読むのは、たぶん3回目。
単行本が出た時、「これは読みたい!」と、すぐ読んで。
文庫になった時、表紙を見て、「あー、この感じ、この感じ」と、なんだかミョーに嬉しくて、表紙目当てに買って読んだ。
中身は同じなのに2冊も買ってしまって、なんだか狐に化かされたようだw
ていうか、新潮社ぎつねに見事たぶらかされたってことなんだろう(爆)
そんな『きつねのはなし』を久しぶりに読んだのは、『怪談のテープおこし』を読んだからだ。
『怪談のテープおこし』は、いわゆる“すんごい怖い怪談”wなのだが、自分は“すんごい怖い怪談”って、すんごい怖いからこそ、逆に怖さを感じない。←なに言ってんだかわかんんねーよ(^^ゞ
だって、オバケの怖さって、それが存在するってわかった瞬間がマックスなわけじゃない?w
つまり、いるの?、いないの?、あるいは、存在するの?、しないの?と不安がどんどんつのっていって。
どうする?、どうする?、どうする?……と、嵐の前の静けさを経て、バーン!とお出ましになったソレに「バカヤロ。やっぱ、いるじゃねーか!」と、心臓が頭のてっぺんに飛び上がっちゃった時の怖さこそが最大なわけじゃん。
その後、いくらオバケがあーでもない、こーでもないしたところで、出た瞬間の怖さは絶対越えられない。
まー、三津田信三は数多の実話怪談の“作り手”と違って、その辺りは心得ているようで。
ソレがいるからいないに変わる前のグレーの段階をちゃんと引っ張ってくれるから、怪談の醍醐味であるゾクゾク感をちゃんと味わえるんだけど。
バーン!の後も引っ張る悪いクセがあるんだよね(^^ゞ
ま、ホラー・怪談業界的には、バーン!の後こそ読みたい/聞きたいとする人の方が多いから。
読者サービスという面もあるのかもしれないけどねぇーw
つまり、この『きつねのはなし』というのは、バーン!以降がない。
ちゃんとゾクゾクのニーズを満たせて、話がスパッと終わる。
個人的に、怪異な出来事というのはそういうものなんじゃないか?って思うこともあって、
そこがいいわけ。
そんなこの『きつねのはなし』には、4つのお話が入っている。
最初の「きつねのはなし」は、一番ゾクゾクくるお話。
主人公は大学生で、ナツメさんという女性が店主の古道具屋でバイトをしている。
そのお客に天城さんという、長い坂の上にある屋敷に住んでいる人がいて。
主人公は、店主に言付かって、届け物をするところから話が始まる。
店に戻った主人公は、店主のナツメさんに「天城さんはちょっと怖い感じの人ですね」と言う。
すると、ナツメさんは「そうですね」と頷いて。「本当は私が行かなければならなかった。でも、私はあの人のところに行くのが嫌なのです」と言う。
そんなナツメさんを見て、天城さんのところにはなるべく自分が行くようにしようとする主人公はある時、彼女である奈緒子の写真を天城さんに取られてしまう。
すると、奈緒子は……
みたいなお話。
2話目の「果実の中の龍」は、主人公(一話目の主人公とは別の人)と先輩、そしてその彼女をめぐる、ちょっと寂しい、でもどこか素っ惚けている青春譚。
といっても三角関係の話ではないんだけど、最近、村上春樹ばかり読んでいたせいかな?
村上春樹の小説によくある関係のようで、イメージがダブってしまう。
ていうかー、3人の関係って、『ノルウェイの森』のワタナベと永沢、ハツミの関係とほぼ同じだよね。
まぁ、永沢とくらべるとこっちの先輩は虚構を現実として生きている、かなりの変人なんだけどさw
ただ、永沢は永沢で、現実を虚構(ゲーム)としてしか生きられない人だからなぁー。
先輩の彼女である瑞穂さんと主人公の会話が意味深で面白い。
「先輩はつまらない人ではないですよ」「僕こそつまらん男ですよ」
「みんな、なぜそんなことにこだわるの。その方がよっぽどつまらない」
また、お話の最後、京都を離れることになった瑞穂さんをおくる京都駅では、タイトルになっている龍の根付けについて、瑞穂さんが、
「彼は本当に忘れてたと思う?(ネタバレになるので以下略)」と言うと。
主人公は「あり得ることです」と。
「ひどいこと、あっさり言うね」
「僕は嘘をつけない男です」
「嘘つき」
それらのシーンの、暖かみがあるユーモアの裏に隠れている寂しさがすごくいいんだよね。
なんだか「なごり雪」を思い出すんだけど、あんがい著者もそれを意識していたのかな?
てことで、3話目と4話目はハードカバー版につづく(^^ゞ