すごくよくまとまっていて、面白い。
「偽ニュースはなぜ生まれたか」というサブタイトルが象徴するように、WELQ事件などといったフェイクニュースへつながる、ネットメディアの歴史が描かれている。
当初、2016年夏ぐらいに原稿はあらかた出来上がっていたそうだが、問題意識がうまく表現できていなかったとこ
...続きを読むろに、まさかのトランプ大統領当選。その裏にフェイクニュースがあり、ネットの信頼性が疑われたことをきっかけに、藤代先生は一気呵成に原稿を再整理されたようだ。
私個人の感覚としては、そもそもインターネットが普及して間もなくは、2ちゃんねるなどの存在や、相手の顔が見えない怖さがあって、ネット上の言論は信用しがたく独特だなと思っていたところがある。
が、2000年代中盤になると、新聞社や通信社も大量の情報を流しているので、早くて正確な情報を得るための拠り所としてきた。
方や、twitterでは市井の人がどんどん発言するので、訓練された専門家による一次情報を探すのが難しくなってきており、情報の質の低さ、感情的かつ扇動的な流れに辟易としてしまう面も多分にある。そんな意識から、本著を手に取り、読み進めると、2ちゃんねるの話は差し置くが、それ以降の私個人の感覚は当を得ているかもしれないと感じた。
いちばん面白かったのは、偽ニュースが出回る経緯を辿ると、ライブドア事件が大きく関係しているのではないかということだ。ライブドアは2003年よりポータルサイト運営を開始したが、2006年のライブドア事件を機に、記事提供者である新聞社や通信社が配信を停止。これを受けてライブドアはトップページにブログコーナーを設置し、積極的にブロガーを支援していく。ニュースを作れるのはマスメディアだけという驕りがライブドアへの記事配信停止を促し、結果的にマスメディア以外のニュース発信者を生み出したということだ。
また、あくまでプラットフォーム提供者として「新聞少年」を標榜していたヤフーが、2012年に「ヤフー個人」というサービスを始めたことにより、一層記事の信憑性を担保するのが難しい時代へと移る。
運営者も利用者も自らがメディアであるという自覚に乏しい、ソーシャルメディアの存在もフェイクニュースを媒介する温床となっている。メディアとプラットフォームの境界が曖昧で、誰もニュースに責任を持たないからこそ、その空隙からフェイクニュースが生まれているというのだ。
最初の第1章が特に面白かったが、第2章以降の「ヤフー」「LINE」「スマニュー」「日経」「NewsPicks」それぞれの成り立ちについても、勉強になることがたくさん詰まっていた。とにかくきめ細やかな情報収集力と卓越した情報整理力で、感心しっぱなしだった。
最終章の「猫とジャーナリズム」では、バイラルメディアが「質の高いオリジナル記事」「情報検索」「猫コンテンツ」といった3つの頭を持つキメラ構造であることが、ニュースの真偽を見分けにくくしているとする。
クラウドソーシングサイトが「偽ニュース絶望工場」であること、ステマの存在(広告主の責任)、炎上がマスメディアとソーシャルメディアの共振によって生み出された虚像の可能性があること、アメリカの中学生の8割が本物のニュースと偽ニュースの見分けがつかないことなど、どれもへぇというものばかりだった。
藤代先生の授業が受けてみたい。