村上春樹のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
「ちょっと変なところに行って、ちょっと変なものを見てまわろうじゃないか」というコンセプトで書かれた、(一応)旅行記。「ちょっと変なところ」として選ばれたのは、名古屋・熱海・ハワイ・江の島・サハリン・清里というラインアップ。なかなかの顔ぶれであり、かつ、書き手が村上春樹を含んでいるということで期待したが(実際、村上春樹がいくつか書いている旅行記は面白いと思う)、思っていたほど、面白くはなかった。
それは、「ちょっと変なところ」の面白さを伝えることが、かなり難しいことによると思う。例えば清里は、かつては、若い女性が大挙して押しかけた高原の観光地、ペンションなど、オシャレな場所として人気を博していたのであるが、その当時に清里の駅前に建てられたメルヘンチックな建物は、人気(ひとけ)のなくなった今となっては・・・というのが、今の清里の典型的な語られ方であるが、この本に書かれている清里は、それを超えるような内容になっておらず、紋切り型の紹介にとどまっているため、面白くないのである。しかし、現実はその通りで、他に書きようもない。ということは、本書は、少し企画として無理があったということではないだろうか? -
Posted by ブクログ
安西水丸のイラストは好きだけれども、本書の中で好きな村上春樹の文章は少なかった。好きだったのは、「ジョン・アプダイクを読むための最良の場所」「マイ・ネーム・イズ・アーチャー」の2つくらい。
前者は、村上春樹が(とは限らないけれども)郷里から大学入学のために東京に出て来た際、郷里から東京のアパート宛に送った荷物がまだ届いておらず、何もない部屋で、煙草を吸いながらジョン・アプダイクを読み、それは悪い経験ではなかった、と回想する話。悪い経験ではなかったと感じた理由を説明することは難しいだろうけれども、確かにそれは悪くないよね、と思わせるのは作家としての力量なのかな。
後者は、ミステリー作家のロス・マクドナルドが亡くなった時の、村上春樹の私的な追悼文。リュウ・アーチャーというのが、ロス・マクドナルドのシリーズの主人公の探偵の名前で、代表作の一つに「わが名はアーチャー」という作品があるのだ。本書の初版は1986年。私は、1980年代後半から1990年代にかけて、多くのミステリー・探偵小説(あるいは、その中でも、ハード・ボイルドもの)を読み、ロス・マクドナルドのアーチャーシリーズも懐かしいシリーズの1つだ。最近では、自分自身もミステリー、ハード・ボイルド小説を読まなくなったし、書店に行っても、あまりこの手の本は置いていなくなったな、とふと思った。おそらく、今読んでも面白い本が多いと思うのだが、何故だろう? -
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いや〜良かったぞ〜。久々に良かったじゃないか。
いつも彼の作品は少しだけしつこいポイントがあるのだけど、ショートストーリーだからこそそこが薄くなり面白さが際立ってる。
都会的なオシャレでスタイリッシュな文章って嫌われがちだけど、私は好きです。例えば、スタバでカプチーノ飲みながら窓際の席でこれを読んでいたら、ん?とはなるけどね、古本屋の近くの個人経営店の喫茶店で味薄いアイスコーヒー飲みながら窓際でこれ読んでたら、おぉとなると思う。あるいはそれがおじさんではなく、綺麗な女の子だったら。はたまたその人が他人ではなく、知り合いだったら。
なんてふうに、つまりは大衆性の問題なんだと思う。実直な作家こそ、表面を掬ったような文章を嫌う。そして村上春樹自身もそれは嫌いだと思う。しかし、我々は人間だからね、カラッと晴れた日に片手で軽率な読めるような文章が心に沁みて気持ち良かったりする。どれもハンバーグじゃ飽きちゃうからね。
そんで、カンガルー日和ってタイトル普通思いつく?そしてその話がちゃんと面白いし、タイトル回収にもなってて良い。
星3なのはどこまでもいっても結局はショートストーリーだからってこと。ファストな文章はそれに良さがあるけど飛躍はできない。
面白かった。100%の女の子は探すというよりも、見つかるものなのね。
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Posted by ブクログ
ネタバレ自分の生き別れの娘を眺めるために家を買った免色。僕は自分が失った妻に対して同じことをするなら、と想像して拷問のようだと考える。免色は井戸に入った時は主人公が自分を助けないことを考えて死に隣り合う生を実感した。一連の事件を見るに表面的には免色がマゾヒストなのではと見えるが、「白いスバル・フォレスターの男」に主人公が触れることで物語が少しずつ前に進む。主人公にとってこの男は自分の中に眠る「暴力性」の象徴であり、免色自身にその意図があるかは別として、彼との関わりが主人公にとって自分の本性を知るための基盤になっている部分が物語を奥深くしていると感じた。
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Posted by ブクログ
ネタバレ村上春樹の父親のことをまとめた自叙伝ならぬ父叙伝?で、戦争の時代を生きた父親のことを、その息子である村上春樹が、あやふやな記憶とたくさんの文献から整理したもの、、という(どちらかというと)村上春樹にしては味気ない印象を受けた。
個人的には、村上春樹の本に対して自分は、彼の考えたこととか感性に触れる、ということを求めているのだな、と再確認できた。
ちょっと毛色の違うものを、、と思って手に取ってみたが、いささかばかり事実の整理という側面が強く、途中からは流し読みになってしまった。
(そのために書いた、と著者自身が言っている本なのだから、それを承知で読み始めた自分が悪いのだけれど)
いちばん印象に残ったのは、やはり最後の締めのところでの文章だった。
「...我々は、広大な大地に向けて降る膨大な雨粒の、名もなき一滴に過ぎない。固有ではあるけれど、交換可能な一滴だ。しかしその一滴の雨水には、一滴の雨水なりの思いがある。一滴の雨水の歴史があり、それを受け継いでいくという一滴の雨水の責務がある。我々はそれを忘れてはならないだろう。たとえそれがどこかにあっさりと吸い込まれ、個体としての輪郭を失い、集合的な何かに置き換えられて消えていくのだとしても。いや、むしろこう言うべきなのだろう。それが集合的な何かに置き換えられていくからこそ、と。」
なんでもない自分が、なんでもない平々凡々な人生を生き切ることの意味を、ここに見出せる気がしている。
記憶というのはとても曖昧であやふやなもの、、というのを、最近、読んだ本や自分の経験からひしひしと感じていた。
この本の中でも、そんな場面がいくつかあった。まとまった言葉や文章になっていれば、なんとなく確かなもののように感じるが、実際にはさまざまな文献を辿って、整理して、そこで初めて記憶という形になるものだと読んでみて思った。
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Posted by ブクログ
うずまき猫のみつけかた
「うずまき猫はみつかりましたか?」
とあったけど
えっ
どこ?
うずまき猫って?
結局わからずじまい。
私だけ?
ボストンでの生活のエッセイ
軽く楽しめた。
村上さんも普通に生活して、
相手がこんな風に思ってるのかな?とか
猫がこんな気持ちなのかな?とか
ささいな事も考えているのね…
と身近に感じれました。
「小確幸」とてもいい言葉。
「クリアアサヒが家で冷えてる心ウキウキワクワク〜♪」
仕事終わりに電車を待ってる時、私の頭の中ぐるぐるする。
私はこんな「小さな幸せ」を大切にしたい
と思っていて、
村上さんとの共通点が見つかったみたいで
嬉しくなりました。
猫のピーターとのお話が好き。
外に自由に遊びに行く飼い猫。
飼い主は若くて貧乏で猫が好きで何者になるかもわからない。
そんな頃の村上さんの日々のエッセイも読んでみたいなぁ。
favorite sentence
・生活の中に個人的な「小確幸」(小さいけれども、確かな幸福)を見出すためには、多かれ少なかれ自己規制みたいなものが必要とされる。たとえば我慢して激しく運動した後に飲むきりきりに冷えたビールみたいなもの。「小確幸」のない人生なんて、かすかすの砂漠のようなものにすぎないと僕は思うのだけれど。
・猫は聞こえていながら聞こえない顔をするのがすごくうまい。