村上春樹のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
いや〜良かったぞ〜。久々に良かったじゃないか。
いつも彼の作品は少しだけしつこいポイントがあるのだけど、ショートストーリーだからこそそこが薄くなり面白さが際立ってる。
都会的なオシャレでスタイリッシュな文章って嫌われがちだけど、私は好きです。例えば、スタバでカプチーノ飲みながら窓際の席でこれを読んでいたら、ん?とはなるけどね、古本屋の近くの個人経営店の喫茶店で味薄いアイスコーヒー飲みながら窓際でこれ読んでたら、おぉとなると思う。あるいはそれがおじさんではなく、綺麗な女の子だったら。はたまたその人が他人ではなく、知り合いだったら。
なんてふうに、つまりは大衆性の問題なんだと思う。実直な作家こそ、表面を掬ったような文章を嫌う。そして村上春樹自身もそれは嫌いだと思う。しかし、我々は人間だからね、カラッと晴れた日に片手で軽率な読めるような文章が心に沁みて気持ち良かったりする。どれもハンバーグじゃ飽きちゃうからね。
そんで、カンガルー日和ってタイトル普通思いつく?そしてその話がちゃんと面白いし、タイトル回収にもなってて良い。
星3なのはどこまでもいっても結局はショートストーリーだからってこと。ファストな文章はそれに良さがあるけど飛躍はできない。
面白かった。100%の女の子は探すというよりも、見つかるものなのね。
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Posted by ブクログ
ネタバレ自分の生き別れの娘を眺めるために家を買った免色。僕は自分が失った妻に対して同じことをするなら、と想像して拷問のようだと考える。免色は井戸に入った時は主人公が自分を助けないことを考えて死に隣り合う生を実感した。一連の事件を見るに表面的には免色がマゾヒストなのではと見えるが、「白いスバル・フォレスターの男」に主人公が触れることで物語が少しずつ前に進む。主人公にとってこの男は自分の中に眠る「暴力性」の象徴であり、免色自身にその意図があるかは別として、彼との関わりが主人公にとって自分の本性を知るための基盤になっている部分が物語を奥深くしていると感じた。
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Posted by ブクログ
ネタバレ村上春樹の父親のことをまとめた自叙伝ならぬ父叙伝?で、戦争の時代を生きた父親のことを、その息子である村上春樹が、あやふやな記憶とたくさんの文献から整理したもの、、という(どちらかというと)村上春樹にしては味気ない印象を受けた。
個人的には、村上春樹の本に対して自分は、彼の考えたこととか感性に触れる、ということを求めているのだな、と再確認できた。
ちょっと毛色の違うものを、、と思って手に取ってみたが、いささかばかり事実の整理という側面が強く、途中からは流し読みになってしまった。
(そのために書いた、と著者自身が言っている本なのだから、それを承知で読み始めた自分が悪いのだけれど)
いちばん印象に残ったのは、やはり最後の締めのところでの文章だった。
「...我々は、広大な大地に向けて降る膨大な雨粒の、名もなき一滴に過ぎない。固有ではあるけれど、交換可能な一滴だ。しかしその一滴の雨水には、一滴の雨水なりの思いがある。一滴の雨水の歴史があり、それを受け継いでいくという一滴の雨水の責務がある。我々はそれを忘れてはならないだろう。たとえそれがどこかにあっさりと吸い込まれ、個体としての輪郭を失い、集合的な何かに置き換えられて消えていくのだとしても。いや、むしろこう言うべきなのだろう。それが集合的な何かに置き換えられていくからこそ、と。」
なんでもない自分が、なんでもない平々凡々な人生を生き切ることの意味を、ここに見出せる気がしている。
記憶というのはとても曖昧であやふやなもの、、というのを、最近、読んだ本や自分の経験からひしひしと感じていた。
この本の中でも、そんな場面がいくつかあった。まとまった言葉や文章になっていれば、なんとなく確かなもののように感じるが、実際にはさまざまな文献を辿って、整理して、そこで初めて記憶という形になるものだと読んでみて思った。
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Posted by ブクログ
うずまき猫のみつけかた
「うずまき猫はみつかりましたか?」
とあったけど
えっ
どこ?
うずまき猫って?
結局わからずじまい。
私だけ?
ボストンでの生活のエッセイ
軽く楽しめた。
村上さんも普通に生活して、
相手がこんな風に思ってるのかな?とか
猫がこんな気持ちなのかな?とか
ささいな事も考えているのね…
と身近に感じれました。
「小確幸」とてもいい言葉。
「クリアアサヒが家で冷えてる心ウキウキワクワク〜♪」
仕事終わりに電車を待ってる時、私の頭の中ぐるぐるする。
私はこんな「小さな幸せ」を大切にしたい
と思っていて、
村上さんとの共通点が見つかったみたいで
嬉しくなりました。
猫のピーターとのお話が好き。
外に自由に遊びに行く飼い猫。
飼い主は若くて貧乏で猫が好きで何者になるかもわからない。
そんな頃の村上さんの日々のエッセイも読んでみたいなぁ。
favorite sentence
・生活の中に個人的な「小確幸」(小さいけれども、確かな幸福)を見出すためには、多かれ少なかれ自己規制みたいなものが必要とされる。たとえば我慢して激しく運動した後に飲むきりきりに冷えたビールみたいなもの。「小確幸」のない人生なんて、かすかすの砂漠のようなものにすぎないと僕は思うのだけれど。
・猫は聞こえていながら聞こえない顔をするのがすごくうまい。
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Posted by ブクログ
ラオス旅行がメインというわけではなかった。
世界のいろんなところでリモートワークできる小説家という仕事、羨ましいな!あの有名作は実はこの地で書いた、みたいな裏話が色々でてきて面白かった。どれも読んだことないけど母の本棚にあるのを見たことがある本だ…。村上春樹の本をこれからちょくちょく読んでこうと思ってたので尚更面白かった。
・ボストン
ボストンマラソンはランナーにとって特別で景色がいいって話
・アイスランド
アイスランドに行きたくなる。アイスランドでは小説を書いたり絵を描いたりと芸術的なアウトプットを趣味にしてる人が多い。映画「コールドフィーヴァー」でも言及されてる。
ブルーラグーンで巨大な温泉に入れる。
ヘイマエイ島には特にたくさんパフィンがいる。パフィン料理も食べれる。村上春樹の奥さんは食に好奇心旺盛。
「ぼくは鳥を食べないので奥さんがかわりに食べた」とあって、村上春樹はベジタリアン?と思ったけど、たんに好き嫌いが多いだけかも?
アイスランドではなもなき野草の造花が売られてて家に飾られてる。
・ポートランド
オレゴンのポートランドにもメイン州のポートランドにも美味しいレストランがある。
・ミコノス島
ギリシャの島に住んでた体験を「遠い太鼓」に書いてる。
村上春樹はミコノス島の貸しレジデンスでノルウェイの森を書き始めた。当時はまだ原稿を手書きしてた。ノルウェイの森のレイコさんの皺の具合は、「ミコノスバー」で働く女性店員を思い浮かべて書いた。
・ニューヨークのジャズクラブ
ニューヨークのジャズ界では有名なロレイン・ゴードンさん。「alive at the village vanguard」という半生記を出してる。
キッシンジャーが店に来た時も「うちは20ドル、現金のみですけどいいですか?」で通した逸話がある。
・フィンランド
村上春樹はアキ・カウリスマキ監督のファン。シベリウスはフィンランド人。村上春樹はシベリウスの交響曲五番が一番好き。カウリスマキ監督兄弟は「カフェモスクワ」を経営してる。村上春樹はカフェに行ったけど店員が出てこず待ちぼうけになりついに何も飲めなかった。
シベリウスのアイノラ荘。気難しい人でうるさいのが嫌いだったので、彼が死ぬまで水道を家に引く工事ができなかった。
「色彩を持たない多崎つくると〜」のフィンランドのシーンは想像で書いて、その後このフィンランド取材に行くことになった。
・ラオス
タイと同じくオレンジの服を着たお坊さんがたくさんいる。早朝の托鉢の時に、信者として正座してうやうやしく寄進のカオニャオ(もち米のごはん)を差し出す儀式がある。旅行者も参加できる。
アマンタカという高級ホテルでラウンドガムランに聞き惚れる。仏像がたくさんある。プーシーの丘からの眺めがいい。
・ボストン
レッドソックスの本拠地、ファンウェイ球場。古くて癖があるけど面白い球場らしい。
近くのスポーツバーの男子便器の中に、ニューヨークヤンキースのロゴの消臭剤があった。ここにかけてということ。ライバル意識。でもニューヨーカーにとってはボストンはその他大勢の街と同じ。
ファンウェイ球場はタイタニックが沈んで数日後にオープニング試合を行ったので、メディアでは取り上げられ方が小さく霞んでしまった。ダンキンドーナツとホエールウォッチング。チェリーストーンという貝が美味しい
・トスカナ
村上春樹はローマで「ノルウェイの森」と「ダンス・ダンス・ダンス」を書いた。
ローマからトスカナに、よく車で旅行に行ってトスカナワインを買っていた。
イノシシ(チンギアーレ)料理とキャンティ・ワインがおすすめ。ブローリオ城からの眺めがいい。
キャンティ・ワインの作り方の基準を定めたのはベッティーノ・リカーゾリ男爵。
何はなくとも意見だけは豊富に持ち合わせている人々なイタリア人の意見をまとめてルールを厳格にさだめ、みんなにきっちり守られたのはぼくに言わせれば奇跡。
もっともその厳しい配合比率は近年になって崩れて革新派の自由なワインも増えている
・熊本
村上春樹は「地球のはぐれ方」という本を書いてる。
橙書店の看板猫しらたまくん。
世界一の万田坑
人吉のSL
海の上の赤崎小学校。過疎により廃校になったがまだ生活感がある。
至るところにくまモン。まるでゴーレムのように創造者の手を離れて増殖している。 -
Posted by ブクログ
34才、まだ熟してゐないエッセー
ビーフ・カツレツの話を読む。
すると、丸谷才一の『食通知つたかぶり』を思ひだしたりする。実際、「旅行先で映画を見ることについて」も、多分に丸谷才一っぽい。
ただ、私は食通ではないので、関心がない。(大江や司馬もさうだったらしい。)
エッセーの文体も、『いかにして鍛えられたか』『村上T』ほど、洗練されてゐない。《である》《である》《である》がつづいて単調だ。
このとき、34才である。いまでは考へられない村上の様子もみえる。
椎名誠の名前も飛びだすし、豆腐(4)でカストリ雑誌的な未亡人とふける妄想もおこなふのである。女性にたいする時代劇拷問でいいねとか。いまなら、え? って感覚。戸塚ヨットスクールに入れておくとか。そんなランボーな。
いまでは考へられない。
あとからかういった自分すらも隠蔽しだすことを考へると、その意味ではたいへん貴重なエッセー集である。
きらりと光るエッセーももちろんある。ギリシャのはなしなんかがさうだ。