森見登美彦のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
ネタバレ主人公・守田一郎が京都から能登の研究所に飛ばされ、そこから色んな人に手紙を送る話。
送る人によって内容も様々で、男友達の恋愛相談に乗り猥雑な話をしたり、強い女性の先輩(魔王?)と一連の攻防を繰り広げたり、著者本人とダメ出しや恋文の相談をしたりと手紙を読むのが面白い。
これだけ色んな人に文通をしても、肝心の自分の想い人への恋文は失敗続き…
その気持ち、よく分かります。
男友達には、偉そうに高説を述べるが自分のこととなると勇気が出ず、言葉や知識を弄するも上手くいかない。恋って、片思いって難しいなと思った。
最後には、想い人への恋文を認めることができたようで、その後のふたりにサチアレ
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Posted by ブクログ
小説かなって思ったら、エッセイでした。
好きなものを考えて、真っ先に「美女」と書けるその潔さがすごい。でも確かに森見先生の小説にはいつだって美女が登場しているし、その美女を追う男たちがたくさん出現しているので、そう思うと自然ですね。
そして本作のメインである竹林ですが、全編通して先生の竹林愛がすごく詰まっている内容でした。まず先生が竹林を研究していたことも初めて知ったのと、ここまで竹林好きというのも知りませんでした。けれどそれを受けて思い返すと、先生の著作はどこか竹林が似合うというか、竹林が背景に浮かぶような雰囲気が漂っているなーと思いました。
森見先生のエッセイって初めて読んだのですが、小説とほぼ変わりないというか、いい意味でギャップゼロでした。
己に対する卑屈さや、時折挟まる脳内劇場などは先生が書かれる物語のキャラクターそのもので、「あぁこの人の頭の中は誠に常日頃からこんな感じなんだろうな」となりました。
急に思考が奇天烈になることは誰でもある気はしますが、それをここまで明瞭に書けるというのが、やっぱり小説家の才能なんだなー。
およそ全く撮れ高(書き高?)のなさそうな竹林伐採記録も、文才があれば一冊の本になるのですね笑
半分くらい無い話をしていた気もするけれど、むしろそっちの方が森見ワールドが発揮されていて面白かったです。
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Posted by ブクログ
おもしろかった。
終わり方と、節々に出てくるユーモラスな文章が好きだ。(京都タワーは京都のジョニーとか)
はじまりの方は割と危なっかしい感じを覚えながら読んでいたが、読み進めるにつれ惹き込まれ、
最後にはなんとも言えぬ情緒と余韻が残る。
どんなに考えても、この物語の結末がわからない。
こうも読めるし、ああも読める。
読者の判断に任せているような気もする。
「結局自分がどう読みたいのか」で読めばいいんじゃないかと思った。
かなり文学性が高い要素が多く、ちゃんと読もうとすると、何度か読み返して、いくらか考えなければならなそうだ。
例えば、「太陽の塔」や「夢」、「ええじゃないか」、そして最後の結末の謎なども含めて、すべてを総合して考える必要がありそうだ。
難しい。しかしその分魅力的でもあった。
内容に踏み込んでちょっと自分なりに考えてみる。
ここからは大胆なネタバレも厭わない。
神経質な未読者は退散すべし。
「太陽の塔」は何を意味するのか。
「太陽の塔」は、この地球では生まれてそうもない「宇宙の遺物」だ、などのように「私」に捉えられる。そして「私」の元カノの水尾さんはこの「太陽の塔」にどんどん惹き込まれて行く。「私」も「太陽の塔」の存在感、偉大さについては認めている。そして途中、「私」と、水尾さんを狙う他の男・遠藤が彷徨いこむ、「水尾さんの夢の世界」の舞台も、「太陽の塔」聳え立つ万博公園である。
思うに、この「太陽の塔」は「人間には敵わないモノ」を象徴する、「超越的な何か」であり、これを前にしては、人はどうこうできるものではない。
水尾さんのような乙女はこれを最高に魅力的なモノと認識し、完全に惹き込まれる。
そして水尾さんが「太陽の塔」に惹かれるのを、「私」や遠藤は動揺して周りをウロウロすることしかできない。そして「私」は、水尾さんが「太陽の塔」に惹かれるのを、これにはさすがに自分も敵わない、とちょっと諦めているところがある。これはラストのシーン・「私」の水尾さんに対する失恋(と私は解している)のところにも繋がる。とにかく、「私」は水尾さんへの思いをずっと諦めきれないでいるが、「太陽の塔」を前には「敵わない」と思ってしまう。
水尾さんの「夢」に迷い込む「私」と遠藤。
夢の世界にまで「太陽の塔」が現れるのは、「太陽の塔」が水尾さんにとっての憧れであるだけでなく、「太陽の塔」が「現実」世界のものでない、非現実的存在物であることの「しるし」ではないか。
「私」と遠藤は、水尾さんの夢に迷い込むも、どうすることもできない。ただ「太陽の塔」だけが水尾さんにとって別格の存在であることを思い知るだけだ。「私」は夢の中で水尾さんへの思いを諦め始め、目の前の遠藤に後を託し、ライバルに恋のエールを送り始める。付き合っていた頃から水尾さんの「太陽の塔」への思いを見てきた「私」は、「太陽の塔」を前には無力なのだ。
クリスマスイブ、彼女なしの男どもによる四条河原町での「ええじゃないか」騒動。
飾磨が発端としてはじまり、「私」もそれに乗ずるが、「ええじゃないか」「ええじゃないか」の波の中に消えゆく水尾さんを見て、「私」は諦めきれない自分の気持ちを直視する。水尾さんを追いかけるも見失い、追いつかれた飾磨に「ええじゃないか」と言われた「私」は、「ええわけない」と拒絶する。騒動をはじめた張本人の飾磨も「ええわけないわな」と同調する。(飾磨も、物語の途中、「いい加減早く幸せになりたい」気持ちを吐露する。「私」には「聞かなかったことにしてくれ」と言うのだが。)
「ええじゃないか」という言葉は、男たちの諦観だ。
本音を言えば、この現実に満足してるわけはない。
でも、「(今のままでも)ええじゃないか」と言うことでしか、自分を、《今》を認められない。
しかし、大勢を巻き込んで、「ええじゃないか」「ええじゃないか」の言葉が乱発されることで、「(今のままでも)まあいいか」と言う気持ちは強まるばかりか、「このままでええわけない」という本音を強く意識する。それは、飾磨も、「私」も同じだった。
そして飾磨は現実へと帰り、「私」は水尾さんのもとへ急ぐ。そこには、「太陽の塔」が描写されるラストシーンがあった。
解釈の別れるラストシーン。
「ええじゃないか」騒動から抜け出し、水尾さんを追ってきた「私」は、どうやら再び水尾さんに思いを伝えたようである。しかしその描写は、ぼかされ、代わりに描かれたのは、「太陽の塔」の下にいた彼女のもとに、歩み寄る「私」であった。そして、物語は、「大方読者の想像通り」であると告げられて幕を閉じる。一読者としての私の感想としては、「想像通り」なんてとんでもない。結末は全く想像つかなかった。そして、考えれば考えるほど、「復縁」を読もうと思えば読めるし、「失恋」を読もうと思えば読める終わりだ。
しかし、今まで考えてきたことを踏まえて、
私はこの物語の結末を、「失恋」として読みたい。
何度も言うように、「私」が水尾さんに再び思いを告げる時、その代替として選ばれた描写には、「太陽の塔」がいた。今まで見てきた「太陽の塔」の象徴を考えれば、この告白の結果は「敵わない現実」を暗示しているのだろう。そして「私」は「太陽の塔」を前に、自惚れていた自分を認め、「敵わない存在」を知る。そして、この失恋を通して「私」は少しだけ大人になるのだろう。これがこの物語の結末である。
また、「私」が本当に再び水尾さんと結ばれようと思って、再び思いを告げたのかはわからないところがある。「私」は水尾さんと「太陽の塔」を前に、何度も諦観を感じていたし、どこか自分には敵わないことがあることを自覚していた。
では「私」は何がしたかったのか。
「失恋のやり直し」だ。
もう一度、「別れのやり直し」をしたかったのだ。
「私」は、水尾さんと別れたとき、部屋できちんと話し合って、握手をして、さっぱり別れた。でもこれは、「私」が彼女に対して縋り付くのはみっともないという思い、こういう時は男児たるもの堂々とするべきだという思いからの、「気取った」態度だった。「私」は、「本音」で話せてなかったのだ。この別れのとき、水尾さんへの「私」の思いを、きちんと話してはいなかった。
「私」がやり直したかったのは、
その「別れのやり直し」だったのではないか。
もう一度、「振られ直す」ことだったのではないか。
そして、「私」と水尾さんの最初の別れのシーンは、物語のラストシーン、「私」が水尾さんに歩み寄るシーンで、再び回想される。「私」としても、水尾さんに歩み寄りながら、「心残りの記憶」として思い出しているのではあるまいか。
そして物語は、物語の冒頭の言葉を回収する形で、完全に幕を閉じる。
冒頭からラストにかけて。
「何かしらの点で、彼らは根本的に間違っている。なぜなら、私が間違っているはずがないからだ。」
「何かしらの点で、彼らは根本的に間違っている。
そして、まあ、おそらく私も間違っている。」
このように、最後の一文が綺麗に変わる。
この変化は、「私」が再び水尾さんに振られることでしかありえないのではないか、と思う。
「私」は、きちんと水尾さんに向き合わずに別れてしまい、自分の間違いには気づけなかった。それどころか、水尾さんに執着し、ストーカーにさえなってしまった。
「私」は、水尾さんに再び振られ直したことで、ようやく自分の間違いを認められるようになる。彼女を尊敬するからこそ、「彼女が偉大な私を軽んじた」という傲慢な考え方は、捨てる。そして、「私」は、普通の人と同じように、「太陽の塔」を前にして、ある意味身の丈を知り、平凡に間違いを犯す人間のあり方を、自分のあり方として認める。
この「精神的成長」こそが、「私」が失恋という結末を通して、そして「太陽の塔」という教師から、得たものなのだと思う。
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Posted by ブクログ
ネタバレたまにある森見登美彦の森見登美彦感を極限まで抑えた美文の大海原で展開だけ大森見登美彦ワールドが炸裂してるハチャメチャ森見登美彦ファンタジー、最高すぎる。
めちゃくちゃやってんのに文章うますぎるから考えようとしなくても情景が全部イメージできて楽しかった。
とはいえごめんやけど展開がジェットコースターすぎて一周じゃ雰囲気しか掴みきれない。でもこの散々あっちこっち連れ回されて理屈とかリアリティとか考えたほうが負けみたいな世界観で広げるだけ風呂敷広げて最後しんみり締めてく感じ、乙女とか四畳半もそうだけどこの収束からでしか得られない快感ある気がしてるから雰囲気が掴めればいいかとも思う。
ていうか一章終わりの盛り上がりたるや、ミュージカルだったら絶対このあとタイトル入ってオープニング始まるくらいの雰囲気あってよかった。ただ一行の文章だけでミュージカルの風を感じさせる筆力、いいねが押せたらここで100回くらい押してた。
森見登美彦の文章力って本当にラブだよ。
あとつい最近きつねのはなしを読んで太陽の塔を挫折してたから意図せずして読み順天才になってしまった。内容ほとんど覚えてなかったけど乙女四畳半有頂天界隈の寿老人みたいな感じじゃなくて完全に同一人物だったから一瞬動揺した。
森見登美彦ってこの世界観で実はシェアードユニバースなの意味わかんなくて好。全員同じトンデモ京都に住んでるのおもろすぎんだろ。なんでそうしようと思ったのか知りたいよ。 -
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ネタバレ森見登美彦が好きなのでその眼鏡もかかっています。
デビュー作でありながらちゃんと森見節で好きだった。小難しい言葉をこねくり回して高尚なことを言っているように見える偏屈な人達。でも話し言葉は普通で、そこがなんとも人間臭い感じがする森見作品の主人公たち。
この主人公は研究とか言いながら元カノのストーカーしている。
でも、終盤、遠藤のメールを後押ししてしまったり、ええじゃないか騒動の中で水尾さんの姿を追いかけてしまったり、水尾さんに振られた日のこと、そして付き合っていた頃の愛おしい彼女の姿を書き連ねたり。きっと彼なりに彼女を愛していたのだろうな、とも。
飛び切り阿呆ででもじんわりほろ苦いのが良かった。
飾磨を始めとした友人たちも幸せになって欲しい。
海老塚先輩の未練を吹っ切ったような姿が清々しかった。
ラストシーン、復縁を願う自分と未練を断ち切って欲しい自分がいる。
卑屈で阿呆で愛すべき彼らに幸福を、と願わずにはいられない作品だった。 -
Posted by ブクログ
編集後期で森見さんが「太宰治にも奇想天外で愉快な作品があるよ、ということを、とくに若い読者に知らせる本である」と書いている。私も中期の明るめ太宰が好きなので、森見さんと同意見!
『カチカチ山』『畜犬談』あたりは学生時代から好きなので殿堂入りとして、自分をさむらいに例えだす『佐渡』、黄村先生へのツッコミが冴え渡る『黄村先生言行録』が今回特に面白く感じた。
『新釈諸国噺』からの3編の、読点だけで続けて延々と書く独特のリズムとか、『走れメロス』の激情に任せて書き綴られたような熱い文章もいい。太宰の文章って、こっちを乗せて高揚していくような熱狂があると思う。
『人間失格』で太宰は好きじゃないわ、と思った人にこそ読んでほしい1冊。 -
Posted by ブクログ
「四畳半神話大系」の続編。
「四畳半神話大系」と舞台「サマータイムマシン・ブルース」のコラボなんですね。
「サマータイムマシン・ブルース」は映画にもなっているようだったので、読む前に観てみようと思ったのですが、私が加入しているサブスクでは配信されておらず残念でした(。•́•̀。)
結果「サマータイムマシン・ブルース」を知らなくてもすごく楽しめた。
むしろ「四畳半神話大系」しか知らなかったことで、シリーズ特有の語り口、テーマの割には哲学的になりすぎない軽やかさ、割とどうでもいいことに全力な登場人物たち(褒めてる)にハマってた気がする。
前作から引き続き使われている技法?が正当な理由をつけられて、作中で堂々と述べられていたことには思わず笑ってしまった(。°ˊᗜˋ)
物語の中に出てくる様々な謎が、タイムトラベルものならではの解決方法で解き明かされていく場面がすごく面白かったし、ラストの展開が胸熱だった。
未来を決めているのは「過去の一点」ではなく、その時その時の自分の姿勢や選択なんだなぁと改めて思った。
後悔のないように、自分の気持ちに正直に生きていこうと思った(⁎ᴗ͈ˬᴗ͈⁎)
機会があれば映画も観てみたいです♪ -
Posted by ブクログ
ネタバレ夜行が好きすぎて、森見登美彦ホラー3作品のうちの1つであるこの話を待望していました。年末に時間ある時に読めてよかった。
まるで万華鏡が創り出す、幻想的で、どこか懐かしくて淡く寂しい、その中に自分が取り残されたような気持ちになりました。無限に続く宵山の世界、幾人にも増える赤い着物を着た女の子たちはまさに万華鏡が作り出す世界をよく体現していたなって思いました。(休日なら同じ毎日を繰り返してもいいかも笑)
ギャグテイストの方向で書かれていた「宵山劇場」も実はこの話全体にしっかりと関係していたのがあとになって分かって驚きでした。「偽祇園祭」を企画した乙川の目的はただの悪ふざけじゃなくて、意外にしっかりとしていたんじゃないかなって思いました。ぶっ飛びお姉さん山田川作の金魚鉾も舞妓も大坊主も何故か宵山世界にしっかり反映されてましたしね。
「柳画廊」は夜行でも熱帯でも度々出てきたけれど今回も出てきてくれました。杵塚商会の乙川とかいう謎多きこの男は今後別の作品にも出てきてくれることを願っています。
いつか祇園祭へ行ってみたくなりました。連れて行かれないように手はしっかり握ってないといけないですけどね。