すべての高評価レビュー
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Posted by ブクログ
朱さんの本は初めて読みましたし、リチャード・ローティという哲学者も本書で初めて知りました。
個人的には決して優しい内容ではありませんでしたが、面白かったですし、朱さんの解釈や説明はかなり分かりやすく書いてくれているのだと思います。引用部分だけでは、ほぼ理解できなかったと思うので。
世界に「これが正解だ!こうあるべきだ!」は本当はないじゃないか。だからこそ、自分の正解や価値観は、常に変わるものだと(変えていいものだと)理解しておく。
そうやって自分を拡張して、拡張された自分が周りの拡張された他者に触れ合う。それが「バラバラな世界で共に生きる」ことなのかな。と感じました! -
Posted by ブクログ
現在はサンシャインシティがある池袋の一角には、かつてスガモプリズンと呼ばれるGHQが管轄する刑務所があった。そこにはアジア•太平洋戦争の日本の戦争犯罪者を収容し、A級(平和に対する罪)戦犯のみならず、BC級(B項「通例の戦争犯罪」またはC項「人道に対する罪」に該当する戦争犯罪)の戦争犯罪者も拘置していた。なお日本のBC級戦犯は、横浜やマニラなど世界49カ所の軍事法廷で裁かれており、被告とされた人数は約5700人。そのうち、約1000人が死刑判決を受けている。かの有名な東條英機ら7名の死刑囚は、極東国際軍事裁判により死刑判決を受け、1948年(昭和23年)の12月23日にこの場所で死刑が執行された。刑務所としての歴史を辿ると、もともとは別の場所にあった刑務所が1985年に、この場所に移転されたが、その後、震災などの影響で一度は郊外(今の府中)に刑務所機能は移されるものの、その跡地に未決囚を収監する市谷刑務所が移転してきた流れである。敷地内の処刑場は、スパイとして有名なリヒャルド•ゾルゲが処刑されたことでも知られる。
本書タイトルを見る限り、よくある極東国際軍事裁判の7名の死刑囚やインドのパルなどの各国の弁護側を扱った書籍を想像するかもしれないが本書は違う。勿論そうした著名な先般の話抜きにスガモプリズンを語るのは難しいが、本書の場合、戦犯として集められた人々が、刑務所内でどの様に過ごし、何を考えたかにフォーカスした内容となっている。GHQにより設立されたのち、二度と戦争を起こさせまいとする思想教育的な意味合いが多かったと思うが、所内での自治の確立にむけた教育制度などが整って行ったことがわかる。また新聞の発行も自らの手で行われるなど、自立心が高まっていくような、環境が徐々に整備されていく。
その様な中で、特にBC級戦犯たちが何を考え、どういった思想を確立して行ったかの経緯、仲間が処刑されていく中、仏教やキリスト教の団体が設立され反省と考察を繰り返す日々の中で生まれた考え方に着目している点が面白い。また塀の外では戦犯たちを釈放しようとする社会的な風潮が生まれていくが、朝鮮戦争で再び軍備が整備されようとする社会の中で、戦犯たちの中にはそれ釈放自体に疑問を投げかけるものが現れる。狭い塀の中に自由を奪われて閉じ込められ、考える時間が与えられた者たちが戦争と収監を通じた心の中の変化を描き出す。
そして戦争中は日本の支配下に置かれた朝鮮や台湾の人々にとっては、日本に強要されて行わざるを得なかったというやり場の無い気持ちが残る。そして釈放されても身分がしっかり確立されず、自国への帰還も許されない立ち位置で、どう生活を取り戻していくか。
本書はスガモプリズンを中心に戦争の本質と向き合い、太平洋戦争の過ちを振り返る機会を与えてくれる一冊だ。誰に責任があり誰を処罰するべきだったのか。戦争開始にあたっては軍部、政治、一般の市民も皆熱気にうなされ戦争を後押しする風潮があった。戦争の最前線で命を賭けて戦い、上官の命令に背くことも出来なかった兵士たち。私は貝になりたいという言葉は示している。やり場の無い想いを二度と誰かに指図される人間になりたくない、その気持ちを生み出したのは戦争である。 -
Posted by ブクログ
仕事に翻弄されて日常生活が営めないほどに支障をきたす、いわゆるバーンアウトになる人は周囲にも何人か観察している。意外なのは、バリバリ仕事をこなしていて周りからの評価も高いあの人がまさか、ということが多いのである。
本書の著者も、まさに仕事にコミットし続けることで限界を超えてしまった当事者である。当事者の視点から、誰もが社会からふるい落とされる危険をはらんでいる構造的な分析と、内省的な感情の発散とを交わりながら綴っていく。
資本主義社会での「できる人」になることが、唯一の正解ではない。頭では分かっているけど納得できない葛藤を、著者は受け入れる態度に希望を見出す。いい悪いで二分できるほど人間は単純ではないし、その性質を認めて用という心持ちが大切なのである。
具体的な内容では、「コミュ力」の過剰な称揚への視点が新しい気づきだった。個人に内包される絶対的な能力ではなく、環境や相手によって変動するものである。コミュ力がないと特定の場で相手を批判している当人は、その場でたまたま優位な立場で周りが気を使っているだけなのかもしれない、という認識が足りず独りよがりになっている状況が思い起こされた。
一方個人的に腑に落ちなかったのは、今とは違った生き方があったかもしれないという後悔である。著者はきっと自分への期待値が高いのだろう。そのために、自分の限界値を超えた無理も気づけずけないことが多いかったのだと推察される。私としては、幼少期の環境の影響からか、自己効力感が以上に低い。なので、今何とか社会で仕事をし自立して生きていけていることが出来過ぎている、という自覚である。資本主義社会にはあまりハマらない性質なのだろうなという自己評価である、そのくらいの心持のほうが大きく精神を崩さないのかなとも思う。
著者は読書家である。本書は著者が様々な文献をあたり、双極性障害となった自分と社会を見つめなおす試みの記録である。過去に読んだ本も参照されているし、まだ知らない分野とも出会えたことが副産物である。 -
Posted by ブクログ
あれだけの華やかな世界でキラキラと輝いている人なのに『自分に興味がない』と言い切っているところがとても意外であり、かっこいいなと思いました。同時にそれだけ、内側(自分)でなく外(相手や観衆、自分の置かれている状況)をみて、自分に求められているものに応えようとしたり、人の幸せをまっすぐに喜ぶことができる人だから、最高のエンタテイナーとして長く第一線で活躍されているんだなと納得がいきました。
“「とりあえず」で仕事はせず、「とにかく」仕事をする。“
“人のことを喜べる人間であれば、間違いなく自分のことを喜んでくれる人がまわりに集まってくる。“
“僕は疲れれば疲れるほど、働けば働くほど、忙しければ忙しいほど、新しい何かを生み出すことができる。“
“感動は理解度の極み“
一冊を通して、見習いたいと思う考え方、哲学が随所にあって、読んで良かったです。これからもメディア等、ニノが発信する言葉をもっと聴きたいなと思いました。 -
Posted by ブクログ
十二国記・第二弾、陽子と同じ還り人ですが、今度は男の子?が主役になります。
エピソード0・『魔性の子』の狭間を埋める物語の一つでしょうか、
高里が"神隠し"にあっていたとされる時期の前半部になるのかな。
で、この物語を経て、シリーズ通しての麒麟に対する設定が、
なんとな~く見えてきたようにも思えました、、ふむ。
日本では漠然としたままに浮いた存在であった高里ですが、
ある時、隙間の"手"に誘われて、蓬山に還ってくることになります。
そんな高里の本性は"人間"ではなく"麒麟"、
そう、王を選び国造りの象徴となる役割を担う、麒麟です。
であってもどこか浮いた存在であるのは、変わらずに。
還り人であるが故に普通の麒麟とは違っている点も、それを手伝っているのでしょうか。
それが故にか、終盤の王を選ぶくだりはここでも、心地よいカタルシスでした。
"離れたくない"、その思いを具現化するに全ての壁を取り払って、
王と麒麟のつながりはそこまで純粋になれるのかと。
個人的には陽子と同年代であるかどうかも、気になるところ。
時系列的には、陽子が帰ってきた時よりも前のハズですが、、さて。
なお、再び還ってからの物語は未だ語られずに、新作に期待中だったりします。 -
Posted by ブクログ
私が本書を最初に読み始めたのは、実は四年ほど前のこと。冒頭の部分があまりにも壮絶すぎて、当時の私には受け付けられなかった。思わず断念、以降なかなか勇気が出ず、本棚にしまいこんでいた。けれども、どうしてもその先が読みたくて本棚の背表紙を見てはあの冒頭の壮絶さを思い出して断念、の繰り返し。四年経った今、あそこを乗り越えれば何とかなるはずと思い、冒頭部分を読み越えた。そうすると、あとはもう止まらなかった。
年賀状が送られた本当の意味も、目頭が熱くなるほどだった。
登場人物がみんな心優しい人たちで辛い時には、彼らの言葉を思い出したい。
文庫本の帯に「おにぎりが食べたくなる本」とあったが、冒頭の人生の生い立ちから引きこもりの心情からは想像できなかった。やがて舞台が変わり、物語は八ヶ岳の自然豊かな田園へ。そこでの出会いや体験が「おにぎりが食べたくなる本」という言葉に納得させられる。
人の手で握ったおにぎりは確かにコンビニとは違う温かさを感じる。
マハさんの本は私はとにかく大好きで、自分の好みの作風あっているのか、とても読みやすい。いつもスルスルと時間を忘れて読み進めてしまう。
マハさんの他の作品からもいつも元気を貰っている。なんだか言葉に神が宿っている感覚。
物語の舞台となった八ヶ岳にも行ってみたい。
八ヶ岳の峰々や田園の風景も、文章でしか表現されていないにもかかわらず、ありありと頭に浮かんでくる。ぜひともこの目で見てみたいと思った。
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