多和田葉子のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
一年以上前にNHKで多和田さんがニュースで取り上げられてて初めて知った作家さんで、ずっと一度は読んでみたいと思っていた。
ニュースの内容は記憶にないけど、ノーベル文学賞に近い日本人の一人(もう一人は村上さん)として紹介されてたのではないか。
この本は2013.2014位に世にでていて東日本大震災の影響がとても強い作品だと感じた。ドイツに在住されてる多和田さんの俯瞰的日本像というのか近未来小説というのか。世界観が、テーマは重いながら、不思議とページをめくる手は止まらない。
非常に風刺が効いてるんだが、人はこうあるべきみたい説教くささはなく、読者に判断は委ねられている。
短編小説が5つ収載されているんだけど、設定が面白くて、「韋駄天どこまでも」は何故かある漢字のみ太字で強調されたりの文字遊びあり、「動物たちのバベル」は、動物たちが出演する舞台台本なんだけどシュール。セリフだけで、なんの解釈もなしでここまで見せる凄い。出演は、リス、ウサギ、クマ、ネコ、イヌ、キツネ。ノアの方舟が設定かな。 -
Posted by ブクログ
酉島伝法さんの作品を読んでいて「山尾悠子っぽいなあ」と思い、[酉島伝法 山尾悠子]で検索したら酉島氏のインタビュー記事がヒットし、みるとやっぱり影響を受けているようで、そこで山尾氏と同時に挙げていた作家さんが多和田葉子さんでした。多和田氏の作品の中から本作を選んだ理由は、表紙にホッキョクグマが描かれていたから。読んでみたらマジでずっとホッキョクグマの話だったから、とてもよかった。高校2年生の秋に北大銀杏並木のライトアップを見に行ったとき、路上ライブしていた北大生水産学生がホッキョクグマについて熱く語っていて、その時のことを思い出しながら読んだ。本作に出てくるクマたちは皆どこか、あの水産学生の女の子に似た雰囲気がある気がする、なんか、切実さとか。
月刊誌に3ヶ月連続で掲載されたという中編3編ですが、どれも多分あんまりプロットとか考えずに書かれてるんだろうな、と勝手に考えました。思考垂れ流し、みたいな文章群で、難しい表現はあんまりないけど、平易な語彙の組み合わせで見たことない景色を見せてくれる(最終頁なんかはその真骨頂で、ふるふる感動した)。勢いよくエイヤと一筆で書くような物語は好きです、というか割とそういう小説家って多いらしい。小川哲も京極夏彦もプロットを考えずに書くって言ってた、それでアレが出力されるのえぐい。
読み終わった今、タイトルの意味を考えています。ホッキョクグマという依代を得て作者が描いたエチュード、ということですかね。多分、その逆なんでしょう。 -
Posted by ブクログ
日本語とドイツ語で小説を書き、英語やロシア語も出来る多和田葉子さんが、
日本語で書いた小説をドイツ語に翻訳する期間、言葉について考え書かれた日記。
世界中を旅して朗読活動をされているので、
様々な国の色々な言語を使う作家や詩人や学者の方々との交流も興味深く、
知的だと思うけど難解な感じはなく読みやすかったです。
ヨーロッパでは多言語を話される方も多いけど、
上海の喫茶店で周りの人たちがそれぞれ
中国語、日本語、韓国語、英語で話していて、
ある若い学生の集団は次々と言語を変えて話していたことを思うと、
アジアもアジアで多言語が交錯する場所ですよね。 -
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謎の男・鶯谷が頻繁に出入りする家で両親と共に暮らす少女の目を通して、猥雑で不可解な世界を生き延びていく少女小説。
既読の二作(『百年の散歩』と『献灯使』)に比べ、フェミニズム的なテーマがわかりやすく示された作品。「獣姦」とか「精液」とかいう単語がでてくるのに語り手の年齢が九歳と言われてびっくりするのだが、その精神性はほとんど変わらないままいつのまにか十八歳まで時が飛んでいる。幼児からとっとと少女になることを求められ、”成人”になることは求められないという社会的な性役割を表しているかのよう。女は聖人になれないのか、「聖人の母」にしかなれないのか、という問いはそこにもかかっていたりするのかな。
テーマはわかりやすいとはいえ、内容は多和田葉子らしい謎に包まれてもいる。聖女を目指してことあるごとに聖句を唱える少女が語り手なので、窮屈で息苦しい切迫感が常にある。シュヴァンクマイエルの本と続けて読んだせいか『オテサーネク』的な実写アニメで脳内に映像が浮かんできたし、わかりやすく似ているというわけじゃないけどテーマ性的にガルシア=マルケスの「無垢なエレンディラと無情な祖母の信じがたい悲惨の物語」も連想した。思春期に入ってからの男友だちとのやりとりなんかは少女漫画のモノローグっぽくもあり、純文と少女漫画って近しいよなぁと思う。福永信の解説を読むと、この作品をフェミニズム小説と考えること自体当たり前じゃなかった時代があったということにしみじみし、ぞっとした。 -
Posted by ブクログ
最近ふとしたことからドイツ語に興味を持ち、特に「名詞に性がある」というドイツ語の特徴になんとなく気になるものを感じていました。とりわけ「ややこしそうな文法ルール」として。
そんな中、個人的に惹きつけられた本書の一場面が、ドイツ語文法に怒りを込めて文句を言うアメリカ人と思われる女性に対し、主人公の「わたし」が
『「性を失った英語の方がよっぽどステューピッドでしょ」と言い返してやりたくなった。』
と心の中で反発する場面でした。
真実がどうかはさておき、「言葉というものには元々性があって、英語はその性を失ってしまった言語なのだ」というものの見方は、自分の中に新しい視点を与えてくれたように思います。
もっと言えば「ややこしそう」というネガティブな印象をも反転させられたと言えるかもしれません。
言葉の中にある引っ掛かりや違和感みたいなものを、独自の視点で掬い上げる感覚はやはり多和田さんならではだなと唸ってしまいます。