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私の大学生活には華がない。特に女性とは絶望的に縁がない。三回生の時、水尾さんという恋人ができた。毎日が愉快だった。しかし水尾さんはあろうことか、この私を振ったのであった! クリスマスの嵐が吹き荒れる京の都、巨大な妄想力の他に何も持たぬ男が無闇に疾走する。失恋を経験したすべての男たちとこれから失恋する予定の人に捧ぐ、日本ファンタジーノベル大賞受賞作。
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Posted by ブクログ
おもしろかった。 終わり方と、節々に出てくるユーモラスな文章が好きだ。(京都タワーは京都のジョニーとか) はじまりの方は割と危なっかしい感じを覚えながら読んでいたが、読み進めるにつれ惹き込まれ、 最後にはなんとも言えぬ情緒と余韻が残る。 どんなに考えても、この物語の結末がわからない。 こうも読め...続きを読むるし、ああも読める。 読者の判断に任せているような気もする。 「結局自分がどう読みたいのか」で読めばいいんじゃないかと思った。 かなり文学性が高い要素が多く、ちゃんと読もうとすると、何度か読み返して、いくらか考えなければならなそうだ。 例えば、「太陽の塔」や「夢」、「ええじゃないか」、そして最後の結末の謎なども含めて、すべてを総合して考える必要がありそうだ。 難しい。しかしその分魅力的でもあった。 内容に踏み込んでちょっと自分なりに考えてみる。 ここからは大胆なネタバレも厭わない。 神経質な未読者は退散すべし。 「太陽の塔」は何を意味するのか。 「太陽の塔」は、この地球では生まれてそうもない「宇宙の遺物」だ、などのように「私」に捉えられる。そして「私」の元カノの水尾さんはこの「太陽の塔」にどんどん惹き込まれて行く。「私」も「太陽の塔」の存在感、偉大さについては認めている。そして途中、「私」と、水尾さんを狙う他の男・遠藤が彷徨いこむ、「水尾さんの夢の世界」の舞台も、「太陽の塔」聳え立つ万博公園である。 思うに、この「太陽の塔」は「人間には敵わないモノ」を象徴する、「超越的な何か」であり、これを前にしては、人はどうこうできるものではない。 水尾さんのような乙女はこれを最高に魅力的なモノと認識し、完全に惹き込まれる。 そして水尾さんが「太陽の塔」に惹かれるのを、「私」や遠藤は動揺して周りをウロウロすることしかできない。そして「私」は、水尾さんが「太陽の塔」に惹かれるのを、これにはさすがに自分も敵わない、とちょっと諦めているところがある。これはラストのシーン・「私」の水尾さんに対する失恋(と私は解している)のところにも繋がる。とにかく、「私」は水尾さんへの思いをずっと諦めきれないでいるが、「太陽の塔」を前には「敵わない」と思ってしまう。 水尾さんの「夢」に迷い込む「私」と遠藤。 夢の世界にまで「太陽の塔」が現れるのは、「太陽の塔」が水尾さんにとっての憧れであるだけでなく、「太陽の塔」が「現実」世界のものでない、非現実的存在物であることの「しるし」ではないか。 「私」と遠藤は、水尾さんの夢に迷い込むも、どうすることもできない。ただ「太陽の塔」だけが水尾さんにとって別格の存在であることを思い知るだけだ。「私」は夢の中で水尾さんへの思いを諦め始め、目の前の遠藤に後を託し、ライバルに恋のエールを送り始める。付き合っていた頃から水尾さんの「太陽の塔」への思いを見てきた「私」は、「太陽の塔」を前には無力なのだ。 クリスマスイブ、彼女なしの男どもによる四条河原町での「ええじゃないか」騒動。 飾磨が発端としてはじまり、「私」もそれに乗ずるが、「ええじゃないか」「ええじゃないか」の波の中に消えゆく水尾さんを見て、「私」は諦めきれない自分の気持ちを直視する。水尾さんを追いかけるも見失い、追いつかれた飾磨に「ええじゃないか」と言われた「私」は、「ええわけない」と拒絶する。騒動をはじめた張本人の飾磨も「ええわけないわな」と同調する。(飾磨も、物語の途中、「いい加減早く幸せになりたい」気持ちを吐露する。「私」には「聞かなかったことにしてくれ」と言うのだが。) 「ええじゃないか」という言葉は、男たちの諦観だ。 本音を言えば、この現実に満足してるわけはない。 でも、「(今のままでも)ええじゃないか」と言うことでしか、自分を、《今》を認められない。 しかし、大勢を巻き込んで、「ええじゃないか」「ええじゃないか」の言葉が乱発されることで、「(今のままでも)まあいいか」と言う気持ちは強まるばかりか、「このままでええわけない」という本音を強く意識する。それは、飾磨も、「私」も同じだった。 そして飾磨は現実へと帰り、「私」は水尾さんのもとへ急ぐ。そこには、「太陽の塔」が描写されるラストシーンがあった。 解釈の別れるラストシーン。 「ええじゃないか」騒動から抜け出し、水尾さんを追ってきた「私」は、どうやら再び水尾さんに思いを伝えたようである。しかしその描写は、ぼかされ、代わりに描かれたのは、「太陽の塔」の下にいた彼女のもとに、歩み寄る「私」であった。そして、物語は、「大方読者の想像通り」であると告げられて幕を閉じる。一読者としての私の感想としては、「想像通り」なんてとんでもない。結末は全く想像つかなかった。そして、考えれば考えるほど、「復縁」を読もうと思えば読めるし、「失恋」を読もうと思えば読める終わりだ。 しかし、今まで考えてきたことを踏まえて、 私はこの物語の結末を、「失恋」として読みたい。 何度も言うように、「私」が水尾さんに再び思いを告げる時、その代替として選ばれた描写には、「太陽の塔」がいた。今まで見てきた「太陽の塔」の象徴を考えれば、この告白の結果は「敵わない現実」を暗示しているのだろう。そして「私」は「太陽の塔」を前に、自惚れていた自分を認め、「敵わない存在」を知る。そして、この失恋を通して「私」は少しだけ大人になるのだろう。これがこの物語の結末である。 また、「私」が本当に再び水尾さんと結ばれようと思って、再び思いを告げたのかはわからないところがある。「私」は水尾さんと「太陽の塔」を前に、何度も諦観を感じていたし、どこか自分には敵わないことがあることを自覚していた。 では「私」は何がしたかったのか。 「失恋のやり直し」だ。 もう一度、「別れのやり直し」をしたかったのだ。 「私」は、水尾さんと別れたとき、部屋できちんと話し合って、握手をして、さっぱり別れた。でもこれは、「私」が彼女に対して縋り付くのはみっともないという思い、こういう時は男児たるもの堂々とするべきだという思いからの、「気取った」態度だった。「私」は、「本音」で話せてなかったのだ。この別れのとき、水尾さんへの「私」の思いを、きちんと話してはいなかった。 「私」がやり直したかったのは、 その「別れのやり直し」だったのではないか。 もう一度、「振られ直す」ことだったのではないか。 そして、「私」と水尾さんの最初の別れのシーンは、物語のラストシーン、「私」が水尾さんに歩み寄るシーンで、再び回想される。「私」としても、水尾さんに歩み寄りながら、「心残りの記憶」として思い出しているのではあるまいか。 そして物語は、物語の冒頭の言葉を回収する形で、完全に幕を閉じる。 冒頭からラストにかけて。 「何かしらの点で、彼らは根本的に間違っている。なぜなら、私が間違っているはずがないからだ。」 「何かしらの点で、彼らは根本的に間違っている。 そして、まあ、おそらく私も間違っている。」 このように、最後の一文が綺麗に変わる。 この変化は、「私」が再び水尾さんに振られることでしかありえないのではないか、と思う。 「私」は、きちんと水尾さんに向き合わずに別れてしまい、自分の間違いには気づけなかった。それどころか、水尾さんに執着し、ストーカーにさえなってしまった。 「私」は、水尾さんに再び振られ直したことで、ようやく自分の間違いを認められるようになる。彼女を尊敬するからこそ、「彼女が偉大な私を軽んじた」という傲慢な考え方は、捨てる。そして、「私」は、普通の人と同じように、「太陽の塔」を前にして、ある意味身の丈を知り、平凡に間違いを犯す人間のあり方を、自分のあり方として認める。 この「精神的成長」こそが、「私」が失恋という結末を通して、そして「太陽の塔」という教師から、得たものなのだと思う。
愛おしい、、なんなんだこいつらわ。学生時代に叡山電鉄お世話になってたし元田中に友達が下宿してて溜まり場にしてたし、全部が自分たちのクソみたいな青春とピッタリと重なる。ここまで稲中を文学的に変換出来るのかと感動すら覚えた。オールタイムフェイバリット認定。
敬愛する森見登美彦さんのデビュー作ということで心を弾ませながら読み始めた。言葉が踊り、妄想が暴走し、へもい(イケてないんだけれど愛らしくて憎めないという意味)青春が太陽の塔のように聳え立ち、安定に期待を裏切らない面白さ。読後得るものは特に何もないけれど、その無意義さが本当に大好き!
森見登美彦デビュー作。 あとがきで本上まなみさんが「へもい」という表現をしてくれていて、まさしく森見登美彦作品の主人公で登場する大学生は総じて「へもい」なと思いました! 愛だの恋だのを頑として認めず、戦わなくてもいいのでは?という相手と死闘を繰り広げる愛すべき主人公。 読み終わるとなんだかほっ...続きを読むこり、そして何故か少し切ない気持ちにもなりました。
森見先生デビュー作。地味でもなんだか楽しそうな日常。圧巻の「ええじゃないか騒動」。最後の数ページのほろ苦い恋の思い出と締め括りは最高でした。 高い志と旺盛な妄想力とガラスのハートを併せ持つちょい残念な京都の学生達。すべてはここから始まったんですね。 〈心に残った言葉〉 "幸福が有限の資...続きを読む源だとすれば、君の不幸は余剰を一つ産み出した。その分は勿論、俺が頂く。"
愛すべき阿保ども
森見さんの著書、好きです。 森見さんの書く『阿保』は『アホ』ではなく『あほう』と読みたい。
世の中のほとんどは妄想でできているという言葉をそのまま表したような本だった。 イケてない男子大学生の頭の中を覗いているような感じ。京都の街並みとマッチした世界観で自分が大学生に戻ったような感覚だった。
こんな大学生活楽しそうだなあと思った。 高校生みたいな男っ気勝りの男達が恋愛に対してもやもやしながら、向き合っていく姿が面白かった。 もっと上手くやれよ思うけど、自分もこんな感じかもしれない。 男の性欲ってこんな感じよなぁと思いつつ読んでた。 作者の独特な比喩が良かった。
難しい言葉たくさん出てくるけど、それでもページをめくる手が止まらなくなる本。 ユーモアたっぷりで大好き。
大阪が舞台かと思いきや、中心なのはやっぱり京都。この物語も捻くれた男子大学生が主人公で、これこれ!と嬉しかったです。 偶々だったんですが、ちょうどクリスマスの時期の内容でした。クリスマスは恋人のいない私たちにとっては憎き日。その日が近づくにつれ恨めしくなる主人公たち。当日に起こしたええじゃないか...続きを読む騒動。 仲間に入れて欲しいような、入れて欲しくないような。私にとっては似たもの同士、居心地の良い登場人物達です。 主人公と水尾さんの今後の関係も気になります。
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太陽の塔(新潮文庫)
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森見登美彦
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