大学政治経済学部を卒業後、神奈川新聞に入社。5年9か月間、社会部記者として務めた後に退社し、以後フリーランス。2020年4月から神奈川大学国際日本学部でカルト問題、ジャーナリズム、メディアリテラシーなどを教えている。
「本来、このようなものにはかかわらないのが一番です。しかし、彼らの手口が巧妙であるために、全く気づくことなく、いつのまにかかかわってしまうこともあるかもしれません。 その場合、どうすれば問題のある集団だと見分けられるのでしょうか。 重要なことは、彼らが本来は断定したり断言したりできないことを断定・断言していないかどうか、注意することです。自分の主張や自分が尊敬する人の思想や認識が絶対正しいかのように断言し、ほかの人の主張や思想、認識などをすべて否定するなどしていないかどうか。真理や正義などのキーワードを巧みに使いながら、自分の宗教思想や世界観がどんなに素晴らしいかを語り、皆さんに同調させようとしていないかどうか。そうしたことに注意してください。 そして、最も重要なことは、自分のアタマで考えることだと思います。もし皆さんがそれと知らずにカルト関連の人にかかわったとしても、彼らの発する言葉に注意深く耳を傾けていれば、必ず違和感を覚える点があるはずです。その感覚を大切にしてほしいのです。そして、その違和感がなんなのか、その正体をご自身で考えてみてほしいのです。」
—『「カルト」はすぐ隣に オウムに引き寄せられた若者たち (岩波ジュニア新書)』江川 紹子著
「裁判が始まった時、井上は二六歳でした。しかし、傍聴していた私の目には、彼は実年齢よりずっと幼く、まだ高校生のように見えました。 彼の心理状態を鑑定した社会心理学者の西田公昭さんも、次のように証言しています。 「精神的には今なお高校生」「見かけは大人だが、人間は社会に出て経験を積んでいく間に成長していくもの。オウム真理教に入って、オウムの中での現実感は身につけただろうが、それは社会とはかけ離れている。常識、センスが発達していない」 心の未熟さが、その態度や外見にもにじみ出て、若く見えたのでしょう。」
—『「カルト」はすぐ隣に オウムに引き寄せられた若者たち (岩波ジュニア新書)』江川 紹子著
「食事は一日一回。教祖一家は焼き肉や寿司、メロンなどを自由に食べていましたし、一部幹部はファミリーレストランにも出入りしていましたが、広瀬を含めて多くの信者は教団から支給される「オウム食」と呼ばれる味の単調な食物だけを食べていました。 その内容は時期によって異なりますが、菜食で肉や魚はありません。教祖の姿を、喉元に思い浮かべながら、食べるように指導されていました。配られる食べ物には教祖のエネルギーが込められているとされていたので、カビが生えたり腐ったりしても捨てるわけにはいきません。腐ってドロドロになった白菜を生のままかじったり、カビだらけになった教団製の蕎麦を、教祖を念じながらひたすら飲み下した、といった経験をしている信者は少なくありません。 こういう食事は、じっくり味わっていたらとてもできるものではなく、広瀬も「食べ物というより、物質を食べている感じだった」と言います。そんな食生活を続けているとどうなるのでしょうか。一年半ほどした頃の状況を、彼は裁判でこう語っています。 「何を食べても味気なく、砂を食べているような感覚がした」」
—『「カルト」はすぐ隣に オウムに引き寄せられた若者たち (岩波ジュニア新書)』江川 紹子著
「こうして、最初は友人を止めるためだったのに、まるでミイラ取りがミイラになるように、彼はオウムにのめり込んでいきました。 「出家することにした」 ある日突然、父は息子からそう告げられ、仰天しました。 いったいオウムとはどんなところなのか。それを確かめようと、父と母はそれぞれ、教団の施設を訪れたり幹部と話をしたりしましたが、うさんくささ、危うさを感じ、懸命に息子を説得しました。けれども息子は、「最終戦争が起きる。それまでに最終解脱する人を何人か作らないと間に合わない」と言って聞きません。」
—『「カルト」はすぐ隣に オウムに引き寄せられた若者たち (岩波ジュニア新書)』江川 紹子著
「裁判の途中でも、端本は繰り返し言いました。 「自分の感性を信じるべきだった」 「今思うと、引くのも勇気だった」 どんな立派な教えや権威や他のみんなが言うことよりも、自分の感性を大事に。これは、彼からの若い世代への遺言だと思います。」
—『「カルト」はすぐ隣に オウムに引き寄せられた若者たち (岩波ジュニア新書)』江川 紹子著
「林は、教団にとって格好の広告塔でした。彼のような「エリート医師」がいることは、新たに信者を獲得する時にも役に立ちました。「こういう人も入っているのだから、おかしな教団ではない」と思わせる効果があったのです。」
—『「カルト」はすぐ隣に オウムに引き寄せられた若者たち (岩波ジュニア新書)』江川 紹子著
「 (人間には、日々いろんな心がある。地獄に行ってもおかしくないようなひどいことを考えるときもあるけれども、その次の瞬間には、自分自身の利益を度外視して他の人のために尽くそうとする、神仏にも似たような心を持ったりもする。麻原は、そういう人間の心を分かっていない) そう思ったところから、林は本気で教義や麻原について考え始めました。そして、信じていたものが誤りであると気づいた時、自分が奪った命の重さを実感しました。」
—『「カルト」はすぐ隣に オウムに引き寄せられた若者たち (岩波ジュニア新書)』江川 紹子著
「 「私もナチのことは知っている。小さい時に、(ナチについて書いてある)本を読んでいて吐き気がして、どうして人間ってこんな残酷なことまでできるんだ、と思った。ほかにも、(アメリカの水爆実験で被曝した)第五福竜丸のことや原爆のこと、人種差別のことなどを読みました。そういう被害を与えた人たちは特殊な人たちであり、自分は(彼らとは違って)良心に従って行動できると思っていた。でもそうじゃない。単に、過去の残虐な行為を(知識として)知っているだけでは抑止力にはならない」 人間の心は、特異な環境に置かれれば、残酷な行為もしてしまう弱さを持っているのでしょう。誠実で真面目な人柄や、頭のよさや知識の量、社会経験の豊富さで、その弱さを補えるとは限りません。自分にもそういう心の弱さがあると自覚して、このような特異な環境に陥らないように努めるしかないのかもしれません。」
—『「カルト」はすぐ隣に オウムに引き寄せられた若者たち (岩波ジュニア新書)』江川 紹子著
「教祖の側近として教団の武装化や松本・地下鉄両サリン事件で中心的な役割を果たした村井秀夫の妻 B子も、夫と共にオウムに「出家」しました。 B子は元々化学の研究者でした。ある時、夫もいる場で、教祖から「危険なワークをしてくれるか」と言われ、土谷正実の研究棟でサリンの製造や覚醒剤などの薬物合成などに携わりました。 途中で作っているものがサリンであることを知りました。他の宗教団体トップを暗殺しようとした事件に失敗し、実行犯の新実智光がサリンを吸い込んで瀕死の重傷となったことも、耳に入っていました。土谷がサリン生成の途中で倒れ、痙攣を起こすのも目の当たりにしました。」
—『「カルト」はすぐ隣に オウムに引き寄せられた若者たち (岩波ジュニア新書)』江川 紹子著
「サリンの恐ろしさは十分に分かっていたはずなのに、 B子は作業にかかわり続けました。法廷で、「教団は何のためにサリンを作っていると思っていたのか」と検察官に聞かれた B子は、しばし沈黙した後で、こう答えています。 「……そうですね、具体的には、あまり考えていませんでした」 人を殺傷する事件に使われることは、普通であれば容易に想像できそうなものです。しかし、自分の頭で考えないようにする教団生活を続けていた彼女の心の中では、具体的なイメージが浮かばず、ただただ言われたことを黙々とこなしていたようです。」
—『「カルト」はすぐ隣に オウムに引き寄せられた若者たち (岩波ジュニア新書)』江川 紹子著
「厳しい戒律があり、表では人々の救済を説きながら、教祖が愛人を囲い、社会と摩擦を起こして非合法活動までしている教団の裏の顔を見るにつけ、 C子は悩んだそうです。 「自分自身が葛藤状態にいるからつらい。(教団がやっていることは)常識で考えたら(社会にとって)迷惑だろうと葛藤していました。でも、周囲を見渡すと(信者には)つらそうな人がいない。みな、平然としている。なんでだろう……と思った。それで考えているうちに、葛藤するのは自分の修行が至らないためではないかと思ったら、葛藤が消えて楽になりました。それで、「これでいこう」と思ってしまいました」」
—『「カルト」はすぐ隣に オウムに引き寄せられた若者たち (岩波ジュニア新書)』江川 紹子著
「サリン製造に携わっていた時、誰からも何を作っているのかはっきりと教えられてはいませんでしたが、断片的な情報から、サリンであることはなんとなく分かっていました。 そういう仕事をする時、どのように心の中で折り合いをつけるのでしょうか。この質問に、 C子はこう答えました。 「その時は、これが自分に与えられている仕事で、それさえすればよい、と思っていました。後のことは、自分がもっていない、計り知れない能力や知恵をもっている人(つまり教祖)が考えることだ、と」」
—『「カルト」はすぐ隣に オウムに引き寄せられた若者たち (岩波ジュニア新書)』江川 紹子著
「 気をつけたいのは、正統派から「邪教」と批判される宗派が「カルト」とは限らない、ということです。「鰯の頭も信心から」などと言いますが、鰯の頭を信仰する宗教を作っても、別に構わないのです。日本国憲法は「思想・良心の自由」(一九条)、「信教の自由」(二〇条)を保障しています。 問題は、その信念を絶対視し、他人の心を支配したり、他の考え方を敵視したりして、人権を害する行為があるかどうかです。一人静かに、時折鰯の頭を拝んでいるだけなら、「カルト」とされるいわれはないでしょう。けれども、勉強や仕事をしなくなって四六時中拝み続け、他人の悩みや弱味につけ込んで仲間に引き入れたり、「これを拝まないと地獄に堕ちるぞ」などと脅してお金をとったりすれば、これは「カルト」と批判されても仕方がありません。」
—『「カルト」はすぐ隣に オウムに引き寄せられた若者たち (岩波ジュニア新書)』江川 紹子著
「 長年カルトについて研究してきた社会心理学者の西田公昭・立正大学教授は、人の心(頭)を部屋に見立て、「カルトへの入信は、部屋の模様替えに似ています」と説明します。 たとえば、いろんなことでつまずいたり、将来への不安が募ったりして、悶々としている。今の自分には、何かが足りないと思えてならない。そんな、これまでの自分の知識や思考方法、すなわち自分の部屋の中にあるものでは問題がうまく解決できない時に、見たこともない、すばらしく役に立ちそうな調度品を、「これはどう?」と見せられ、「こんなものがあったらいいな」と家具を一つ入れ替えてみます。 新しい家具は、あまりに立派で、自分の部屋がみすぼらしく見えてきます。それで、新たな家具と調和する壁紙を提供され、張り替えをします。そうなってくると、他の家具や置物なども変えないとバランスがとれません。こうして、絵画や置物などを次々に提供されるままに、従来のものと取り替えていくうちに、いつの間にか自分らしい部屋から、カルトの色調で統一された〝カルト部屋〟に変わっている、というわけです。」
—『「カルト」はすぐ隣に オウムに引き寄せられた若者たち (岩波ジュニア新書)』江川 紹子著
「カルトは、宗教には限りません。過激派など政治的な集団やマルチ商法といった経済的な集団の中にも、カルト性の高いところがあります。 たとえば、一九七〇年代の日本には、連合赤軍という左翼過激派の集団がありました。革命で世界を変革するという理想に燃えた若者たちが、山中で武装訓練をするうちに、リーダーが批判したメンバーを皆でなぶり殺しにするという、壮絶なリンチ殺人を繰り返しました。そこから逃れたメンバーが、宿泊施設を占拠し、人質をとって立て籠もり、銃を発砲して警察官ら三人を射殺する「浅間山荘事件」を起こしました。」
—『「カルト」はすぐ隣に オウムに引き寄せられた若者たち (岩波ジュニア新書)』江川 紹子著
「人間は、生まれてから死ぬまで、ずっと順風満帆というわけにはいきません。人間関係に悩んだり、努力が報われなかったり、選択に迷ったりします。病気をする、事故に遭う、父母や友人が亡くなる、恋人と別れる、友達と深刻な喧嘩をする、受験に失敗する、職を失う……こうした予定外の出来事に見舞われることもあります。 そんな時、人はカルトに巻き込まれやすい、と言います。救いの手がさしのべられ、素晴らしい解決法を示されたように思うと、ついつい信じたくなるからです。」
—『「カルト」はすぐ隣に オウムに引き寄せられた若者たち (岩波ジュニア新書)』江川 紹子著
「 「第一に、お金の話が出たら要注意です」と紀藤弁護士。途中で会費やセミナー代などを求められたら、これは警戒した方がいい、と言います。その代金が法外なものでなくても、疑ってみましょう。 「第二に、話が最初と違っていたり、何らかの噓が含まれている場合も注意すべきです」 たとえば、宗教ではないセミナーのはずだったのに、教えている人は、実は宗教団体の教祖や幹部であることが分かった場合。カルトは、宗教であることを隠そうとして、別の形をとって、人を勧誘しようとすることがあります。オウムも、ヨガ教室や様々なサークルを隠れ蓑にして勧誘活動をしていました。 「第三に、「これは誰にも言っちゃいけない」などと秘密を守らせようとしている場合も気をつけてください」 若者に対しては、親や先生など、大人に言わないよう口止めする場合もあります。本当にいい教えなら、秘密にしたりせず、どんどん公表し、大人たちにも堂々と伝えればいいのです。それを秘密にしようとするのは、まだマインド・コントロールが十分完成していない段階で、大人に反対され、考え直して脱会してしまうことを恐れているのです。こういう場合は、むしろ大人に相談してみることにしましょう。」
—『「カルト」はすぐ隣に オウムに引き寄せられた若者たち (岩波ジュニア新書)』江川 紹子著
「そして、少しでも「変だな」と感じたら、その自分の感性を大事にしましょう。そういう時は、「自分の理解が足りないため」などと思わず、なぜ違和感を覚えたのか、一度相手と少し距離を置いて、じっくり考えてみてください。 4章で紹介した端本悟は、「自分の感性を信じるべきでした」と繰り返しました。この本に手記( 3章)を寄せてくれた杉本繁郎は、「疑念や疑問を感じる、その感受性を大切にして下さい」と呼びかけています。」
—『「カルト」はすぐ隣に オウムに引き寄せられた若者たち (岩波ジュニア新書)』江川 紹子著
Posted by ブクログ
ジュニア向けだがとても分かりやすく大人にもお勧めしたい。
忘れてはいけない事件だったし、これからも教訓として記録を残していくべきと思う。
「カルト」とは何か、なぜ「カルト」に引き込まれるのかを詳細に解説しており、加害者の証言は当時を知る自分にとって生々しく、悲しい気持ちにもなった。
巻末に紹介されている参考文献も読んでみようと思う。
Posted by ブクログ
オウムに入信し、凶悪事件を起こしてしまう人達はなぜそうなってしまったのか。そもそもオウムがどうしてこんなに力を持つことになったのか。時代の背景から、どんな人でもそうなってしまう可能性があることなど、とても、分かりやすく詳しく書かれていた。宗教に全く関心がない私だが、もしかしたらなにかをきっかけにカルトに関わってしまう事もあるのかと怖くなった。裁判でみんなが口を揃えて言っていた「疑問や違和感を持った時に、自分を信じればよかった。それを見逃し続けることで、自分では何も考えないで言われたことを行うようになっていた。」マインドコントロールは恐ろしいことだが、実は今でも会社や学校や部活や仲間うち、そんなコミュニティでも同じようなことがどこかで起こっていると思うと、カルトと紙一重なのだ。
Posted by ブクログ
一言で表すのは難しい。カルトの怖さ、自分には関係ないと思っても時代の背景や自分自身の心の弱さから判断ができずにのめり込んでしまう可能性がある。
なぜ頭のいい人がオウムにハマるのか知りたくて購入したが時代の背景や自分自身の生きていく意味や人生に悩んでその回答として宗教にハマる、というのが分かった。
また小説と違い現実世界で起きてしまった出来事で読んでいて恐ろしさも感じた。
オウムではなくボランティアなどに出会えばそちらにのめり込んでいた可能性もあると書いてあり、出会いも関係するのだなとも腑に落ちた。
Posted by ブクログ
壮絶な話だった。
カルトは怖い。
そして、「自分は大丈夫」という考えは危険。
本の中で何度も出てくるのが、
「自分の感性を大事に」
ということ。
論理的に判断することや、他者からのアドバイスを聞くことなども大切だけど、自分の直感を大事にすることが1番の自衛になるのだと思った。
Posted by ブクログ
面白くて一気に読み進めた一冊。
どんな人がカルトに取り込まれてしまうのだろうかと疑問に感じていたが、これを読んで誰でもカルトに取り込まれる可能性があるのだなと、元幹部の生い立ちを読んで思った。最初から新興宗教に対して懐疑的な目を向けていたり、立派な社会経験を積んだ人でさえも、一歩間違ったらカルトに取り込まれてしまう、それこそ事故と変わらないもので、だからこそとにかく近づかない、おかしいと思ったらすぐ逃げるなど、関わらないことが一番の安全策であり、これ以上の対処法はないのだろうなとも思った。
Posted by ブクログ
善良な若者がカルトに囚われる様子がホラー小説ばりに恐ろしい
オウムをたまに放送される特番くらいでしか知らない私と同世代の若者たちにぜひ読んで欲しい
特に5章の引き寄せられる前には必読だと思う
Posted by ブクログ
「カルト」はすぐ隣に
オウムに引き寄せられた若者たち
江川紹子氏による作品。
2019年6月20日第1刷発行。
江川紹子・・1958年8月4日東京都生まれ。
千葉県立船橋高等学校を経て、早稲田大学政治経済学部卒。
神奈川新聞社の社会部記者を経て、フリージャーナリストになる。
新宗教、災害、冤罪のほか、若者に悩みや生き方の問題に取り組む。
1995年一連のオウム真理教報道で菊池寛賞を受賞。
本書は岩波ジュニア新書ということで小学校高学年、中学生、高校生向けに分かりやすく書かれている。
もちろん当時を振り返るのに本書は有効なので、社会人にもおすすめだ。
1995年はターニングポイントと言える。
オウム真理教事件の前後で日本社会は明らかに変わった。
新宗教も含めた宗教団体の力は衰え続ける一方になった。
葬儀も簡素なものに変わりつつある。
直葬というものまで世の中で浸透してきた。
そのように大きく変化したきっかけは突き詰めるとオウム事件ではないだろうか。
この事件の事を深く知る事は重要だ。
(宗教団体の力が衰えたとは言っても、カルト的なモノが無くなったわけではない。日本会議のような政治団体のカルト性が近年際だつ)
オウム真理教で死刑になった最高幹部達も詳細をよくよく知れば哀れとしか言いようがない。
彼らもまた犠牲者なのだと思う。
どれだけ多くの人の人生を狂わせたのか。
著者の江川紹子氏も当時オウム真理教に暗殺されかけた(宮崎県)
小林よしのり氏もオウムを批判した為に暗殺団を送り込まれた。
別にカルトや宗教だけに限らないだろうけれども、
ファンと言える著者やオピニオンリーダー、発信する内容をチェックするインフルエンサーなど誰もがいることと思う。
その際には複数の、少なくともセカンドオピニオンを持つべきであろう。
特定のコンサルに盲信するような態度は誤りであると考えるべきだ。
人間は弱い存在なので放っておくと自分にとって都合の良い「見たい現実」ばかり見てしまうものだ。
定期的に自分と異なる立場の論者の発信する内容を全て肯定しなくて良いけれども、読む、見る習慣はつけた方が良い。
印象に残った点を紹介していきたい。
死刑囚が受けるべき刑罰は、死刑の執行のみなので、
逃げ出したりしないよう身柄拘束はされていても、禁固刑や懲役刑を受けた受刑囚とは違って刑務所には行きません。
拘置所は主に、裁判が確定する前の人たちが収容される場所ですが、
死刑囚は刑が確定した後も拘置所に留まり、そこで執行されます。
死刑執行ができる拘置所は、全国に七ヵ所あります。
麻原の生い立ち
制服も、他の生徒のお下がりを着ていました。
週末も、自宅に帰ることなく寮に残り、両親が学校を訪ねてくることはありませんでした。
そうした家庭事情の反動か、彼は子供の頃から金に対する執着が強かったようです。
「金持ちにならにゃあ」が口癖。
就学奨励費などは使わずにせっせと貯め、同級生に金品をせびることがしばしばありました。
そうして卒業時には300万円もの貯金をしていたといいます。
ワンマンな親分肌で、人の上に立ちたい欲求も強かったようです。
小学部5年の時に、児童会の会長に立候補しました。
寮でおやつに出るお菓子を、同級生や下級生に献上させて貯めておき、自分に投票するように言って配る、買収工作まがいのことまでやりましたが、落選しました。
彼は激しく落胆し、先生が妨害したせいだ、と言って責めたのです。
中学部の時にも生徒会長に立候補しました。
この時は、泣いてみんなに訴えたのですが、やはり駄目でした。
この時も、智津夫は落選にひどくがっかりしていたそうです。
怖いので面と向かって逆らわないけれど、投票の秘密が守られる選挙では、彼には入れたくないというのが、同級生や下級生たちの本音でした。
けれども一般信者は、自分が何を作っているのか知らされていませんでした。
何か危ないものだと感じたり、部品の形状から「銃かもしれない」と察したりした人はいましたが、なぜそんな物を作るのか、深く考えてはいませんでした。
上からの指示は、すべて修行と心得て、疑問を抱いたりあれこれ詮索したりせずに、黙って従うことが教団の中では当たり前になっていたからです。
教団側も、秘密保持のために、違法行為については一般信者に詳細を教えませんでした。
いったい、これからの日本はどうなるのだろう。
そんな不安が人々に芽生えてきたこの時期、爆発的にヒットした本が2つありました。
1973年3月に出版された小松左京のSF小説「日本沈没」(光文社)と同年11月に出版された五島勉の「ノストラダムスの大予言」(祥伝社)です。
「ノストラダムスの大予言」は1974年のベストセラー第2位となりました。
ちなみに、1位はアメリカの小説「かもめのジョナサン」(リチャード・バック、新潮社)
でした。他のかもめのように、単に餌をとるために飛ぶのではなく、より速くより高く飛ぶことを極めようとするかもめの物語です。
ただ漫然と生きるのではなく、よりよく生きたいと願い、生きる意味や自分らしい生き方を探している若者たちは、この本に共感しました。
後にオウム真理教に入信し、教団ナンバー2となる村井秀夫もその一人です。
彼は、オウムに入ることを親に反対された時に、この本を渡し、「読んでください。僕の気持ちはこの本の中にあるから」と言ったそうです。
オカルト情報は口コミでも広まりました。全国各地の学校では「こっくりさん」占いが一種の降霊術としてブームとなり、失神したり心を病む子供も出ました。
そんな中、書籍「ノストラダムスの大予言」は、その後も売れ続け、累計で250万部にもなりました。
続編も次々に出され、いずれも数十万部から
100万部の売り上げがありました。このシリーズは、20世紀末の日本人、とりわけ子供や若者たちの意識に少なからぬ影響を与えました。
人は誰かのために役に立ちたい、という気持ちが大なり小なりあります。
信者たちは、自らが「解脱悟り」を得るだけでなく、多くの人々を救う為の教祖の「救済計画」を手伝うことになると信じて、修行や活動に打ち込みました。
「救済」は自分の生きがいを求め、生き方に迷う若者たちを教団に吸い寄せる力にもなったのです。
最も重要なことは、自分のアタマで考えることだと思います。
もし皆さんがそれと知らずにカルト関連の人にかかわったとしても、彼らの発する言葉に注意深く耳を傾けていれば、必ず違和感を覚える点があるはずです。
その感覚を大切にして欲しいのです。
そして、その違和感がなんなのか、その正体をご自身で考えてみて欲しいのです。
宗教団体なのだから、学歴を偏重しがちな世俗とは違うはず、と思いきや、オウムの中も、かなりの学歴社会でした。
麻原に重用され、教団幹部となった
人たちの中には、有名大学出身者が何人もいます。
信者たちが出身大学ごとに「◯◯大、歌います!」と宣言して、オウムの歌を歌ったりもしました。
特に東大出身者は一目置かれ「オウム真理教東大生グループ」の名前で、本も出しています。
これは、東大進学を夢見ながら果たせなかった麻原のコンプレックスの裏返しでもあるのかもしれません。
「最終解脱者」であり、戒律を超えた存在と自らを位置づけていた麻原は、高い世界に導く儀式と称してしばしば若い女性の性をむさぼっていました。
麻原は妻との間に二男四女をもうけましたが、気に入った女性信者を側室にし、少なくとも3人の女性との間で合計6人の子供が生まれています。
女性信者は、人の命を奪うような凶悪犯罪にかかわることは稀でしたが、その代わりに性や若さや容姿を教祖や教団に奉仕させられていたのでした。
広瀬(健一)は、逮捕後に拘置所の中で生理学や心理学などいろいろな分野の本をたくさん読み、当時の「(神秘)体験」は「人が葛藤状態にある時に、
脳内神経伝達物質が活性過剰な状態で起こる幻覚的現象」と理解するようになりました。
実は、ヨガや伝統仏教の修行者でも、この種の超常体験をしている人はたくさんいます。
伝統仏教では、そうした「体験」は修行の妨げになる幻想や幻覚として、惑わされないように戒められます。
ところがオウムでは「神秘体験」として肯定的にとらえるばかりでなく、教義の正しさや教祖のエネルギーの力を証明するものだと教えていました。
「体験」をきっかけにオウムにのめり込む人は、自ら体感しているので、親や教師など周りの大人たちがいくら意見をしても、教団の言うことが真実であるように思ってしまいます。
教団は、信者を獲得し、心を呪縛するのに、「体験」の効果を最大限に利用しました。
(出家信者は)食事は一日一回。教祖一家は焼き肉や寿司、メロンなどを自由に食べていましたし、一部幹部はファミリーレストランにも出入りしていましたが、広瀬を含めて多くの信者は教団から支給される
「オウム食」と呼ばれる味の単調な食物だけを食べていました。
こんな風に疑問や違和感を自分自身で抑えつけ、教義の世界だけでモノを考えてしまうのが、オウムのようなカルトの心の支配の特徴です。
スタンレー・ミルグラムというアメリカの心理学者が書いた
「服従の心理」(河出文庫)
↓
ナチスドイツのユダヤ人虐殺(ホロコースト)にかかわった人たちは、家庭ではよい夫だったり息子だったりする人たちでした。
老人、子供まで殺害したベトナム戦争でのソンミ村虐殺事件にかかわった米兵もそうです。
この戦争では、韓国軍による村民虐殺も報告されています。
日頃はごく普通の市民なのに、このように一定の条件下では、指導者の指示に従って、通常は考えられないような残酷なことをやってしまうことがあります。
日本軍が戦時中、中国・南京を攻略した際に、
少なからぬ非戦闘員の殺害、略奪などを起こした南京事件も同様の事が言えるかもしれません。
ミルグラムの実験で、権威の存在、組織のシステムに
よって、こうした残虐行為にかかわってしまう人間の心理が浮き彫りになりました。
林郁夫は、別の信者の裁判に証人として呼ばれた際、この本を読んだ感想を次のように述べています。
「私もナチのことは知っている。小さい時に、(ナチについて書いている)本を読んでいて吐き気がして、どうして人間ってこんな残酷なことまでできるんだ、と思った。ほかにも、(アメリカの水爆実験で被爆した)
第五福竜丸のことや原爆のこと、人種差別のことなどを読みました。
そういう被害を与えた人たちは特殊な人たちであり、自分は(彼らと違って)
良心に従って行動できると思っていた。
でもそうじゃない。
単に、過去の残虐な行為を(知識として)知っているだけでは抑止力にならない」
人間の心は、特異な環境に置かれれば、残酷な行為もしてしまう弱さを持っているのでしょう。
誠実で真面目な人柄や、頭のよさや知識の量、
社会経験の豊富さで、その弱さを補えるとは限りません。
自分にもそういう心の弱さがあると自覚して、このような特異な環境に陥らないように努めるしかないのかもしれません。
さらに、テレビの人気バラエティ番組が麻原をスタジオに呼び、好きなように語らせました。
「ビートたけしのTVタックル」(テレビ朝日系)でのビートたけしとの対談で麻原は「私に代わって、オウム真理教の教祖をやってもらってもいいんじゃ ないですかね」と相手を持ち上げ、たけしも「おもしろいよなあ、麻原さんて」
と応じました。
「とんねるずの生でダラダラいかせて!!」(日本テレビ系)では「麻原彰晃の青春人生相談」と銘打って、若者の悩みに答える企画も行われていました。
そうした番組で、麻原は「ちょっと変わっているけど、精神世界に詳しく、悩みにやさしく答えてくれるおもしろいおじさん」を演じてお茶の間に浸透していきました。
「朝まで生テレビ!」(テレビ朝日系)では、麻原以下オウムの幹部と、別の新興宗教団体の関係者を生出演させ、対決を演出。
相手方は教祖が出演しなかったこともあり、オウム側の独壇場となりました。
これを見て、オウムに関心を持ち、入信してしまった若者もいます。
こうしたメディアや知識人は、人々のオウムに対する警戒心を解き、広める役割を果たしてしまったと言えます。
メディアは、このような脅しに屈せず、きちんと適切な取材をして報じることが大切で、そういう点でもオウムの事件は大きな教訓を残しました。
オウムで事件を起こした人たちの証言や手記を見れば分かるように、カルトのメンバーは元々は社会のルールや人権を損なうような人たちではありません。
それが、カルトに心を支配されると、無意識のうちに、アタマの中の思考回路がそっくり、カルト式回路に変えられてしまいます。
それを「マインド・コントロール」と呼びます。
体を拘束し、薬物や拷問によって無理やり新たな価値観を注入する「洗脳」とは異なり、「マインド・コントロール」は意思に反した強制的なものとは言えないことが多く、当人はコントロールされているとは気づきません。
カルトから身を守るうえでは、特定の団体を「カルトか、カルトでないか」という二分法で考え、その結論を待って判断するというのは、得策ではありません。
それより一つの価値観に固執し、それまでの人間関係を壊したり、社会の規範から逸脱する行動をとったり、人の権利を損なうような傾向のある場合はマインドコントロールを疑い、カルト性が高いのではないかと、よくよく注意し、距離を置いた方がいいと思います。
カルトは、どの時代や社会にも現れます。
カルトは、宗教には限りません。過激派など政治的な集団やマルチ商法といった経済的な集団の中にも、カルト性の高い所があります。
人間は、生まれから死ぬまで、ずっと順中満帆というわけにはいきません。
人間関係に悩んだり、努力が報われなかったり、選択に迷ったりします。
病気をする、事故に遭う、父母や友人が亡くなる、恋人と別れる、友達と深刻な喧嘩をする、受験に失敗する、職を失う・・・
こうした予想外の出来事に見舞われることもあります。
そんな時、人はカルトに巻き込まれやすい、と言います。
救いの手がさしのべられ、素晴らしい解決法を示されたように思うと、ついつい信じたくなるからです。
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オウム真理教というと、どこか人ごとで自分とはかけ離れた人たちが起こした凶悪な事件だと思いがちだ。でも実際に入信した人たちを知ればそうでもない、つまりごくごく普通の人(ただし、優しく少し考え過ぎになる面はありそう)がカルトにハマるのだということが分かる。
オウム真理教について、麻原や入信者や彼らが起こした事件やカルトにはまらないためにはどうしたらよいかなど、基本的なことがこの本から学べる。
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オウム真理教は無害で愉快な新興宗教と思われていた。麻原彰晃や弟子たちは普通にテレビ(ユニークな教えで今若い人に人気の宗教という軽めの立ち位置)に出ていたし、一般雑誌の表紙になっていたこともあった。その事で安心して気軽にオウムのヨガ教室に参加し、取り返しのつかないことになった人もいた。(この本にも書かれている通り、マスコミにも責任があると思う)江川紹子さんはそれより前からオウムの危険性を察知していた。本当に長い間、真剣に、実際殺されそうにもなりながらオウムと関わっていたわけである。
当時から江川さんの見た目はあまり変わってない印象を受けるが、オウムがマスコミで話題になっていた時、実はまだ30歳をちょっと過ぎたくらいだったということをこの本で(書いてある訳ではなく、経歴から計算して)知った。浮ついたところやが全くなく、凄く落ち着いていたので、年配の人だと勝手に思い込んでいたが、若かったのだ。変わらないのも、見た目が中身に追いついたせいかもしれない。余談だが。
この本は、若い人に向けて書かれているため、当時の社会状況なども丁寧にわかりやすく説明されている上、オウム真理教に関しても、膨大な量の情報を持っているだろうが、大変バランスよく整理されている。整理されているとは言っても、犯罪行為を行った信徒の心情なども手記などをベースにきちんと描かれているので、本当にぐっとくるものがあった。人を殺めたということを、マインドコントロールから抜けて初めて自覚し、後悔と自責の涙に暮れても、遅いんだ。殺しちゃったら。
真面目で、世の中のことを真剣に考える人が、もし麻原彰晃と出会わなければ、社会で人を助けるような立派な仕事ができたかもしれないと思うと、やるせない。
土谷正実や端本悟の両親は、とても良い人達で、息子を脱会させよう、犯罪行為を止めさせようとできる限りのことをしたと思う。土谷も端本も、親を愛し大切に思っていた。それでも、殺した。親からしてみたら、たとえどんなことをしてでも、自分が死んでも、それだけはしてほしくなかっただろう。結局本人が自分でまやかしに気づく以外方法は無いということなのだろうけど、親としては辛すぎる。優秀で真面目で優しい、大事な息子だった。その息子が人殺しで死刑。殺された人への謝罪の気持ちがあるから、自分の悲しみを公にもできない。どれだけ辛いことかと思う。
麻原彰晃を(テレビや雑誌で)見た限りでは、どうしてこんな胡散臭い汚らしいおっさんに夢中になるのか、全く分からなかったけれども、実際に会ったら魅了される何かがあったのだろう。また、人心掌握に長けていたことは間違いない。洗脳されて、グルのやることは絶対に正しいと思い込んでいたのだろう。それにしても、何度かおかしいと感じたことはあったわけで、そこで引き返せば良かったのに、と思わずにはいられない。
まっとうな宗教とカルトはどう違うのかとダライ・ラマに訊いた時の答えを心に刻んでおきたい。「studyとlearnの違い」。「studyには「研究する」という意味もあります。研究するには、疑問を持ち、課題を見つけ、多角的に検証することが必要です。一方のlearnは、単語や表現を教わり、繰り返し練習して記憶する語学学習のように、知識を習い覚えて身につけることを言います。「studyを許さず、learnばかりをさせるところは、気をつけなさい」一人ひとりの心に湧いた疑問や異なる価値観を大切にしなければstudyはできません。それをさせない人や組織からは距離を置いた方がよい、というのが、法王からの忠告です。」(P208)
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オウム真理教についてまとめた本
宗教とはやっかいなものだなと。新興宗教は時間の洗練がない分危険度が高い
答弁がうまいことと正しいことは違う。
昔の人はコックリさんやノストラダムスの大予言を信じ、テレビでオカルト超常現象やオウムを楽しんでいた
答えが出ない問題に答えがほしい人に、うまく答えてあげていた
「自分の頭で考えることを放棄してしまう」信者
問題のある集団、断言したりできないことを断言していないか
オウムの中にも学歴社会はあった
情報を遮断しようという試み
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子どもながらに衝撃を受けた事件でした。自分自身は事件後の番組などで少なからず事件の恐ろしさを知ることができたけど、自分の子供世代は全く知らずに育つんではないかと思い、購入しました。読み始めると止まらなくなりますが、途中本当に現実で起こったことなのだろうか、、と目を背けたくなるような辛い部分も多くあるので休憩を挟みながら読むことをお勧めします。
どんな時も自分のアタマで考えることやめてはいけない、自分の感性(違和感だったり)を大事にする。この本で学ばせていただきました。
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「オウムに引き寄せられた若者たち」は、みな、社会の理不尽さに疑問を持ち、自分が何かできないかと悩み、真剣に考えるような善良な人たちだった。サリン事件などの加害者でありながら、被害者だったんだと思う。教祖の行き当たりバッタリな言動行動に翻弄され、真相究明がなにもなされないまま、教祖含む実行犯を死刑に処してしまって本当に良かったのだろうか…。なぜ死刑実行してしまったのか。今もモヤモヤしている。 カルトはすぐ隣にあることを子供達たち、大人にも広く伝えたい。人は誰しも悩みをかかえ、それを解決しより良くしたいとかんがえる。それを利用するのは簡単なことだと思うと、自分も含めて周りもこの事件についてちゃんと伝えていかなければいけないだと思う。
死刑求刑で終わりではないはず。
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中高生向けにカルトの怖さを説く。
判断を誰かに委ねることの危険性,「人生の意味」に思い悩むことのリスク,社会への素朴な違和感につけこむ洗脳の手法等をあの大きな事件に基づいて紹介してくれる。
心が揺れ動く思春期に良いワクチンと思う。
↓広瀬健一の体験談。惜しい…
“オウムに出会ったのは、大学院一年生の時でした。本屋で麻原の著書『超能力「秘密の開発法」』を手に取ったのがきっかけです…しかし表紙に麻原の「空中浮揚」写真が掲載されていることに、いかがわしさを感じ、買うのはやめました”p.109
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先日の参院選の、特にSNSでの書き込みに危惧を抱いていたところ、この本を知った。
主な題材はオウム真理教の事件だが、それ以上に「カルトは特殊なもの・特殊な状況」「自分が関わるものではない」、という認識を壊してくれる。
オウム事件をリアルタイムで見聞きし、作者の江川紹子氏を始めとした多くの人達の活動も見てきた時代の人間の1人として、この本は全ての人に読んで欲しいと思う。
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冒頭の、普通の若者がオウムに傾倒した理由が知りたい、というのはまさに私の問題意識と重なるところであった。
ただ、各死刑囚の背景などを断片的に知るだけでは、途中までは確かに分かるなと思うところもある(世の中の大人がつまらなそうに働いていて将来性を感じられない、女性にモテなくて辛い、、)が、そこからヨーガ、霊、といった方向に傾倒してしまうのは、今のところどうしても理解できない。途中から一気に確変が起こったように傾倒しているように見えていた。
中でも共通している傾向(時代背景的な分析):
・尾崎豊など、バブル景気の中働き詰めの大人たちに対する反感を持つ若者の増加。経済格差の拡大。→現実世界では真の幸せは得られないのではないか、という思い。1974年にはノストラダムスの大予言などオカルト系が流行。テレビでもスプーン曲げなどが当然のように取り上げられた。
・ハルマゲドンからの「人々の救済」というストーリーに自分の生きる意味を見出す
一方で、元信者(実行犯役の運転係などを務めた杉本繁郎)の手記をみると、少し傾倒してしまうのも分かる気がした
・厳しく悲観的な両親に承認されず苦しんだ幼少期
・宗教や神を信じた時に良い体験が起こる。神に祈った1週間後に自分の条件にピッタリ合う就職先が見つかる、など。
・自分個人での修行に限界を感じ、さらにレベルを上げるには良い指導者(グル)に出会わなければという思いが募っていった
・目の前で神秘体験を見せられ、また自分自身の身体にも神秘体験を感じ修行レベルの高さを感じさせられる(炎が動く、幽体離脱など)
・数分会っただけの指導者が自分の苦しみ、病のことなどをよく理解して、家族よりも深く心配してくれる
・人生の意味がわからない、と思っていたときに、「我々の「真我」は未成熟であったために、宇宙のビックバンの影響で、全てが満たされたニルヴァーナ(涅槃)の世界から、この迷妄の世界に引き摺り込まれてしまった。そして、転生を繰り返し、修行によって魂を成熟させ、ニルヴァーナの世界にとどまれるようにしていくことが、我々が生まれ死んでいく理由であり、今生において積んだカルマによって死後どこにいくのか決まる」という人生の意味を固定してくれた。
そして、自分がいかに輪廻から解脱し、ニルヴァーナに至るか、が最大の関心事となる。解脱へと至るには、六道輪廻(地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天)の世界を全て知り尽くし、最終解脱した麻原をグルとして仰ぎ、その指示に従うほかない、と信じた。
・麻原を裏切れば、無限地獄に落ちる、という刷り込み。目の前で殺される人を見たことによる裏切りへのさらなる恐怖。
・ホーリーネームを与えられ、現実の自分とは切り離された自己として存在する
・自分も誰かを殺す、殺してしまったからにはもう現実世界には戻れない、という気持ちが強くなる。さらにポア(魂を高い世界に引き上げること)をしたのだから、魂を救済したのだ、という物語の中に自分を留めておくために、麻原を絶対とする世界観の中に閉じこもり続けた。
・さらに何か正しくないのではないか、という思いが湧いても「君たちが今からやろうとしていることは、その意味が君たちにはわからないかもしれない。しかし、私の長い長い救済計画においては、大変深遠な意味があることなんだよ」と、いうことを思い出し、わからないが意味のある救済なのだと自分自身を納得させていた。
・自分の頭で考えることを放棄してしまう状況だった。本来断定できないことを、断定し、真理などという言葉を使って自らの世界観にひきづり込まれていった。
広瀬さんの話も興味深かった
・当初は宗教は、胡散臭いことを信じさせているから深入りしないでおこう、という気持ちがあった人だった
・でも一夜、「寝入りばなに、バーンという爆発音がして目が覚めると、尾骶骨からドロドロとしたものが頭に向かって流れていき〜〜」という神秘体験をしてしまい、これは一種の葛藤している時の脳の精神状態によるものらしいのだが、それを直前に読んだ麻原の、クンニダリーの覚醒だ、と思い込んでしまった。そしていくつかの神秘体験をするように(この体験自体は、ヨーガ、伝統仏教の修行でもよく見られるものではある)
・徐々に欲を捨てるような修行をしていき、自分で考えず、教祖の言うことに従っていれば良い、と言う状態へ。
・裁判でも、脱会するまでオウムが好きだった。解脱という人生の絶対的な目標に向かって修行している充実感があった。修行によって得られた体験に惹きつけられていた。と語った。
・事件について話し始めたのは、遺族の調書を読み始めてから。
・独房で考える時間を与えられポアに関する矛盾(帰依がないとポアできないはずなのに、サリン事件で亡くなった方は帰依はなくてもポアした、と断言されていた)ということに気づき、自分がしたことの恐ろしさに気づいた。
なんだかすごく純粋無垢で、良い子な人たちがハマっていったんだな、ということをすごく苦しく思う。
端本さんの、どんな立派な教えや権威や他のみんなが言うことよりも、自分の感性を大事に、と言う言葉、すごく刺さった。自分自身も、立派な教えに結構傾倒してしまうところがあるので気をつけたい。
ミルグラムの社会実験のように、普通の人が、権威などの存在によって普段はしないようなことをしてしまう。
自分が責任を持つと言う意識が欠如し、教祖に従ってしまう。政治に熱狂するのも、少しそう言うところがある気がする。自分の責任から逃れられる、苦しみを他のもののせいにすることができる。そういうことが良いことのような気がしてしまう。
警察が機能せず、メディアも面白がって教団を取り上げた結果、信者が広まった、重大な事件に繋がってしまった、と言う背景もある。
カルトとは何か?
語源は、儀礼、儀式、崇拝などを意味するラテン語で、アメリカなどで生まれた急進的な新宗派を指す言葉として用いられるようになり、カリスマ的指導者を熱狂的に崇拝する信仰宗教団体を「カルト」と呼ぶようになる。
そこから派生して、宗教に限らず、なんらかの強固な信念(教義、思想、価値観)を共有し、それを熱烈に支持し、行動する集団を「カルト」と総称するように。
日本国憲法は、思想・良心の自由、信教の自由を保障しているものの、問題は、その信念を絶対視し、他人の心を支配したり、他の考え方を敵視したりして、人権を害する行為があるかどうか。(ここでは、「人権」という単語がテーマに上がってくる。)
他人の人権と、自分の自由はどちらが優先されるんだろう、と言うのは少し疑問に思った。
→chatgptと会話してみると、現在のところ、
1.大枠──「自由か 他人の権利か」ではなく“両者の調整”
内心(信じる・考える)の領域は絶対的で、国家が介入できません(憲法19条「思想及び良心の自由」など)。
外に現れる行為(布教、儀式、組織活動、実力行使)は、国内法・国際人権法の共通ルールで「他人の権利・公共の安全」による限定付き保護となります。
国際規約例:ICCPR18条3項「信教の表現は、公の安全・秩序・保健・道徳又は他者の基本的権利・自由を守るために必要な範囲でのみ制限可」
欧州人権条約9条2項も同趣旨(公共の安全や他者の権利の保護を理由に限定可)
ECHR
日本国憲法12・13条は、すべての自由の「公共の福祉」による調整を明言
→「公共」という概念を人が持っている、
普通の人が、カルトに入り込むのは、マインド・コントロールという心理操作の方法が使われている。価値観の変容が起きると、監視や圧力などを受けなくても、それは維持され、自ら新たな価値観に基づいた行動をとる。
どうやったらマインド・コントロールが可能なのか、気になった。
西田氏の見解
人の頭の中にある「ビリーフ・システム」と外側からもたらされる「情報」で説明される
ビリーフ・システム:意思決定装置、思考回路で、誰もが自分の頭の中に持っている、これまで学んだ知識や道徳、理想などを使って物事を考えたり判断したりする思考回路のこと。
これがカルトに入ると、新たな知識や道徳、理想などを植え付けられ、従来とは異なるカルトのビリーフ・システムが埋め込まれる。そしてカルトの思考回路ばかり使っているうちに、従来の思考回路は錆びついていく。
そのうえ、カルトは入ってくる情報を制限する。マスコミ情報は魂が汚れる、などと教え込み、色々な情報に触れさせないようにする。教団内では、教団の情報のみを教えるようにする。
→ビリーフシステムと情報を巧みにコントロールすることで、マインドコントロールが進み、自発的に判断してイルカのような気持ちになる。
オウムの場合、出家制度も活用されている。
カルトは宗教に限らず、政治的集団(過激派など)、経済的集団(マルチ商法)の中にもカルト性が高いところがある。
見ていくと、憲法とか法律とか、そういうものを学んだ方が良い気がしてきた。それは、この世界で生きる人たちが、どのようにして生きていくべきか?を規定したものだから。これまで人間が積み上げてきたもので、今一般世界において了解されているものであるから。
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大半がオウム真理教の事件の話。
なぜ、善良な人間がおぞましい犯罪に手を染めてしまったのか。どのようにマインドコントロールされていったのか。
カルトに限らず、こういった人たちから身を守る方法も書かれている。
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章ごとにそれぞれ分かりやすく展開されていてとても読みやすく、一日ですらりと読めてしまった。
こういった本を読むのはほぼ初めてだったが、カルト宗教、集団の存在をより身近に潜むものとして感じることが出来る本だった。
と同時に、そういったものへの対応策は一応ありはするものの、やはり誰しも迷いや悩みがあるタイミングで言葉巧みに誘われ入団してしまう可能性があり、人や場所との出会いの運によるところが大半を占めていると感じざるを得なかった。
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岩波ジュニア新書ではあるが、
大人が読んでも十二分に感じ入るところのある一冊。
当時の社会情勢を知る年代であれば尚更。
カルトに感するという事より、
事件に関わった受刑者たちの半生の記録という部分が大きい。
そして、それも「反省」であったり「後悔」をしている受刑者のみ。
そこは読み物として興味深い。
最後の章の、カルトからの防御策が、結局ところ
「巧妙化が進み、100%見抜くのは無理」
と言い切ってしまってるのは残念であり、恐怖も感じた。
岩波ジュニア、もちろん10代の中高生にも勧めた一冊。
もし、学生生活のため親元を離れるなら、その前に読んでおいてほしい。
作中にあるように「100%防げない」カルトに対する、警戒心を少なからず持ってくれるであろうから。
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「オウム」の一連の事件について、テレビで見る程度の知識しかなく、関わった人々は自分とは遠い存在のような気持ちでニュースを見ていました。この本を読み、ごく普通の真面目に生きようとした若者が入信、犯罪を犯すことになったと知りました。身近にあるカルトについて知り、引き込まれないためにも読んでおいてよかったと思いました。
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現在二十歳の私は、私が生まれる前にオウム真理教という存在、そして地下鉄サリン事件という現代日本史上最も恐ろしいテロ事件の一つが起きたという事実はメディアや歴史の授業で学んでいた。また、私の祖母は事件当日、何となくに早めに出勤をしようと家をいつもより早く出た結果、幸いサリン事件に巻き込まれずに済んだという話を聞いたこともある。この本を読んで、私はこのオウムに引き寄せられた若者たちを他人事とはとても思えなかった。オウム真理教が生まれた当時の社会は、右肩上がりの成長を続けてきた高度経済成長がオイルショックによって崩壊し、狂乱物価や物不足などで社会が混乱し、人々の将来への不安が芽生えてきた。そんな時、『ノストラダムスの大予言』などのオカルトや超常現象を取り扱う映画や番組が流行した。またバブル景気による豊かさの陰で、会社員の過労死や学校でのいじめ問題が深刻化していた。そんな中で本当の豊かさとは何か、モヤモヤとした不満や不安に駆られる若者も多く、そんな思いで未知の世界へ引き寄せられていったのである。今の時代はどうであるか。バブル崩壊で不景気が続き、就職氷河期に突入、その後リーマンショックや新型コロナウイルス拡大の影響で多くの企業は打撃を受け、現在第二次就職氷河期と言われるまでになっている。それに加えて、東日本大震災から続く大地震、各地で豪雨などの異常気象は毎年のように我々を震撼させている。また、近い将来ほぼ確実に起こると言われる南海トラフ地震は東日本大震災の被害の10倍が予想されている。インターネットの発達により、匿名での誹謗中傷、いじめも深刻になっており芸能人の自殺などがメディアを騒がせている。そんな中2019年に10代を対象に行われたネットアンケートでは8割の人が将来に対する不安を持っていた。アメリカでは、コロナウイルスの影響で学校に行けなくなり、部屋に籠もりがちな多くの若者が鬱病や精神病に悩まされ自殺するケースが増加している。日本も同様にほとんどの大学がオンライン授業になり、入学生は一年間学校に通えない状態が続いている。私自身も将来に不安を持つ若者の一人であり、就職に希望も見えない。私自身も含めこの現代に生きる若者たちはこの著書に出てくるような若者たち同様オウム真理教のような未知の人生に答えをくれそうなカルト集団に惹かれてしまう可能性がある。だからこそカルトはすぐ近くにあることを自覚して、巻き込まれないように考えていかなければならないと感じた。
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以前から「人はタンポポの種」という仮説が頭にある。
運命という風向きで落ちた場所に花を咲かせるしかない。
誤った指導者に巡り会ったのが不運の始まり。むしろ良心的で利他的な人々が極刑に処せられてしまった。(A級戦犯や極左ゲリラにも似た事例がある)。
オウム事件の後にも、カルト宗教の被害者は数知れない。彼らにしてみれば「オウムなんて邪教にハマった奴らはバカだなぁ。その点、うちは大丈夫」という確信があったのだろう。
参考文献に『よく宗教勧誘に来る人の家に生まれた子の話』が入っているのは、江川さん、目が行き届いている。
自分は浮き世離れした人種が好きで「よく宗教勧誘に来る人」も部屋に招き入れて、話をうかがったりするのだが、「この人がオウムに入っていたら、喜々としてサリンをバラ撒いたんだろうな」という所感を抱いたことがある。
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江川さんの名前は、恥ずかしながら死刑報道のあとに初めて知った。信頼できるオウムジャーナリストである、という評判も聞いていた。
彼女が、子供のためにかいた本であり、まだ新しい本だというので、本書を手にとってみた。
面白い。
一気に読んだ。
誰もが思う疑問、なぜ社会的に成功したひとや、高学歴者、人格者までがオウムで中心的な犯罪に手をそめたのか。
そこに迫る。機能不全家族で育ったのか、と短絡的な想像をしたけど、そんな事はない。ごく普通の家庭のひと、裕福な人、貧しい家庭の人、両親不和の家庭、円満な家庭、さまざまだった。つまり、誰もが陥る世界、ということ。
70年代以降の経済成長のなか、オカルトブームや環境問題、人間関係の急速な変化も背景にあったらしいけれど。
作中で、運転手を務めたオウムの準幹部の手記が面白かった。サリンの製造やバラマキ計画を知らされていないまま、幹部たちを乗せて移動する日々。
数人の人物を名指して、あの人なら、学者肌だし、告げ口をしないタイプの人だったから、今やっている(犯罪の匂いのする)計画について聞いてみた、と。
答えは、「ある実験、かな、」と。
同僚にもこんなふうに人柄を信頼されていたのに、凄まじい犯罪を実行した人物でもある不思議。
人間というのは、どこまでも複雑で、多面的だ。
そういう意味でも本書は考えさせられる本だった。
オウムを知らない若い世代にこの本が作られたことを評価したいし、オウム報道を知っている世代にも改めて、なぜあんなことが起きたのか、を知るために読んでほしい本だった。
彼らは特別ではない。
まさに、すぐ隣にあるカルトの恐ろしさが身にしみた。
00年代にも大学サークルにも、隠れカルトはたくさんあった。後から正体が判明したのだから、知らずに自分が入って深みにハマっていたかもしれない。怖かった。
ちなみに、本書は身近な人がカルトに入ったらどうするか、も少し触れてあった。大事なことですね。
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やっぱカルトって怖い…
何てことない人たちがちょっとしたきっかけでカルトに引き込まれた結果が犯罪者…下手すれば死刑囚って…
ちゃんと疑うこととか人に相談することって本当に大事なんだなって思った