「心の闇」という表現そのものに焦点を当てた一冊。
第一章ではライト・ミルズの動機の語彙論を引き、「動機が判る」という事は一体どういう事なのかを論じる。
二章では新聞記事を通じて「心の闇」と言う表現が使われ出し・一種の形容表現と化し・そして情報の受取り手に対しても広がって行った課程を酒鬼薔薇事件の記
...続きを読む事から抽出し、「心の闇」というタームが理解しなければならない/が理解することは到底出来ないという二つの意味を同時に発している、と論。
三章では「心の闇」という言説が広く使われ始めた酒鬼薔薇事件に対して大学生に対して行った質問から、情報の受け手側の受容の形式――「動機が判る/判らない、またどうすれば判りうるか」を分析。
四章では酒鬼薔薇事件以降の「心の闇」表現から豊かな社会/キレる(非行を通り過ぎる・理解不能な)逸脱者、またいい子にみえたのに/得体の知れない不気味さ、という言説の中の二つの方向性を見、また「心の闇」表現に精神医療の言語が導入されていく課程を見る。
五章では「物語モード」「論理-科学的モード」を引き、「心の闇」という従来の「物語モード」の動機理解の危機を契機に、「論理-科学的モード」に近い精神医療の言語が動機理解に導入されることによって、まさに行為を行った人物へのアプローチではなく要因→犯罪という個人の要素を省いたアプローチ方法に変容しているのではないかと論じる。