森見登美彦のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
ネタバレ結局この物語は「今ある自分の人生を生きてみろ」という話だったのではないかと思う。
「もっと別の選択をしていれば」「あのとき別の道を選んでいれば」と考えることは、いかにも前向きな反省のように見える。しかし、この小説で「私」が四畳半を無限にやり直していく姿を見ていると、可能性というものは、必ずしも人生を豊かにしてくれるわけではない、むしろ「まだ別の人生がある」と思い続けることで、目の前の人生を生きることから逃げられてしまう。
樋口師匠の「可能性を無限に使ってはいけない」という趣旨の言葉が、この小説の核心なのだと思う。
これは妙に逆説的で、だからこそ好きだ。普通なら「可能性は無限大だ。何にでもなれる」と言われる。しかし、この小説はむしろ逆で、可能性には限りを設けたほうがいいと言う。何にでもなれると思っている人間は、結局何者にもならない。何者にもなれない。だからこそただ時間を無駄にする。
「私」は、別のサークルに入れば、別の女性と出会えば、別の学生生活を選べば、もっと素晴らしい青春が待っているのではないかと考え続ける。しかし、どの四畳半へ行っても、結局そこには似たような「私」がいる。人生を変えようとしている本人が変わらないのだから、世界だけを取り替えても仕方がない。考えてみれば、かなり身も蓋もない話である。四畳半を何度引っ越しても、住人が自分なら、結局また自分である。
そして最終話の「八十日間四畳半一周」では、そのことに「私」がようやく気づく。四畳半から出られなくなったことで、逆説的に、それまで自分が見ようとしなかったものが見えてくる。自分の部屋、自分の大学、自分の友人、そして自分自身。ずっと「もっと別の何か」を探していたけれど、振り返ってみれば、すでに自分の周りには、それなりに面白いものが転がっていた。
だから最後には、物語からこんなふうに言われた気がした。「案外、今の自分も、今の環境も、捨てたもんじゃないぜ。」
これは単純な現状肯定ではないと思う。嫌なものは嫌なままでいいし、人生に不満があってもいい。ただ、存在しない理想の人生と現在の人生を比較し続けるのは、少し不公平なのだ。理想の人生は欠点がない。なぜなら、まだ存在していないからである。一方、現実の人生には退屈も失敗も気まずさもある。だから現実だけが、いつも理想に負けてしまう。けれど、人間が実際に生きられるのは、結局この欠点だらけの人生だけだ。
思い返せば自分も、自分自身の人生に「もっと別の何か」を日々どこかで考えている節がある。もっと良い別の環境、もっと別の自分。そういう「ありもしない可能性」を追いかけているうちに、今持っているものを十分に味わっていないのかもしれない。
幸せになるには、何ができるかを考えるだけではなく、何ができないのかを知ることも大切なのではないかと、樋口師匠の言葉から、そう思った。
人間は可能性を減らすことを、敗北のように考えがちだ。しかし、できないことを受け入れ、選ばなかった道を捨てるからこそ、選んだ道に集中できる。人生の意味を探し続ける必要があるのは、今が幸せではないからなのかもしれない。小さなことで満足できているとき、人は「自分の人生にはどんな意味があるのだろう」などと、わざわざ四畳半の外へ探しに行かない。
そう考えると、「可能性を無限に使ってはいけない」なる言葉は、人生を諦めろという言葉ではなく、人生をちゃんと始めるための言葉なのだと思う。
何度やり直しても同じような自分に戻ってくるなら、もう一度やり直すより、その「同じような自分」で思う存分生きてみればいい。
『四畳半神話体系』は、理想の人生を手に入れる物語ではなかった。最終的には、理想の人生を探すことをやめて、等身大の自分の人生を、案外悪くないものとして引き受ける物語だった。そしてそのほうが、ずっと難しくて、ずっと人生らしい。 -
Posted by ブクログ
森見登美彦さんの初期作品。なんだかご本人じゃないかな、と思えるような理屈っぽい小学生と、お姉さん、そしてハマモトさんというクラスの女性、ウチダくんという研究仲間。いじめてくるスズキ帝国の皇帝スズキとその仲間。ペンギンがたくさんいる、こんな変な事態からスタートする。実は、このペンギンはお姉さんがコカコーラのカンから作り出したものだ。小学校の時には、みなすごい想像力で、いろんなことを想像していた。切ないくらい悲しい事もあったけど、ケロッと忘れて冒険の旅に出る。友達と冒険する経験は、大人になる上で最も大事な事だったような気がする。本作は、子供がどんどん成長して大人になる、でもそれは勉強や本を読んで行くことだけでなく、想像力と現実との境目にある何かを追い求めることだ。素晴らしい時間を過ごしたんだと、なんだかホッとするように読み進めて行きながら、自分が小学生に戻っていく。なんとも漂うような文体は、その後の作品ではさらに先鋭化して行くのだけれど、本作はまだ柔らかくてそれが心地よい。優しいお姉さんとの距離感を理解していく過程も、すごく優しさに満ちている。いつか親は死んでしまう、という果てしない残酷な事実。
そして物語はクライマックスに向かう。ハマモトさんが見つけた海という透明ない不思議な物体の大きさと、お姉さんが元気な周期に連関性を見出し、研究を進めてきたが、スズキがリークしたことにより大人が調査に入ってしまう。ここで夢が一気に覚めてしまうように、現実になってしまう。ペンギンは海を治す、ジャバオックはペンギンを倒す、お姉さんはペンギンとジャバオックを作り出す。お姉さんは一体誰なのか、ついに少年は答えにたどり着く。不思議な出来事を、理屈っぽい少年の目を通して描いて行くことで、現実と異世界を行き来しながら、それがともに本物であること、そして大切な少年の1ページになっていることがわかる。暖かい、少年期の夢を描いた素敵な作品。 -
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昔、映画を観た。内容は忘れてしまったが、すごく好きだったことだけは、覚えている。だから、小説を読んでその時の「好き」を思い出そうと思った。
ちなみに、私は「ペンギン」が好きだ。街にいきなりペンギンが出現したら、驚くとは思うけれど、嬉しくなってしまうだろうな。「なんかよくわかんないけど、すごい!うれしい!」……少なくとも、小4の私だったらそこで終わる。だから、この現象と向き合って、大真面目に研究をしていくアオヤマ君たちは、とてつもなくかっこいいのである。
非科学的な現象VS科学の子。
どんなことでも、ノートに記録をしながらあくまで論理的に原因を探っていく姿は、大人っぽくもありながらどこまでも子どもである。そこが、とても眩しい。その輝きが、たまらなく「好き」だと思った。
こういう子たちが思いっきり冒険し、真っ直ぐ考え、のびのび生きていける世界がいいな。
映画を観た頃は少女だった私も、そんな風に思う大人になってしまったよ、少年。
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Posted by ブクログ
アニメを第2期まで完走したので再読しました。
洛中を駆け回り、面白きことは良きことなり!で突き進む毛玉一家の奇天烈なお話。
ふわふわと面白かったです。
アニメを見たばかりなので、登場人物たちの声が聞こえてきます。
主人公の矢三郎とその家族の下鴨家の状況はかなりシビアで、特に『母の恩人が、父を鍋にして食った金曜俱楽部の一員』というのはかなりつらい(父は金曜倶楽部でそのことを知り、その上で食われた)けれどそれでも家族力を合わせて生きているのがいいな。
シビアだけれど、狸なので深刻にはなれない。『阿呆の血のしからしむるところ』で済ます。
天狗の赤玉先生も弁天も暴君ですごい。岩屋山金光坊さんの穏やかさがすてき(これは声優が清川元夢さまだったということもあり爆加点)
途中もてんやわんやですが、最終章「有頂天家族」の、金曜倶楽部の忘年会?の一夜のハチャメチャぶりが楽しくて仕方ありませんでした。カオスな動物王国。
矢二郎の偽叡山電車だいすき。
このテンションとごちゃごちゃぶりが再現されていたアニメ、すごかったんだなぁ。
アニメももちろん楽しく観ました。京都の街中描写も美麗で緻密でした。
2巻も読みます。「二代目の帰朝」は読むの初めてだ。 -
Posted by ブクログ
あ〜あ
人生が5回くらいあったらいいのになあ!
そしたらあたし
5回とも違う町に生まれて
5回とも違うものをお腹いっぱい食べて
5回とも違う仕事して・・・
それで5回とも・・・同じ人を好きになる
久保帯人.BLEACH.237話.井上織姫
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・・・ただし、腐れ縁の悪友もセットである。
あの時の「もしも」を題材とし、異なる世界に夢を馳せる。もしあの時、違う選択肢をとっていたら私は薔薇色の大学生活を送っていたに違いないと。もしもの世界が四畳半を通してつながる。そんなおはなし。
さて、本作はパラレルワールドを題材とした作品である。主人公は冴えない大学生である。取得単位は恐るべき低空飛行を記録し、黒髪の乙女とも恋仲になれず、失せ物も見つからず、待ち人も来ない。あるのは腐れ縁の悪友とくたびれた四畳半のみ。これはどの世界線の主人公でも共通である。違うのは入学してすぐに、如何なる立場を選択したかである。映画サークルに入るか、謎の人物に弟子入りするか、ソフトボールサークルに入るか、秘密機関の構成員となるか。過程は異なるが、いずれも辿り着く結果は同じである。悪友とは切っても切れない仲となり、占い師に予言され、明石さんと出会う。運命とはまさしくこの男のための言葉である。ロマンはない。しかし、面白い。
さて、本作は森見登美彦ワールド全開である。正確には後続の作品における下敷きとなった作品である。樋口氏や羽貫氏は夜は短し歩けよ乙女に出演するし、四畳半タイムブルースは登場人物たちがメインキャストとして登場する。そして何より、主人公がどうしようもないほど冴えない大学生である。夜は短し歩けよ乙女を読んだ時に、「あれ?この人四畳半の主人公では?」となったりするが、ある種のカメオ出演的要素であり、同一人物ではない。というか森見登美彦の型がはっきりしており、その型に忠実に作品作りをしているということだ。二作目でその雛形ができているあたり、早咲きの天才と言える。