自分は常に頭の中に音楽が流れているタイプで、集中するとたとえ職場であっても鼻歌を歌い出してしまう迷惑極まりない人間なので、音楽が常にそばにあると言うのは全然不思議じゃない。むしろ仕事場でストレスが溜まっていたりすると、突然誰かが歌い出したら面白いのになぁなんてことを考えているタイプの人間だ。
ただ確かに言われてみると感情が盛り上がってきたとはいえ、いきなり登場人物が歌い出すと言うのは結構不思議だ。その疑問や「不思議さ」に真正面から回答しようとするのが本書だ。
読んでまず 驚いたのは、 ミュージカルは歴史的に見れば オペラよりも後にできたもで、もともとはオペラのように全てが歌によって構成されてたということだ。 つまり、ミュージカルは歴史的に発展をしていく中で、 歌によって表現されていた部分が言葉によって置き換えられていたということだ。
そうなると、そもそも「ミュージカルはなぜ突然歌い出すのか?」といった 疑問そのものが成り立たない。セリフによって成り立っていた劇の一部が歌に置き換えられたのであれば冒頭の疑問は成り立つが、そもそも歌劇が源流であれば「劇中で歌が歌われること」は成り立たない。むしろ疑問として提示されるべきなのは「なぜ歌の一部がセリフに置き換わったのか」だろう。
そして本書は、その疑問(歌がセリフに置き換わった理由)をミュージカルが発展していく歴史的な背景とともに丁寧に解き明かしてくれる。単に言えば、オペラのような重厚な芸術がアメリカにわたりより大衆化していく中で、商業的な観点から音楽がより取り上げられるようになり、今で言うポップミュージックのようになっていく過程で、歌の一部がセリフ化していったようだ。
それでは冒頭の「突然歌い出すのはなぜか?」の疑問は、一般の観客のみが持つもの中と言うと、そうではないと言うのも、本書を読むとよくわかる。ミュージカルの製作者、あるいは作曲者は、作中で、突然キャラクターが歌い出すことに対して、やはり疑問を持っていたし、その違和感を解決するために芸術的な様々な試みを行っていたことが、本書を読むとよくわかる。
本書ではそういった芸術論、あるいは美学的な問題を丁寧に語ってくれるが、もう一つ重要な視点として提示されるのがミュージカルは「ポピュラーエンターテイメント」で会ったということだ。もともとはヨーロッパに存在したオペラのような過激が、当時の新大陸であるアメリカにわたってきて、エンターテイメントとして進化していく中で、ミュージカルは大衆に対する芸術であり、同時に大きなビジネスとなっていった。
つまり、ミュージカルの芸術的な観点というのは、常に大衆からの指示(=ビジネスとしての成功)とともにあったわけであり、ミュージカルにおいては「当時は評価されなかったが、現代においては価値がある」といった作品は、ほとんど存在しない。
またビジネスとして常に新たな価値を一般大衆に提供するために、ミュージカルはロックといった新しい音楽や技術的な試みを積極的に吸収していった。
特に本書を読んで印象的だったのは、スタンド式ではないマイク(俳優に直接くっつけることのできる無線式のマイク)が開発されたことにより、舞台の演出と俳優の動きに大きな変化が生まれたということだった。日本にいると、技術的な進歩が芸術的な要素を進化させることのイメージがあまりできないのだが、流石にアメリカでは新しい技術をどんどん導入することで、エンターテイメントも進化してきたということがよくわかる。
「なぜ劇中で歌い出すのか?」といった素朴な疑問から、ミュージカルの歴史と学術的な解釈までを提示してくれる本書は、新書とは思えない情報量の多さが素晴らしかった。巻末にはスタンダードナンバーに対するアカデミックな視点も補遺として記されており、ミュージカル好きであれば、間違いなく知的好奇心を満たしてくれる1冊だ。