村上春樹のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
2025.1st
昨年の後半に村上春樹の「ラオスに一体何があるんですか?」を再読したときに本書のことが書かれていたので、読んでみました!
取り上げられてる場所もちょっと変わってる。名古屋、熱海、ハワイ、江の島、サハリン、清里…江の島の紀行文って珍しいですよね(°_°)
名古屋には住んでたことがあるし、熱海も何度か行ったのでこのあたりが本書で一番面白かったです!個人的には。
サハリンは多分行かないだろうなぁ…(*´Д`*)
ハワイは行ってみたいけど、似たようなコンセプトでもうちと安い場所が世界にはたくさんあるので、いつになるやら…(><) -
Posted by ブクログ
ネタバレ1917年にアメリカ南部に生まれ、23歳で小説家デビューした天才少女、アルコール依存症などで50歳で亡くなられた著者の1951年出版の作品。
村上春樹さんによる訳者あとがきで使われていた「異様性」という言葉がまさにピッタリな、いろんな異様性を背負う登場人物。
山本容子さんの銅版画がさらに印象強く人物像を浮かび上がらせる。
人間の、なめらかじゃない部分、なだらかじゃない部分、が強調されるような、特質。
見た目だけじゃなくて、個性的な性質。
ミス・アミーリアと呼ばれる、カフェ、の店主であり、それ以上にこの物語の中心となっている、アミリア・エヴァンズ。
「せむし」と称される、カズン・ライオン。登場時から不吉不穏。
_自分と世の中のすべての事柄との間に、生き生きとした結びつきを即座に打ち立てられる本能だ。
かつてミス・アミーリアが結婚した、マーヴィン・メイシー、初めから、この男がこの物語で問題を起こすことが記されている。
といいながらも、彼は後半まで実際には登場しない。
でも、彼の不在が彼が忘れ去られていることを全く意味せず、口にされることなく主人公やその他の人々、そしてその町の記憶のなかに強く残っている。
_…カフェの陽気な賑わいにとっての不吉な通奏低音としてそこにあった
読者にとってもこの通奏低音が初めから流されている。
村上春樹さんの訳者あとがきでは、同性愛の関係が語られているとも読み取られている。
小説を介して、一般の言葉で語られないものを描く。
それとは対照的にも、この物語の始まりと終わりに、囚人労働者の歓びある唄声が一瞬流される。
上手くいっているときがオチではない物語を語ること。
なんだろう、結局人は死ぬから?それでも生まれて死ぬまでの間に、
カフェでの賑わいのように、思い返すと人生の一瞬のようでいて実際に5年ぐらい平穏に続いていたりする、かけがえのない時間があって、
結局人と人はすべてを分かり合うことはできないし、いつか別れることになることも多いけれども、
だからといって知り合わなければよかった、というわけではない、なにか分かち合える時間と場所の重みがあったりする。
バラードという一つの物語の奏で方、かなー。 -
Posted by ブクログ
村上春樹のエッセイ。私は、村上春樹は小説よりもエッセイの方が好きだ。飄々とした感じの文体で、真面目なのだかふざけているのだか分からないようなことを書いているのが面白い。
特に、小説では絶対に使わないような、見方によってはくだらない「比喩」を多用するとことも好きだ。
■(海外旅行中にホテルから空港に向かう途中、ホテルにパスポートやフライトチケットを忘れたことを、ホテルから250km地点で奥様から指摘されるのだが)隣に座っていた連れが、現実という見過ごすことのできないずた袋の底から、洗い忘れていた二週間前のテニス用靴下を引っぱり出すみたいに、陰惨な疑問をひとつ持ち出してきた。
■しかし災難は、まるで小田原厚木道路の覆面パトカーのように、どこかでこっそりとあなたを待ち受けている。
特に後者。小田原厚木道路は制限速度が70kmである。箱根にドライブに行く際、相当に空いていたのでついついスピードを出し過ぎて、「どこかでこっそりと」私を待ち受けていた覆面パトカーに捕まった経験のある私は、苦笑するしかなかった。本当によく感じが出ている。 -
Posted by ブクログ
村上春樹さんが、お父様が亡くなったことをきっかけに、自分の父親について、そして村上さんとの関係性について、時代背景である戦争について、実際に書きはじめてみることで考えを深めていったエッセイです。台湾出身の高妍さんが担当された表紙と挿絵は、なんだかぼんやりとした思索を静かに呼ぶような絵でした。
村上千秋さんという人が春樹さんのお父様で、京都のお寺・安養寺の次男として誕生します。安養寺の住職が村上さんの祖父ですが、もともとは農家の子だったのが、修行僧として各寺で修業を積み、秀でたところがあったらしく住職として安養寺を引き受けることになったようです。
僕は読む作家を血筋で選ぶことはないので(多くの人もそうだと思います)、作家と言えば全般的に、無から生まれた有に近いようなイメージで受け止めているところがありまして(もちろんそうではない方もいらっしゃいますが)、本書のように村上春樹さんのルーツが具体化していくと、また違った世界が開けたかのような、宙ぶらりんだと思っていたものが地面に根を張っていたことに気付かされたような現実的な感覚を覚えました。やっぱり過去ってあるんだ、という至極当たり前なことを知らしめられた驚きみたいなものでしょうか。
さて。やっぱり千秋さんは徴兵されているんです。それも3度も。戦争から生き残ることも数奇な運命を辿ってのことでしょうし、運命の気まぐれのように通常よりもずっと短い期間で除隊されることも、のちに生まれる子孫のことを考えれば、紙一重みたいな運命の揺れを感じます。春樹さん自身、次のように書いています。
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そしてこうした文章を書けば書くほど、それを読み返せば読み返すほど、自分自身が透明になっていくような、不思議な感覚に襲われることになる。手を宙にかざしてみると、向こう側が微かに透けて見えるような気がしてくるほどだ。(p107)
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自分が誕生したというその出来事は、ほんとうに偶然であって、ちょっとした加減でそれは実現していないもののような、吹けば飛ぶような「事実」であると感じられる。これは、村上春樹さんだけの話ではなく、万人がすべてそうですよね。微妙で繊細な、1mmほどの運の加減で、僕らはそれぞれ、幸か不幸かこの世界に誕生している。そういった大きな運命観を感じさせられる箇所でした。
それでは、再び引用をふたつほどして終わります。
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いずれにせよその父の回想は、軍刀で人の首がはねられる残忍な光景は、言うまでもなく幼い僕の心に強烈に焼き付けられることになった。ひとつの情景として、更に言うならひとつの疑似体験として。言い換えれば、父の心に長いあいだ重くのしかかってきたものを――現代の用語を借りればトラウマを――息子である僕が部分的に継承したということになるだろう。人の心の繋がりというのはそういうものだし、また歴史というのもそういうものなのだ。その本質は<引き継ぎ>という行為、あるいは儀式の中にある。その内容がどのように不快な、目を背けたくなるようなことであれ、人はそれを自らの一部として引き受けなくてはならない。もしそうでなければ、歴史というものの意味がどこにあるだろう?(p62-63)
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→ここで言われていることを家族の間でいえば、「世代間連鎖」にあたるでしょうし、歴史という大きなものにも当てはまることとしては「連続性」にあたるでしょう。これらは、ある意味でフラクタル的(全体と部分がおなじ形になる)なのだな、というイメージが上記の引用から浮かぶと思います。なんであれ、人の営み上、負の要素も正の要素も、引き継いで僕たちは生きています。たとえば「世代間連鎖」の暴力なんかは、それを止めるのがとても難しい。でもきっと、<引き継ぎ>にはその度合いがあると思うのです。どこまで深く受容して引き継げるか、自覚的であることができるか、そういった姿勢が、<引き継ぎ>によって自らが侵食されコントロールを失う状態に陥らないためにはやったほうがいいのだろうな、と僕は考えていたりします。
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父の頭が実際にどれくらい良かったか、僕にはわからない。そのときもわからなかったし、今でもわからない。というか、そういうものごとにとくに関心もない。たぶん僕のような職業の人間にとって、人の頭が良いか悪いかというのは、さして大事な問題ではないからだろう。そこでは頭の良さよりはむしろ、心の自由な動き、勘の鋭さのようなものの方が重用される。だから、「頭の良し悪し」といった価値基準の軸で人を測ることは――少なくとも僕の場合――ほとんどない。(p68)
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→お父様は京大の大学院までいって、家庭の事情で中退されたそうです。それはさておき、ここで春樹さんがどういう価値判断をする人かが見えています。たしかに、小説を書くのに心の自由な動きがままならなかったら、説明だらけの小説になってしまいそうな気がします。勘の鋭さのようなものも、ストーリーの要となるものがどこにあるのか、それがそれまでに書いた中で後につながる要素としてもう書かれていることに気付くことができるか、みたいなことはあると思います。それとは別に、頭の良し悪しで人を判断しないという職業的性質が、他者を見る目として柔らかな目となって機能すると思えるのですが、それって、人をモノ扱いせずちゃんと人間扱いする目でしょうから、こういったところはみんなが養えるように学校教育に組み込めばいいのに、なんて考えたりしました。創作の授業をやったらどうか、ということです。
というところでした。100ページちょっとの分量の、淡々とした短いエッセイです。でも、村上春樹さんの作品をたくさん読んできましたから、知らずにできあがっている心の中の「村上さん領域」を埋めるパーツがひとつ手に入ったような感触のある読書体験になりました。こうやって最後になってからやっといいますが、「猫を棄てる」エピソードが、些細な微笑ましさを含んでいて、それが小さなちいさな救いになっていると思いました。 -
Posted by ブクログ
いよいよ第二部へ。
主人公の画家の周りには何枚かの絵がある。依頼を受けた白髪の紳士免白の絵は寛政し既に依頼主の手元に渡ったが、現在は秋川まりえをモデルにした絵を描いており、また東f北のある町でほんの少し出会っただけなのに妙に印象に残った白いスバル・フォレスターの男を途中まで描いた油絵、そして「騎士団長殺し」。
「騎士団長殺し」を描いた雨田具彦とその弟に関する過去の闇も少しずつ明らかになってくる。それは村上春彦の作品で良く取り上げられる戦争に関連する悲惨な出来事であり、本作でも「騎士団長殺し」を巡る重要なモチーフであることが推測される。
そんなとき、秋川まりえの行方が分からなくなっていると彼女の叔母から連絡が入る。一体彼女はどこに行ってしまったのか。騎士団長の不思議なヒントを手掛かりに、何とか彼女を探し出そうとするところで、以下最終巻へ。
村上春樹の作品はそれなりに読んできたのだが、一体ここからどうなっていくのだろう、謎は深まるばかり。 -
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主人公は白髪の紳士・免色の”肖像画”を完成させたが、それは依頼主の免色もかなり満足の出来栄えだった。
そんなある夜、主人公は家の中で鈴の音が鳴っていることに気付く。意を決してスタジオに行った彼が見たものは『騎士団長殺し』の絵の中の人物、60センチばかりの騎士団長の姿だった。騎士団長は、自分は騎士団長の形体を借りた「イデア」であり、石室に閉じ込められていたが、あの穴から自由になったのだと言う。
また主人公は、ある事情から美しい少女秋川まりえをモデルに肖像画を描くことになる。
「騎士団長殺し」を描いた雨田具彦に起きた戦前のウィーンにおける出来事を巡る事実が徐々に明らかになったり、不思議なイデアが登場したりと、正に村上ワールド。果たして次はどのようなことが起きるのか、先に進むのが楽しみ。 -
Posted by ブクログ
「肖像を描いてもらいにきたのだ」、「おまえはそのことをわたしに約束した」と<顔のない男>は言った。何もないものをいったいどのように造形すればいいのだろう?と何もできないうちに、その男の姿は消えてしまう。このように謎めいたプロローグで本作は始まる。
「とても悪いと思うけど、あなたと一緒に暮らすことはこれ以上できそうにない」と、主人公はある日突然妻から切り出される。妻には付き合っている男がいるようだが、特に諍いもなく二、三言のやり取りで離婚を承諾する。(この辺りの淡々としているところは、正に春樹の登場人物)
妻と別れることにした彼は家を出ることにし、愛車の赤いプジョー205に乗って、仕事も放り出し(彼は肖像画家)、北へとあてどもない旅に出る。そして数か月後車もダメになって、東京に戻ることにした彼は、日本画家である父親がアトリエとして使っていた家に住んでも良いとの友人の助けを得て、新しい場所で、新しい生活を始めることになった。
そこで彼は、家の元々の主、日本画家の雨田具彦が描いた『騎士団長殺し』というタイトルの付けられた、世に出ていない素晴らしい絵を発見する。また彼の前に、高額な謝礼を提示して肖像画を描いて欲しいと申し入れてきた不思議な白髪の隣人が現れるかと思えば、夜中に鳴る鈴らしき音に導かれて、雑木林の中に祠と石室を発見したりする。
謎が謎を読む展開だし、非常にリーダブル。先に進むのが楽しみだ。