あらすじ
「知り合いから妙なケモノをもらってね」籠の中で何かが身じろぎする気配がした。古道具店の主から風呂敷包みを託された青年が訪れた、奇妙な屋敷。彼はそこで魔に魅入られたのか(表題作)。通夜の後、男たちの酒宴が始まった。やがて先代より預かったという“家宝”を持った女が現れて(「水神」)。闇に蟠るもの、おまえの名は? 底知れぬ謎を秘めた古都を舞台に描く、漆黒の作品集。
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京都を舞台とした独特の不思議な雰囲気がとても私好み。霊なのか物の怪なのかよく分からないナニかが最後までわからないけど、そのせいでより物語に引き込まれる。何度も読み返しては世界観に浸っています。
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17年ぶりの再読。4つの異なるお話で構成されていますが、謎めいた骨董屋や不気味なケモノなど、ゆるやかにつながりが垣間見えます。読み進めるほどになかなか目覚められない悪い夢のよう。話があちらこちらとゆらゆら行き交ってお腹の奥のほうがザワザワしてくる怖さ。しかし端正な文体で紡がれる京都の情景が妙に生々しくて美しく、これもまた名作なのだと思います。
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少し薄気味悪くて、でもなんだなんだと覗きたくなるようなお話が四つ。
こちらがぞわぞわするような文体がよかった。
それぞれのお話が繋がりそうで繋がらない。それもまたぞわぞわを誘った。
妖なお話。
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「水神」に最も惹かれる。高祖父から続く疏水脇の家の秘密。再読時にこの屋敷の年代記と間取りを書き留めながら読んでみた。この作業も面白かった。建物の間取り(構造)が物語に重要な役割を果たしている作品が、筒井康隆にもあったような記憶があるが、タイトルを失念してしまった。
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森見登美彦作品の中では「夜行」と同じジャンルになると思うが、よりじとっとした雰囲気がある。
短編をまとめた様な話だが、それぞれの話の繋がりを匂わせる場面も多くて面白い。こういうのに弱い。
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毎年、暑くなり始める初夏のタイミングに読みたくなる、そして実際に毎年読んでいる作品です。
実際に四条通りや河原町通りの喧騒から一本裏通りに入っただけで、急に誰もいない、どこかに迷い込んだような錯覚に陥ることがあり、営業しているのかどうか一見して分からないような古い店を見つけると、いつも本作品を思い出します。
京都を舞台にした学生街ならではの青春小説などもたくさんありますが、こっち寄り(どっち?)の話が実は京都の本質なのではないかと思います。
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「きつねのはなし」京都の古道具を舞台に不思議な雰囲気の短編。『xxx HOLiC』の世界観のようだった。願いを叶えるためには対価が必要なことだったり、その対価のための対価が膨れ上がって行ったりと。狐に摘まれているような話だった。
「果実の中の龍」物語の中の物語に沈んでいく先輩の話。他人の物語のはずなのにさも自分の体験であったかのように語っていたことにより、自分の体験であると言う錯覚に陥ってしまった話。想像や妄想と現実の区別がつかなくなってしまうのは苦しいことだろう。その区切りの意味で、先輩は別れを受け入れたのかもしれない。
「魔」魔が刺すとはこのことなのか、と。この人さっきまで相談にも乗ってくれる良い人だったのに。
「水神」水にまつわる不思議な話。水に守られ、水に呪われたようにも読める家族の作品な気がした。古道具屋が持ってきた家宝も不思議を呼び面白かった。
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森見さんの作品を初めて読んだ。
「正体が分かりそうで、最後まで分からない」ところが魅力的だった。
読み始めたとき、怖いというより、まず「懐かしい」と感じた。
物語に出てくる古い家や薄暗い部屋の描写は、子どもの頃に行った両親の実家や親戚の家を思い出した。
昔の田舎の家はどこか似た造りをしていて、トイレは家の端の暗いところにあるから怖く感じたし、雨の日には床や木のサッシが湿気を含んで色濃くなり、雨音が響いていつもより寂しい雰囲気に感じた。
大人になった今なら、暗くてよく見えないから怖かったのだとか、人は暗闇で不安になりやすいのだとか、いくらでも怖く感じる理由をつけられる。
でも子どもの頃に感じていた「怖さ」には、それだけでは説明しきれないものもあったように思う。それは必ずしも霊的なものではなくて、自分でもうまく言葉にできなかった寂しさや不安のようなもの。
例えば、おばあちゃんちで一人でトイレに行くのが怖かったのも、本当は、大勢の親戚の中で過ごす戸惑いや、親に甘えたいのに構ってもらえない寂しさを、「怖い」という気持ちに置き換えていたのかもしれない。
この本を読んでいると、子どもの頃の「怖い」という感覚が、今までとはまったく別のものに思えてきたので不思議だった。
そして、「よく分からない」という感覚が、物語を読んでいる間、ずっと続いた。
四つの話をすべて読み終えても、結局何が起きていたのか、よく分からなかった。
胴の長い不気味なケモノも、人と人とのつながりも、どこまでが現実で、どこからが怪異なのかも曖昧なまま。その正体が分かりそうになるたびに、また分からなくなる。という繰り返しだった。
でも、「最後まで分からない」ことこそが、この本の面白さなのだろうと感じたし、これって人生と同じでは?とも感じた。
今の世の中は、分からないことがあっても、すぐに正解や、自分なりに納得できる答えを探すことができる。そんな中で、この本にある「曖昧さ」や、「分からないことは分からないまま」という感覚は、なんだか懐かしく思えた。
また、全体を通して怪異そのものよりも、人間同士の細かな駆け引きが気になった。
最初の「きつねのはなし」では、物々交換のように物が人から人へ渡っていくけれど、それは単純な交換ではなく、「断ると角が立つ」とか「相手が何を望んでいるのかを探る」とか、遠慮や欲、貸し借りのような、人間の複雑な感情が絡んでいるように思えた。
先輩が主人公の顔をケモノのように見えたと言ったあと、二人があからさまに会わなくなっていく場面も印象に残った。
本当にケモノが見えたのか、それとも別の意味があったのかは分からない。でも、一度誰かをそれまでとは違うものとして見てしまうと、人間関係そのものが変わってしまうことはある。
妖怪や怪異の話なのに、読み終わってみると、「こわい」と感じる正体だったり、人間の心の動きのほうが印象に残る、不思議な本だった。
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ホラーなのだが、とにかく京都で学生生活を過ごした人が何となく羨ましくなる。
それぞれの話につながっていないようで、芳蓮堂など繋がりを微妙に感じさせるところも良い。
果実の中の龍の先輩とか本当にいそうだなあと思ってしまう。
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森見登美彦の霊圧ゼロで読みやすかった。
でも森見登美彦の霊圧ゼロなことに動揺してて内容理解度もほぼゼロ。森見登美彦の文章が好きなのでそれでもよい。沁みた。
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森見登美彦さんらしい、ちょっとざわざわするようなヒヤッとするような怪しい短編集です
芳蓮堂やナツメさん、道場や、お寺など、共通の場所や人たちが出てきます
そして、いやに胴が長いケモノ、狐面。
最初の きつねのはなし がとても怪しくどきどきしながら読みました。
渡してはいけないもの
取引してはいけないこと
が出てくるのはまさに 京都奇譚集ですね
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どこかふざけておちゃらけている森見節が鳴りを潜めている作品。
不気味で不思議な、ホラーとも言える物語。
正直あまり期待してなかったのだけど、思ったよりも面白かった。
全4篇の作品集で、それぞれ語り手は違うのだけど、どこか繋がっているようないないような不可思議さ。
最初の「きつねのはなし」が一番面白かったし怖かった。
どの話も読み終わってなんだかもやもや、疑問の残る感じ。でもそれが不快ではなくて、こういう読み心地は初めてかもしれない。
読み終わってすぐにまた最初のページに戻って読み返すと、また違ったものが見えてきそう。
森見さんはあのおふざけ節が面白いのだけど、たまにこういう雰囲気のものもあって予期せず驚かされる。
この本は「夜行」とか「宵山万華鏡」の部類かも。
読書って予想外に面白いとすごい嬉しいな。
まだまだ森見作品読みたくなった。
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森見さんの違う一面を見れた作品。
幻想怪奇譚ってやつ(?)。
狐の面
人間の歯を持った胴の長い獣
蓮宝堂の骨董屋
龍の根付
どこか繋がってるけどどこかずれてる。
連作短編集といえないこともないのかな。
個人的には『果実の中の龍』が一番好き。
最後の最後まで狐に騙されたみたい。
気になるけどそれがまたいい感じ。
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森見初期の短編集。
「果実の中の龍」はデビュー作「太陽の塔」より前に書かれたものとのこと。
「夜は短し〜」から森見作品を読み始めたのですが、
森見らしい古風で軽快な文体やユーモアは少なく、じめっとした、少しホラーみのある短編集。
いつもの感じを期待して読み始めると、なんか違う!という気がしてくる。
京都の街で狐に化かされたような4つの物語。
共通して出てくる,胴の長い狐のような生き物。
久しぶりに京都に行きたくなりました。
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結末はよく分からない(読み取る能力が足りない)ものの、最後まで楽しめました。四畳半神話大系などのバカ大学生のドタバタ劇も好きですが、不意打ちで来る『夜行』のようなひんやりとした夏の怪談話系もとっても好きです。
どことなく作品を通して水や龍というものがキーワードな気がします。次読み返すときはそれがどういう意味を持つのか着目しながら読もうと思います。今回は雰囲気だけしか味わえていないのかもしれませんが、それだけでもとっても楽しめる読書体験でした。
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有頂天家族は苦手だと話したらこちらをおすすめされた。
作者独特の表現が少なく、不思議で妖しい雰囲気が非常にはまり、ぞくぞくしながら読むことが出来た。
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全編にわたり静かな不気味さが漂う短編集でした。
「夜は短し歩けよ乙女」から森見さんを知ったので、森見さんのB面を見たような気持ちになりました。
個人的には「魔」という話の後味の悪さが好きです。
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森見登美彦の難解さとそれに伴う不気味さを煮詰めたような本作。短編であり四作入っているが、特徴的なのはそのどれもがホラーテイストであることだ。
森見登美彦の世界は繋がっている、しかし同じ京都ではない。それぞれが違う世界線の京都でただ筆者のファンである者からすればにくい繋がりが存在するのだ。今作で言えば、樋口直次郎と四畳半シリーズ、夜は短しに登場する樋口師匠の関係性がその代表である。
また四作を通じて登場するナツメさんと狐の面。これも四作それぞれで違う世界のナツメさんなのかなと思うこともあるし、はたまたやっぱり繋がってる?と思うこともある。そのこそばゆさが面白い。
表題作の「きつねのはなし」は、ホラー作品としてかなりの傑作であると思える。その一つだけでもいいからぜひ手に取って欲しい。
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2025年最初の一冊。京都はやっぱり「怪異」が似合う街だと思う。それは多分、京都という土地が人の思いとともに積み上げてきた歴史がそうさせているのだと思う。その歴史は良いことばかりではなく、歴史の闇に消えていった人々の怨嗟も含んでいる気がする。言霊、ではないけれど、京都の地名に感じる魅力はそういった歴史の積み重ねがあるからだとも思う。だから京都は「ホラー」でも「怪談」でもなく「怪異」が似合う。この作品はそんな怪異を扱った作品だ。
森見登美彦氏は文体がどこかユーモラスで、正直個人的にはそんなに怖さを感じなかった。ホラー小説と思って読むと拍子抜けするかもしれない。しかし前述の通り、私はこれを「怪異小説」と捉えている。京都の街の怪異のお話、と思うと、なんだかゾワっとするのに京都に出かけたくなる、そんな話に感じるんじゃないかな、などと考えた。
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夏らしく、背筋がぞわっとするものが読みたくなり再読。
最後まで「正体」は明確には語られない。だからこそ、その空白を埋めるように、これまで自分が見聞きしてきたものや、知っているはずの恐ろしいものが勝手に想像の中で膨らんでいく。
非常に読みやすい作品とは対照的に、濃厚な暗闇の中から何かがこちらを覗いているような感覚に何度もぞわっとさせられました。
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森見作品なのに森見節がないことにはじめ戸惑ったものの、読み進めていくと漠然とした気味悪さに惹かれて、次々とページをめくっていた。はっきりとした答え合わせがないものの、分からないこそ面白いような気がする。三章が個人的に好み。想像が膨らむ。
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ジットリとした何だか嫌な湿気と京都の文化・歴史の空気が入り混じったような雰囲気が味わえた。起承転結の転に入るのもスッと自然に入り込んでくるので、その意外な事実も一瞬当たり前のもののように受け取ってしまっていて、読み返すようなことがあった。それは敢えて京都という町といつでも隣り合わせに存在する異界の空気感、そこを意図せず出たり入ったりする感じを作者は表現したいのだろうなと思ったし、それがこの作品の味わい深いところなのかなとも思う。転と同様に結も余白を遺したすべてを語らないもので、人によっては煮えきらない内容に一体この物語はなんだったのだろうか。。。となってしまうような、そんな感じだった。私は嫌いではなかった。ものすごく好きだ!というほど自分の中で形を得てもいない、ふわふわというのか、ぼんやりというのか、そういう読後感だった。
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公私にわたりいろいろ心配事があり、とりあえず本の世界に逃避してみたのですがこの作品はそんなとき読んで明るくなれる感じじゃありませんでしたorz
モヤっとした得体のしれない後味に包まれて一層ため息が多くなってしまいました。
4つからなる短編なのですがどの話も繋がっていそうで深そうなんですが、表面をのぞき見した程度の深度では謎が多すぎでした。
特に最初と最後の話が妙に後味悪いです。
法蓮堂とゆう古道具屋の女店主が怪しすぎる。やけに狐を嫌ってるとことか、顧客の天城さんとの因縁めいた関係が不穏すぎるし、深夜に遅れて登場とかキモすぎる。
あとケモノとか何気に不気味。特徴としては、犬でも猫でもないらしく胴が長く、川の近くに棲んでるらしい。
何気に思い浮かんだのは「ウナギイヌ」なのですがこれだとホラーな雰囲気が崩れてしまうw
無難に考えれば「かわうそ」かなって感じですかね。
今では水族館でしかみれないですが、当時はいても不思議じゃなさそうだし・・
あと最後の話で、琵琶湖疎水の話が印象的でそこに放たれた鯉は琵琶湖迄は遡れなかったようでなにか象徴的な感じを受けました。
子供のころに何気に通夜の席で聞いた親戚がする生前の祖父の話とか、はっきりと理解できないことが多すぎて印象的な出来事だけが記憶に残るとことか、溺れる夢にうなされたとか、あるあるって感じました。
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あの四畳半の森見登美彦氏の怪談なのです。
2004年が初出のようですので、初期の作品となると思います。
驚くべきは、その文章文脈がいつもの森見登美彦氏ではないのです。
こういうの書けるのになぜもっと書きませんですの?というところです。
「きつねのはなし」
一乗寺にある古道具屋「芳蓮堂」が登場
(これは度々登場ですね)
怪しげな骨董品が人から人へと何を伝える
吉田神社の節分祭がその怪異の入り口で出口
恒川さんの『夜市』を思い出すようなその
祭りの露天
祭礼の宵の京都はお気をつけやす。
「果実の中の龍」
どこまでが現実でどこまでが幻かを読者に問い続ける作品。序盤にさりげなく『果心居士』の名が出てくることで、小泉八雲の妖術譚と思い出す古典的な空気が漂う。タイトルの「果実」と「龍」が示すもの。結果として実るものと、内に秘められた畏怖すべき力――をどこまで作者が意図しているかで読み方は大きく変わる
私はひとまず「嘘をつく小さな男」を感じ取りつつも、それだけではないんだろうなとは思う。
「魔」
ストレートなタイトルで攻める。〈魔〉そのものの存在を描こうとする短編。
物語を追うほどに、誰が人で誰が魔なのか、境界はどんどん揺らいでいく。
漂うケモノの匂い。
人の顔をした魔など、結局見分けがつかない——そう思い知らされる。
「水神」
祖父の通夜の寝ずの番。
過去と現在、記憶と幻が入り混じる時間の中で、語り手は“水”の記憶に触れていく。
京都という土地には、琵琶湖に通じる水脈の伝承がいくつも残されているとのこと。
その“地下の流れ”を、人の心の流れと重ねたのではないのか?
現実の風景に紛れ込む、古い水神。
目に見えぬ水が動き、掴みきれぬまま流される。
「きつねのはなし」短編4編は、どれも古道具屋〈芳蓮堂〉が姿を見せるとはいえ、連作としての明確なつながりはない。
それでも、どの物語にも共通して、京都の神社や祭り、そして路地という“あわい”が息づいている。
『夜は短し歩けよ乙女』や『四畳半神話大系』が、陽気でエネルギーに満ちた“あわい”を描いたとすれば、『きつねのはなし』はその影の京都——静謐で、どこか寂しげな異界が描かれる。
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私の本棚より。
ざっくりとしか読んでいないので、細かいことは書けないのだけれども、本書の場合は、それでちょうど良いのかもしれない。
森見登美彦さんのシリアスなホラー寄りの作品という情報を聞いて、大分前に古書店で購入していたのだが、読んでみると、単純にホラーと位置付けていいのかどうか分からない曖昧さが強く、それが物語の展開の意味合い的にも同様であるところが、好みの分かれるところとは思われるけれども、それ故の面白さも感じられて、特に「果実の中の龍」の先輩の存在感には、物語の生み出される源が、あくまでも人間の心の中にあることを教えてくれながら、その手段が異なるだけで、こうも印象が変わってしまうのかという皮肉も露呈させている点に人間の哀愁も滲ませていることには、森見さんが単に怖いものを描きたいのではなく、人間味を描きたいのだということがよく分かる。
また、その中でも、人間が生まれる前から存在し続けるものに対する(それを『もの』と言ってしまうのは畏れ多い気がするものの)、森見さんの敬意とも捉えられそうな「水神」も印象深く、更にそこに琵琶湖疏水の歴史のエピソードを絡めるのが何ともスリリングでありながら、やはり哀愁的なものも潜まれていて、論理的に説明するのが難しい事象から漂い出す恐怖が、怒りだけではなく悲しみの方がより大きいのは、和の怪談でもお馴染みの構成と感じながらも、そこに一捻りあるのが森見さんならではのホラーなのかもしれない。
それから、上記の琵琶湖疏水からも分かるように、本書は京都が舞台となっていることで、より朧気な印象が強く、それは四つの短編に登場する様々な要素が緩やかに繋がっていることからも感じられたのだが、その中でも二度登場する吉田神社の節分祭は、雪の降る夜の描写とも相俟って何とも情緒豊かでありながら、物語の置き所としては、まるでカレイドスコープを覗いているようなクラクラとした、美とも悪夢ともつかない状況を追体験できたのは、その場から放たれる独特なエネルギーもあるようで、そうした現場ならではの感覚を実際に行って追体験できる、京都に住む人達が羨ましくてならない。