角田光代のレビュー一覧
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ネタバレ柳原飛馬、望月不三子の2人のそれぞれの視点で、1967-2022年まで描かれる。
オウム真理教、こっくりさん、ノストラダムスの予言など、実際に世間で起きたことも出てくる。
また、飛馬は祖父が近所の人を救ったとか、母に病気で助からないと話してしまったとかいうエピソードがあり、不三子は食事やワクチンについてのエピソードがある。
読み終わったあとにレビューを見て、「何を信じるのか」というのが全体を通じて語られていたんだと知ってすごく納得した(読んでる時に気がつけなかったのは恥ずかしいけど)
情報が溢れている今、何を信じるかは難しいけど、人は自分が信じようと思ったものを信じていて、何を信じるか人によって全然違う。
自分の考えを広めたい人もいるし、強制する人もいるし、聞かれないと言わない人も、秘密にする人もいる。
この本はそんな世の中を切り取って描いているんだなと感じた。
方舟の話、自分だったらどうするか。
乗れと言われたら乗るし、そうでなければ乗らずに皆といるだろうなと思った。 -
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「特にお願いごとがあるわけでもないのに、神社へ行くと、なぜか少し心が軽くなる」。そんな経験はありませんか。
私は神社で何となく手を合わせる時間が好きなので、『神さまショッピング』の登場人物たちが、ただ祈るために遠い場所まで旅をする気持ちが、とてもよく分かりました。
本作は、スリランカやミャンマー、京都など、さまざまな聖地を舞台にした短編集です。タイトルの「神さまショッピング」という言葉通り、登場人物たちは自分の願いや苦しみに合う神さまを探して旅をします。
でも、その願いは決してきれいなものばかりではありません。家族への怒り、誰かと縁を切りたい気持ち、口に出すのもためらうような本音。角田光代さんは、そうした心の暗い部分を否定せず、そのまま物語の中に置いてくれます。
そこに私は、この本のやさしさを感じました。
祈ることは、願いを叶えてもらうためだけではない。自分一人では抱えきれなくなった気持ちを、いったん神さまに預けることでもあるのかもしれません。解決しなくても、誰にも言えなかったことを心の中で差し出すだけで、少し歩き出せることがある。
読み終えたあと、またどこかの神社へ行きたくなりました。重荷を預けること、自分の本心に気づくこと、折り合いをつけること、本を読むことにも似ているように感じました。
心に何かを抱えている人に、静かにすすめたい一冊です。 -
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正直、はじめの方のお話は「ああ……もういいよ……なんでだよ……なんでわざわざお参り行くのに外国まで行って挙句に願えずに帰ってくるんだよ……なんでだよ……」と思いながら読んでいましたが、最後の3つ、「モンゴルの蓋」「神さまショッピング」「絶望退治」はすごく面白かった…!
「モンゴルの蓋」はなんだか……胸が温かくなるような、そうでないような……複雑な感じだったけれど、元奥さんの生きていたところを見て回って……そうした情景が浮かんできました。
「神さまショッピング」は、タイトルがこれな理由が分かりました。罪の意識が段々薄れていく吉乃。でもわたしはそれでいいと思います。あの事件は、吉乃のせいじゃない、そう思います。
「絶望退治」は一番面白かった……!うーわー、あー、となるような話でした。言葉にできない話……ただ、わたしは鶴子には幸せになってほしい。育児の件は反省してほしいけど、それは鶴子だけの責任ではないと思います。
この本、評価低めだし、でもタイトル気になるし、と思って買いましたけど、最後の3つは本当に面白かった……!なんか、いろいろと考えさせられました。 -
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角田光代さんの手による源氏物語の現代語訳第6巻。夕霧、御法、幻、匂宮、紅梅、竹河、橋姫、椎本の8編を収録。
光源氏の晩年と次世代の貴族たちを描く。
紫の上が他界し、悲嘆に暮れる光源氏も亡くなってしまい、遂に一つの終止符が打たれます。最愛の人を失って抜け殻のような光源氏に、どこか完全燃焼に対する羨ましさも覚えます。浅慮で自己中な言動も多いですが、それだけ色恋に情熱を注いだ光源氏に、当時の貴族の願望が垣間見えた気がします。
光源氏の没後は、サブキャラによるサブストーリーの連続で、どうしても蛇足感が拭えません。なぜ、紫式部はここで筆を置かなかったのか永遠の疑問です。人気漫画が大人の都合でダラダラ連載継続し、完結時期を見誤って残念な感じになってしまうのと似ている? -
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歳を重ねるにつれて、同じ箱に入って同じ方向を見ていた(ような気がしてた)あの頃と違って、抱えている事情や置かれている環境が大きく変わってくる。同じ状況でないと分からないとシャットダウンしてしまったこともされたこともあるし、今大事なものだけ守れればいいと新しい縁に消極的になることにも、とてもとても身に覚えがある。気がつけば周りには自分と似た環境の人ばかりいて、似たような愚痴をこぼしたりしている。だけど、自分をここではないどこかへ連れて行ってくれる(森絵都さんの言葉をお借りするなら熱源になるような)出会いは、自分がシャットダウンした先にあるかもしれない。理解し合えないことで苛つくことも、傷つくこともあるかもしれないけれど、大人になってからも葵と小夜子のような出会いがあるなら悪くないと思えた。人と関わり合うのはエネルギーがいるけれど、同時に自分を奮い立たせる何かを与えてくれる可能性も秘めている。歳を重ねることは、出会うことを選び、信じる人や物事を選び、自分の足で歩いていけるということ。すごく前向きな話だと思った。
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井上荒野、角田光代、町田康、唯川恵、ほか『山なら言いたいことがある』幻冬舎文庫。
17名の作家やエッセイスト、登山家、冒険家による山のエッセイ集。
山が好きで、山にどっぷりハマっている人も居れば、山が肌に合わず、敬遠している人も居るようで、そんな人達の様々なエッセイが味わえる。
井上荒野『どうして私はこんなところにいるのか』。井上荒野の小説は殆んど読んだことが無い。海派だという井上荒野が八ヶ岳の登山口そばの別荘地に暮らし始めた顛末が語られる。人里から離れた風光明媚な場所に暮らす良さは理解出来る。自分も田舎のポツンと一軒家に暮らしているが、近所付き合いや生活音などのストレスが無く、敷地内で何をしても近所の目が無いというのが何とも良い。
角田光代『ただ歩く』。角田光代がこれほどアクティブな作家だとは思わなかった。三十台でドロミテをトレッキングした経験を持つ角田光代はその後、登山にはハマらなかったと言う。しかし、フルマラソンからトレイルランニングにハマり、山に行くことが増えたようだ。何事もハマる切っ掛けというものがある。
穂村弘『山力がなかった』。北海道大学のワンダーフォーゲル部に入ったが、山力が無く、断念した話。山も海も向き不向きがある。自分は登山でも余り息を切らすことも無く、海で波乗りを始めても、時間は掛かったが、人波に波に乗れるようになった。カナヅチを隠して波乗りをしていた知人がボードを流されて、溺れた時には驚いた。
松永K三蔵『義弟を撃つ』。初読み作家。芥川賞受賞作家らしいが、ふざけたペンネームが嫌いだ。最後の義弟を撃つという意味が解らない。
平松洋子『比叡山とか、遠足とか、楢山節考とか』。山で経験した3つの恐怖を描いた欲張りなエッセイ。自分が大学時代に友人と初めて岩手山に登った時、その日は忘れもしない9月27日で、初冠雪の日で余りの寒さと霧に驚かされた。その年の岩手山の初冠雪は例年より10日ほど早かったようだ。
角幡唯介『猟場開拓』。冒険家の角幡唯介が北海道で新たな狩猟を開拓する様子を描いたエッセイと言うよりもノンフィクションのような作品。こういう硬質な話は嫌いではない。
石田夏穂『いざゆけ、接待登山』。初読み作家。学生時代と社会人になってからの二度の接待登山の顛末。接待登山とはなかなか面白い。自分が波乗りを趣味にしていた時代、友人と波待ち中に接待サーフィンという架空の話で盛り上がったことがある。
スズキナオ『高取山の二つの茶屋』。初読み作家。高取山にある二つの茶屋でビールを飲みながら味わった面白おかしい話。山にまで登ってビールを飲む必要があるのかと、酒を止めた自分には理解出来ぬ話。
東出昌大『山の魅力って何だ』。確か一流女優と結婚したのに不倫して離婚して、若いタレント再婚した山男気取りの俳優ではなかったか。そんなゲス俳優が、ジョージ・マロリーの言葉まで引き合いに出し、何をか言わんや。
稲垣えみ子『そこに山があるかぎり』。初読み作家。山に目覚める過程を描いた話。
小野寺史宜『箱根も山でした』。箱根をナメて痛い目を見た話。自分も一度だけ箱根に行ったことがある。その時は車で箱根路を走り、昼に焼肉を食べたという記憶がある。
長瀬ほのか『私は山で何も見つけられない』。初読み作家。何度か山と触れ合う機会があったのに山の面白さを知ることが出来なかったという話。
服部文祥『山の獲物の神様』。サバイバル登山家の服部文祥が犬と共に晩秋の山に入り、諦めていた鹿を撃ち、何とか食糧を手にするという話。角幡唯介のエッセイ同様、ノンフィクションのような作品。
古賀及子『実家の裏山』。初読み作家。ふかふかの肉まん四つを持って登山に行く話。
石川直樹『最初の山へ』。やたらと自己の登山の実績をひけらかしている感が強いエッセイ。家庭や学校から自由になるために不良仲間と山に登り、酒やタバコを楽しんだという話。
町田康『ワンダーフォーゲル部の辻褄』。お笑い芸人のようなギャグを突っ込んで、無理矢理、面白おかしくしているようなエッセイ。町田康って、こんな作家だったっけ。
唯川恵『標高4910メートルの餅バター』。ロブチェで高山病に苦しむ中、コックが作ってくれた餅バターの話。、餅バターは餅にバターを絡めた料理で、餅にバターを練り込んだ、何時までも固くならない不思議なバター餅は秋田の郷土料理である。
本体価格720円
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Posted by ブクログ
ネタバレ角田さんになんのきっかけで興味を持ったか覚えてないが、とにかく興味を持ってwikiを見たところ、この作品についての記述があった。で、どうやら角田さんが厭世的な作風だった頃の作品(そもそも今の作風がどうなのかは知らないが)ということっぽかったので、それはなんとなく共感しながら面白く読めそうだなと思って手に取った。
読んでみて思ったのは、とにかく面白いのと、リーダビリティが高い……という表現をすると微妙に違う気がするのだが読みやすい、ということ。ユーモアとペーソスがつねにうっっっすらと漂ってる感じで、すごく辛辣なことや踏み込んだことも描いているのに陰鬱になりすぎず、変に笑えるし情緒的にも読める。それから男性目線で言うと、巻末解説で石田さんも言及していたが男性描写がよい……というか、今まで読んできた女性作家のなかでは一番違和感がない。
巻末解説に言及したついでに言えば、石田さんはこの家族は壊れていると言うけれど、個人的にはどこが壊れてるんだろうと思った。こういう母娘関係とか、夫の浮気とか、娘の援交とか、わりとある話で、しかし各々がそういう屈託や秘密を抱えつつも、表面的にであれそれなりに仲良くやりすごせているのならそれはかなり充分なことなのでは?と思う。作中の表現を借りればグロテスクと言えばグロテスクなのだけれど、そもそも人は誰にも言えない秘密を抱えているものだし、それは家族にこそいっそう言えないということもあり、そのグロテスクさや家庭の底にある歪みはむしろふつうのこと。ちゃんとした人間たちがちゃんと築いているちゃんとした家庭というのがそもそも夢想的で、かなりレアケースだと思う。それが身も蓋もなく率直に描かれていることについては、厭世的というよりはたんに良い意味でバカ正直なだけなのではないかという気がした。
バカ正直といえば登場人物みんなそうで、強いて言うならこの家族がほかの家族と異なるところはそこにこそある気がする。とにかく父の役割、母の役割、娘の役割、息子の役割、あるいは大人の役割や子供の役割を演じるのであればそれは言わんだろうということを平気で表に出して言う。その意味では全員が僕と同じくらいの等身でモノローグを語り、セリフを喋ってるという感じがした。僕自身は30代だけど、どの登場人物とも目線の高さが合ってしまう感じ。個人的にはそこが一番この作品の不思議でおもしろいところだった。
一番好きだった短編はチョロQ。みんな滑稽かバカっぽいのにどこか切なくて味がある。そして「腫れ物に触るような会話しかできない」飯塚さんとのコミュニケーションに息苦しさを覚え、ミーナとの端的なやりとりに癒されるというくだりには深く共感した(実際にはミーナも内心では彼に対して辛辣な批評をくだしているわけなのだが、それでも表面的にであれ、あっけらかんと話してくれることに救われるというのはとてもわかる)。