著者がスモール・トラウマと呼ぶごく小さな心の傷について扱った本。それは多岐・多数にわたるもので、実は人生に大きな影響を与えています、という内容。そのことを自覚するとともにどう対処するとよいのかまでを、さまざまなケースを見ていきながら自らの中に落としこんでいくような読書体験が得られます。
一度読み通してなお、また読み返したくなる本でした。難しいから再度理解したいからなのではなく、滋味あふれる中身とその情報量そして、それらを合わせて感じられる癒しのような感覚を再び得たくなったからです。内面の感覚や経験したモノのなかには言語化がうまくいかないモノはけっこうあるものですが、そこに無理なく意味というものを感じることができるようになります。それはときに、「そうか、そうだったか…!」という、地に足がつくような気づきになるのでした。着地できた感覚が得られることにより、自分が少しばかり浮遊していたことがわかるのです。
表そでに書かれた文章と、最終章の最後の箇所を引用すると、本書の方向性がお分かりいただけそうです。
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もしあなたが、「何が悪いのかわからないけれどなんとなく充たされない」と感じているなら、この本はあなたのためのものです。(表そで<表紙カバーを折った内側の部分>より>)
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続いて、本書末尾の文章↓
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最後に、メンタルヘルスについて無視され、汚名を着せられ、阻害されたことのあるすべての人へ。あなたの生活体験とスモール・トラウマは、あなたと同じように、あなた独自のものですが、あなたは一人ぼっちではありません。スモール・トラウマについて語り合い、それをカーペットの下から引っ張り出して、メンタルヘルスというスペクトラムについて、より良い理解と治療への道を開きましょう。(p296-297)
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人の内面を扱うので、内省に慣れていない人は読んでいると時折こころに重い負荷を感じたりするかもしれません。それでも、じっくり読んでそこで書かれている内容を頭で考えながらこころでも感じてみれば、内容や文章には優しさがあふれていることがわかります。読み手を突き放すタイプではなく、寄り添うタイプの本であることを基本として踏まえておくと、おそらく気持ちを開いた状態でいろいろな知見を頭の表層より深いところで得られると同時に、ごく軽い治療のような効果も感じられるでしょうし、気持ちは前向きにもなれそうです。
内容は各章ごとにそれぞれ違いますし、金言と言えるような鋭いセンテンスにも頻繁に出会えます。今回は以下で、そうした中身を味わいながら感じたこと・考えたことを箇条書き的に記していき、終わりにします。
◆心理療法を受けられなくとも、読書をすることが読書療法になることが知られている、と本書のはじめの方に書いてある。読書量が減っていると言われる昨今はまた精神疾患が増えてきてもいる。少し関係があったりするのかもと思った。
◆何かを諦めるときに、受容の気持ちもセットでそこにあったほうがいい。失敗や挫折から立ち上がるというのは受容があってこそでしょう。そして、受容は自分を責めることとはまたちょっと別。たしかに心の痛みやきしみは感じるかもしれないけれど、それは副次的なものですよね。
◆役人は無神経と言われたりする。何事も知性的にこなすきらいがあり、感情を働かせずに頭で何事も処理するよう要求されるシステムの中に埋没するからかもしれない。その無神経さは、麻痺と言い換えることができるのではないか。うつの人がじぶんの状態を麻痺と表現することがある。麻痺は鬱病を誘うのかもしれない。
地方公務員だった僕の父は、職場の同僚達がメンタルヘルスを失調した話をよく聞いてきた。その頻度は高いのか低いのかよくわからないけれど、ごく少数とは言えない数という印象を僕は持った。無神経であることへと無意識に自己変化を遂げさせてしまう場(職場環境)が、うつを作り上げていやしなかっただろうか。
無神経さとそこから繋がる麻痺感覚。本来、注意をはらって言葉にしていくべきことをしない、あるいはできないことで、無神経になったり麻痺したりする。そういった、意識が取り逃したものは無意識のなかに溜まっていき、コンプレックス(心理複合体)になってメンタルに影響する、とは考えられないか。
公務員の誰それが自死した、なんていう表沙汰にはならない話が耳に飛び込んでくることだって、なにも起きなそうな、僕の住む小さな町であってもたまにありますから。場、システムが悪く作用しているんじゃないか、とうっすら考えたりしました。
◆人はみな思いたいように思うからステレオタイプに考えたりしてしまう。ステレオタイプはマイクロアグレッションにつながり、マイクロアグレッションにさらされた人はインポスター症候群への扉が開かれてしまったりする。それは生きづらくなるということ。自分の持つバイアスを自覚できるかどうかだ。
◆「ダイエットする」「運動する」「早寝早起きをする」など、そういった決意をして今からがんばろうとするのはすばらしい。僕にもそういうときがあるし、決意を口にしたりSNSに書いたりしてがんばろうとする。でも現実にはなかなか毎日続かなかったりする。断続的になるのはまだいいほうだ。
こういった決意に基づいた行動を続けていくための心理テクニックを知った。それは「ダイエットする」だとしたら、「ダイエットする人になる」と言い換えて決意するのです。同様に、「運動する」ではなく「運動する人になる」とする。これで継続率が変ってくるようです。
◆コロナ禍の時期、トリアージ(命の選別)という考え方が広く知られたと思うのだけれど、そこには従事者の心理的苦痛がやっぱりあったわけです。モラル・インジャリーというそうで、これもトラウマの一種なのかな。社会的なドライさが標準、みたいに思いがちだけど、人間性を忘れちゃならない。
◆高収入を得るには自らの倫理観を犠牲にしなければならない、っていうのは世の中あるわなあ。
◆<この大変な世界では、きっとだれもが同等に、傷ものなんだ。(森絵都『カラフル』p228)>を思い出しました。
誰もが傷を抱えている。そう知り、認めることができたなら、生き方は変わっていく――、回復というものはこういった段階を踏むものなのではないのでしょうか。スモール・トラウマの本(本書)を読んでいると一層そう思いました。