子宮だけが神聖領域なのだろうか?
そもそも子どもは両性によって存在しうるはずなのに。
何より子宮をやたらに神聖化しつつも、ジェンダーとしては女性蔑視に繋がる思想についても本書では触れられてた点が個人的には良かった。
子どものもう一方の親である父はどう、この本を読み解くのか。その点に興味がある。
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妊娠•出産をめぐるスピリチュアリティにはナショナリズムと親和性が高い傾向がうかがわれる。→まさしく。戦前のイメージ。
p24
2000年代に入ると「スピリチュアル•ブーム」が社会に到来した。→直前の90年代はオウムなどの事件もありスピリチュアル的なものは避けられてた印象がある。一気に逆ブレしたなという印象。
p26
妊娠•出産がケガレと見なされたのは、それが生と不可分に結びついたものでありながら、同時に死との境界線上に位置すると受け止められていたからである。
p29
妊娠•出産に関しては、医療が管理するものに移行したことが大きな変化として挙げられる。→他人がかんりさるものから、主体性を取り戻すプロセスを指しているのか。しかし、安全という意味では他人(医療従事者の関与は否定されるものではないと思う)
p36
出産のコミックエッセイ、ママタレの登場についての指摘について、母性イメージの肥大化があるが、母という神聖領域を手に入れることで本人たちがある種、解放されたような印象?
p37
「宗教ブーム」のなかで、妊娠や出産や母となることと宗教とは再び接近するようになる→旧統一教会などを想起した。商業主義と結びついたスピリチュアルは母と子を金集めのために利用している側面もある?
p40
「スピリチュアル市場」では妊娠•出産や月経、そして母になることが肯定的に価値づけられていることである。→逆に身体上、経済上、やむなく出産を諦めざるを得なかった人、母になる選択をしなかったことを絶対悪のように扱うのはどうだろうか。
p42
女性には、女性という身体に生まれたというだけで、妊娠•出産を経て母になる人生をあゆむのか、そうではない別の人生を歩むのかという選択が常に付いて回る。→自分は「女性として生まれたからには」とか「愛する人の子を」という言葉に重さを感じたので身体構造として強いられる選択がさらに苦しめている側面はないだろうか。
p47
子宮に神聖性や神秘性を見いだすという指摘について、子宮だけが聖域というのは疑問。子宮に子が宿るのはプロセスとしてパートナーがいないと成り立たないもの。男性の存在価値は?
p50
子宮について努力や開運を求めるのはまさに精神論そのもの。根拠がないと感じた。
p52
負のエネルギーや卵子の老化の根拠は?妊娠力チェックについても余計なお世話ではないか。
p61
マクロビオティックについては母として食べることが他の命を奪うことへの拒絶のイメージ?
p62
都会生活の否定→変な方向の自然崇拝に感じた。自然と都会の共生も可能ではないか。お金があるから自然崇拝に走れる部分もあると思う。
p64
痛みや苦しみがなければ成功とは言わない、認めないような日本独特の風潮ではないだろうか。個々の妊婦が安全や安心を求めて何がいけないのだろうか。
p71
卵子の老化と一体化し子宮の神聖を高める→もはや宗教。
若さ(特に女性)を過度に崇拝してないだろうか。
p72
自然なお産→医療や薬品を極力使わない、昔礼賛過ぎないだろうか?p74で、「妊娠•出産を経て母親になることをエモーショナルに肯定」という指摘は共感。母という役割に女性らしさを付加し、固定化させようとするのは反発を感じる。女性の選択ありきであり、個々の選択が尊重されるべき。
p87
胎教には母親の愛情が不可欠とあるが、母だけに出産後の子どもの教育や人格形成をもとめるのはどうなのだろう。父親は?役割分業が行き過ぎてないだろうか。
p90
宇宙エネルギー→滑稽すぎやしないだろうか?根拠は何処に?主張者の主観のみではないか。
p94
障害児について、橋迫さんが指摘しているように(かつてのナチの)優生思想めいたものを感じた。
p97
子どもの胎内記憶について、本当かもしれないが大人に喜んでもらおうとする子どももいるのではないだろうか(逆にそうせざるを得ないならいじらしいというよりもかわいそうではないだろうか)そういう子どもを得たという優越感?自己満足?
生殖以外、男性を必要としないというのはおかしくないか?過度に進めば精子を買って産む女性も出てくるのでは?
生殖以外の、コミュニケーションとしての性交も日々の営みと考えれば生殖のみを目的とする性交もどうなのだろうか。女性だけが胎内に子供を宿せるのは事実だが過度な聖性付与はやはり危険と思う。
自然なお産の崇拝についても少し気持ち悪さを感じた。母子とも助かるなら何を選択してもいいのではないだろうか。
橋迫さんと同じく、私も子どもへの過度な神聖化も違和感を感じる。他にも女性賛美が保守的な女性観へと連なっている点についての指摘も共感。さらに子どものいない単身男女を社会の隅に追いやっている印象をもった。
オニババ化という言葉を用いた三砂氏への指摘についても冷静に分析されている。個人的に、三砂氏は特に年配女性についてミソジニー的感情を持っている印象を持った。逆に若さや可愛い文化重視の日本ではどこか若年層や男性へ忖度している印象も持った。三砂氏の「産んでも産まなくてもありのままの私を認めてほしい」という価値観が、結婚や出産から女性を遠ざけたからという主張について、どんな選択をしようと個々の選択が尊重されるべきではないだろうか?産まなくても子育てにはいろんな人間が関わっていくもの。いちばん身近なのは両親だが子どもが育つ過程ではいろんな大人が関わる。子どもがいなくてもそこで力を発揮する人もいる。マダネプロジェクト主催者のくどうみやこさんの子どもがいないと母性を平等に配れるという考え方の方が素敵だなと思った。単身、夫婦のみの世帯が6割となった日本であるが、その存在はサイレントマジョリティーに追いやられているように感じる。商業主義と結びついたスピリチュアリティが既婚未婚や子どもの有無といったことで無駄に女性たちの分断化を煽ってきたのではないだろうか。