社会・政治 - 青弓社作品一覧
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4.0「結婚・出産を契機に仕事を辞め、子育て後に復職する」ことを示すと考えられてきたM字カーブ。しかし女性が仕事を辞めるのは「仕事のやりがい」「労働環境」が原因だった――働く/働きたい/働き続けたい女性の就業実態を5,000人以上のデータから照らす。
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 2000年代後半から一気に問題化した子どもの貧困。日本社会における格差の拡大に注目が集まるなか、若者・女性・高齢者の貧困の問題や待機児童の問題とともに、解決すべき喫緊の課題として議論されている。 しかし、歴史的なスパンを広げてみれば、貧困環境にある子どもはこれまで多くいて、保護や福祉の対象となってきた。にもかかわらず、新しい事態かのように子どもと貧困の問題を見てしまうとしたら、私たちは何を看過し、何を忘れてしまっていたのだろうか。 敗戦直後の戦災孤児や浮浪児、復興期の家庭環境と子ども、高度成長期における子どもの貧困の脱出と、不可視化する経済問題――復元した1950・60年代の貴重な社会調査データやマクロ統計で当時の実態に実証的に迫り、新聞報道や児童・生徒の「声」も織り込んで、子どもと貧困の戦後を立体的に照らし出す。
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-放送局の法的な根拠である放送法は、戦前・戦中の戦意高揚の手段として機能したという過ちを繰り返さないという痛切な反省をもとに、政府の放送番組への介入を防ぐために制定されている。 しかし、「やらせ」や「捏造」という番組の問題に対して政府からの「行政指導」が強まり、放送局の経営陣は外圧への抵抗もしないまま、介入がますます日常化し、情報を統制する姿勢を見せている。 NHKで取材に活躍してBPO(放送倫理・番組向上機構)で放送の自由のために貢献してきた著者が、「番組の問題性と政府の介入は別だ」と、30年間の放送局と行政とのせめぎ合いをわかりやすく解説しながら、憲法と同じように国や政府に「放送の自由を守る」ことを義務付けている放送法を基礎にした「放送の自由」を訴える。
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3.7高度経済成長期の前夜――労働力が都市に集中していき、核家族が増えていくなかで、日本は「総中流社会」と言われた。では、総中流の基盤になった「人々の普通の生活」は、どのように成立したのだろうか。 サラリーマンとその家族が住む集合住宅=団地に焦点を当てて、1965年におこなわれた「団地居住者生活実態調査」を現代の技術で復元して再分析する。そして、当時の生活文化や団地という社会空間がもつ意味を実証的に浮き彫りにする。 労働者や母親の生活の実態、子どもの遊びや学習の様子、テレビと一家団欒――「普通の生活」の基準ができあがる一方で、男性の長時間労働や遠距離通勤、性別役割の固定化を生む要因にもなった「総中流の時代」のリアルを照射する。
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-日本では、女性が育児・親の介護などのケアを担うことが望ましいと見なされている。しかし、人々のライフコースは個人化・多様化し、女性の就労は今後も増え続けるだろう。こうした社会的な状況のなかで、子育てや高齢者介護などのケアを誰がどのように担っていくのかは大きな課題である。 近代家族化と脱近代家族化のプロセスは異なるものの、女性労働力率が高いという共通点をもつデンマーク・中国と日本とをインタビューやアンケートをもとに分析して比較する。それらを通して、日本のケアネットワークと愛情規範の特徴を明らかにし、ケアと愛情が強く結び付いて性別役割分業を根強く残存させていることを浮き彫りにする。 そして、個々人のwellbeingを保障し、ケアする側の権利とケアされる側の権利を尊重しながら親密な関係性を築くことを可能にする家族と社会的ネットワークのあり方や、そのような関係性を形成し持続していくための要件を、脱家族化の視点から模索する。
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4.0いま、東京ディズニーリゾート(TDR)はどんどん「脱ディズニー化」している――「徹底的に統一したテーマ」「家族みんなで夢を見る」というウォルト・ディズニーの理想を体現していた時代は過ぎ去って、「テーマなき萌え要素のごった煮」のなかを「お一人様がそれぞれの目的のために突っ走る」空間になっているのだ。 これは、実は歌舞伎からAKB48まで脈々と続く、「全体像よりもピンポイントの趣向」を重視する日本の文化、そして社会の傾向とつながっている。 顧客(ゲスト)のニーズに最先端で応えて変わり続けるTDRは、まさに現代社会の縮図。TDRの変容の過程を分析することで、日本社会の「いま」と「あした」を描き出す画期的なメディア社会論。
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4.0ときに海外メディアから称賛される治安のよさ、略奪や暴動を起こさず、起きたとしてもそれに厳しい目を向ける日本人――その感性を作り出す独特の秩序であり、法のルール以前に私たちを縛る「世間」。 歴史学者・阿部謹也が提唱した世間論の骨子を、「空気を読む」「既読スルー」「ママカースト」などを例に紹介し、「個人の消去」「贈与・互酬の関係」「高い同調圧力」「排他性」「呪術性」といった「世間」の特徴をまず解説する。 そのうえで、犯罪をケガレとしてソトに排除しながらも、反省と謝罪でゆるしてウチに包摂もするという相反する性質をもつ「世間」で排他性が強化されていることを、1990年代末以降に台頭する犯罪の厳罰化を導きの糸として明らかにする。また、イスラム国人質殺害事件の被害者家族の謝罪やさまざまなバッシング、ネットでの炎上などの具体例から、排他性を下支えする同調圧力が日本で近年、とくに高まっていることを指摘する。 そして、排除志向を強めた「世間」が、人々の息苦しさや閉塞感を加速させて犯罪を生み出す仕組みを、2008年の秋葉原無差別殺傷事件、12年の『黒子のバスケ』脅迫事件、14年の佐世保高一女子同級生殺害事件の3つの事件を具体例にして精緻に読み解いていく。 ニッポン礼賛がテレビやネットにあふれファシズムにも似た「空気」が覆う日本の現状に、「世間」という視点から鋭く迫る時代診断の書。
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3.0高度経済成長期に誕生したニュータウンは、新しいライフスタイルとして「あこがれ」の的になった。丘陵を切り開いて建設した東京・多摩ニュータウンや大阪・千里ニュータウンが代表する集合住宅は、都会で就職した地方出身者には誇らしい住空間だった。それとともに、私鉄は都心と直結することで交通網を整備した。2DK・3DKという間取りを生んだ住宅政策の原点でもある。 しかし、現在、日本各地のニュータウンで深刻な問題になっているのが、居住者の高齢化である。これは、同時期に同年代層が大量に入居し、また定住志向が強かったため、居住人口の中心年齢が固定化されたまま一気に押し上げられたためだ。 さらに、少子化に伴う学校の統廃合問題、建物の老朽化と建て替え問題、商店街の衰退など、現在のニュータウンではさまざまな問題が同時並行的に発生している。 もてはやされた時期から少子・高齢化が急速に進んでその対応策に苦慮している現在までの50年間をたどって、日本の縮図であるニュータウンを通じて社会の変貌を描き出す。
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3.01980年代に少女たちの間で流行した「占い/おまじない」は、現代まで多くの女性から支持されてきた。占いはなぜ女性を引き付けたのか、それは女性にとってどのような役割を果たしてきたのか。 少女向け占い専門雑誌「マイバースデイ」(実業之日本社)を軸に女性誌やファッション誌にも目配りして、1980年代、90年代、2000年代の少女と占いの関係性を描き出す。そして、宗教ブームやオウム真理教の影響、女性の社会進出なども絡めて、社会的・文化的な背景を解き明かす。 少女たちの理想像や人間関係を時代ごとに指し示し、宗教の市場化・商品化の役目も担った〈占い〉の社会的な機能を明らかにして、スピリチュアリティと女性たちの現状にも迫る宗教社会学の成果。「マイバースデイ」を当時読んだ読者も必読。
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-1990年代まで「結婚」や「家」と密接な関わりがあった仲人は、どのように広まり定着したのか。また、なぜ衰退して現在では見られなくなったのか。 明治時代以前の村落共同体では見合いが浸透していなかったが、教育勅語や家制度によって仲人が急速に普及する。明治期の家族主義と個人主義、大正期以降に登場する恋愛などとのせめぎ合いのなかで、見合い結婚が「正しい結婚」として位置づけられ、強固に維持されたことを史料を渉猟して明らかにする。 また、明治期に民間の結婚相談所が設立されたが、戦時下の人口政策に組み込まれ厚生省が結婚媒介を統制するに至って、優生思想とも接続しながら全国に結婚斡旋網が形成されたことも掘り起こす。 そして、戦後の民主化や高度経済成長によって見合い結婚は封建的と見なされるようになりながらも、仲人は恋愛結婚や職場結婚と折衷して1990年代まで存続し、2000年代に消滅するプロセスを跡づける。 村落共同体、家、国家、企業と、時代ごとに個々人の帰属先と密接に結び付いてきた仲人の近・現代史から、近代日本の家族や結婚をめぐる価値観の変容を照射する。
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4.0アメリカ大統領選挙以降、フェイクニュースは国内外を問わず社会的な問題となっている。だが、国内の実態はほとんど明らかになっていない。日本国内のフェイクニュースはどのように生まれ、なぜ広がるのか。 2017年の衆議院議員総選挙、18年の沖縄県知事選挙の2つの選挙、20年の新型コロナウイルス感染症拡大時の「デマ」――各事例をもとに、ソーシャルメディアやまとめサイト、既存メディア、ポータルサイトの相互作用で、フェイクニュースが生成・拡散するプロセスを実証的に分析する。そして、フェイクニュースは、ソーシャルメディア時代において、ニュースが生成され、拡散するニュースの生態系そのものから生み出される構造問題であることを指摘する。また、フェイクニュースに対抗するために必要性が議論されているメディアリテラシーやファクトチェックについては、逆効果になりかねないと警鐘を鳴らす。 汚染の構造と複合的な要因を踏まえ、フェイクニュース生態系における汚染の連鎖を断ち切るために、プラットフォームを運営する企業、既存メディア、個人、それぞれの役割を確認する。そのうえで、多様なメディアと多様な考えの人々により構成され、相互作用が生み出す豊かなニュース生態系を実現する道筋を照らし出す。
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4.0スマートフォンやSNSの普及で情報過多時代に突入し、メディアを取り巻く環境は激変した。フェイクニュースやフィルターバブルといった新たな問題が山積するなか、社会に伝えるべき情報と見解を的確に流し、情報の受け手に思考を促すジャーナリストという仕事が担う役割は大きい。本書では、安倍政権の「桜を見る会」問題などを追及した「毎日新聞」の現役記者が、豊富な経験からジャーナリストの仕事内容と心構えを解説する。 地方支局で警察署回りをした新人時代から、警視庁の記者クラブに所属して他社と特ダネ競争を繰り広げた社会部時代、兜町で証券会社や銀行を取材した経済部時代、長野支局で体験した松本サリン事件の顛末、海外赴任、そしてデジタル時代に求められる新しいジャーナリスト像まで、著者のジャーナリスト人生をなぞりながら豊富なエピソードとともに解説する。 「政権の監視役」であるジャーナリストとして第一線で活躍する著者が、新人時代の苦労から「桜を見る会」問題の取材過程まで現場の実情を余すところなく語る、志望者は必読の入門書。
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4.0愛国的・排外的な思考をもち、差別的な言説を流布させるネット右翼。その書き込みを目にするのは日常生活の一部になった。しかし、ネット右翼の実態はわかっておらず、断片的な情報やイメージに基づく議論も多い。 ネット右翼とは何か、誰がネット右翼的な活動家を支持しているのか――80,000人規模の世論調査、「Facebook」、botの仕組みなどを実証的に分析し、インターネット文化の変容と右翼的言説の関係もあぶり出す。 ネット右翼の実態を多角的に解明して、手触り感があるネット右翼像を浮かび上がらせる。
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3.8人口減少社会のなかで女性の労働参加は不可欠であり、職場では人材不足によって女性に対する期待はますます大きくなっている。しかし、女性管理職の割合は低く、同時に、女性自身が管理職に就くことに消極的だとも指摘されている。 何がその障壁になっているのか――その要因を、男性中心のリーダーシップ像や女性が抱える心理的な葛藤、職場に根強い待遇面・役割面での差別、セクハラなど、具体的な事例や各種の統計から明らかにする。 男性・女性が平等に活躍できる場を作って公平な評価制度を確立する必要性を指摘して、性別や正規・非正規に基づく格差を解消し多様性を活かすために、新たなリーダーシップ像の確立を訴える。
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4.0メディアにヘイトスピーチやフェイク・ニュースがあふれ、「右傾化」が懸念される現代日本。「歴史修正主義(歴史否定論)」の言説に対する批判は、なぜそれを支持する人たちに届かないのか。 歴史修正主義を支持する人たちの「知の枠組み」を問うために、歴史を否定する言説の「内容」ではなく、「どこで・どのように語られたのか」という「形式」に着目する。現代の「原画」としての1990年代の保守言説を、アマチュアリズムと参加型文化の視点からあぶり出す。 「論破」の源流にある歴史ディベートと自己啓発書、読者を巻き込んだ保守論壇誌、「慰安婦」問題とマンガ、〈性奴隷〉と朝日新聞社バッシング――コンテンツと消費者の循環によって形成される歴史修正主義の文化と、それを支えるサブカルチャーやメディアの関係に斬り込む社会学の成果。 ****************** 酒井隆史さん(大阪府立大学)、推薦! なぜ、かくも荒唐無稽、かくも反事実的、かくも不誠実にみえるのに、歴史修正主義は猛威をふるうのか? いま、事実とはなんなのか? 真理とはなんなのか? 真理や事実の意味変容と右傾化がどう関係しているのか? 「バカ」といって相手をおとしめれば状況は変わるという「反知性主義」批判を超えて、本書は、現代日本の右翼イデオロギーを知性の形式として分析するよう呼びかける。キーはサブカルチャーである。わたしたちは、本書によってはじめて、この現代を席巻する異様なイデオロギーの核心をつかみかけている。この本は、ついに現代によみがえった一級の「日本イデオロギー論」である。
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3.0政府が「女性の活躍」を華々しく謳う一方で、家庭教育支援法案、親子断絶防止法案、自民党の憲法改正草案(24条改正)、改正教育基本法など、女性の権利を制約したり、家族のあり方や性別役割を固定化しようとする法律や法律案が議論され、それらを成立させようとする動きが顕著になっている。また、内閣府の婚活支援や各自治体の官製婚活も活発化しているのが現状である。 個人の権利を制限する一方で、「家族・家庭」や「個々人の能力・資質」までも共同体や国家に組み込むような諸政策の問題点の核心はどこにあるのか。 他方で、家族や子育て、性的マイノリティを支援する社会制度の設計は喫緊の課題である。国家の過度な介入を防ぎながらどう支援を実現していくのかを、家族やジェンダー、福祉、法学の専門家がそれぞれの立場から縦横に論じる。日本の右傾化を問ううえでも重要な一冊。 執筆者 本田由紀/二宮周平/千田有紀/斉藤正美/若尾典子/伊藤公雄 (以上、執筆順。敬称略)
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4.7多様性の時代だと言われる。多様な背景をもつ人材の活用が革新的な創造性を高めるとして、企業、政府、地方自治体、教育機関、NGO/NPO、市民団体で多様性/ダイバーシティを奨励する動きが活発化している。 多様性/ダイバーシティの推進は女性、LGBT、障害者などの社会的なマイノリティの存在に目を向ける一方で、有用で受け入れやすい差異を選別化することで、いまだ続く差別・不平等を見えなくするとともに、新たな包摂と排除を生み出してもいる。 多様性/ダイバーシティの推進により建設的に取り組むには、構造化・制度化された差別・不平等の複雑な作用を理解して、様々な差異を平等に包含する方途を考え続けること、つまり、多様性と対話することが必要不可欠である。 LGBT、ジェンダー、移民、多文化共生、視覚障害者、貧困、生きづらさ、当事者研究、インターセクショナリティ、教育実践――様々な分野の多様性との対話を通して、それらが抱える問題点を批判的に検証し、差別構造の解消に向けた連帯と実践の可能性を探る。
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 「食」に対して、産地・成分表示の偽装や遺伝子組み換え食品などで不安が高まり、多様なメディアがそれを増幅している。また「食」は、孤食・個食などのように家族問題として取り上げられることも多い。それに対抗するかのように、「健康」「自然」というイメージによってスローフードや郷土食が注目され、食育が見直されている―。「コメ志向」の再考、食育の歴史、調理とジェンダー、スローフード、一家団欒イメージなど、食文化やそれを取り巻くイメージを多様な視点から読み解き、社会的・歴史的文脈によって「食」に対する人々の感性やイメージが全く異なってきたことを描き出す。食文化をとおしてさまざまな社会状況や歴史を、そして現代を照らす論考集。
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3.0※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 少子化・高齢化・晩婚化が同時に進行するなかで、DVや児童虐待、子殺し・親殺しのニュースが毎日飛び交い、「家族」がきわめて今日的な問題として浮上している。これを「家族の危機」として捉えるかぎり、「危機」の原因を探り、崩壊を嘆く言説は流通しつづけるだろう。それに対して本書では、病理の象徴として家族を論じるのではなく、家族を論じることを通して社会のありようを注視する。具体的には、捨て子が文化としてあった江戸期の家族像や戦後日本における家族の変容などの歴史事象を確認し、人口減少社会の実情や地域と家族の関係性を把握し、家庭内殺人をめぐるメディア報道のあり方などを俎上に載せて家族をめぐる問題系を読み解く。家族と社会の「これまで」と「これから」を見定める格好の入門書。
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 戦後復興、高度経済成長、バブル…。戦後日本が辿ったのは開発の歴史だといっていい。いまなお全国で続く開発によって、私たちの日常生活や地域文化はどのように変容したのか。「開発」につきまとう“推進/反対”という価値判断から一歩距離を置きながら、経済・文化・政治・環境などのさまざまな場面で個人的な情念と社会的な利権との絡み合いとして問題化される「開発」のありようを、社会的・歴史的に定位する。国土開発の起源、郊外の発展、戦後日本の農村、沖縄の観光開発、グローバリゼーションにおける開発と文化の関係性などの多様な切り口から、開発と地域文化の今後の関係をどう考えていけばいいのかを指し示す論文集。
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 国家意志としての軍隊の命令に「否」を突きつける兵役拒否とは何か。敵を殺す暴力性の極限に個人として対抗する良心的兵役拒否が人権として合法的に認められているドイツをはじめ、イタリアやイギリスの実態、日本の徴兵拒否をも含めて詳細に解析する。
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 映画のヒット、当時の社会状況や文化を紹介する書籍の相次ぐ刊行などを受けて「昭和30年代」がブームになり、ノスタルジックな商品・消費はもはや定着したといってもいい。温かな地域コミュニティがあり、貧しいながらも夢や希望にあふれた時代と捉えられている高度経済成長初期は、しかし現実的にはどのような社会状況だったのか。1965年のSSM調査に残る貴重なデータを使い「思い出語り」を剥ぎ取るなかで見えてくる当時の家族の実態や世帯収入、職業、格差の現実を、いくつかの具体的なテーマから照らし出す。戦争の爪痕が残る「昭和30年代」の家族構成や厳しい所得格差を明らかにして当時のリアリティを浮き彫りにする。
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3.0※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 ラーメン、おにぎり、焼きそば、うどん、スナック菓子…。受験勉強や夜型生活になくてはならない夜食は、いまや巨大な市場を形成するほど人々に受け入れられている。人の心を和ますとされたり太る原因にされたりとさまざまに語られる夜食は、どのようにして日本に普及してきて、一つの文化として成熟したのか。文化的・歴史的な過程を丹念にたどりながら、落語の演目から都市の下層階層の問題を読み解き、屋台やラーメンの普及、若者文化や地方と夜食とのかかわりに戦前期の都市化のありようや食文化イメージの転換を見定めて、夜食と日本人との関係に鋭く斬り込む。食欲と知識欲をそそる文化史/文化誌。
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 このくらいは「普通」のことだ-。「普通」や「常識」が規範として機能し、生活の最低限のモチベーションになっていた時代はもはや遠い過去になった。「当たり前に生きていてはダメだ」「独自であれ」「自分らしさをもつために絶えず努力しろ」などの言説の渦のなかでせきたてられるように社会制度から抜け出した途端、社会に戻ることが許されず排除される時代を私たちは生きている。独自性の獲得や社会的成功を生きる指標にするがゆえに、困難に見舞われ、むなしさを感じ、苦悩する人々の現状を、大学生の率直なコメントや若者文化、「私」語りなどの身近な事例を導きの糸にして描き出す。そして、「普通」「常識」をシニカルでニヒルな姿勢からではなく真正面からしっかりと見据えて、希望に満ちた明るい「普通」さの可能性を探る。
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 東アジアという空間的な枠組みを設定したとき、ポピュラーカルチャーはジオグラフィックなそれぞれの共同体のなかでどのように受容されて変質し、記号化され共有されているのだろうか-。音楽・マンガ・テレビドラマなどのコンテンツに象徴される文化やそれを通して共有できる価値観が国家の枠組みを通り抜けてさまざまな形で「流用」され楽しまれている各国の実態を描き出す。韓国・台湾・中国では日本のポピュラーカルチャーをどう受け止めて刷新してきたのか、を丁寧に分析した論考集。
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 言語も政治体制も異なる国家・国境を越えて東アジアに広がる日本のサブカルチャーは、インターネット全盛のいま、個々人の「個室」で受容されている。人々の欲望を駆動させ、あるいは癒しにもなり、国家や地域社会とは異なるコミュニティをも作り出すサブカルチャーの受容の実態を、食玩・海賊版ディスク・ビデオゲーム・アダルトビデオなどの具体例に沿って描き出す。香港などでの調査をふまえながら、ある国でサブカルチャーとして出発したものがやがてメインストリーム化し、しかし他国ではサブカルチャーであり続けている、という多彩で多様な大衆文化のありようを多角的に検証する論考集。
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3.3女子力、女子会、大人女子、カメラ女子、山ガール、森ガール…。ウェブやマスコミをにぎわせて2000年代に爆発的に広まって定着した「女子」は、少女や女の子、女性などの言葉とは違った意味合いで使われている。生物学的な性差やジェンダーなどの視点からだけでは捉えられないそのような「女子」の実態を、ファッション誌の大人女子、女子写真、オタク女子、働く女性を描く女子マンガなどを具体例にして多角的に観察・紹介する。そして、男性からの性的な視線や社会的な規範から軽やかに抜け出した女性たちが「女子」という言葉を積極的に引き受けて楽しみ、他者とのネットワークを作り上げている状況を、「かわいい」や「萌え」などの視点から分析して新たな女子文化論を提示する。
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-ときに人々を魅惑し、ときに宗教的・倫理的な観点から可視化を規制される乳房は、隠蔽されながらも性的な消費の対象になり、時代や社会によって「エロス」「卑猥」「母性」などのさまざまな価値観と結び付けられてきた。社会状況の変革や価値観の揺らぎなどの「時代の危機」に乳房イメージが生産・消費される契機を読み取り、ヨーロッパ中世、近世イタリア、戦中・戦後の日本映画、ピンクリボンキャンペーンなど、古今東西の乳房イメージと社会との関係を明らかにする。それらを通じて、女性の身体そのものから乖離している乳房イメージと、それに密接に絡み合うジェンダーの力学を解明する乳房文化論。
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-戦後の歴史教育では「家永教科書裁判」や「新しい歴史教科書をつくる会」の教科書問題など、私たちの歴史観や歴史認識を問う問題が繰り返し議論されてきた。しかし、「ジェンダーの視点からの歴史教育や歴史教科書の見直し」はほぼおこなわれてこなかったといっていい。本書では、日本やアメリカの歴史教科書、はては科学史やミュージアムの展示方法。少女マンガまでをも射程に収め、国際比較や精緻な読み込みをとおして、歴史教育におけるジェンダーの欠落とそれをどう補うべきかを具体的に考察する。現代日本の歴史教育をジェンダーの視点から見直し、その視点を歴史記述・教育にどのように織り込むべきかを真摯に探る問題提起の書。
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3.9100周年を目前に控え、親子3代のファンをもつ宝塚歌劇団。ファンは劇場前で入り待ち・出待ちをして、ひいきのスター・生徒を見に同じ公演に何度も通い、お茶会にも参加する。ファンクラブの組織形態、チケットの確保と配布、統制がとれた拍手、ガードの実際、会服とグッズなどのファンクラブの実情をわかりやすく解説し、ファンの側がファンクラブの活動をどう捉えているかも丁寧に紹介する。いい席をめぐるファン同士の駆け引きやスター・生徒へのさまざまな距離感も描きながら、非合理に見えるファンの行動がきわめて合理的に成り立っていてある「秩序」を形成していることを明らかにする。ファンがスターを作る過程に迫るファン文化論。
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3.8※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 「彼氏いないのなら何をしに学校にきてるの?って感じ」-雑誌やテレビ、マンガのなかの恋にふれ、学校やバイト先、職場で恋する相手を探し、2人で愛を楽しもうとする若者たち。現代の恋愛事情を、雑誌記事やアンケート調査をもとに、人間関係、魅力ある異性像、アプローチの仕方、別れの理由などの視点から読み解く。そこから見えてくるのは、恋愛が曖昧さや不確定性を味わう「遊び」の感覚を内包していること=恋愛の遊戯化である。それと同時に、結婚や別れの決断を先送りし、曖昧な関係性を享受して2人の世界に自閉する恋愛の実相も垣間見えてくる。恋愛=結婚という規範を支えたロマンティック・ラブ・イデオロギーが変容し、むしろ結婚が恋愛的なるものに従属している状況をも照らし出し、恋愛とそれを追求する欲望の臨界点を見定める。
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3.7※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 夢追う若者から団塊世代までが集い、音楽でのしあがり、音楽を楽しみ、音楽を介して人と出会うための場であるライブハウス。ロック喫茶・ジャズ喫茶を出自とし、「政治の季節」にカウンター・カルチャーを支える一方で、1980年代を転換期として高度に商業化・システム化していくライブハウスの歴史を浮き彫りにする。そのうえで、ミュージシャンに課せられるノルマやチャージ制度の実情、プロフェッショナルとアマチュア、インディーズの差異などをレポートし、アメリカのミュージック・クラブやカラオケとも比較して独自の文化形態を明らかにする。戦後日本の「生演奏の空間」を担ってきたライブハウスの魅力に迫り、そのゆくえを探る音楽文化論。
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3.0※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 近代以降、人びとは「他の誰でもない私」「ほんものの自己」を目指すようになるとともに、個人の情報や秘密、私的領域の保護を求めるプライバシー概念を重視するようになった。だが情報技術が飛躍的に向上して一般化した現代社会では、プライバシーの位相は大きく変容している。個人の内面や身体、親密さ、私的領域を聖域化してきたプライバシーが、データベースや情報システムを聖域化するプライバシーへと移行しつつあり、それにともなって私的領域と公的領域の境界も意味を失ってきている。こうした現状を、監視カメラの偏在化やデータベースへの個人情報の登録などの事例からあぶり出す。そして、個人の外部にあるシステムが管理する情報によって「私」が形づくられつつある今日の状況が、社会システムのどのような変化に呼応しているのかを解明する。
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3.0※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 国立新美術館をはじめとする美術館の建設ラッシュは、何を意味しているのか。明治期以降の美術館の歴史的展開をひもときながら、思想としての日本民藝館、ミュージアムパーク=上野公園の記憶と美術、近代史の矛盾を抱える遊就館、80年代文化の象徴であるセゾン美術館、地方都市の地域文化と美術館の関係性、指定管理者制度をはじめとする美術館経営などの具体的な問題群を取り上げて、文化装置としての美術館をめぐるさまざまな政治的力学を解明する。美術館という“場”を批評的に読み解き、マルチカルチュラリズムやグローバリゼーションをも議論の俎上に載せてその可能性に光を当てて、縦横無尽に美術館を語り思考するミュージアム・スタディーズの成果。
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3.8※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 「仲間をつくれ」「働け」。的はずれを含めた多くの批判にさらされ、「回復」へと駆り立てられるひきこもりの“当事者”たち。対人関係の獲得や就労の達成という「社会参加」とそうすることの意味のはざまで、「なぜ働くのか/なぜ生きるのか」と彼/彼女らが抱いている不安や焦燥を、聞き取り調査をとおして描き出す。そして、「自己防衛戦略」や「存在論的不安」などの視点から、“当事者”たちにとって「ひきこもる」とはどのような経験なのかを浮き彫りにする。必要なのは“当事者”に共感することではなく、むやみに「回復」をめざさせるのでもなく、彼/彼女たちを理解することだと主張・提言する社会学の成果。
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3.3※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 男性学は何を目指しているのか、今後、どのような展開を見せていくのか-。1980年代後半から、フェミニズムの隆盛をバネにした女性をめぐる議論の成熟を背景として、「男らしさ」「男性性」とはいったい何なのか、それに息苦しさを感じるときどう解消していくのかが議論されはじめた。その議論の内容を簡明にまとめて男性学の基本的な視点を確認したうえで、新たな観点を示したロバート・W・コンネルの議論を詳細に紹介する。そして、男女雇用機会均等法の制定や90年代後半からのフェミニズムに対するバックラッシュの流れのなかで、男性学が何を招来し、今後どう展開していくのかを、仕事、定年退職後の居場所、「オタク」や恋愛・結婚などの具体的な素材から照らし出す格好の男性学入門書。
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 女性もさまざまな形態で動員した第二次世界大戦という総力戦。ソ連、アメリカ、日本での女性動員の問題を、女性性=母性、娼婦性=従軍慰安婦、労働力としてだけではなく、兵力としての動員という窓から、軍隊と軍隊を生み出す国家や社会の特性を明らかにする。
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 男女が別々に競技する現代スポーツに対して、「男女別競技を撤廃しよう」「男女の身体能力差を考慮すべきだ」などの多様な意見がある。現在の男女別競技は、どのように「常識」になっていったのだろうか。近代日本におけるスポーツ受容、女子選手への批判、遊技教育の諸相から、戦後の「東洋の魔女」、プロ野球、生涯学習としてのスポーツまでの歴史的な事例を丹念に辿り、従来の議論が見落としていた「身体感覚」という視点から私たちが身体とジェンダーをどのように捉えてきたのかを浮き彫りにする。それをもとに、「規範としてのジェンダー」という視角から、優劣や役割にとらわれないジェンダーの可能性を提言する。
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 パフォーマンス化しキャッチフレーズ化する政治を筆頭に劇場と称される事象が頻発し、マスメディアとインターネットが作り上げるそれら熱狂的な騒動は爆発的な勢いで全国を席巻しては消滅していく。情報を受容し消費するはずの側があたかも「お祭り」の主役であるかのように幻惑され、劇場に躍り出ては大騒ぎを演じ続ける。テレビとWeb2.0が作り出すメディア空間、刹那的なものではあれ共同体を希求する「自己」、「物語の終焉」後に獲得された「物語」もどき、表出するためのコミュニケーションスタイルなどの切り口から、激情に身を任せる劇場型社会の「お祭り」を形式レベルと表層構造で解説し、メカニズムの深層にメスを入れる。
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5.0美術館やギャラリーに収まっていた芸術は、閉ざされた領域を飛び出して都市空間や地域社会へと広がっている。地域住民とアーティストの共同制作、美術教育、医療や福祉の領域での芸術活動-近年では芸術の社会化がますます推し進められ、私たちの日常にある創造性や表現の可能性を再考する契機になっている。また、NPOとの協働など、文化政策が多様なかたちでおこなわれ、芸術文化の公共的な位置づけが見直されてきている。2000年以降の大阪の文化政策を契機に生み出された“芸術運動”の調査をもとに、文化政策の現状、創造の現場が直面した困難と可能性、制度とオルタナティヴの相互作用、労働やアクティヴィズムとの関連性などを論じて、社会を変えていく契機となる芸術活動のあり方を描き出す。
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-※この商品はタブレットなど大きいディスプレイを備えた端末で読むことに適しています。また、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できません。 スポーツ万能、学業成績優秀、すぐれた体格のスーパーチルドレン…。戦前から、敗戦を挟んで1990年代まで続けられた健康優良児表彰事業と健康優良学校表彰事業。朝日新聞社主導で進められ、健康優良日本一を競ったこのイベントの歴史を、高度経済成長などの社会的背景にも目配りしながらあぶり出す。健康優良児をめぐる言説に現れる都市-農村間の地域格差や性差、障害観を照らし出し、「健康」の背面に立ち上がる「不健全」「不健康」の歴史のありようをも明らかにする。「健康」という基準をめぐって排除と包摂が相互的におこなわれるなかで、児童を絶えず「健康」へと駆り立てる力学を浮き彫りにする。
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